アートの才能を伸ばす女子教育
早稲田大学は偏差値トップなのにどうしてスポーツ選手の輩出もトップレベルなのですか?
1 東海大学 東京都/私立 スポーツ選手 617人
2 早稲田大学 東京都/私立 スポーツ選手 575人
3 日本大学 東京都/私立 スポーツ選手 440人
4 明治大学 東京都/私立 スポーツ選手 400人
5 日本体育大学 東京都/私立 スポーツ選手 386人
18歳、大学受験から抜け出せない亡霊たち。。。
毎日、エデュで更新される。早稲田か、慶応か。
参加者の素性など、誰一人担保されていない。
それでも彼らは書き続ける。
何故?
参加しているだけで、ハタからは「早慶関係者」に見える。その幻想こそが、彼らの燃料、ガソリンだからだ。
私がリアルに知る早慶OBはおそらく、誰一人エデュになどいない。想像すらできない。
何故なら実社会で何かを成した人間は、学歴を記章として振り回さない。
学歴の価値を知らないからではない。寧ろ逆。
学歴とは入口に過ぎないと、体感で知っているからだ。
企業を動かす者も、研究を前進させる者も、資本を回す者も。
昨日の偏差値表ではなく、今日のアウトプットで測られる世界にいる。だから去し日の亡霊を抱えて、匿名空間で鍔迫り合いをする必要が全くない。
エデュで起きているのは、大学論争ではない。
所属幻想の消費。
人は、自らの人生に輪郭を失うと、共同体の看板に寄りかかる。それは国家でも、企業でも、大学でもいい。エデュの亡霊たちにとって、それが「早慶」という分かりやすいバッジだったのだろう。
自分自身を語るより、看板を語る方が、圧倒的に楽だからだ。
そしてエデュの様な匿名掲示板は、その欲望にとって極めて都合が良い。
本人確認なし。学位記も不要。学生証も不要。
早稲田卒を演じても、慶応医学部の保護者を名乗っても、誰も検証できない。
にもかかわらず奇妙なのは、その虚構空間の中ですら、人々が必死にヒエラルキーを構築しようと足掻く、断末魔に似た所業。
文学部がどうだ。内部進学がどうだ。一般率がどうだ。推薦比率がどうだ。
現実社会ではほとんど意味を持たなくなった微細な差異を、まるで中世神学の教義論争のように積み上げていく。
熱量だけが、異様に高い。
おそらく彼らは、大学について語っていない。
失われた自己肯定感について語っている。あるいは、自分の人生が本当に正しかったのかを、延々と確認し続けている。
だから議論は終わらない。
相手を論破しても、空白は埋まらないから。
本当に充実した人生は、匿名掲示板で証明する必要がない。
忙しい人間は、自分の現在に追われている。
投資先を見ている。
論文を書いている。
顧客と会っている。
新しい事業を考えている。
子どもと食卓を囲んでいる。
時間とは、その人間の現在地そのものだ。
その貴重な時間を、存在確認のための学歴ロールプレイに費やし続ける。
そこに私は、現代的な孤独の構造を見る。
残骸、なのかもしれない。
エデュの早慶論争は、大学論争ではない。
情報化社会が生み出した、所属依存の残響。
そしておそらく、AI時代が進む程、その空虚さはさらに露わになっていく。
大学名を暗唱するだけの人間より、自分の頭で考え、自分の言葉で世界を切り取れる人間の価値が、静かに、しかし確実に、上がっていくから。
悪魔を憐れむ歌〜The Rolling Stones
いや、亡霊たちへのレクイエム〜鎮魂歌、だよ。
ラグビーも駅伝も昔の栄光。
大学からプロ野球のスター選手も最近は多くない。村上宗隆、山本由伸、大谷翔平、鈴木誠也、ダルビッシュ、田中将大、マエケン、松井秀喜、松井稼頭央などは高卒。大卒で大リーグで活躍したのは上原浩治ぐらいか。野茂さんは高卒から実業団。大リーグである程度成功できたら大幅に生涯年俸や年金(10年在籍でしたっけ?)が多くなるから、高卒でプロになった方がいいかも。
今や、体育会出身者を好む企業への就職が良くなる程度。





























