高2が体験!金沢探究レポート
国立大学病院の大赤字は国立大学の学費の値上げで対応すべきではないですか?
早苗さんが総理大臣となり、減税や賃上げが期待されている昨今、国立大学の問題で経済の足が引っ張られるべきではありません。
私大であれば大学が赤字になれば、どこも学費値上げで対応しています。当たり前の話です。
国立大学の学費を150万に上げれば、それだけで4000億円の財源ができます。
それを原資に、大学病院の赤字補填と医療従事者の待遇改善をすればいいと思います。
まさに仰る通りです。
長野県の事例は、医療費抑制を支出削減ではなく健康資本の蓄積として実現した数少ない成功例です。医師として見ても、特筆すべきは受療行動の適正化が行政主導ではなく、地域の文化と連動して形成されている点です。
減塩運動や住民主体の検診受診、地場野菜中心の食生活など、一見地味な施策が、脳卒中や心疾患の発症率を劇的に下げています。要するに医療に頼らない健康を社会全体で作り上げた。その結果、長野は一人当たり医療費が低いにもかかわらず平均寿命が全国トップクラスという、医療経済学的にも理想的なバランスを実現しています。
他地域で真似しようとしても、単に健康指導を強化するのでは再現できません。長野が築いたのは制度ではなく、健康を誇りとする文化です。日本全体が次に目指すべきは、そうした地域ごとの健康文化を支える医療・教育・行政の三位一体の設計です。
結局、病院ではなく地域が人を治している。長野の成功はその証左だと思いますね。
ふと思った素人考えだが、病院の大きさによって、患者の診察の効率が悪すぎるのではないのだろうか。ほどほどの規模の病院の患者の捌きはすごい。大病院なら、何時間も待たされることはいつものこと。混んでると、たいした病気でもないのに半日かかることもしばしば。このへんのところが改善すれば、ちょっとは違うようにも思う。結局、患者を多く診ないと金にはならない。いい加減な診察は、もちろんダメだが、長ければいいというわけでもない。受付から診察までのルーティーンを見直した方がいいかもしれないのかも。赤字で大病院がなくなってしまうのは、大きな病気をかかえていると不安でしかない。
規模の大小そのものより、流れの設計が古いまま止まっているのが本質なんだと思う。
大病院は重症患者を診ることが役割なのに、軽い症状の人まで一度に押し寄せる。結果として、待ち時間は膨らみ、医師も看護師も本来の仕事に手が回らなくなる。
国全体を見れば、ここには明確な構造的ミスがあるのです。
軽症は地域のクリニックで受け止め、重症だけを大病院に集める。これを本気で仕組みに落とせていない。紹介状の運用も中途半端で、データ連携も弱い。だから大病院が詰まる。
患者が多いから時間がかかっているというより、振り分けと動線が作れていない。
ほどほどの規模の病院が早いのは、役割と流れが一致しているから。この状況を大中小全てでやるだけなのだが、難しくしているのは、既得権益と国の無思考。
大病院の赤字が怖いという感覚は正しい。
ただ、病院を守るというのは建物を維持することではなく、患者の流れと役割分担を組み直すことなんです。
待ち時間を減らす鍵は、診察を「長くするか短くするか」ではなく、最初から「どこが診るべき患者なのか」を間違えないこと。
この一点だけで、体感は大きく変わるはず。
複雑な問題ほど、本質は実にシンプルなのです。
批判があると思いますが、本音としては国立病院はやめてしまえと言わざるを得ないかと思います。
収支の立て直しをするのに、税金や国費を当てたところで焼け石に水すぎません。
そんなことをすれば保険料は上がり、利用者の負担も増加し、国民の生活に大きな支障をきたします。民間企業がやっているように、経営面で抜本的な改革を行うより他に方法はないと思います。
国立病院を民間の尺度で語る発想は、そもそも土俵が違います。民間が採算を理由に手を引く領域こそ、国立が支え続けている核心です。救急、小児、周産期、感染症、重症難病のように、利益では成立しない領域を誰が担うのかという視点が欠けた瞬間、議論は現実から離れます。
数字だけを見て国立を切れば医療が軽くなるように見えますが、実際は逆です。民間が撤退した地域で国立まで消えれば、救急搬送の遅延、手遅れ症例の増加、入院先の消滅が一気に表面化します。そこで発生する社会的コストは、国立の赤字とは比較にならない規模になります。財政負担を下げるどころか、長期的な医療費を跳ね上げる要因に変わります。
医療財政が逼迫している最大の理由は、国立病院の存在ではありません。予防の弱さ、検診率の低さ、慢性疾患管理の遅れ、地域医療の分断といった構造上の欠陥です。ここを立て直さない限り、医療費は増える一方で、国立を潰しても何も解決しません。むしろ社会の耐久力が下がり、破綻の速度が早まります。
国立病院は不要なのではなく、民間では成立しない領域の最後の支柱です。そこを切り捨てれば、医療供給は確実に崩れます。医療は企業経営とは構造が別物で、利益の論理では救えない領域があります。その基礎を理解しないまま切り込みを語るのは、現実の医療に対する深刻な誤解で、社会全体のリスクを増幅させるだけです。




































