アートの才能を伸ばす女子教育
私立大学は早稲田一強状態
今や早稲田は東大京大に近づいてます。一方で他の私大は慶應、明治、上智などが団子状態になりつつあります。
東大京大≒早稲田>慶應≒上智≒明治くらいでしょう。
もう早稲田も息切れして志願者数がジリジリ減少してきている。入試方式で共通テスト積極導入したおかげで、まさに志願者数沸騰という恩恵を受けることができました。しかし、他大学も同じ様に導入を始め、慶應に至っては来年から小論文をなくす学部もあり、早稲田を除く私大入試改革本番といったところだろう。共通テスト利用、それも数学を取り入れ、真っ先に改革を始めた早稲田にアドバンテージがあった事は事実だが、その利得が早くも薄まりつつある現状、今の早稲田人気入試があと何年持ちこたえられるのかが非常に気になるところ。
留学生数
■早稲田大 2025年
アメリカ 0389名◎1
イギリス 0078名
中国 3235名◎2
韓国 0688名
台湾 0347名◎3
◎2/◎3≒9.32倍 中国/台湾
◎2/◎1≒8.13倍 中国/米国
■慶應義塾 2025年
アメリカ 073名◎4
イギリス 不明
中国 965名◎5
韓国 358名
台湾 105名◎6
◎5/◎6≒9.19倍 中国/台湾
◎5/◎4≒13.2倍 中国/米国
【結論】
慶應の中国人留学生数、米国人留学生数の比率は早大と比して中国人比率が高い。中国/台湾は早慶ほぼ同率。
米国からの留学生が極端に少ないのが分かる。
慶應は留学生に対する受け入れ態勢が出来ていない。もしくは人気が無い。
18歳、大学受験から抜け出せない亡霊たち。。。
毎日、エデュで更新される。早稲田か、慶応か。
参加者の素性など、誰一人担保されていない。
それでも彼らは書き続ける。
何故?
参加しているだけで、ハタからは「早慶関係者」に見える。その幻想こそが、彼らの燃料、ガソリンだからだ。
私がリアルに知る早慶OBはおそらく、誰一人エデュになどいない。想像すらできない。
何故なら実社会で何かを成した人間は、学歴を記章として振り回さない。
学歴の価値を知らないからではない。寧ろ逆。
学歴とは入口に過ぎないと、体感で知っているからだ。
企業を動かす者も、研究を前進させる者も、資本を回す者も。
昨日の偏差値表ではなく、今日のアウトプットで測られる世界にいる。だから去し日の亡霊を抱えて、匿名空間で鍔迫り合いをする必要が全くない。
エデュで起きているのは、大学論争ではない。
所属幻想の消費。
人は、自らの人生に輪郭を失うと、共同体の看板に寄りかかる。それは国家でも、企業でも、大学でもいい。エデュの亡霊たちにとって、それが「早慶」という分かりやすいバッジだったのだろう。
自分自身を語るより、看板を語る方が、圧倒的に楽だからだ。
そしてエデュの様な匿名掲示板は、その欲望にとって極めて都合が良い。
本人確認なし。学位記も不要。学生証も不要。
早稲田卒を演じても、慶応医学部の保護者を名乗っても、誰も検証できない。
にもかかわらず奇妙なのは、その虚構空間の中ですら、人々が必死にヒエラルキーを構築しようと足掻く、断末魔に似た所業。
文学部がどうだ。内部進学がどうだ。一般率がどうだ。推薦比率がどうだ。
現実社会ではほとんど意味を持たなくなった微細な差異を、まるで中世神学の教義論争のように積み上げていく。
熱量だけが、異様に高い。
おそらく彼らは、大学について語っていない。
失われた自己肯定感について語っている。あるいは、自分の人生が本当に正しかったのかを、延々と確認し続けている。
だから議論は終わらない。
相手を論破しても、空白は埋まらないから。
本当に充実した人生は、匿名掲示板で証明する必要がない。
忙しい人間は、自分の現在に追われている。
投資先を見ている。
論文を書いている。
顧客と会っている。
新しい事業を考えている。
子どもと食卓を囲んでいる。
時間とは、その人間の現在地そのものだ。
その貴重な時間を、存在確認のための学歴ロールプレイに費やし続ける。
そこに私は、現代的な孤独の構造を見る。
残骸、なのかもしれない。
エデュの早慶論争は、大学論争ではない。
情報化社会が生み出した、所属依存の残響。
そしておそらく、AI時代が進む程、その空虚さはさらに露わになっていく。
大学名を暗唱するだけの人間より、自分の頭で考え、自分の言葉で世界を切り取れる人間の価値が、静かに、しかし確実に、上がっていくから。
悪魔を憐れむ歌〜The Rolling Stones
いや、亡霊たちへのレクイエム〜鎮魂歌、だよ。































