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【4766983】なぜ総連に資産凍結の圧力をかけられないのか?

投稿者: また創   (ID:AGOFy1tvS7c) 投稿日時:2017年 11月 09日 00:18

反総連・反共和国を巡る陰謀

2002年9月17日以降、「北朝鮮憎悪」と「総連つぶし」の社会風潮と心理を醸成するマスメディアの報道姿勢と内容はすさまじい勢いであった。連日連夜流し続けられる共和国の指導者と社会体制を誹謗中傷する番組をはじめとして雑誌、小説、書籍は共和国と総連に対する憎悪と敵意を植え付けるのに十分すぎる程であった。このような憶測と歪曲された記事や映像を連日送り出すマスメディアの報道は共和国をこころの支えにしてきた在日同胞にも多大な影響を及ぼし、祖国に対する失望と疑心、総連に対する不満と怒りは増幅するだけ増幅した。

そこに2004年2月17日、インターネット上に「21世紀、総連の改革と再生のための提言.」なるものが、朝鮮語と日本語で掲載された。この同胞社会を混乱させ同胞たちを祖国と総連から引き離そうとする行為については、朝鮮新報の「〈南の国情院と連携する洪敬義〉 反総連「提言」の黒い背景.」に詳しい。このような恩を仇で返すような反総連、反同胞的行為によって、1世が血と汗で築いてきた業績とそれを引き継ごうと奮闘する2世の努力、そしてこうした業績を継承していこうとする新しい世代の希望と抱負を無に帰してはならない。

総連は、このように「内憂外患」の危機にさらされている。この危機的状況を打破するために、長年に渡って築き上げてきた友好関係を見直そう。

唯一無二の同胞の味方 公明党

共和国と最も良い関係を築いていたのは社会民主党である。しかし、その社会民主党も低落し、政治的影響力を失った。しかし総連は、民主党と公明党の党舎に訪問するなど長きに渡って友好関係を築き上げてきたのである。社会民主党が低落したからといって、同胞が心配することは何もない。特に公明党は連立与党の一員として政権に参加しており、総連に一定の配慮をすることを確約している。

公明党は、2000年10月19日の「日朝国交正常化の早期実現を求める緊急集会.」に協賛した唯一の日本政党である。

槙枝元文氏「日露戦争の時にアメリカやイギリスとの秘密協定で日本の朝鮮支配を承認させました。一九〇五年十一月、日本は五万人をこえる兵隊で宮廷を包囲して軍事力で日韓保護条約に調印させました。これが事実上の植民地支配のスタートで、一九一〇年の韓国併合につながったのです。

朝鮮民族から言葉を奪い、名前を取り上げ(創氏改名)、民族の歴史教育を禁止し、さらに六十万人以上の強制連行や従軍慰安婦など、日本の朝鮮民族への植民地支配は世界に例がないものでした」

清水澄子氏「朝鮮民族が受けた植民地支配の歴史を正しく受け止め、政府に謝罪と補償という過去の清算を実現させて、日朝国交正常化を実現させる必要があります。それが日本とアジアの平和のため、また憲法改悪を阻止する力にもなります」

吉田康彦氏「残るのは「拉致疑惑」問題です。警察も政府も一度として拉致されたと断言していない。疑惑なのに、拉致したと断定して外交交渉の議題にするなどということは国際交渉ではありえないことです。証拠もないのに「拉致疑惑」にこだわるののは正常化をやりたくないという雰囲気が強いからです」

谷口滋氏「在日韓国・朝鮮人とどういう関係を築いていくのか私たちに問われています。石原都知事の「三国人」発言を契機に九月の防災訓練に名を借りた軍事演習が行われ銀座を自衛隊がかっ歩しました。自由主義史観の連中は活発に活動しています」

緊急集会で主張されたことは以上である。また緊急集会では「日朝国交正常化早期実現を求める集会決議」が採択された。東京都議会公明党だけが、これに協賛したのである。

2002年1月17日、総連中央本部の南昇祐副議長・韓正治国際局長・金明守同副局長(当時)が公明党党舎を訪問した際に、公明党の遠藤乙彦国際委員長(当時)が「日朝間の国交正常化に向け、在日の皆さんの人権保障と、共通の歴史認識作りに全力で取り組みたい」と述べている。共和国の正しい歴史教育を認め、在日朝鮮人の人権を保障するために活動することを保障してくれているのだ。

現に公明党は、同胞の主張にきちんと耳を傾ける。電話・FAXなどで疑義を呈したことのある同胞なら知っていることだが、在日の主張に耳を傾ける政党なのだ。大学受験資格の進展がみられたのは、総連が持つ公明党への影響力の賜物である。外国人参政権の法案が提出されるのも同様である。総連の活動が、洪敬義のような南側勢力と結びついた反動勢力の策謀とは違い、真に正しき活動であったことの証明である。総連は、公明党を通じて同胞の人権を保護することができるのだ。

がんばれ公明党

だからといって安心してはならない。「北朝鮮憎悪」と「総連つぶし」の社会風潮と心理を醸成するマスメディアの報道姿勢と内容が、日本人の心理に多大な影響を及ぼしている。公明党が総連との約束を違えること無きように、同胞は公明党に対して働きかけなければならない。

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  1. 【4767209】 投稿者: カルト結託 伝統仏教弾圧  (ID:gT3/WAYNjgs) 投稿日時:2017年 11月 09日 07:59

    オウムの元教団幹部の中川智正は東京地方裁判所で行われた松本智津夫の公判に証人として出廷した際、1994年6月に遠藤誠一と新実智光とともに富士宮市にある日蓮正宗大石寺にサリンをまくための下見に行ったと証言しました。そして「サリンをまくための候補地だったと聞いた記憶があるが、なぜ大石寺を襲撃しようとしたかはわからない」と述べています。

  2. 【4767234】 投稿者: 破門  (ID:AGOFy1tvS7c) 投稿日時:2017年 11月 09日 08:17

    平成2年1月午前2時30分、出仕(しゅっし)太鼓が高らかに鳴り響くなか、御法主日顕上人が大客殿にお出ましになり、丑寅勤行がはじまりました。
     
    大石寺では「一夜番」といって、数名の僧侶が毎晩「寝ずの番」を交代で務め、大御本尊や日蓮大聖人の御書をはじめとする大石寺の重宝、境内の建物を火災などから守るため、見回りをするしきたりになっています。
     丑寅勤行がはじまったので、大客殿を見回っていた一夜番僧侶が別の建物へ移ろうとした時、建物外の広場の暗闇に、たくさんの人影を発見しました。人数はそう、20人以上はいたはずです。みな地方から参詣していた学会員さんでした。北風が容赦なく吹きすさび、体感気温は氷点下だったでしょう。皆、ガタガタ震えながら建物の隙間から聞こえてくる読経の声にあわせて、一生懸命勤行をしていました。

     「あれ? おかしいな」
     一夜番僧侶が大客殿に戻って見てみると、200~300人が参列していましたが、まだ収容には余裕があります。彼は創価学会の警備担当者に連絡をとりました。
     「大広間に入れるのに、それが分からない方が外にいるようです…」
     すると警備関係者はいいました。
     「外にいるのは学会員です。彼らは民宿などに泊まっているフリーの登山者で、前もって   丑寅勤行への参加を申し込んでいなかったようです…」
     「えっ? 丑寅勤行は、日蓮正宗の信徒であれば、学会員さんでも法華講員さんでも、自 由に参加できるはずですが…」
     「詳しいことは分からないので、創価学会の輸送責任者に伝えておきます」

     その後、何の知らせもないまま時間だけが過ぎていきました。

    一夜番僧侶も、自分の勝手な判断で、外にいる学会員さんを室内に招き入れることもできず、丑寅勤行は終わってしまいました。
     夜が明けると一夜番僧侶は、担当の上司に報告しました。その報告はさらに上へと伝わり、ついに日顕上人のお耳に入ることになりました。

    後日分かったことですが、創価学会では学会独自で作ったルールにのっとり、丑寅勤行の参加人数を決めていたようなのです。

    学会が人数制限をしていたことは、大石寺は、まったく知りませんでした。


    それからしばらくして、日顕上人と池田大作名誉会長が面談する機会がありました。その際、日顕上人から池田氏に対して、
    「丑寅勤行の参加について、宿泊している学会員の何パーセントというような制限をするのではなく、参加を希望する学会員さんには、自由に出させてあげたらどうですか?そのかわり、参加したい人がいなければ、学会員さんの参列がゼロでも構いません」
    とお話をされました。
     

    「真夜中に極寒の外で、立ったまま勤行に参加するなど、気の毒で仕方がない」と、学会員さんの信心を尊く思われた日顕上人のお言葉でした。


    ところが、こうした何の問題もないような普通の話が、学会内部にはどのように伝わったと思いますか?
     「池田先生が日顕上人に呼び出され、『丑寅勤行に参加する学会員が少ない。もっと増やせ』と怒鳴(どな)られた」
    となってしまったのです。

     一事が万事。平成3年以降、学会員さんが学会の会合で耳にしてる日蓮正宗の悪口、日顕上人の悪口のほとんどは、まったくの事実無根か、このように内容がスリ替えられた話ばかりなのです。


    こうした誤った情報や誤認、デマや中傷が激しくなるにつれ、創価学会は、日蓮正宗や大石寺を攻撃する集団へと変わってしまいました。

    そしてついに平成3年2月頃になると、創価学会では日蓮正宗の寺院に願い出ることなく葬儀や法事を独自で行なうようになりました。

    もはや「日蓮正宗は必要ない」ことを、威圧(いあつ)的な行動で示したのです。
    実際、破門通告された直後の秋谷栄之助第5代会長は、「破門された日は、“精神の独立記念日”である」などといって、「日蓮正宗から破門された」ことを、歓迎する談話を聖教新聞に発表していたほどです。
    このように、一般の学会員さんが知らないところで様々な問題が発生し、結果として創価学会は日蓮正宗から破門されてしまいました。



    平成2年1990年、オウム真理教は熊本県阿蘇郡波野村に教団施設を建設する計画を立て、同村の森林地約15万m2を買収すべく地権者と交渉に入り、同年5月に土地を取得した。このとき地権者には1500万円の負債があり、この土地にも抵当権が設定されていた。地主側は5000万円でオウムに売却。負債をオウムが肩代わりし、差額3500万をオウムが地権者に現金で支払った。ところが地権者には更に500万円の負債が判明したため、地権者は売却価格3500万のうちから500万円をオウムに支払ったが、その際、教団京都支部信徒からの借入金であるように見せかけた。
    その一方でオウム真理教進出の情報が地元住民に知れわたると、村では一気に反対運動が沸き上がった。教団はオウム批判をかわすため、当時あまり知られていなかった麻原彰晃の本名「松本智津夫」名義で、上記のとおり売買価格を偽り、こっそりと国土利用計画法に基づく届出を行った。
    しかしこのことも報道されたため、面倒を嫌った教団側は一転して「これはお布施」と主張、「売買ではなく贈与であるから届出は必要ない」と強弁し、一旦出した届出を取り下げた。そして「負担付贈与契約」という名目で所有権移転登記を強行し、教団施設の建設に取り掛かった。
    これにより、地元住民や波野村当局は一気に態度を硬化させた。熊本県も契約の無効と土地の原状復帰を指導したが、教団は無視し続けた。同年8月16日、熊本県は教団を国土利用計画法と森林法違反で熊本県警に告発した。
    10月22日、熊本県警は教団施設への強制捜査に踏み切り、教団顧問弁護士の青山吉伸を逮捕、教団幹部の早川紀代秀と満生均史を指名手配した(両人は10月30日に出頭)。11月には古参幹部の大内利裕と石井久子も逮捕した。教祖の麻原も事情聴取を受けた。この時村井秀夫、上祐史浩、早川紀代秀は麻原の指示で女装して普通電車で仙台市まで逃走した[1]。
    後の1995年、地下鉄サリン事件を初めとする一連のオウム真理教事件の捜査の中で上祐史浩は国土法事件で逮捕・起訴された幹部の刑事責任を逃れさせるため、土地売却者(地権者)の文書を偽造したことにより、偽証と有印私文書偽造・同行使の罪に問われ、1995年10月8日に逮捕され、懲役3年の実刑判決が下ることになった。

  3. 【4767460】 投稿者: 場所  (ID:YYqaoGRlwzM) 投稿日時:2017年 11月 09日 10:52

     「國民新聞」
     日朝会談に500億円裏工作
     「テーミス」最新号によると、福田官房長官 ― 田中均アジア大洋州局長のラインで進められた日朝交渉の裏側で、日本側から北朝鮮に500億円もの裏金が流れたという。韓国情報筋によると、スイスにある東京三菱銀行ジュネーブ支店からの送金で、金の出所は官房機密費や外交機密では賄えきれず、一時的な立て替えで創価学会インタナショナルが肩代わりしたという。2000年6月に行われた金大中と金正日の南北首脳会談でも「400億ドルもの裏工作資金が北朝鮮へ流れた」との疑惑報道がある。それと引き替えに金大中はノーベル平和賞を手中に収めたという。それだけに日朝会談を巡る裏金疑惑も真実みを帯びている。

  4. 【4767512】 投稿者: 署名活動  (ID:z6nFyWyL2rQ) 投稿日時:2017年 11月 09日 11:26

    北朝鮮による拉致被害者で死亡したとされる原敕晁(ただあき)さんを拉致した実行犯とされる辛光洙(シングァンス)容疑者と、共犯とされる金吉旭容疑者の二人がふくまれていました。要望書には、公明党の鳥居一雄氏、小川新一郎氏、西中清氏(以上衆院議員)、猪熊重二氏、和田教美氏、塩出啓典氏(以上参院議員)の六人の国会議員(いずれも当時)も署名

  5. 【4767538】 投稿者: 弔電  (ID:AGOFy1tvS7c) 投稿日時:2017年 11月 09日 11:45

    公明党の石田幸四郎委員長は九日、金正日書記あてに次のような弔電を送りました。

     「金日成閣下の突然のご逝去の報に接し、深い悲しみに堪え難く存じます。日本国公明党を代表し金正日閣下をはじめ朝鮮民主主義人民共和国の全人民に衷心より深甚の哀悼の意をささげるものであります。私ならびに公明党は変わらぬ両国関係の発展を目指し微力を尽くす所存であります」

  6. 【4767553】 投稿者: 同じ穴の貉  (ID:K9OqfXuxbas) 投稿日時:2017年 11月 09日 11:57

    朝鮮総連からの献金疑惑
    福田氏の自民支部、朝鮮籍会長企業から20万円寄付

     福田康夫・元官房長官(衆院群馬4区)が支部長を務める自民党群馬県第4選挙区支部が1996年と2003年、朝鮮籍の会長と韓国籍の親族が全株式を保有する群馬県高崎市のパ[削除しました]店経営会社から計20万円の寄付を受けていたことが20日、同支部の政治資金収支報告書などでわかった。

     会長は05年に死去するまで在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の在日本朝鮮群馬県商工会の顧問などを務めていた。03年の寄付は、福田氏が小泉政権の官房長官時代で、小泉首相(当時)訪朝で北朝鮮が日本人拉致を認めた後だった。

     政治資金規正法は、外国人や外国人が株式の過半数を持つ企業から献金を受けることを原則禁じている。福田氏の事務所は「国籍を聞くのは失礼と思い、確認していなかった。他に同様の寄付がないか調べた上で、返金したい」と話している。違反には禁固などの罰則があるが、既に時効(3年)が成立している。

     収支報告書などによると、03年は衆院選があり、投開票日4日前の11月5日、10万円の寄付があった。96年も総選挙が行われた年で、10万円の寄付があった。同社は「寄付したかどうか確認できない」としている。

     参院選のあった2001年には、当時民主党参院議員だった角田義一氏の総合選挙対策本部に会長側から10万円の寄付があったことが判明しているが、政治資金収支報告書などには記載されていなかった。

    (2007年9月21日3時0分 読売新聞)

    拉致問題
    「奪還」蓮池透著(新潮社)P.173~175
     2002年9月17日小泉訪朝の日について書かれたくだりから。

     やがて、一家族ずつ順番に別室に呼び出されました。そして、そこで福田官房長官と植竹繁雄外務副大臣(当時)から家族の生死についての「宣告」を受けたのです。

     最初に呼ばれた横田めぐみさんの父・滋さんは、二十分ほど後に戻って来た時には、泣き崩れて声もかけられないような状態でした。
     「残念ながら、お亡くなりになりました」
     そう告げられたのです。
     その時の雰囲気を父は「死刑宣告を受ける罪人のようだ」と言っていましたが、私は死刑執行を待つ受刑者の気分でした。

     ほぼ時を同じくして、NHKが「四人生存、八人死亡」のニュースを流します。蓮池、奥土、地村、浜本。その生存者の四家族は、最後に福田官房長官に呼ばれました。
     福田氏は断定的な口調で生存者の現状を説明しました。でも、他に亡くなった方がいると聞いて、手放しで喜べるはずがありません。

     私は、「なぜNHKが先に情報を流しているのか」と抗議しましたが、福田氏の答えは「マスコミには何も言っていない」。
     さらに、私の母が「家族会は一つの家族のようなものです。こんなふうに別々に発表しないで、みんな一緒の場でやってほしい」と訴えると、
     「黙って聞きなさい。あなた方の家族は生きているのだから」
     福田官房長官はそう言って、両腕でわれわれを押さえつけるような仕草をしました。
     まるで、なぜ自分たちに感謝しないのか、とでも言いたげな口ぶりでした。

     今でも、この飯倉会館での数時間を思い出すと、苦い思いがこみ上げてきます。何のためにわれわれをあの場所に呼んだのか、どうしても釈然としないのです。テレビでNHKのニュースを見るだけなら、議員会館でもよかったのですから。

     われわれが飯倉公館で「宣告」を受けていた頃、小泉総理は国交正常化に向かう日朝平壌宣言にサインしていました。おそらく、サインが終わるまで、われわれに生死の情報を伝えるのを遅らせたのだと思います。
     「八人死亡」という情報と「平壌宣言に署名」のニュースとが同時に伝えられたら、家族たちはなぜサインするのだと騒ぎ出すに違いない。その場面をマスコミに見せたくないと考えて、われわれを“軟禁状態”にした。そんな意図が透けてみえるのです。

     さらに許しがたいのは、植竹副大臣と福田官房長官がその時、生死の情報を断定的に語ったことです。実際にはその時点では日本政府は安否に関して何の確認も裏付けもとれてはいなかったのです。

    先日の総裁選公開討論にて北朝鮮問題についての意見を聞かれた福田氏の口から放たれたのはまったく内容を伴わない上辺だけの答弁であり、福田氏が拉致問題について何も考えていないことを完全に露呈する結果となった。
    また福田氏は、最初に北朝鮮より帰ってきた拉致被害者5名を、北朝鮮との約束に基づいて北朝鮮へ送り返すべきであると主張したといわれている。同公開討論にてその点を麻生氏に突っ込まれ、狼狽しへんてこな言い訳を述べた。

  7. 【4767567】 投稿者: 結局 いつも有耶無耶  (ID:AGOFy1tvS7c) 投稿日時:2017年 11月 09日 12:09

    闇献金疑惑と副議長辞任

    2007年1月、2001年の第19回参議院議員通常選挙の際、角田の選挙対策本部は個人・企業・団体からの献金の一部を政治資金収支報告書に記載していなかったとの疑惑が報じられた。角田の選挙対策本部が作ったとされる会計帳簿が流出、同帳簿には個人や企業・団体から「陣中見舞い」等の名目で総額2517万円の入金があったと記されていた。しかし角田の政治団体や当時角田が会長をつとめていた民主党群馬県連の政治資金収支報告書等にはこの入金が記載されていなかったため、角田に対する闇献金があったのではないかとの疑惑が浮上した。更に朝鮮総連系の団体から50万円の入金があったとの記載もあり、政治資金規正法によって禁止されている外国人からの献金を受けていた疑いも持たれるに至ったが、当時の角田事務所の会計責任者は「会計帳簿が見当たらない。事実関係を確認するすべがない」と述べ、角田本人も「私は金の出入りは知らない」と説明、不正献金疑惑に対して肯定も否定もしないという釈然としない対応に終始した。流出した帳簿の真偽についても言を左右にし、紛失した本物なのか偽物なのか調査もしないという不可解な態度をとる一方で、疑惑を放置したまま参議院副議長の職に留まる意向を示したため、与野党から批判を浴びるに至った。結局角田は疑惑については釈明せぬまま、「参議院副議長の職に留まることは国会全体の運営に影響する」との理由から参議院副議長を辞任した。角田の副議長辞任後は疑惑そのものも事実がはっきりせぬまま終わった。

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