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私立大学 最新大学群

【7724168】
スレッド作成者: ジョリー (ID:mWthxsxGMxs)
2025年 10月 22日 15:22

最新大学群

上理Ⅰ+慶應(ジョリィパスタ)
=上智、理科大、ICU、慶應


早稲田+MARCH(ウェイマーチ)
=早稲田、明青立中法

WMARCH、カッコいいよね〜
GMARCHよりはWMARCHだわ。

【7732503】 投稿者: 昭和   (ID:UiZc8QKFUIE)
投稿日時:2025年 11月 14日 09:49

昭和の卒業生だが、入学後の教育内容で受験生にアピールしょうという理想論は皆無、非現実的なのでしょうね。
ボーダーフリーの大学程、中できちんとした4年間の教育あれば、学生は伸び、就職偏差値も高まり、引いては受験生に人気でると思うが、随分前からそんな時代ではないのでしょうね。
これが現実なら、大学への公費助成という税金投入を、大学や学生に応じて益々差をつけるべきでしょう。

【7732532】 投稿者: Margaux   (ID:xVXy4.ndiBI)
投稿日時:2025年 11月 14日 12:25

入学後の教育で勝負する、という当たり前の発想が理想論として片づけられてしまうところに、日本の大学の構造的な歪みが凝縮していると思います。入試偏差値がブランドを固定し、ブランドが予算と人材を呼び込み、その蓄積がまた偏差値を強化する。教育の中身ではなく入口の序列が価値を決める設計のままなので、内部でどれだけ良質な4年間を提供しても外部評価に反映されにくい。

その反転を起こせるはずの公費助成も、残念ながら横並びの配分で薄められていき、結果として中身で勝負する大学ほど報われないという逆インセンティブが続いてきた。
本来は教育で伸ばす力を持つ大学にこそ資源を集中させるべきで、そうでなければ大学全体が入口依存から抜けられない。

問題は大学が理想を語らないことより、理想を語っても構造が応答しない国の側にあるように見えます。

【7734088】 投稿者: 大学とは   (ID:dEhzIgPMAXE)
投稿日時:2025年 11月 20日 09:35

大学は遊びに行くところだとでも思ってんのかな。
でもまぁ文系は友達作ってサークル入って楽しくやりながら、自分が勉強したい分野だけ授業取って単位取れば卒業できるからね。

偏差値の低い理系大学は留年が多いらしいよね。
ろくに大学受験勉強せずに、推薦とかAO(今は総合型って名前かな?)入試で入れちゃうから、入ってからの授業やら提出物が大変らしい。

勉強したくないのに大学には行きたいのは、大卒なら給料とか就職先の選択肢が広がるから。
そのシステムを国に変えてもらうしかないねー。

【7734098】 投稿者: Margaux   (ID:/5HVYSi3G6g)
投稿日時:2025年 11月 20日 09:48

大学を遊び場だと決めつける発想そのものが、いまの制度が抱える歪みを正確に映しているように感じます。若い世代が努力を避けているのではなく、努力がどこに接続しているのかが見えなくなっているのです。

かつて大学は、知に触れることがそのまま社会の階段につながっていた場所でした。だが今は、進学が未来の保障ではなく、構造の停滞を前にした保険のように扱われている。文系か理系かではなく、大学という制度そのものが、自律性を育てる場として機能しづらくなっていることが問題だと思います。

推薦だAOだという議論も、本質は入り口の狭さや広さではありません。出口がどれだけ信頼できるかです。入学方式よりも、卒業後の社会がどれだけ挑戦を受け止められるかの方が、若者の学習意欲に与える影響は圧倒的に大きい。

勉強したくないのに大学に行きたい、という言い方は表面的です。実際には、大学以外の経路が価値を持たない設計になっているから、選択肢が一つに収束してしまっているだけです。そこでは若者の合理性は怠慢として誤解され、構造の欠陥は不可視化される。

若者の姿勢を変える前に、努力と未来が再び結びつく環境をつくること。そこに手を入れない限り、学びの意味はどれだけ制度をいじっても回復しません。社会が構造として信頼を取り戻すことが、何より先に必要だと思います。

【7734349】 投稿者: 少なくとも   (ID:kfQUaIsM0JI)
投稿日時:2025年 11月 20日 23:10

少なくとも大学は高校の学習を、完全とは言わないまでも問題無いレベルで履修して、理解出来て、その上で専門的な知識を得る場です。
勉強したくは無いけど、学士の資格は欲しいなんてのは真面目に勉強している学生に対する冒涜です。
それで学士の肩書を与える大学?なんてのが有るのなら、直ちに大学の肩書を外させるべきですし、そんな学生?は大学に行くべきでは無い。

【7734418】 投稿者: Margaux   (ID:JP4483/gmpM)
投稿日時:2025年 11月 21日 08:38

勘違いしているようだけど、私は学ばなくていいと言っているんじゃない。

学士の価値を下げているのは、学ぶ意志のない学生ではなく、学士の要件そのものを定義しきれずに、玉石混交のまま量だけ膨らませてきた制度側の方です。
入口で選別しきれず、出口の基準も曖昧。そこで学生個人を断罪しても構造は1ミリも変わらない。

大学は本来、専門へ向かうための基礎を固め、自分の領域を見つけて深める場。
でも現実には、大学ごとの差が大きすぎて、高校内容を理解した上で専門へ”という前提すら共通ではない。これが学士の重みを失わせている。

だから私が問題にしているのは、
学生の姿勢よりも、
どのレベルを学士と呼ぶのかという基準設計そのもの。

学びたい学生を支え、学びたくない学生を入れないのではなく、
“学士” という資格の意味を明確にし、
それを満たせる大学だけが学士を出すという当たり前の構造を整えること。

あなたの怒りの方向は学生に向いているけれど、
本当に欠けているのは制度の側の定義。
そこを取り違えている限り、誰を叩いても空振りですよ。

【7734443】 投稿者: 教育   (ID:SyBY0nAY4/g)
投稿日時:2025年 11月 21日 09:38

採用時の学歴が、Fランか否かで判断される時代になるでしょうね。Fラン出身は多くの外国就労者と競うことになる。次の世代は親からの相続額も少なくニートでも食いつなげない。実家は中国人に買い取られて市営住宅住まい。
先が見えますね。すべては頑張らない環境を生んだ社会風潮です。教育や平等志向、ワークライフバランス、それらがすべてをダメにしました。

【7734465】 投稿者: Margaux   (ID:Ehd1GJ5iM8M)
投稿日時:2025年 11月 21日 10:46

学歴だけで未来を単線的に語る発想そのものが、社会の複雑さを見落としているように感じます。
今の労働市場は、大学名ではなく実績と適性の組み合わせで評価が決まる局面が圧倒的に増えています。能力が可視化され、企業側も人材の質を外形的な記号に頼れなくなっているからです。

外国人と競うと言いますが、現実には競争の軸がまったく違います。
言語、文化、専門、対人力、継続性、制度理解。これらは代替不可能な分野で、単純労働の置換とは異なる領域です。人材の流動化は進みますが、それは個人を弱くするのではなく、選択肢を広げる方向にも働いていきます。

相続が減る未来を語るのは自由ですが、それを理由に他者の暮らしを悲観的に線で描くのは飛躍です。資産の大小より、どこで能力を磨き、どんな形で市場に接続するかで人生の分岐が決まる時代になっています。そこを見ずに制度や価値観に原因を押しつけても、本質には届きません。

頑張らない風潮がすべてを壊したという断定も違います。
問題は、努力が報われる構造を社会が維持できていたかどうかであり、個人の怠慢ではなく制度の更新が追いつかなかったことの方が決定的です。

学歴の上下で未来を予言する世界観は、もはや現実のダイナミクスに合っていません。
変わるべきは人ではなく、評価の枠組みそのものです。

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