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投稿者: フラット (ID:Ek2qM10t7uw) 投稿日時:2007年 11月 20日 17:58
わりとよく出る話題で実母との確執・・・
独りで色々考えてくるとグルグルしてしまうので
思い切って投稿しました。
両親とは出産を機に絶縁しました。
娘が生まれて8年、大変だったけどそれなりにやってきました。
娘も今のところ健やかに育っており、娘との関係も良好です。
近所つきあい、学校のお母さんとのつきあい、それなりにやってます。
学生時代の友人とも連絡しあって、くだらない話しをしてウサを晴らしてます。
夫婦関係も小さなケンカはあれど、おだやかなものです。
でも、穴があいたようなんです。
小さな喜びも、楽しみも
「親にまったく愛されなかった。関心をもたれなかった」
という事実には色褪せて見えるんです。
七五三の季節。私の着物姿を前に能面のような両親の顔を思い出すと
涙がでそうになります。義務のように行った神社。楽しそうな他の親子。
こんな事思い出すと底なし沼みだいで・・嫌です。
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【770250】 投稿者: それでも (ID:VcipIJj6Qa.) 投稿日時:2007年 11月 20日 19:50
七、五、三のお祝いをして下さったことには感謝ですよね。その後絶縁なさる程のことがいろいろ、おありだったのですか・・・確かに親の存在は大切です。この世に生を与えてくれたのですから・・・私と実母は普通の関係だったです。だったというのは、現在は入院中なので、気軽に電話で連絡ができませんので。穴があいたよう・・・に感じられるのは、フラットさんが、お母様と修復されたいからではないでしょうか。お母様がご健在なうちに気持ちの整理をされたほうがいいのではないですか。まだ、お母様がお若いのでしたら、ご健在の表現すみません。
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【770255】 投稿者: 七五三 (ID:JgPIhi10pUI) 投稿日時:2007年 11月 20日 19:55
私も実母とはうまくいってません。
でも遠方に住んでいるので、気にしないことにしています。
田舎の生まれのせいか、地域性か私の小さい頃は「七五三」が盛んではなく、写真を撮っていてもひとりできれいな着物着てパチリ!だけで済んでいました。
今考えると「雛人形」も田舎の家にしては小さな、たんすの上に乗るような質素なものでした。
私自身、そんな家に育ったことが不幸だなんて思ったことも無いのに、娘が生まれた途端「雛人形は立派なのを!」とか「七五三をやってやらないとかわいそうだ!」などと口出してきました。旦那のお母さんはそういうことをまったく言わない(心で思っているかもしれませんが・・・)方なので、余計に実母がうっとおしく思うことがありました。
小さな頃から、実母のことを「ん?他のお母さんとちょっと違うな。」と思うことがしばしばあったので、就職して実家を出、結婚して家庭を持った今はかなり気が楽になりました。
でも現在もたまにかかってくる電話がうっとおしいのは確かです。「これから出かけるから!」と嘘をついて切ることも結構あります。冷たいと思われるかもしれませんが、口ゲンカしないための方法です。
また、年に一度(今年は受験生がいるのでしませんが)の帰省はストレスが溜まりまくりです。
でも悲しいかな、その女性のお腹から生まれてきたんだなぁ・・・としみじみ思ったり。
一年に一度程度しか会わないと、実母の老け具合がけっこう残酷だったりします。
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【770396】 投稿者: 最悪母 (ID:JVGfwrifKJ6) 投稿日時:2007年 11月 20日 22:08
いいじゃないですか。
うちなんて・・・。
6?歳の母が不倫ですよ。
記憶消失になれるものならなりたいですよ。
(一応は田舎では吉永小百合もどきの美人でした。)
それまで、真面目一筋、浮気なんて有り得ない!という感じの人でしたから。
田舎で生まれ、田舎で過ごし6?年。
姉と私をそれなりの大学を卒業させ、それなりの結婚をさせ、孫にも恵まれ、
田舎では皆から羨ましく思われる状況を作り上げ・・・。
私からすれば、後は父とのんびりと穏やかな老後を過ごすのかな?と思って
いました。
それがです。
数年前から不倫をしていた事が最近発覚し、それ以来、口もきいていません。
失望という簡単な言葉では済まないです。
この身体にあの母の血が流れているのかと思うと、クラクラします。
仕事一筋できた父の悲しみ方を見ていると、言葉では言えないくらいに腹立た
しいです。
正直、理想の女性でしたから、失望も大きいです。
私は母の様には絶対になりたくありません。
家族全てを裏切る行為だと思います。
母が棺桶に入っても許しません。
ごめんなさい。
あまりにもタイムリーで、思わず書き込みをさせて頂きました。
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【771009】 投稿者: ゴッドマザー (ID:TpnTcpSYSug) 投稿日時:2007年 11月 21日 13:20
私も長いこと、まるで親父のような実母が苦手でした。
よくある話で父はいわゆる慈父。
1年に一度の帰省なのに、つまらぬ喧嘩になり、早朝さよならも言わずに
東京に帰ったこともありました。
しかし、私も所帯を持って20年。
一昨年父が亡くなってから、お互い変わったかも。
私から頻繁に電話をするようになりました。
昔は自分が言いたいことだけ言って、がちゃんと電話を切る人でしたが、
今は、ありがとう、としばしば感謝の気持ちを言葉にするようになりました。
親子でも性格の違いは、これはもうどうしようもありません。
しかし、お互い家族として縁あった者同士、時間をかけて許したり、歩み寄ることは
できるかもしれませんね。。 -
【771039】 投稿者: うぅ (ID:CS1GPoP1Rbc) 投稿日時:2007年 11月 21日 13:48
七五三の思い出に反応してしまいました。
当日は大嫌いなパンタロンを無理にはかされました。
なぜにパンタロン・・・。姉の着物があったのに。
お参りに連れていってもらるただけありがたいと思えた
子供時代の自分がちょっと不憫。
後年「あの(姉が着た)着物はものが良かった。高かったけれどそれが親の楽しみだった。」
となにげない一言に心底ガチョーンでした。 -
【771298】 投稿者: 寺田 滋紀 (ID:ONiP1xEd.7Q) 投稿日時:2007年 11月 21日 19:24
親にまったく愛されなかった???
そんな親なんてこの世にいるわけないじゃないですか
被害妄想もいいところだと思います。
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【771536】 投稿者: 二人目の娘 (ID:ngJxrJFL46Q) 投稿日時:2007年 11月 21日 23:48
七五三、やってもらえて、うらやましいです。
私は田舎だったせいか、三人兄妹の末っ子だったせいか、たいしたお祝いはありませんでした。
お節句も、姉の小さいお人形はありましたが、私のはありませんでした。
よく父が母の実家に対して、娘二人もいるのに雛人形も買ってよこさない、と悪口を言っていましたが、自分たちで買ってくれればよかったのに、と子供ながらに思ったものです。
そのことがあたまにずっとあって、娘が生まれたときには、おもいきって七段飾りを買って、父に請求しましたが、後でとても後悔しました。せまいマンション暮らしに七段飾りは必要ないです・・・。
夫婦は仲が悪く、結局離婚しましたが、よく子供の頃の夫婦喧嘩では父は母に対して「子供をつれて出て行け」と怒鳴り、それに対し母は「いいえ、私は1人で出て行かせていただきます。子供はあなたが育ててください。」なんて聞こえてきて、姉と顔を見合わせて「普通逆だよね・・・」なんて言い合ったものです。
そんなわたしでも今では父のところに一年に一度は顔を出します。
なぜ?義務感?
分からないけれど、親だから、ですね。
-寺田 滋紀- 様がおっしゃるように、スレ主様が全く愛されていなかった、なんてないと思います。
愛していない子供のために七五三のお祝いなんてしません。面倒だな、位は思ったかもしれませんが。
私の親も、それなりに私たちを愛してくれていたとやっぱり思いますから。
鏡の法則 という本をご存知ですか。一度読んでみてください。
何かヒントが見つかるかもしれません。
ホームページもあり、そちらでも読むことが出来ます。
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