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【6158216】住みやすい街は、どこですか?

投稿者: 引越したい!   (ID:DMueuC.nHqo) 投稿日時:2021年 01月 14日 14:14

住みやすい街は、どこですか?

商店街、公園、医療機関など。

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  1. 【6169328】 投稿者: 晴れが好き  (ID:kh.ptSuzA5c) 投稿日時:2021年 01月 22日 10:26

    金沢出身の父によると、京都の食文化に加えて新鮮な魚介類が豊富な金沢のお料理は最強だそうです(個人の感想です笑)
    でも前の方も書いていらしたように、雨が多い、曇天が多い、雪も多いで、関東のからっと晴天の多い冬の気候の方が好きなんですって。

  2. 【6169723】 投稿者: 地方都市  (ID:w2zANn2nJac) 投稿日時:2021年 01月 22日 15:03

    脳内散策さん

    北陸三県の真ん中、金沢のある石川県は味的には関西と関東の両方が入っています。金沢はプチ京都といわれるように味付けは関西風がメインですが、例えばうどんは薄口しょうゆの関西風、蕎麦は江戸前の濃い口です。納豆も普通に食べるし。でも伝統的なお雑煮はすましで丸餅、焼かずにいれます。面白いです。

    魚さん
    なるほど、北前船ルート説ですか。濃い味付けがもともとなら、江戸時代以前の京都の味付けはどうだったんですかね? 楽しい想像です。

  3. 【6169835】 投稿者: 昆布  (ID:9IQAhJfi6Yk) 投稿日時:2021年 01月 22日 16:36

    >江戸時代以前の京都の味付けはどうだったんですかね? 楽しい想像です。
    >


    中世、鎌倉時代前後には既に昆布は畿内で流通していたようですからこの時代から昆布出汁の食文化が発展し始めたようです。


    中世から近世にかけては昆布は若狭の名産品として知られていたそうで、北海道からの昆布が小浜や敦賀で荷揚げし加工されて陸路、水路で京都へと運ばれていたようです。
    その頃は未だ大阪は商都ではなく京都の船着き場程度の賑わいだったでしょう。
    大阪までは到達していなかったかもしれません。


    北前航路の縮小版が中世より日本海沿岸を北上南下繰り返し、それぞれ寄港地にて昆布食文化を広めていたと言われています。
    能登半島の付け根の富山湾も寄港地の一つです。
    近世に入ると富山の薬売りで富を得て北前船の船主として大成する北前商人も越中富山に多くいたそうです。


    と云う事で、
    金沢は尾張生まれの前田の殿様が "昆布じゃない" 食文化を持ち込んだものと思われます。
    もともとの住民は昆布で出汁を取り料理をする文化を持っていたのだと思います。
    北陸3県は未だに昆布出汁文化が主流なのではないでしょうか。



    大幅に横のレスとなりました。
    お許しを。

  4. 【6169912】 投稿者: 地方都市  (ID:w2zANn2nJac) 投稿日時:2021年 01月 22日 17:33

    私が脱線させちゃいました。すみません。(汗)
    もう一つだけ、石川県のお刺身にタラの昆布締めというのがあります。(富山も福井もあるかな?)
    タラの刺身に火を通したタラの卵(塩味のついていないたらこ)をまぶし、昆布じめにします。昆布のうまみがねっとりと刺身に絡みおいしいお刺身です。
    これも昆布文化ですかね。

  5. 【6169930】 投稿者: いいですね  (ID:ZgFf2kAulqA) 投稿日時:2021年 01月 22日 17:51

    金沢に着いたらニッコーホテル内でお寿司を食べてから散策したら、温泉に入り1日目終了。
    2日目は市場で食べ歩きして、お腹いっぱいで満たされたまま帰ります。
    とにかく、美味しいお寿司を食べたいです。

  6. 【6169956】 投稿者: 昆布  (ID:9IQAhJfi6Yk) 投稿日時:2021年 01月 22日 18:09

    >これも昆布文化ですかね。


    そう思います。
    多分北海道の昆布を荷揚げしていた地域では、保存も効く昆布〆を早くから食していたと思います。

    近世以降は"鯖街道" と呼ばれる若狭と京都を行き来する道を昆布や酢で〆た鯖が大挙して上洛していたのでしょう。
    現代の京都料理でも白身魚を昆布で〆る事が伝統のように続いていますが、きっと元祖は北陸だと思います。

    そして、
    そのタラコまぶしのタラの昆布〆も北海道の海の幸として北陸で陸揚げされた、オリジナルは北海道産だったかもしれませんね。

  7. 【6170029】 投稿者: 魚  (ID:ryyhZjRHMXI) 投稿日時:2021年 01月 22日 19:01

    ああそうでした、鯖街道もありましたね。私は釣りも好きなんですが、鯖は寄生虫のアニサキスが多く、〆ないと食中毒をよく起こします。保存も兼ねて若狭から〆て運ばれたのでしょう。

    北前船の重要な積み荷は米ですが、船で運ぶことを始めたのは加賀百万石の前田の殿様だとか。江戸中期以降大坂で米を売って、酒や工芸品、織物などを帰りに運んだのでしょう。

    清酒は、今の兵庫県伊丹市か大阪府池田市のあたりで発明されたそう。それまでは濁酒で(いわゆるどぶろく)運んでいるうちに発酵が進んで味が変わってしまいます。北前船や江戸へ運ぶ船に載せやすいということで(六甲山系の湧水が多いという理由もありました)、江戸時代に海側の西宮や灘五郷に清酒業の主力が移ったそうで、灘や甲陽というエデュでも話題に出る私立中高につながりました。

  8. 【6170133】 投稿者: 注意!  (ID:xb2dq/kzo1o) 投稿日時:2021年 01月 22日 20:17

    アニサキスは酢〆にしても死にません。
    ですから、〆鯖も生食と同様、食中毒を起こします。
    冷凍または加熱で死滅します。

    ヨコですが、ご注意を。

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