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【3463428】実親を亡くした妻に対する夫の態度(夫の両親健在の場合)

投稿者: 妻A   (ID:yIWtbBj1hUE) 投稿日時:2014年 07月 21日 12:10

件名の通りです。
4か月前に実父を突然亡くしました。
一方、夫の両親は健在です。
つまり、夫は実親を亡くした者の喪失感を実体験として持ち合わせておりません。

もしかしたら普段なら気にならないようなことでも、今の自分は神経過敏で、彼の言動(態度)に悲しみ、幻滅することが多々あります。
実体験がない人間には、配慮ができなくて仕方がない、と割り切り、いちいち指摘しようとは思いません(自分の感情を説明するのも億劫ですし、もっともらしい言い訳を彼から聞くのもイヤ)。

あまりにも色々なことが重なり、最近では彼には怒りすら感じるようになっています。
父を失った悲しみとか、一人暮らしとなった母の心配より、この負の感情が日に日に増している自分の心の狭さにも嫌気がします。

似たような想いをお持ちの方いらっしゃいませんか。
もしくは、この心境から脱した方いらっしゃっいましたら、どのように脱したか教えてもらえませんか。

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  1. 【4998731】 投稿者: 夫婦  (ID:liyh1Uwcku2) 投稿日時:2018年 05月 19日 12:24

    Kさんのお気持ちはよくわかります。ただ、奥様のお気持ちも理解できます。

    私は二人兄弟の長男です。3年ほど前、元気だった父が急に亡くなり、母の一人暮らしが始まりました。母はすっかり元気をなくし、一人暮らしがままならない状態になりました。

    でも、私は同居という選択肢を選ばず、私の家(東京)と弟の家(埼玉)との中間あたりに位置する民間老人ホームに入居してもらうことにしました。そもそも、子どもが3人もいる我が家はただでさえ手狭で物理的に受け入れ不可能でした。それに、私が母の面倒を見ると言っても、実際には妻にかかる負担は計り知れません。妻の時間を奪い、夫婦仲に支障をきたすようなことは絶対に避けたいと思いました。

    病室で死を迎えようとする私の父を妻が見て涙を流してくれたこと、それだけで私は妻に十分感謝しています。

  2. 【5038044】 投稿者: 3週間前に実母が他界しました。  (ID:9N7tk6kAkUs) 投稿日時:2018年 06月 26日 13:02

    気持ちの整理をつけたいので、古いスレですが吐き出させてください。スレ主さん、皆さんのお気持ちよくわかります。具体的に何をしてほしいどうこうでなく、親をなくした気持ちをわかってほしいわけでもなく、私が辛い中にいる状況には寄り添ってほしかった。父もあれこれ判断できる人でないし、一人娘である私がしっかりしなくてはと危篤の3日と葬儀まで気を張りつめていました。30年しか一緒にいられなかった、沢山のありがとうとごめんなさいでふと気が緩むと気持ちがぐしゃぐしゃでした。
    通夜の夜、次の日も早いからと子供二人抱え私は実家へ、旦那は勉強があるからと一人家へ戻りました。遊びにいったわけではないとわかってはいますが、勉強なら実家でもできるのにとひっかかっていました。その夜悲しみを受け止めてくれたのは子供でした。まだ小さい子供が抱き締めてよしよししてくれました。子供に気を使わせてしまったのは本当に申し訳ないと思いましたが、「ばあばの為に泣いてくれてありがとう」と伝え抱き合いました。次の日も火葬が終わればさっさと家へもどり葬儀場で別れました。
    義両親には仕事があるから参列できないと前もって言われ、「俺の立場がない」と夫が送迎する条件で義父だけはきてくれました。まだ現役で車で一時間程の距離なのに。

    義母の父の葬儀の料理だって切り盛りしたし、義父の母の葬儀に三ヶ月の赤ちゃんつれて車で七時間かけて参列もしたのにな。

    損得で考えることでないのはわかっています。しかし母の死は軽く見られているのだなと思いました。悔しさが込み上げます。

  3. 【5040611】 投稿者: お気持ちわかります  (ID:VeDBztIczKE) 投稿日時:2018年 06月 28日 21:45

    〉義母の父の葬儀の料理だって切り盛りしたし、義父の母の葬儀に三ヶ月の赤ちゃんつれて車で七時間かけて参列もしたのにな。

    〉損得で考えることでないのはわかっています。しかし母の死は軽く見られているのだなと思いました。悔しさが込み上げます。

    そこまでして差し上げたのに、軽く扱われると本当に悔しいし悲しいでしょうね。

    義父さんが心の無い人なのでしょうね。もしかしたらそんな父親を見て育ったご主人も似たところがあるのかもしれませんね。

  4. 【5339920】 投稿者: レオン  (ID:C24QenjQX5w) 投稿日時:2019年 03月 01日 23:16

    私も母を失ったばかりで、主人の両親は健在です。
    自分の両親とは同居同居と言われてきましたが、こと私の父に関しては、一人でやらないと仕方ないとのたまいます。嫁いだきた身分なんだからしょうがないと言います。
    そういう人だと思っていましたので、割り切りました。
    主人の両親に対しても能面のような感情しかありません。
    一人で生きていけないので、いないよりマシだと思うしかありません。
    憎しみのような気持ちすらありますが、感謝の念も同居してますので、なんとか一緒にいれる感じです。
    どうぞ、ご主人の良い点を思いおこしてみて下さい。
    そうでないと、憎悪しか湧いてこないと思います。
    ご兄弟がいらっしゃると、分かち合えるとも思うのですが、いらっしゃいますか?
    最後になりましたが、お父様のご冥福をお祈り致しております。
    お母様だとお料理がおできでしょうから、食べることに困らないと思います。お近くにお住まいなら、頻繁にいってさしあげることもでるんでしょうが、、、
    プラスになることをいってあげれたかわかりませんが、主人に対する思いは一緒です。
    ご主人のご両親には能面笑顔でいきましょうね。
    まあ感謝すべき点は感謝なのでしょうが、、、

  5. 【5659668】 投稿者: Maaamama  (ID:Pcw8A6msyiU) 投稿日時:2019年 12月 04日 07:24

    今更書き込んでも…と思いつつ、皆様の書き込みを見ていたら、私も気持ちの整理として残したいと思いました。お許しください。皆様の辛い経験を読んでいて涙が出ました。
    私も大好きな母を癌で亡くしました。主人の両親は健在で、毎日顔を合わせる距離です。対して私は、他県から嫁いだため、しょっちゅう会えるわけではありませんでした。母は本当に苦労して私を育ててくれたので、自分にとって居なくてはならない存在と言いましょうか、居なくなるなんて考えられない程大好きでした。
    その頃、子供が小さかったですが、主人の普段からの心ない発言に心底辛かったのもあり、母が末期のためいよいよダメかもしれないと思い、覚悟を決めて子供を連れて実家に戻りました。もうあと少ししか残されて居ない…そんな状態の時に主人は言いましたね。もう充分気が済んだでしょう、もう俺はお別れは済んだと思っているから、子供のためにも早く帰ってこいと。帰らなければ良かったと今でも思います。そこを離れてしまったことは、自分の責任でもあるんです。でも実家から帰ってしまった…3日後に母は亡くなりました。看取ってあげられなかった…。
    やはり主人を今でも許せません。殺意も覚えましたし、夜中に殺してしまうかもしれないと思うほど憎みました。今も主人とは一緒にいますが、友達が亡くなった話、自分の親の体調不良の話は、私に上から目線で話をしてきますね。
    かれこれ15年ほど前の話ですが、いまだに忘れられるものではありません。最初のトピが立った時と時期はきっと同じなんですよね。トピ主様や、他の方が少しでも救われてることを祈ります。
    駄文を失礼します。

  6. 【5662498】 投稿者: 尊敬出来ない夫  (ID:axFf5NZRQbM) 投稿日時:2019年 12月 06日 20:55

    数年前、私の父が自宅で一人倒れて
    亡くなっていました。
    その様な亡くなり方でしたので
    警察も鑑識も来て私は悲しむ暇もなく
    本当にバタバタでした。

    とりあえず自宅に戻ると夫が
    お帰り、ご飯は?
    と一言、、

    前々から夫は配慮の足りない人でしたが
    こんな大変な時にこの人は自分のご飯
    の事しか頭にないのか?と絶句しました。
    言い返すのも面倒くさくなり
    泣きながら家にあるもので炒飯を
    作りました。
    今思い出しても悲しくて悔しくて
    泣けてきます。

    夫婦って何だろう?
    悲しい時や辛い時、困った時に
    寄り添い助け合うのが夫婦なのでは?
    と思っていましたがこの人とは
    無理だなと、、。
    夫としてと言うより人として
    尊敬出来ません。

  7. 【5662532】 投稿者: 私だけじゃなかった  (ID:pGzglODD0.s) 投稿日時:2019年 12月 06日 21:23

    同じような経験をされたかたがいたなんて。

    私の父はガンで辛い闘病の末亡くなりました。そのとき私は下の子を妊娠中。
    通夜と葬儀の日は、サラリーマンを引退して数年たっていましたが慕ってくれる後輩や心から心配してくれた同僚の方が多く、たくさんの方が別れを惜しむために駆けつけてくださった。
    小さかった頃の私を可愛がってくださった懐かしい顔も多く、私はもっと動きたかったのに夫からストップが。「お腹の子に障ったらどうする。後は母親と兄弟に任せろ」と引き剥がされるように帰宅させられた。
    葬儀の日はちょうど夫の誕生日でした。そんなこと忘れていましたが。
    帰宅してお腹も張っていてぐったり横になっていた私に夫が一言。「誕生日なのにケーキもないの。ハンバーグ作ってよ」
    外は雨。材料を買いに買い物に行かされました。
    憎しみを込めて団子のように握りしめた指の跡を付けたハンバーグをデミグラスソースでコテコテに煮て出してやりました。

    結婚後五年後くらいのことでしたが、あのときから夫との間にはマリアナ海溝より深い溝ができています。埋まることはないと思う。

    数ヵ月後生まれた下の子はとても元気で健康で、亡くなった父によく似ています。顔つきも性格も。
    そして三才のころ、朝起きるなり「おじいちゃんがお布団をかけてくれた。お腹ナイナイって笑ってた」と。
    この子が救いです。

  8. 【5663385】 投稿者: これは泣ける  (ID:09Zt1djloGw) 投稿日時:2019年 12月 07日 17:26

    >そして三才のころ、朝起きるなり「おじいちゃんがお布団をかけてくれた。お腹ナイナイって笑ってた」と。
    >この子が救いです。

    孫に会いたかったんだろうなー。
    あの世から本当に孫を眺めることが出来ているのだったら救われるのですが。

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