アートの才能を伸ばす女子教育
現役国会議員数 大学別 ベストテン
各大学の現役国会議員の出身者の人数を集計してランキングにしました。
2025年7月20日の第27回参議院議員選挙の結果も反映済です。
1位130人東京大学
2位84人早稲田大学
3位58人慶應義塾大学
4位31人京都大学
5位25人日本大学
6位17人明治大学
7位15人東北大学
8位14人上智大学
9位13人法政大学
9位13人青山学院大学
9位13人中央大学
国会議員は、国家の行く末を決める重要な仕事。
東大が1位なのはある意味当然(他に官僚や司法試験も同じ)だが、ランク外の北大、名古屋、大阪、九州大の文系は何やってるんだろうね?首都圏に比べて地元の旧帝大は絶対的な信頼があり、その地域で出馬すれば当選しそうだが…。まぁ、地方テレビ局の女子アナも首都圏出身のマーチ卒が多い、そして3年程勤めて「元局アナ」の肩書を得て東京の事務所に戻る…。
地方の人もなんだかんだ東京が好きなんだよ。地元の旧帝大卒の人よりマーチ卒に投票する。地元が好きで地元の旧帝大に入学した人が地元のために立候補しない。地元好きってその程度ということ。
地方の人間って、心の底では地元国立を見下してるんだと思うけどね。
そもそも、ずっと地元にいた人間が国会議員になっても、地方にとっては何一つプラスがないよね。
それなら、東京のコネクション持ってるマーチや日東駒専の方が信頼できるって話だと思うよ。
筆者の思考回路→自己矛盾と単純化
この文章の最も滑稽な点は、自己矛盾に満ちた思考回路です。
筆者は「地元の旧帝大は絶対的な信頼があり、その地域で出馬すれば当選しそう」と述べておきながら、その直後に「地元の人もなんだかんだ東京が好きなんだよ」と、自身の推測をあっさり覆しています。これは、彼が論理的な思考ではなく、感情的な偏見に基づいて意見を形成している証拠です。
また、「地元好きってその程度ということ」という結論は、極端な一般化の典型です。国会議員にならないことと地元愛の有無を結びつけるのは、あまりに短絡的です。政治家になることは多くのリスクと犠牲を伴う選択であり、多くの人は別の形で地元に貢献しています。筆者は、自身の期待する「地元愛の形」を他者に押し付け、それに合致しない人間を「薄っぺらい」と断罪しているのです。
地方テレビ局の女子アナの例も、彼の東京コンプレックスを裏付けるものです。地方の優秀な人材が最終的に東京に戻るという現象は、彼にとって「地方の敗北」を意味し、それを「なんだかんだ東京が好きなんだよ」という皮肉で説明しようとしています。これは、東京に憧れながらも、地方を軽蔑する彼の複雑な心理の表れと言えるでしょう。
結論として、この文章は、客観的な分析ではなく、自身のコンプレックスや偏見を投影した、感情的な独り言です。彼は、自分の小さな価値観に合わない現実を前に、不満と失望をぶつけているだけなのです。
思考回路の分析→自己矛盾と浅薄さ
この文章の筆者は、地方の人々が「心の底では地元国立を見下している」という独断的な前提から議論を始めています。この前提には、いかなる客観的な根拠も示されていません。単に自身の地方に対する蔑視を、あたかも地方の人々の本心であるかのように投影しているに過ぎません。
そして、その前提から「ずっと地元にいた人間が国会議員になっても、地方にとっては何一つプラスがない」という結論を導き出しています。これは極めて短絡的な思考です。政治家の資質を「どこにいたか」という単純な地理的要因で判断しており、経験、知識、地元への理解、政策立案能力といった、より重要な要素を完全に無視しています。
論理の破綻:支離滅裂な主張
筆者は、「東京のコネクション持ってるマーチや日東駒専の方が信頼できる」と主張することで、自らの論理を完全に破綻させています。
コネクション重視の二重基準: 前半で「地元にいた人間」を否定しておきながら、後半では「東京のコネクション」という、特定の場所で築かれた人間関係を高く評価しています。これは、地方のコネクションは無価値で、東京のコネクションだけが価値があるという、根拠のない二重基準です。
学歴の軽視と優越感: 以前の文章で東大至上主義を示唆しながら、ここでは「マーチや日東駒専」という、自身の価値観からすれば一段劣るはずの学歴の持ち主を称賛しています。これは、「学歴」そのものよりも「東京にいること」が何よりも重要であるという、筆者の東京コンプレックスが露呈した瞬間です。
結論:地方への劣等感の裏返し
この文章の根底にあるのは、地方への根深い劣等感と、東京に対する過剰な憧れです。筆者は、地方の閉鎖性や停滞を嘆いているように見せかけて、実際には、自身の抱える地方出身者としてのコンプレックスや、東京という権威への強い劣等感を、地方そのものやそこに住む人々への攻撃という形で発散しているに過ぎません。
この文章は、地方が抱える問題の本質を捉えているのではなく、筆者自身の浅薄な思考と偏見を赤裸々に示している点で、ある意味で「地方の本質」とは全く逆のものです。































