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【1116138】知的障害者の性犯罪

投稿者: 将来が心配   (ID:Ge94kwagMWw) 投稿日時:2008年 12月 09日 13:53

今日の出来事です。
大学生の娘と朝食を食べながら「幼児殺害」のニュースを見ていると
「そういえば、私もバスで知的障害の人に体を触られた」と突然言ってきました。
ビックリして詳細を聞くと
大学から大学の最寄り駅に向かうバス路線の途中に
障害者の為の作業所があるそうで、そのバス停から乗ってくる
知的障害の同じ中年男性に、もう2度も体(足や腰)を触られたらしいです。
決まった時間のバスで路線もわかるので「警察に届けよう」と言った所
「だからお母さんに言うの嫌だった。大袈裟にするから。」と拒否されました。
「もうその時間のバスに乗らない」
「もしも別のバスで出会ってしまったら席を立つか荷物を置いて座らせない様にするから。」とも。


でも、それでいいのでしょうか?娘が乗らなければ別の女の子が同じように
被害に遭うはずです。
ただ、年頃の娘に無理強いするのもどうかと思い
警察の女性の為の相談窓口のような所に先ほど電話で相談した所
「娘さん自身が痴漢にあったその時に警察に通報して警察を呼んで
犯人を逮捕して、その場で被害届を出すか、注意だけでいいか判断してもらうしか
対処法がありません。」と言われました。
「・・・・・・・・・」
『大袈裟にしたくない』と言った娘の言葉が浮かんで来ました。
被害届を出した所で顔を覚えられて益々恐怖だけが大きくなるのが目に見えます。


こんな警察の対応を見て、こういった犯罪はこれからますます増えると
恐怖でなりません。
小さいお子さんをお持ちのご家庭も年頃の娘さんをお持ちの親御さんも
やはり自分の子供は自分で守るしかないです。


とにかくもう本当にガッカリです。

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  1. 【1118134】 投稿者: 中学生の頃  (ID:ruAMkIfKfsI) 投稿日時:2008年 12月 11日 11:35

    何かあってもどうにもならないから、理解できないから容認ですか?
    家族が障害の程度を理解して、一人歩きをしているなら理解できますが
    人に危害を加える可能性があるなら、普段から付き添うべきだと思います。
    小さい子を一人で歩かせないのと同じだと思います。

  2. 【1118170】 投稿者: 障害があろうがなかろうが  (ID:90iOO7eEsew) 投稿日時:2008年 12月 11日 12:15

    人に迷惑をかけない、自分でコントロール出来ないなら誰かがさせない様にする・・・最低限の事です。事によっては子供だからスミマセン、障害があるからスミマセン、家庭の事情でスミマセンでは済まされないと思います。

  3. 【1118173】 投稿者: パパ40歳  (ID:pstx7faGez.) 投稿日時:2008年 12月 11日 12:19

    被害を受けたことのある人とない人、健常児の親と障がいを持つ児の親、お互いが理解しあうのは非常に難しいと思います。私は障がい児やそのご家族と接することの多い仕事をしていますが、ひとくくりにはとてもできない多様性や、障がいを持つ児の親が日々、それこそ人生のすべてを犠牲にしなければならないほどの負担を日々背負って生きていること、などを、身近に理解することができます。しかしその一方で、実際に被害に遭われた方がやり場のない憤りや理解してもらえない不安にさいなまれているということも、十分理解できるつもりでおります。
    お互いが理解しあい、悲しい事件が起こらないようにするためにはどうすればよいか、答えは私にもわかりませんが、私が思うのは、「差別」とか「タブー」とかを一度すべてとっぱらって、ひとりひとりが自分の思うことをぶつけ合うことが必要なのではないか、ということです。多数の人たちが意見交換をするためには、官僚やマスメディアの助けがあってほしい(ネットはすぐ無法地帯になるので)と思うのですが、彼らこそ「差別」「タブー」に人一倍触れたがらないというところが問題ではないかと思います。このようなことを書くと、「障がい児の親を傷つける心ない発言が出てくるのでは」「よけいなおせっかいだからほっといてくれ」という意見が出そうですが、どこかでオープンな議論を行い、この問題を国に直視してもらわないといけないのではないかと考えます。

  4. 【1118216】 投稿者: 元養護学校&特別支援学級担任  (ID:aAAfol9Nghs) 投稿日時:2008年 12月 11日 13:08

    彼らの行動パターンを正しく認識することがトラブルの防止につながり,広い意味での共生,ノーマライゼーションが達成されるのではないでしょうか?
    お互い理解しあうことこそ大切だと思います。その上で特別扱いせずに普通の人間として接することが必要だと考えます。本人が理解できなければ傍にいる保護者を通して当たり前に接して欲しいです。これが私の理想論,現実はそういかないことが多いのです。
    現実は野放し,特に人権問題を問題視される昨今は特に酷いです。
    それは保護者にしろ児童生徒が所属する養護学校にしろ本当に野放しです。
    特に躾の面での義務を果たしてない。そのくせ権利ばかり主張する。
    もちろん子供の将来を考え今するべきことをきちんとしている親御さんも大勢います。問題を起こす障害者はそのような教育を受けていない場合が多い。公共の場所での暴力,奇声,不衛生,場の読めないことは障害の程度問題では断じてない。知的障害者は場の空気を読むことは苦手であるが周りが思う以上に善悪の判断はできます。
    もし公共的な場所でいやな思いをした場合には直接本人に怒っている,迷惑しているという態度を示すべきです。伝わらないときは大声を出してでも伝える。
    どんなに体が大きくても大声を出して伝えれば収まることが多いいです。
    (自閉的傾向の障害者は効果がありません)

  5. 【1118241】 投稿者: 抑制  (ID:.jntqWtsIkE) 投稿日時:2008年 12月 11日 13:35

    私は知的障害者の場合、
    性的欲求を自制できないのだとばかり思っていました。
    自制できないのならば、そんなもの(性的欲求)無い方が幸せです。
    でも、関係者の方々のお話では自制出来るのですね?
    ちゃんと『やめてください!』と言えばもうやらなくなるのですね?

  6. 【1118246】 投稿者: では・・・  (ID:DvZyiPmwrjc) 投稿日時:2008年 12月 11日 13:36

    >人に危害を加える可能性があるなら、普段から付き添うべきだと思います

    人に危害を加えるかどうか?誰が診断してくれるのでしょうか?
    支援学校を卒業し、作業所には受け入れ先がなく、家族が常に一緒にいられない状況だったら?
    今回は知的障害のスレですが、精神障害というケースもあります
    以前ある駅で突然2歳の女の子が精神障害の女性に斬りつけられました
    でも諸々の事情で罪には問われませんでした
    既に母親より大きい体格の女性です
    入院先に連れていく途中で脱走し、このような事態になりました

    容認するわけではありません
    ではどうすれば良いのでしょう?
    私には全くわかりません

    オープンに話し合える場は必要かもしれませんが
    たぶん何年も前から同じような議論が出ては消えて行くのだと思います

    本当に何か方法はないのでしょうか?

  7. 【1118258】 投稿者: また、ちょっと一言です。  (ID:SoMOQl2pq0g) 投稿日時:2008年 12月 11日 13:43

    いろいろなご意見が出ていますね。私の書いたことにも随分と反響があったようですが、誤解されているようなところがあるので、再登場しました。
    私は、知的障害者だから赦してくださいという気持ちはありません。ここに投稿されている方の多くが知的障害があるので仕方がないとお考えのようなので、そうじゃなくてきちんと対処しましょうと言いたかったのです。そうすることが周囲の人の自衛にもなるし、本人のためにもなりますよ、という趣旨です。知的障害者は犯罪を犯しても罪にならないという制度は、正直言って私は反対です。これは一見保護しているようで、実は差別を生んでいるからです(このことについては本も出ています)。障害があってもなくても犯罪を犯せば処罰されるべきです。ただ、そのためには十分な弁護の機会を与える必要があります。実際、知的障害があって服役している人もたくさんいます(NHKでもやってましたよね)。「無罪になるのじゃないの」と疑問に思われるかも知れませんが、警察の取調べで自己弁護ができずに用意された調書に署名してしまうのです。責任能力云々は報道されて騒がれれば鑑定されますが、多くの名もない事件では全く問題にされません。その結果、冤罪もある可能性はあるのですが、「犯人」が見つかればそれで事件は終わりですから忘れ去られてしまいます。真犯人なのに責任能力がないということで無罪になれば、被害者は割り切れませんし、それに何の対処もされずに社会に戻るのでは本人にとっても社会にとっても益にはなりません。
    ところで、知的障害といってもいろいろな方がいるということが前の投稿にありましたが、まさにそうです。特に最近話題になっている発達障害は、スペクトラムということが専門家の間で言われるのですが、健常者から重い障害のある人まで切れることがなくだんだんと繋がっているということです。つまり、どこで健常者と障害者の区別をするのかさえ実は最近はわからなくなっています。文部科学省の調査では、1クラスに1、2名の発達障害児がいる可能性があると言うことです。これは気がついた例です。もっと多い可能性もあります。それに歳をとって認知症になる可能性は誰にもあります。交通事故で脳に損傷があるかも知れません(実際に、感情のコントロールができなくなることがあります)。脳が永遠に完全だと限らないのです。私は関係ないと無関心でいないでください。
    とにかく、パパ40歳さんがおっしゃるように、このことについては、ネット上で感情的に言い合うのではなく、きちんとした場で話し合うことが必要でしょう。「障害者」という言葉がなくなって、すべての人(障害者だけではありません。すべての人です。誤解されるといけないので。)が一個の人格を持つものとして大切にされる社会が実現されるためにも、社会全体で考えて欲しいのです。

  8. 【1118309】 投稿者: パパ40歳  (ID:pstx7faGez.) 投稿日時:2008年 12月 11日 14:30

    さきほどずいぶん長い投稿をした者です。
    簡潔に言うと、本人に責任能力がないなら親が監視しろ、責任を取れ、で結局議論が終わってしまう、だから親がすべてを背負いこんで生きていかねばならない、ということが問題だと思っています。
    友人や地域コミュニティで協力しあう、というのも、今の世の中では難しいですよね。周囲の人たちはたとえ差別的な考えを持っていなくてもどう接してよいのかわからない、よかれとおもってかけた一言が傷つけることになってしまわないか、人と人の「適度な距離」が理解できない相手とのコミュニケーションは潜在的に恐怖を伴う・・・ということで、結局「できるだけ避ける」という選択肢をとらざるをえないのではないでしょうか。
    個人の善意に頼るのではなく、国家的システムを構築しなければ解決しないでしょう。老人福祉も重要ですが、障がい者福祉も根本から見直す必要がある、と、誰か声を上げてくれる政治家はいないものでしょうか。

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