マルチリンガルを目指せる女子校
国立大学って東大以外は立地の悪い大学ばかりですよね?地方にある大学は論外にしても都心にある一橋もど
国立大学って東大以外は立地の悪い大学ばかりですよね?何か理由があるのでしょうか?
地方にある大学は論外にしても、一橋にしても東京都は名ばかりのど田舎だし、青山や池袋に鎮座する青学立教あたりとはえらい差だと思うのですが、あえてど田舎に大学を作る戦略だったのでしょうか?
立地で選ぶかは、知らんけど、定員を出してみたので
北海道大学
文学部 185
教育学部 50
法学部 200
経済学部 190
625
東北大学
文学部 210
教育学部 70
法学部 160
経済学部 260
700
東京大学
法学部 400
文学部 350
経済学部 340
教養学部 140
教育学部 95
1325
一橋大学
法学部 159
社会学部 220
経済学部 258
商学部 258
ソーシャル・データサイエンス学部 60
955
名古屋大学 文学部 125
教育学部 65
法学部 150
経済学部 205
545
京都大学
総合人間学部 120
文学部 220
教育学部 60
法学部 330
経済学部 240
970
大阪大学
文学部 165
人間科学部 137
外国語学部 580
法学部 250
経済学部 220
1352
九州大学
共創学部 105
文学部 151
教育学部 46
法学部 189
経済学部 226
717
人文社会 中計 7189
北海道大学
理学部 300
工学部 720
1020
東北大学
理学部 324
工学部 850
1174
東京大学
理学部 280
工学部 938
1218
東京科学大学
理学院 151
工学院 358
物質理工学院 183
情報理工学院 132
生命理工学院 150
環境・社会理工学院 134
1108
名古屋大学
情報学部 149
理学部 270
工学部 700
1119
京都大学
理学部 311
工学部 955
1266
大阪大学
理学部 255
工学部 853
基礎工学部 462
1570
九州大学
理学部 258
工学部 778
芸術工学部 187
1223
旧帝理工中計 9698
北海道大学
農学部 215
獣医学部 40
水産学部 215
東北大学 農学部 150
東京大学 農学部 290
名古屋大学 農学部 170
京都大学 農学部 300
大阪大学
九州大学 農学部 226
旧帝農水産中計 1606
北海道大学
医学部 280
歯学部 53
薬学部 80
東北大学
医学部 261
歯学部 53
薬学部 80
東京大学
医学部 150
薬学部 80
東京科学大学
医学部 191
歯学部 85
名古屋大学 医学部 308
京都大学
医学部 208
薬学部 80
大阪大学
医学部 258
歯学部 53
薬学部 80
九州大学
医学部 251
歯学部 53
薬学部 79
旧帝医歯薬看 中計 2683
旧帝文系+一橋大 7189 34%
旧帝理工+科学大 9698 46%
旧帝農獣水産 1606 _7%
旧帝医歯薬看+科学大 2683 13%
総計 21176
出典)国立大学協会「国立大学法人 基礎資料集」(2025年4月25日) (元データ)文部科学省「学校基本調査」(2024)
(旧帝+科学大)以外の国公立大医学部医学科 約4800
仮に立地の良さがあったとして不動産価格として、割高
定員を書き出してみて気が付いたのが東大の文系の定員の多さ
北大+東北大、名大+九大に相当する東大の文系定員の多さ
あとは国立大は理系が7割弱との定説、旧帝は当てはまりますね
実験の設備等々で、住宅やオフィスで人口密集地の混みあった土地は避けるべき要素なのでは?
私文は高層ビルでも問題ないのかもしれませんね、するとオンラインで宜しいのでは?
スレ主は、「立地の良い悪い」を、その都市の中心に近いほど良いと考えているようですが、正しいですか?
中心に近くなったり遠くなったりするのは、その学校の土地の取得時期と昔の都市のサイズによります。日本の場合、明治以降に都市化がすすんだので、取得時期が古いほど中心に近くなる。
いちばん中心に近いのは、城下町にあって、その中心そのものである城の中にあった大学でしょう。東北大学や金沢大学の旧キャンパスが相当します。東京大学は、江戸城からの距離で考えると完敗です。明治維新以降、不要になって維持できなくなった旧藩主が城を手放しましたので、政府が持っていたらしい。
古いほど中心に近くなる例としては、同志社大学と京都大学を考えてみましょう。同志社は、京都の中心である御所の北側にあった薩摩藩邸を貰い受けている。ただし狭い。
明治維新後、天皇や公卿、そして付随する使用人がこぞって東京に移り、廃仏毀釈で建仁寺などが広い土地を取り上げられたりした京都は、人口が減るし洛外は草っ原が広がっていたらしい。洛中、洛外とは、豊臣秀吉が築いた御土居、当時の京都の市街地を囲む土塁の内側と外側で分けられます。
そこで京都博覧会を開いたり(明治4年。跡地が現在の岡崎公園)、旧制第三高等学校(京大の前身)を鴨川の対岸側に誘致したらしい。三高は実は最初は大阪にありました。
筑波大に進学された某皇族が、京大を選んでいたなら実は旧実家(御所)から徒歩で通学できるし、同志社なら公卿の屋敷があった公園を突っ切って今出川通りを横切るだけ(理系学部は今出川にないけど)。
最初に戻って、都市の中心に近いほうがいいというのは、かなり問題があります。下宿代が高くて電車でしか通えない、東京の私大関係者の考えかたでしょう。そこそこ広い東大はともかく、青学立教の都心キャンパスはかなり狭いでしょう。
書き忘れたけど、中心からの距離、広さともに最強は、北海道大学です。札幌駅から徒歩圏内。構内の端に辿りついても、そのあとが広すぎて反対側に歩いていく事はお勧めしません。
まあ北海道は、人が少なかったからね。函館などのほうが先に人が住み始めたし。
家庭の経済状態が悪くて繁華街の飲食店でバイトしている苦学の人にとっては、学校が繁華街のそばに立地していることは切実な問題です。
ただし、それに流されて勉学に集中できないで、就職先がブラックしかない、スポイルアウトしていく若者がほとんどなのは気の毒です。
外大、←江戸の徳川幕府御用達の翻訳処で旧陸軍の爆薬倉庫跡の北区に旧キャンパスがあって移転してた記憶
農工大、←旧帝の東大農学部の土地で、蚕糸伝習所から繊維学部へという流れで工学部を追加
電通大、←軍の無線通信演習施設を戦後に国立大にしたと聞いた 立川周辺は戦前は飛行機製拠点
学芸大、←戦前の東京府立の師範学校6校が焼失等々で統合して移転したらしい