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【7576138】◆選択的夫婦別姓の是非を考える:建設的な議論の場へ

投稿者: おやおや   (ID:LQ2d5ARhgak) 投稿日時:2024年 11月 21日 11:52

選択的夫婦別姓に関する議論が活発化していますが、感情的なやり取りや論点のすり替えが多く、建設的な意見交換が難しい状況も見受けられました。

このスレッドでは、選択的夫婦別姓の是非を冷静に議論し、具体的なメリット・デメリット、社会的影響、そして制度設計の課題について考えていきたいと思います。

以下の点を議論の基軸としたいと思います:

1️⃣:選択肢を増やすことの意義:強制ではなく、選択の自由を保障することの利点は?

2️⃣:懸念点と解決策:家族の一体感や戸籍制度への影響など、反対派の懸念にどう対応するか?

3️⃣:実現に向けた課題:法整備や社会的な合意形成に必要なプロセスは何か?

感情論に陥らず、具体的で理性的な議論を心掛けましょう。賛成・反対の立場を問わず、意見交換を通じてより深い理解を目指す場にしたいと考えています。

理想論だけではなく、現実的な視点から議論を進めましょう。

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  1. 【7585268】 投稿者: スレ主  (ID:fPsyKRt3.pk) 投稿日時:2024年 12月 09日 00:45

    そう言えば、苗字、戸籍でとんでもない実話を聞いた事があります。

    言うと分かってしまうので、別の漢字に変えて話しますが、出川さんの出に点が付いているんです。

    こんな字あるの?と聞くと中国にあるそうで、中国系かと思いきや、大正か昭和初期に戸籍にシミがついてしまい、中国にはその漢字があるという事で戸籍上もそのシミ改め点付き出川(実際は出川じゃないですが)が、正式な戸籍上の苗字になってしまったんですって!

    デジタルも時代には起こり様がないエピソードですよね。

  2. 【7585508】 投稿者: スレ主  (ID:749oGF2mG62) 投稿日時:2024年 12月 09日 13:31

    本日も20件近い削除がなされ、荒れスレッド認定の末に書き込み禁止や、スレッド削除という憂き目に確実に一歩ずつ歩みを進めている危機感を日々感じています。

    ID、93r/plvMDh6の様な一部の、間違いまくった内容ゼロの書き込みを、他人を口汚く罵り書き込む、まともな大人ではない輩を除き、せっかく有意義な議論がなされているスレッドです。

    お願いですから、削除依頼はされない様にお願いします。

    おかしなユーザー、書き込みは一切無視してスルーをお願いします。まともな議論を続けていれば、それらの質の悪いノイズはすぐに沈んでいきますから。

  3. 【7585509】 投稿者: スレ主  (ID:749oGF2mG62) 投稿日時:2024年 12月 09日 13:33

    途中、気軽な雑談向けネタも投入しております。

    気軽に書き込んでくださいね。

  4. 【7585598】 投稿者: スレ主  (ID:vvB.lup9liY) 投稿日時:2024年 12月 09日 17:27

    昼間に戻ってみると20件近く削除されたのでしょうか?
    残念無念さんの書き込みが消されている?議論が白熱するのと、相手の論破のみに一点集中して、何の為に議論をしているのか?というコアを見失ってしまうのは全く違います。全くもって本末転倒です。相手の主張を理論で打ち負かす、知識の殴り合いは私も好きですが、それが目的となってしまうとまたこれも違う。
    自らの視点、主張を中心において、相手に勝負を挑んでください。

    私なりに流れを読ませていただき、お勉強しながら見解を。

    選択的夫婦別姓に関する回答さんの主張を拝見すると、議論の本質を掘り下げるというよりも、難解な理論や専門用語を積み上げることで、むしろ問題を覆い隠しているように見受けられます。フロイト、ドゥルーズ=ガタリ、エンゲルスといった思想家を持ち出しつつ、その結論が具体的な社会問題である「選択的夫婦別姓」の議論にどのように貢献するのかが曖昧なままでは、知識のひけらかしの謗りは免れないという主張も強ち全くの見当違いではないと思いました。

    回答さんの議論は一見、広範な知識を活用しているように見えますが、実際にはそれらの知識が論点を明確にするためのツールとして機能していないと思います。

    むしろ、理論的複雑さそのものが目的化していて、議論の読解者にとっては「何が言いたいのか」を掴むことが難しくなるばかりです。このようなアプローチでは、選択的夫婦別姓という制度の持つ社会的、法的、文化的意義を本質的に議論することはできないと思います。

    選択的夫婦別姓を考える際に必要なのは、個々人の選択の自由をどのように制度として保証するか、またその制度がどのように社会全体の価値観や構造に影響を与えるのかを精密に議論することです。

    この観点に立つと、例えばマルタ・ヌスバウムの「ケイパビリティ・アプローチ(Capability Approach)」が示唆するように、制度は個人がその能力を最大限に発揮できる環境を提供するべきものなのだと考えられます。選択的夫婦別姓は、個人のアイデンティティを尊重しつつ、家庭や社会における役割を自由に選択するための重要なステップとなるべきです。

    さらに、歴史的な観点を加えると、現在の夫婦同姓制度が実は明治期に導入された比較的新しい慣習であって、それ以前の日本社会では姓に対する柔軟な取り扱いが一般的であったことを思い出すべきです。

    この事実を考慮すると、選択的夫婦別姓は単なる「革新」ではなく、日本が本来持っていた多様性と柔軟性を回復する試みとも言えます。回答さんが提示するような資本主義のコードや家父長制の理論は、この文脈で選択的夫婦別姓を論じる際の補助的視点としては興味深いかもしれませんが、議論の中核を成すものではありません。

    むしろ、それらを前面に押し出すことで、問題の核心を曖昧にして、本質議論の深化を遠ざけてしまっています。

    選択的夫婦別姓は、単なる法制度の改革に留まらず、近代的市民権の拡張として、また個人と共同体の新しい関係を模索するプロジェクトとして位置づけるべきではないでしょうか。

    例えば、ジョン・ロールズの「正義論」に基づけば、公正な社会制度は最も弱い立場にいる人々の選択肢を拡大するものであるべきです。

    この観点に立脚して見ると、夫婦同姓が強制されることで生じる心理的負担や社会的制約を取り除くことは、より正義に適った社会を実現するための不可欠な一歩となり得るのです。

    一方で、回答さんが多用する用語や理論は、確かに議論に深みを与える可能性を秘めています。

    がしかし、それらを有効に活用するには、具体的な議論の文脈に即して精緻に適用する必要があります。理論そのものを提示するだけでは、それが議論に何をもたらすのかを十分に説明したことにはなりません。難解さが目的化してしまうと、それは論理的説得力ではなく、単なる煙幕に終わってしまう危険性を孕んでいるのです。

    まとめますと、選択的夫婦別姓の議論を深化させるためには、理論を現実の制度設計や社会構造と結びつけ、実践的なビジョンを示すことが求められます。

    たとえば、現代日本において、女性の労働市場参加率や家庭内役割分担の進展をどのように支援するかを考える際、選択的夫婦別姓が果たす役割は大きいと言えます。このように具体的で有意義な議論を展開することが、回答さんが目指すべき知的な貢献で、他者を凌駕する真の知性の表現と言えるのではないでしょうか。

  5. 【7585601】 投稿者: 反論が  (ID:2LI9umd64ig) 投稿日時:2024年 12月 09日 17:39

    消されるのは言論統制だと思います。
    ほんとうに気持ち悪いです。

  6. 【7585633】 投稿者: スレ主  (ID:mz5LBuqC8aY) 投稿日時:2024年 12月 09日 18:42

    そんな大袈裟な 笑
    たかだか過疎った掲示板ですよ?
    文句があるなら何度も書き直して再掲すればいずれ消えなくなりますよ。

  7. 【7585917】 投稿者: 横  (ID:vFEF9s6f50Y) 投稿日時:2024年 12月 10日 11:19

    安堵さんの投稿は興味深い視点を提供しているように見えますが、いくつかお聞きしたい点があります。

    まず、「2022年の就業構造基本調査」からの仮定に基づいた上方婚・同類婚・下方婚の割合についてですが、この数値が具体的にどのような計算や分析から導き出されたのかが不明瞭です。この点は、他の参加者も含めて議論を進める上で重要な基盤となるため、出典や計算方法をもう少し詳しく説明いただけると理解が深まると思います。

    次に、「上方婚志向ではない場合が多い」という主張についてですが、確かに共働き志向の中で「家事」「子育て」「相互ケア」が重視される傾向があるのは、近年の調査結果や社会の動きと合致しています。ただ、この主張を裏付けるデータや具体的な研究の引用があれば、さらに説得力が増すのではないでしょうか。現段階では、傾向としては納得できるものの、データに基づく説明がやや不足しているように感じました。

    また、東大卒女性の既婚率が8割近いというデータは、さつき会の調査によるものであり、信頼性が高いものと思います。しかし、このデータをもって「学歴や地位の上昇が婚姻率に悪影響を与えない」と結論付けるのは慎重であるべきです。例えば、他大学卒の女性や異なる社会階層の女性に同じ傾向が見られるのか、また結婚生活の質や持続性についてはどうなのか、といった点も併せて議論する必要があるのではないでしょうか。

    安堵さんの投稿は一部的を射た指摘を含むものの、議論をさらに深めるためには、データや分析の根拠をより明確に示し、特定のケーススタディを一般化しないよう慎重さを持つことが重要だと感じました。共感できる点が多いだけに、さらなるご説明をよろしくお願いします。

  8. 【7585921】 投稿者: 回答  (ID:wcjrcm6I5so) 投稿日時:2024年 12月 10日 11:28

    「一婦多夫制」「多夫多婦制」はLモーガンが古代社会のある段階で存在したと主張している婚姻関係です。エンゲルスは『家族私有財産及び国家の起源』で、その説を援用して、母系制社会では母は自分で産んだ子が誰だかわかるわけだから、とりたてて父が誰であるかをはっきりさせなくても母を中心に家族が成り立っていたのだが、男が排他的な私有財産を形成し始めると、自分の財産の所有権を相続させる子を認知する必要性から、妻に貞操を強要する「一夫一婦制」が誕生した、と述べています。
    つまり、「一夫一婦制」は私有財産の発生とともに成立した、ということです。
    男が形成した私有財産を相続させる正当な子を得るためには、集団婚では都合が悪かったのです。
    だから、資本主義社会における法制の下での家族の意義というのは、正当な財産の相続権者の形成にあります。そのためには、妻の貞操が不可欠となる。
    だが、資本主義社会が進歩して、女も財産を形成する能力を持つようになると、「一夫一婦制」も変容する可能性があります。特に、私有財産をほとんど持っておらず、将来もそれを形成する見込みのない男は、「一夫一婦制」を維持して、自らの財産の相続者を作り出す必要がなくなるからです。
    また、女が財産形成能力を独占するようになると、女が貞操を強要されない母系制社会に逆戻りする可能性もあります。母は父が誰であるかを気にせずに自分が生んだ子に財産を相続させればいいわけですから。
    母系制社会では、父系制社会に特有の「エディプスコンプレックス」も消滅する可能性があります。
    ある意味で、母系制社会は、男にとってもパラダイスかもしれません。<再掲>

    「一夫一婦制」は、私有財産の発生とともに成立した婚姻制度であり、この制度は男が形成する私有財産を彼の死後も正統な嫡子に相続させ、経済社会に存続させることを眼目としている制度である。
    この制度が拠って立つ経済関係を下部構造として展開しているのが、上部構造としての「エディプスコンプレックス」を基盤とする家父長制の文化なのです。この文化を詳細に分析し、その構造を明らかにしたのがフロイティズムだということです。
    もちろん、エンゲルスも述べているように、「一夫一婦制」にはそれを手がかりにして家族を支配しようとする家父長にとって都合のいい文化、つまり、「娼婦制度」とか「妾制度」とかをその周辺に伴わせて、義理と人情の板挟みに見られるような、深みのある複雑なサブカルチャーを形成しており、そのパッケージは人類固有の文化そのものであるかのような錯覚を抱かせる面もある。
    この家父長制の文化を基礎づける「エディプスコンプレックス」は、神託によって予言された「父親殺し」をそれとは知らずに犯してしまい、ひいては母を妻としてしまうことで、母すらも自殺に追い込んでしまうという結末のギリシャ神話に由来するものである。つまり、息子が抱く父への「未生怨」の物語なのである。
    これと符牒を合わせるかのように、仏教の『観無量寿経』には、息子の母親に対する「未生怨」が描かれている。
    これは、夫であるビンビサーラ王の寵愛を得るために、息子が欲しくてたまらなかった韋提希夫人が、ある仙人が死んだのちその魂が彼女の体に宿り息子となる、という神託を聞いて、人を使ってその仙人を殺し、手っ取り早く息子を授かる、という物語だ。だが、後にアジャセ王となった息子はその経緯のために父母に「未生怨」を抱いており、成人してからは父を殺し、母もにも手をかけようとするが、仏陀に諫められて思いとどまる、という話だ。
    日本の精神分析医の草分けである、古澤平作はこのエピソードから『アジャセコンプレクス』を提唱している。
    このエディプスコンプレックスとアジャセコンプレクスは相互補完性を有しており、それらを基礎に育まれてきた家族の文化が一夫一婦制の文化だということを暗示しています。
    ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』はこの文化の限界性を示し、相対化して、変容を目指すことを視野に入れています。
    選択制夫婦別姓が、この家族の文化に一石を投じてくれることを願っています。

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