アートの才能を伸ばす女子教育
「10年後の大学序列」予想で早稲田、明治、同志社が大学群で頭一つ抜けるそうです
旧帝国大学・・・東京大、京都大とそれ以外で二極化
難関国公立大学・・・東京科学大学が台頭
早慶・・・早稲田大学が頭一つ抜ける
GMARCH、芝浦(SMARCH)・・・明治大学が頭一つ抜け、芝浦工業大学が台頭
関関同立・・・同志社大学が頭一つ抜ける
エデュをぼんやり見ていると、不思議な感覚に襲われることがある。
彼らは大学について語っている筈なのに、読後に残るのは学問の匂いではない。
ある種の飢え。
承認されなかった時間。
報われなかった自意識。
置いていかれた感覚。
それらが、大学名という古い看板に貼り付いている。受験とは、本来18歳前後の通過儀礼に過ぎない。
しかし一部の人間は、その一点を人生最大の成功体験として凍結保存してしまう。
だから何十年経っても、序列表から降りられない。
社会はとっくに次のゲームへ移行しているにもかかわらず。
本来、大学とは入口だ。
知性の完成品ではなく、知性への接続点に過ぎない。
本当に重要なのは、その後に何を読み、誰と出会い、どんな失敗を重ね、どこまで世界を自分の言葉で理解できたかだ。
にもかかわらず、匿名空間では、入口だけが永遠に反復される。
早稲田か慶応か。
東大か京大か。
医学部か非医学部か。
一般か推薦か。
それは学問論争ではない。
所属記号の優劣確認だ。
そして奇妙なことに、そうした論争ほど、現実社会の手触りを失っている。
企業の現場では、出身大学だけで大型案件は動かない。
研究の世界でも、論文を書かなければ評価されない。
投資の世界では、マーケットは学歴に忖度しない。
むしろ社会に出るほど、人間は残酷なほど現在形で測定される。
今、何を生み出しているのか。
そこしか見られない。
だから私は、ときどき匿名掲示板の熱狂に、時間の止まった博物館のような空気を感じる。
彼らは現在を語っていない。
過去を保存している。
しかも、その保存対象は青春そのものですらない。
青春時代に一瞬だけ与えられた、序列上の優位感覚だ。
偏差値。
模試順位。
合格実績。
進学校。
本来、それらは人生の途中経過に過ぎなかった。
しかし途中経過しか誇れなくなると、人はそこへ永住し始める。
だから議論は細かくなる。
一般率がどうだ。
内部進学がどうだ。
就職先がどうだ。
推薦比率がどうだ。
枝葉へ潜っていく議論ほど、実は本質から遠ざかっている。
本当に満たされた人間は、自分の現在で立っている。
肩書きの反復ではなく、今の仕事、今の思想、今の生活、その総体で世界と接続している。
だが、匿名空間には時折、自分自身の現在を失った人間の気配が漂う。
だから大学名が必要になる。
大学を語っているようで、その実、自分自身の存在証明をしている。
そしてAI時代は、その残酷さをさらに加速させると思う。
知識の暗記や受験テクニックだけなら、機械が一瞬で代替する。
大学名を唱えるだけでは価値にならない。
その知性で何を見抜くのか。
何を編集するのか。
何を創るのか。
そこだけが残る。
だから私は、掲示板の終わらない学歴論争を見ながら、ときどき奇妙な静けさを感じる。
あれはエリート同士の戦いではない。
過去から降りられなくなった人間たちの、長い残響なのだと思う。
翻弄されている。
国立に関してはそのとおり。
芝浦が台頭は理解できる。
明大は今でもMARCHから抜け出している。
でなぜ早稲田???
早稲田は大学入学の難易度(偏差値)が高いからそれだけで同等の偏差値しか無い人達が群がっているだけじゃ??
実質そんなに良い大学?
どんな所が大学の魅力なのかな?
早稲田大学が頭一つ抜ける
…もう、とっくに抜けてるじゃん、中国人留学生のの数でしょ(笑)。
日本では「外国」や「外国人」をイメージする時、アメリカ合衆国、白人(黒人)をイメージする。「ユーは何しに日本へ?」などの日本にいる(来る)外国人は白人と黒人ばかり。早稲田の場合は中国人。月曜から夜ふかしと同じ。
まぁ、彼らは優秀だから早稲田大学も優秀となる。国賊かどうかはさておいて…。





























