マルチリンガルを目指せる女子校
京都大学はなぜ公立天国になってしまったのか?
もはや京医が理一に抜かれるのも時間の問題になってきました。
世に生まれ何になり何を成すか。
出世に血眼になるのも立派な生き方ですが、私は独身40歳の時に出世を捨て結婚子育てを人生の主目的に変えました。
ただの会社員ですが私は大満足しています。
人生は一度きり。悔いのないように自問しながら生きるのが良いと思います。
正直なところ、大学を出てからその学問を活かし極め続けられる環境が少ない。
つまりは、たいがいの学生は卒業後、学んだこととそこまでダイレクトに関連しない環境で働く。もちろんエッセンス的には使えるのだけど。
理系で、関連研究をしている企業で研究職します。とか、法学部から士業に就きます。ならまだしも、文学部で東洋文学やってたけど保険業に就きましたのほうがはるかに多い。
だから、「良い職に就ける可能性が高い」学歴的に上位の大学を目指すのはもっともなのかな、と。学歴フィルターもあるし。
日本は東アジアや欧米の国々と比べれば低学歴主義が浸透した国。
お隣の韓国は本当の意味での高学歴主義であり、博士号を持っている割合が日本の3倍。
韓国では民間企業や行政においても博士人材を活かして国を発展させている。
サムスンやLGなどでは技術部門のエンジニアが博士号持ちなのは当たり前で、財務戦略や経営戦略を担当するビジネス部門でも博士号持ちはザラにいる。
しかも米国大学院のPh.D.持ちが多い事も特徴。
世界最先端の技術や知識を技術開発や経営戦略に活かしている。
企業だけでなく行政においても、幹部クラスになれば修士は当然でPhDホルダーもゴロゴロいる。
逆に言えば韓国では、修士や博士の学位がなければ民間企業でも行政でも幹部クラスには昇進しにくい。
韓国だけでなく台湾や中国や欧米でも似たりよったり。これが本当の学歴主義。
人間の精神世界の中には、霊的な自己の社会評価軸みたいなものがあると思っています。
社会的に見て、自分は「霊的に」どういう存在なのか。
これはオカルトではなく、霊長類の「霊」の字にあるとおり、精神的な崇高性の指標です。
その国の最高学歴を取ることによって、その人間の人生は、精神的世界においては「国家から救済される」。
一般の人間にとって、国家というのは「神」と同義がかなり近い。
したがって、国の最高学歴を取ることでその人間は「神から救済の証を賜る」のです。