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【4128917】ポツダム宣言が国民主権を取り戻した?ご冗談(笑)

投稿者: びっくり   (ID:/FQsS09vGm.) 投稿日時:2016年 05月 29日 14:12

英文を現代風になってたものをコピーしました。
これが八月革命だってさ


ベトナムの8月革命をぱくった学説を信用している日本人がまだいるんですね



一 合衆国大統領、中華民国政府主席およびイギリス総理大臣は、自国の数億人の国民を代表して協議した上で日本国に対し、今回の戦争を終結させる機会を与えるということで意見が一致した。

二 合衆国、英帝国および中華民国の巨大な陸、海、空軍は西方から自国の陸軍および空軍による数倍の増強を受け日本国に対して最終的な打撃を加える態勢を整えた。右軍事力は日本国が抵抗を終止するまで同国に対して戦争を遂行する一切の連合国の決意によって支持され、かつ、鼓舞されているものである。

三 覚悟を決めた世界の自由な人民に対抗するドイツ国の無益かつ無意義な抵抗の結果は、日本国国民に対する先例を極めて明白に示している。現在、日本国に対して結集しつつある力は、抵抗するナチスに対し適用された場合において全ドイツ国人民の土地、産業および、生活様式を必然的に荒廃に帰せしめたのに比べ、計り知れないほどにさらに強大なものになるぞ。我らの決意に支持される我らの軍事力の最高度の使用は、日本国群体の不可避かつ完全な壊滅を意味すべく、また、同様必然的に日本国本土の完全な破滅を意味する。

四 無分別な打算によって日本帝国を滅亡の淵に陥れたわがままな軍国主義的な助言者によって日本国が引き続き統制されるべきか、あるいは理性の道を日本国が進むべきかを日本国が決定すべき時期が到来した。

五 我らの条件を左に述べる
我らは右の条件を絶対に離脱しない。これに変わる条件は存在せず、我らは遅延を認めない。

六 我らは無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまでは平和、安全、および、正義の新秩序が生じ得ないことを主張する。従って、日本国国民を欺瞞して世界征服の暴挙に出る過ちを犯させた者の権力と勢力は永久に除去する。

七 右のような新秩序が建設され、かつ、日本国の戦争遂行能力が破壊されたことの確証が得られるまでは連合国の指定する日本国領内の諸地域は我らの指示する基本的な目的の達成を確保するために占領されるべきだ。

八 カイロ宣言の条項は履行されるべきで、また、日本国の主権は本州、北海道、九州および四国と我らの決定した島嶼に限定されるべきだ。

九 日本国の軍隊は完全に武装を解除された後、各自の仮定に復帰し平和的かつ生産的な生活を営む機会をえさせるべきだ。

十 我らは日本人を民族として奴隷化しようとしたり、または、国民として滅亡させようとする意図を有するわけではないが、我らの捕虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべきだ。言論、宗教、思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は確立されなければならない。

十一 日本国はその経済を維持し、かつ公正な損害賠償の取り立てを可能にするように産業を維持することを許される。ただし、日本国に戦争のための再軍備をさせるような産業はこの限りではない。右の目的のための原料の入手、(原料の支配は含まない)を許可される。日本国は将来世界の貿易関係への参加を許される。

十二 前期の諸目的が達成され、かつ、日本国国民の自由に表明された意思に従って平和的な傾向を有し、かつ、責任ある政府が樹立された場合には、連合国の占領軍はただちに日本国より撤収する。

十三 我らは日本国政府がただちに日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ、右行動における同政府の誠意によって適正かつ十分な保障を提供することを同国政府に対し要求する。右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅があるだけだ。

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  1. 【4129030】 投稿者: へ?  (ID:A0wkH1IVu92) 投稿日時:2016年 05月 29日 16:04

    パクりなの?
    ハンドルネーム二俣川から何度も説明されたんだけど下記のように

    >へ? (ID:A0wkH1IVu92)へ

    もう何度も説明した。
    以下を熟読なさい(キミには難解だろうが)
    周知のように、現行憲法は形式上明治憲法の改正手続きに則して行われた。
    国際法上から「自主憲法」である体裁を欲したGHQや大変革ではないとの外観を装いたかった日本政府の思惑があったとされる。
    しかし、明治憲法時代においても改正に限界あるとの学説が支配的であった。明治憲法が「神勅」によるものとも虚構を前提にしていた以上、当たり前だ。
    当然、現行憲法は明治憲法の改正の限界を超えるものではないかとの問題が生じた。 そこで、宮沢俊義教授がポツダム宣言の受諾は神権説に基づく天皇主権を否定し、国民主権主義の承認を意味したとの「八月革命説」を主張した。これは、現行憲法の定立を説明する法理として歓迎された。
    この立場に立つ限り、新旧両憲法下における天皇制に連続性の解釈は論理的にあり得ない。国体は変更されたのである。

    こんな感じで・・・・
    国体は変更されたのであ〜るって

    宮沢俊義教授が論文を発表したのはベトナムの8月革命の次の年なんですね
    パクりかもって気になりました(笑)

    世界史でベトナムの餓死は日本のせいだと習いました。

    ベトナム北部で大飢饉(1944年10月から1945年5月)が発生した時期米国は食物輸送路を破壊したりしていた日本軍が在留してたわけだから日本軍に不利な宣伝を共産主義のコミンテルの構成員だったホー・チ・ミンのプロパガンダは成功したことになりますが日本の教育では日本の侵略によって多くのベトナム人が餓死したと教えられます。

    ベトナム民衆の心はすっかり反日感情に芽生えたのも納得が行きます。
    植民地支配していたフランスなんて民衆の反日感情をあおるために保有している米を廃棄したりしてるんだから・・・
    それでも日本は1945年3月にフランスを追い出してベトナム帝国(阮朝)のバオ・ダイ皇帝のベトナム帝国樹立を3月11日宣言しました。
    コミンテルの構成員であるホー・チ・ミンはそれでは困る。日本によるフランスの追放は革命の好機ととらえ反日感情に煽られた民衆(ベトミン)の心をつかむことに成功しベトナム帝国が倒れたことを8月革命と称しているのですね


     

  2. 【4129066】 投稿者: ニッキョウソ  (ID:x4TXeGkplHA) 投稿日時:2016年 05月 29日 16:47

    こんな威圧的文書は
    日本の教科書に掲載しない
    ヤクザの脅しみたい
    ポツダム宣言って怖いな

  3. 【4129147】 投稿者: つまり  (ID:SBP.ViH/cYM) 投稿日時:2016年 05月 29日 18:23

    黄色人種である日本人は各地で白人に迫害されている黄色人種アジア民族に憂いを感じていたの言うまでもない。なぜ日本がアジアの若者を多くを留学生として受け入れたのか考察する必要があると思う。その一例として清国がはじめて留学生を日本に派遣したのは下関条約が結ばれた直後である。日清戦争の敗戦は、1840年のアヘン戦争以上に中国の知識人に衝撃を与えた。そこで、日本を、西洋文明を取り入れ、自国の近代化を遂げた手本、学習の対象とみて、中国は日本留学風潮の時代を迎えた。1896 年、国内選抜を経て、最初の13 人の留学生が東京に送られ、日本文部省のアレンジによって高等師範学校の嘉納治五郎門下に入った。1896 年から1906 年までのわずか10 年間に、中国から日本へ来た留学生は、1 万人以上の規模に達した。
    「清国留学生」と呼ばれるこの集団の中には、最も知られた魯迅のほか、秋瑾、鄒容、陳天華、黄興、宋教仁、曹汝霖、汪兆銘などの有名人がいる。

  4. 【4129172】 投稿者: 筑波大HPから転載  (ID:/FQsS09vGm.) 投稿日時:2016年 05月 29日 18:43

    嘉納治五郎先生は,近代日本において最初に留学生を受け入れた教育者です。以下は,宏文学院,東京高等師範学校出身の著名人です。
    魯迅(1881-1936)
    宏文学院1902年4月入学,1904年4月普通速成科卒。
    その後仙台医学専門学校へ進学
    もともと軍人になるつもりだったが,文人の道へ転換
    (武力によるのではなく,教育により国を変えるべきとする嘉納思想の影響も一因ではないかと考えられる。)
    宏文学院在学中に弁髪を切り,古い中国と決別する意志を表す。
    嘉納が文部省と交渉して,仙台医学専門学校への進学の道を開く。
    「狂人日記」,「阿Q正伝」などを著す。
    黄興(1874-1916)
    1902年宏文学院 促成師範科入学
    1903年帰国,辛亥革命で活躍
    楊度(1875-1931)
    宏文学院卒,近代思想と中国の伝統から,民本思想を提唱
    東西文明双方の長所を吸収すべきと主張した政治家
    袁世凱の腹心として働く。
    秋瑾(1875-1907)
    宏文学院卒
    女流革命詩人
    陳独秀(1879-1942)
    宏文学院卒
    「新青年」主筆として毛沢東にも影響を及ぼす。
    1917年に毛沢東が書いた「体育之研究」(1917)を「新青年」に掲載
    范源濂(1876-1927)
    1900年,東京高等師範学校英卒
    宏文学院の講義通訳者としても活躍
    帰国後,3度に渡り中華民国教育総長(文部大臣)に就任し,中華民国の教育制度を築く。
    北京師範大学長を務める。(北京師範大学の校歌の作詞は,同氏によるもの)
    田漢(1898-1968)
    宏文学院卒
    東京高等師範学校英卒
    帰国後に劇作家として活躍
    「義勇軍進行曲」の詩が国歌に選定される。(1949-,1982-)
    オリンピックのメダルセレモニーで流される中国国歌の詩は,東京高等師範学校縁の人物作
    楊昌済(1871-1920)
    湖南出身。嘉納校長に推され宏文学院から東京高等師範学校へ入学
    1908年にスコットランドで哲学,倫理学及び教育学を学び,教育による救国を掲げる教育者となる。
    1913年湖南第一師範学校で毛沢東(1893-1976)と出会い,青年時代の毛沢東の師となる。
    毛沢東は「体育之研究」(1917)で,嘉納の柔道と体育理念を称賛


    女性も留学生でいたのですね

  5. 【4129271】 投稿者: さてさて  (ID:fL1b3dhaPsg) 投稿日時:2016年 05月 29日 20:29

    ハンドルネーム二俣川がよくいう
    宮沢俊義 みやざわ・としよし とは
    どのような人物かということだ。


    1899年3月6日-1976年9月4日

    憲法学者。長野県出身。1923年東京帝国大学卒業。1925年同助教授。公法研究のため欧米諸国に留学し、1934年同教授。美濃部達吉の後任として、東京帝国大学で憲法を講じた。教授になった直後、天皇機関説事件が起こり、国家による理論学説の「公定」を批判することで、権力に抵抗した。しかし時局の進展とともに、その合理主義的な憲法学説を展開する基盤は失われてしまった。
    戦後、政府の憲法問題調査委員会の委員として、「憲法改正要綱」等のとりまとめ作業に当たった。1946年5月、「八月革命説」を提唱し、ポツダム宣言受諾により、すでに帝国の「国体」は否定されていたと主張。また、1946年8月勅選議員として、憲法の審議に参加し、日本国憲法の国民主権主義は、天皇主権主義の明治憲法を根本的に変革するものだとし、憲法は変わっても「国体」は変わらないとする政府の態度を批判した。憲法制定後、憲法に関する標準的教科書、注釈書を著した。1959年東京大学退官後立教大学教授。1965年にプロ野球コミッショナーに就任するなど、学界以外でも幅広く活動した。

  6. 【4129282】 投稿者: へ?  (ID:A0wkH1IVu92) 投稿日時:2016年 05月 29日 20:37

    >1965年にプロ野球コミッショナーに就任するなど、学界以外でも幅広く活動した。

    憲法学者がプロ野球コミッショナーへ転身?
    えらい畑違いだこと
    定年後も収入があったんだ。
    今でいう「天下り」かな????


    そういうや
    GHQの日本弱体化計画に貢献したのかもしれないわね

    どういった内容かと申しますと
    日本弱体化計画で行われたのが3R5D3S政策でした。
    これは安岡正篤氏の著書「運命を創る -人生訓-」で唱えているGHQによる日本弱体化計画の内容を要約した呼称です。同氏は終戦後、占領軍司令部から国家主義の右翼思想家と誤解され、連合国軍最高司令官総司令部によりに公職追放された人物です。

    しかし、占領軍司令部の中には「プロフェッサー・ヤスオカ」と尊敬の念を抱く兵士もいた程の人物です。その著書の中で占領政策についてこのように書かれています。

    -------------------------------------------------------------
    この欠陥(昭和の教育が知識、技術に偏り人間学の教育が無かった)が終戦後また現れまして、占領軍の日本統治に対して対応する仕方を全く誤りました。占領軍は、むしろ日本を非常に買いかぶっておりましたから、いかにこれをアメリカナイズするかということにたいへん研究を積んでおります。このアメリカのGHQの対日政策というものは実に巧妙なものでありました。
    この政策に巧妙な解説がありますが、たとえば3R、5D、3S政策というものです。
    これについて、私に初めて説明した人の名前を今、記憶しないんですが、当時GHQにおりました参事官でガーディナーという、ちょっと東洋流の豪傑のようなところもある人物からも直接聞いたことがあります。
    それによると、3Rはアメリカの対日占領政策の基本原則、5Dは重点的施策、3Sは補助政策です。
    <中略>
    新憲法も、あれを受け入れるならば、「日本が独立の暁には、この憲法は効力を自然に失う」という付則をつけておくべきであったが、そういうことも何もしていない。ドイツなどは、それをちゃんとやったのです。これをやらなかった日本は、本当に間抜けというか、意気地なしというか・・・、そしてアメリカ流のデモクラシーに則って諸制度を急につくり上げてこれを施行したわけです。

    安岡正篤著「運命を創る -人生訓-」より
     

  7. 【4129296】 投稿者: へ?  (ID:A0wkH1IVu92) 投稿日時:2016年 05月 29日 20:51

    詳細コピペしますね(笑)

    アメリカの占領政策ー3R、5D、3S政策とは?

    この欠陥(昭和の教育が知識、技術に偏り人間学の教育が無かった)が終戦後また現れまして、占領軍の日本統治に対して対応する仕方を全く誤りました。占領軍は、むしろ日本を非常に買いかぶっておりましたから、いかにこれをアメリカナイズするかということにたいへん研究を積んでおります。このアメリカのGHQの対日政策というものは実に巧妙なものでありました。
    この政策に巧妙な解説がありますが、たとえば3R、5D、3S政策というものです。
    これについて、私に初めて説明した人の名前を今、記憶しないんですが、当時GHQにおりました参事官でガーディナーという、ちょっと東洋流の豪傑のようなところもある人物からも直接聞いたことがあります。
    それによると、3Rはアメリカの対日占領政策の基本原則、5Dは重点的施策、3Sは補助政策です。
    3Rの第一は復讐(Revenge)です。アメリカ軍は生々しい戦場から日本に乗り込んだばかりで復讐心に燃えていたので無理もありませんが、復讐が第一でした。第二は改組(Reform)。日本の従来のあらゆる組織を抜本的に組み替える。第三は復活(Revive)で、改革したうえで復活、つまり独立させてやる、抹殺してしまうのは非人道的だからというわけですが、この点、日本はアメリカが占領軍で有難かったわけです。共産国だとどうなったかしれません。
    5Dの第一は武装解除(Disarmament)、第二は軍国主義の排除(Demilitalization)、第三は工業生産力の破壊(Disindustrialization)で、軍国主義を支えた産業力を打ち壊すというもの。第四は中心勢力の解体(Decentralization)で、行政的に内務省を潰してしまう。警察も国家警察も地方警察とに分解する。そして財界では、三井総元方あるいは住友、三菱の総本社を分解する、つまり財閥解体です。第五は民主化(Democratization)で、日本の歴史的・民族的な思想や教育を排除してアメリカ的に民主化する。そのためにはまず日本帝国憲法を廃棄して天皇を元首から引き降ろし、新憲法を制定してこれを象徴にする。皇室、国家と緊密な関係にあった神道を国家から切り離す、国旗の掲揚は禁止する。教育勅語も廃止する。これにはかなり抵抗がありましたけれども、GHQのひとにらみで駄目になってしまった。
    新憲法も、あれを受け入れるならば、「日本が独立の暁には、この憲法は効力を自然に失う」という付則をつけておくべきであったが、そういうことも何もしていない。ドイツなどは、それをちゃんとやったのです。これをやらなかった日本は、本当に間抜けというか、意気地なしというか・・・、そしてアメリカ流のデモクラシーに則って諸制度を急につくり上げてこれを施行したわけです。これが5D政策です。
    それを円滑あるいは活発に行わしめる補助政策として3S政策があった。第一のSは、セックスの解放、第二のSがスクリーン、つまり映画・テレビというものを活用する。それだけでは民族のバイタリティ、活力、活気を発揮することがないから、かえって危ない。そこで精力をスポーツに転ずる。これはうんとやらせる。スポーツの奨励ーこれが第三のS。これらを、3Rの基本原則と、具体的な5D政策の潤滑油政策として奨励した。なるほど、これはうまい政策でありまして、非常に要を得ておる。これを3R、5D、3S政策というわけです。
    こうした占領政策を施行された時に、日本人は堂々と振る舞うと思ったのですが、案に相違して、我も我もとGHQ参りを始めました。特に公職追放が行われてから後は、表向きの人々はGHQ様々で唯々諾々として「命これを奉ずる」という有様でした。そこへゆくと、同じ敗戦国でもドイツ人は違っていました。彼らは、なにしろ昔から勝ったり負けたり繰り返してきているから、たまたま負けても動ずるところがない。ですから、占領軍が命令しても悪いことは堂々と拒否する。日本人は唯々諾々、直立して「イエス・サー」と言うからイエスマンといわれたが、ドイツ人はこういうふうですからNein Mensch No Manです。占領軍は、だから、初めは日本人を可愛がり、ドイツ人を憎みましたが、しばらくすると、「日本人はつまらぬ、骨がない」と軽蔑し、逆にドイツ人は「しっかりしとる」と褒めるようになったのです。
    日本を全く骨抜きにするこの3R、5D、3S政策を、日本人はむしろ喜んで、これに応じ、これに迎合した、あるいはこれに乗じて野心家が輩出してきた。日教組というものがその代表的ものであります。そのほか悪質な労働組合、それから言論機関の荒廃、こういったものは皆、この政策から生まれたわけです。
    今日の日本の堕落、退廃、意気地のなさ、こういう有様は昨日今日のことではない。非常に長い由来・因縁があることを考えないと、これを直すことははできません。
    皆さんが今後起こってくる諸般の問題をお考えになるのには、目先の問題をとらえた流行の皮相な理論では駄目でありまして、先程申したように、少なくとも明治以来の思考三原則によって徹底した考察をなさらないと正解を得られない。したがって、今後の真剣な対策も立たないということを私は信ずるのであります。

    安岡正篤先生の著書「運命を創る」(プレジデント社)より引用しています。

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