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投稿者: おやおや (ID:LQ2d5ARhgak) 投稿日時:2024年 11月 21日 11:52
選択的夫婦別姓に関する議論が活発化していますが、感情的なやり取りや論点のすり替えが多く、建設的な意見交換が難しい状況も見受けられました。
このスレッドでは、選択的夫婦別姓の是非を冷静に議論し、具体的なメリット・デメリット、社会的影響、そして制度設計の課題について考えていきたいと思います。
以下の点を議論の基軸としたいと思います:
1️⃣:選択肢を増やすことの意義:強制ではなく、選択の自由を保障することの利点は?
2️⃣:懸念点と解決策:家族の一体感や戸籍制度への影響など、反対派の懸念にどう対応するか?
3️⃣:実現に向けた課題:法整備や社会的な合意形成に必要なプロセスは何か?
感情論に陥らず、具体的で理性的な議論を心掛けましょう。賛成・反対の立場を問わず、意見交換を通じてより深い理解を目指す場にしたいと考えています。
理想論だけではなく、現実的な視点から議論を進めましょう。
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【7583438】 投稿者: スレ主 (ID:KNPgsZ5K9jI) 投稿日時:2024年 12月 05日 12:51
上記に追加して。
「恣意的な多様性」とやらを持ち出し、「反論しない」=「論破された」と決めつける手法について。
これ自体が典型的な詭弁で、相手の反論に理論的な対応をせず、結論を恣意的にねじ曲げているに過ぎません。「恣意的」という語の使い方も本来の意味を取り違えている可能性が高い。
多様性の実現とは選択肢の拡充を指し、そこに一貫性があるのが選択的夫婦別姓の議論です。一方、この主張者の「恣意性」という表現は、自らの基準で異なる価値観を排除しようとする行為そのものを正当化しようとする矛盾を含んでいる。
また、社会の価値観や実務的な不便を口実に現行制度を擁護する姿勢については、歴史的事例や他国の例を引き合いに出して本質をそらすという手法が目立つ。例えば、「日本では戸籍制度があるから混乱が避けられない」といった主張は、結婚制度の改革が何もかも破壊するかのような過剰な仮定を前提にしている詭弁に過ぎない。
戸籍制度は柔軟に対応可能であって、既に多くの技術的解決策が議論されている。
対応の実例としては、
1️⃣夫婦の別姓記載を可能にする戸籍のフォーマット変更
現行の戸籍表記を改訂し、夫婦それぞれの姓を並列して記載する形式に変更する案。この変更は技術的に難しくなく、記載方法を見直すだけで対応可。
2️⃣個人単位での戸籍管理への移行
従来の「家」を単位とする戸籍制度から、個人を単位とするデータベース型管理への移行が提案されている。これにより、夫婦別姓の登録もスムーズに行えるようになる。
3️⃣マイナンバー制度との連携強化
既存のマイナンバー制度を活用し、姓の選択に伴う行政手続きの簡略化が可能。これにより、婚姻後の姓変更に伴う煩雑な手続きや不便を減らし、別姓選択の導入をスムーズにする。
これらの具体策はいずれも、既存制度の枠内またはその延長線上で実現可能で、現行の戸籍制度を破壊することなく選択的夫婦別姓に対応できる。
混乱が起こると主張するのであれば、その根拠を具体的かつ証拠に基づいて示すべきだが、同姓強行派の主張には、それが一切なされていないのが問題です。 -
【7583463】 投稿者: スレ主 (ID:zKnKU09R.u6) 投稿日時:2024年 12月 05日 13:40
加えて
「多様性、グローバル論、マルクス、ロシア革命、フェミニズム、一夫多妻、多夫一妻、共産主義、フェミニズム、軍事力、プラグマティズム、ミャンマー、アウン・サン・スー・チー、上野千鶴子、田嶋陽子、ソ連占領時に半分以上の女性がレイプされた」
の入った、書き込みは削除依頼もしないで下さい。暇なユーザーによる、大量の上記内容書き込みを、都度削除依頼(昨日からも7件消されていますので、依頼をすればあっさり消える駄文です)すると、削除件数が増えて、書き込み禁止や、スレッド削除にも繋がってしまいます。
皆さまご協力、よろしくお願い申し上げます。 -
【7583472】 投稿者: スレ主 (ID:zKnKU09R.u6) 投稿日時:2024年 12月 05日 14:04
選択的夫婦別姓は、単なる制度改変の議論に留まりません。それは、私たちが家族とは何か、名前とは何を象徴するのか、ひいては人間、生命そのものに関わる様な、個人の尊厳と社会の秩序をいかに調和させるかという本質的な問いを投げかけています。
日本の伝統文化や家族観は固定歌されたものではなく、むしろ時代の流れに応じて形を変えながら存続してきました。例えば、江戸時代には庶民が姓を持たなかった一方で、明治時代に戸籍制度が導入されて以降、夫婦同姓が法的に規定されるようになったという歴史的背景自体が、家族制度の柔軟性を物語っています。
家族の絆や一体感を「同じ姓」に依存させる考えは、必ずしも普遍的なものではありません。それはむしろ近代化の過程で形成された後付けの観念で、他者からの視認性を重視した制度設計に過ぎません。
現代において、私たちの家族観は、血縁だけでなく感情や共有する価値観に基づくものへと拡張されつつあります。この変化の中で、選択的夫婦別姓は、家族という概念をさらに豊かにし、対等なパートナーシップを尊重する道筋を示しています。
姓を選択できる権利を認めることで、社会は個人の尊厳を保ちつつも多様な家族の形を受け入れる柔軟性を獲得します。一方、選択的夫婦別姓が「日本固有の文化を壊す」とする反対意見は、むしろ文化の変容そのものを恐れる防衛的な感情論に過ぎません。
そもそも、江戸時代の日本人が今の日本を見て、日本だと認識できるでしょうか?着物も着ておらず、横文字、外来語だらけ、根拠と言えば済むものを「エビデンス」とわざわざ文字数の長い外来語で話すなど、全く日本古来のスタイルなど現存していないのです。家長制度や、家族揃っての食事など、海外生活をされた経験のある方なら皆体感されていると思いますが、西欧やアジアと比して、家族の形が最も形骸化しているのが「日本」です。
私の知人は、トリノが実家で、住まいと仕事はローマですが、毎週末、家族全員がトリノに戻ります。その距離670km。東京から岡山の距離に相当します。彼が一番遠い様ですが、兄弟は同じ様に550km近い距離(東京−広島間に相当)から戻って来ているそうです。日本で毎週末広島、岡山から東京に戻っているというと驚かれると思いますが、イタリアや諸外国ではそこまで驚かれる事はありません。それだけ「家族」の絆が生きている事の証明です。それら日本以外の国は皆、別姓が選択できる訳で、選択肢が増える事で家族が崩壊すると言う主張は詭弁であるという確たる証拠と言えるでしょう。
文化とは静止したものではなく、変化を取り込みながら進化していくものです。そしてその進化は、社会全体をより強靭にし、時代の課題に適応する力をもたらします。
さらに、現行の夫婦同姓制度が持つ不均衡性は否定し難い現実です。同姓を強制されることで、自らの姓を変更するか否かという選択肢を奪われる不平等が発生しています。この不平等は、特にキャリアを持つ女性や社会的に名前がアイデンティティとして認知されている人々にとって深刻な負担となっています。一方で、選択的夫婦別姓は、同姓を望む人々の選択肢を奪うものではなく、現行制度を拡張する形で調和を図ります。この点において、誰の権利も侵害しない公平な制度であることは明白です。
制度の技術的実現性についても、すでに議論されているように、戸籍のフォーマット変更や個人単位の管理への移行など、現行制度を破壊することなく対応可能です。他国での成功事例も含め、選択的夫婦別姓の導入が社会的混乱を引き起こしたというエビデンスは存在せず、むしろ家庭内外における幸福度や婚姻率の向上に寄与している事実があります。
選択的夫婦別姓の議論が突きつけるのは、変化を恐れるあまり個人の自由や尊厳を抑圧する社会が健全であり続けられるのかという問いです。それに対する答えは明快です――人々の多様な選択肢を許容する社会こそ、未来に向けて成長する力を持つのです。この制度は文化や家族の意味を壊すものではなく、むしろそれを深化させる契機となるのです。 -
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【7583477】 投稿者: 結局は下部構造 (ID:aGjvr4mZQUk) 投稿日時:2024年 12月 05日 14:16
経済の話として、家族・結婚制度というものを女性を搾取するシステムと見るかどうかなんだよ。
出産・育児を女性の役割とし、仕事から切り離し、経済的に男性に依存するシステムを否とするなら、究極的には育児は全て税金で託児所に任せ、母親と子供は父親から経済的に独立するべきだと。その時にはヒグマの母子と同じように、父親は家族から放逐され、子供が成長し、母親が発情した時だけ種を提供するということなんでしょうね。
結婚制度は廃止。前段階として夫婦別姓。一貫したストーリーとして理解可能です。
そうではなく、家族はこれまで通りやるということなら、戸籍姓ということにこだわるのは腑に落ちませんからな。そりゃ田嶋陽子や福島みずほなどが言って来た流れなんですよ。 -
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【7583510】 投稿者: スレ主 (ID:/HB9ITmxGVI) 投稿日時:2024年 12月 05日 15:42
皆さん、これからも選択的夫婦別姓とは全く無関係な下記ワード
「多様性、グローバル論、マルクス、ロシア革命、フェミニズム、一夫多妻、多夫一妻、共産主義、フェミニズム、軍事力、プラグマティズム、ミャンマー、アウン・サン・スー・チー、上野千鶴子、田嶋陽子、福島みずほ、ソ連占領時に半分以上の女性がレイプされた、ヒグマ、結婚制度廃止」
というワードの入った書き込みはスルーして下さい。議論が目的ではありませんので。
このスレッドでは上記のワードはNGワードと致します。それ以外の言葉で、選択的夫婦別姓反対派の方々の意見もお待ちしております。
くれぐれも、スルーユーザー、スルー書き込みにお触れにならない様に。 -
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【7583512】 投稿者: スレ牛 もー (ID:/HB9ITmxGVI) 投稿日時:2024年 12月 05日 15:50
上記の理由として。
選択的夫婦別姓の議論において、グローバリズムや多様性、フェミニズム、プラグマティズムに関連付ける必要はありません。これらの概念は現代社会において重要な役割を果たしているものの、選択的夫婦別姓はそれ自体が具体的な社会的・法的問題であって、その合理性に基づいて議論することが可能です。
まず、選択的夫婦別姓を支持する理由は、個人の自由と平等の観点から説明できます。
現在、日本では結婚後に夫婦が同姓を選ばなければならないという法律が存在していますが、この制度がすべてのカップルにとって合理的であるとは限りません。特に、職業上や社会的立場が異なる場合に、同姓を選ぶことが不便や不公平を生むことがあります。この観点から、選択的夫婦別姓は個人の選択の自由を尊重し、合理的な選択肢を提供する意義があります。
また、選択的夫婦別姓導入に伴う法的手続きの複雑化という懸念もありますが、他国ではすでに成功裏に運用されており、技術的な問題は解決されています。例えば、フランスやドイツでは選択的夫婦別姓が一般的に導入されており、その運用に問題は見られません。ただし、これらの事例を紹介する際には、日本における議論はあくまで日本独自の法的・社会的背景に基づくもので、グローバリズムに依存するものではないことを強調する必要があります。
外国の事例を引き合いに出すことは、あくまで実務的な参考としての意味であって、日本における導入可能性を示唆するもので、他国の文化を模倣することが目的ではありません。
さらに、選択的夫婦別姓は、特に女性にとって有利という点について、フェミニズム的立場に依存することなく、男女平等の観点から論じることができます。現行の同姓制度では、伝統的に女性が夫の姓を選ぶことが多く、その結果、女性の社会的立場が軽視されることもあります。選択的夫婦別姓を導入することで、男女平等が進展し、結婚における柔軟な選択肢が提供されることになります。この点は、フェミニズムに基づくものではなく、むしろ個々の自由と平等を広げるための重要なステップとして捉えるべきです。
プラグマティズムの視点からは、効率性や実利を重視することが多いですが、この議論においては、社会の基本的な価値観や法的整合性を無視することは避けるべきです。
プラグマティズムに頼ることは、個人の権利や平等、社会的な進歩を後回しにするリスクを伴います。選択的夫婦別姓の導入は、社会的・法的な価値に基づく理論的な議論であり、実利を最優先するべきではありません。
結論として、選択的夫婦別姓はグローバリズムや多様性、フェミニズム、プラグマティズムの枠組みに依存するものではなく、個人の自由、平等、そして法的な合理性に基づく独立した議論です。この議論を進めるにあたり、思想的な立場に囚われず、法的・実務的な観点からそのメリットを冷静に分析することが重要です。
引き続き、なんとかの一つ覚えでしか語れない方を除いて、上記のワード、概念以外で議論をおすすめください。 -
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【7583520】 投稿者: 驚くべきことに (ID:aGjvr4mZQUk) 投稿日時:2024年 12月 05日 16:25
回答氏は一応、下部構造である経済の話だと理解してるようなんだが、スレ主はなーんも分かってないことがよく分かった。
にも関わらず、回答氏がスレ主を甘やかして、媚びたようなことを言うのは非常によくない。
結婚制度や結婚改姓がホモ・サピエンスの生殖や出産育児の経済から発生したのは明らかなのに、それがこう変わるから、制度がどうという議論しかありえない。
昆虫や魚なら、卵は産み捨ての場合が多く、結婚制度もあまりない。(一夫一婦制の生物もいるが)
主に哺乳類の世界で、妊娠出産したメスや子供のエサの問題が発生する。また、かつてのように女はうち、男は外という価値観が普遍的なら女性が結婚改姓することにもあまり異論は出なかった。やはり、均等法以降に夫婦間の男女の役割分担がどうあるべきかと言う流れで、対等にすべきと言う主張の1形態が夫婦別姓なのだし、その建前を突き詰めて行く危険性を認識した上での夫婦同姓維持なのだから。 -
【7583525】 投稿者: サピエンス全史から考察す選択的夫婦別姓論 (ID:jB.y7bT/aBc) 投稿日時:2024年 12月 05日 16:46
人類の社会制度や文化的慣習を議論する際、我々が見落としてはならないのは、進化論的な観点から見ると、社会の制度や価値観は常に変動し、時代の流れに合わせて再構築されるべきものであるという点です。
ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」において描かれているように、ホモ・サピエンスの最大の特徴は、生物学的本能を超えて、虚構を信じ、社会的な協力関係を築き、制度を構築してきた点にあります。つまり、人類は単に生物的な欲求に基づく存在ではなく、社会契約や文化的価値観を創造することで、常に変化し続けてきたのです。
この視点を持つことによって、結婚制度や姓の変更に関する論争がどれほど時代遅れで限定的な視点に基づいているかが浮き彫りになります。結婚という制度そのものは、生物学的な繁殖に関わる要素から派生したものですが、現代社会ではその本質が完全に変化しています。ホモ・サピエンスは「結婚=繁殖」といった単純な図式にとどまらず、社会的結びつき、法的権利、そして個人の自由に基づく契約に変わってきました。この過程で、姓を変更することや選択的夫婦別姓が論じられるようになったのは、まさに社会的進化の証であり、過去の生物学的制約を打破し、より平等で自由な社会を築こうとする試みなのです。
選択的夫婦別姓の導入を否定する立場は、まるで「サピエンス全史」の進化の過程を無視し、旧態依然とした価値観に固執するかのようです。こうした主張は、現代社会が求める柔軟性、合理性、そして個人の自由の重要性を完全に見逃していると言えます。結婚制度や姓の変更は、決して「生物学的な役割分担」に基づくものではなく、むしろ法的、社会的、そして個人の自由に基づく選択肢であり、過去の価値観に縛られることなく再構築されるべきなのです。
さらに、このような論点に固執することは、社会的進化の本質を無視していると言えるでしょう。人類は常に社会契約や文化的価値観を刷新し、時代に合わせた新しい枠組みを築いてきました。過去の「男女の役割分担」に固執していた時代から、今や平等や自由を尊重し、個々の選択に対して柔軟な対応が求められる時代に移行しているのです。選択的夫婦別姓を導入することは、この新しい社会契約の一環として、男女間の平等を実現し、個人の自由を拡大するための重要なステップとなります。過去の価値観に基づいて制度を守るのではなく、現代における公平と自由を基盤に、社会制度を再構築していくことが必要です。
結婚制度や姓の変更についての議論は、もはや生物学的な必要性や過去の文化的慣習にとらわれるべきではありません。社会は絶え間ない進化の過程にあり、その進化に合わせて新しい制度や価値観が形成されていくべきなのです。選択的夫婦別姓は、まさにこの進化の一部であり、社会の成熟と個々の自由を尊重するために不可欠な改革であると言えます。その選択肢を提供することで、過去の制約を乗り越え、個人の権利と社会の公平を実現する社会に向かうべきなのです。