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投稿者: アジア (ID:jRyooLjSF1g) 投稿日時:2019年 10月 05日 22:13
アジアからの日本の本当の評価
【太平洋戦争】
ククリックド・プラモード(タイ、元首相)
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。」
( 十二月八日、「サイアム・ラット紙」において )
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【5595453】 投稿者: アジア (ID:jRyooLjSF1g) 投稿日時:2019年 10月 05日 22:17
ラグ・クリシュナン(インド、元大統領)
昭和44年「日本経済新聞」
インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。
それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。
驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。 -
【5595457】 投稿者: アジア (ID:jRyooLjSF1g) 投稿日時:2019年 10月 05日 22:20
ブン・トモ(インドネシア、元情報相)
日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。
インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
日本が敗北したとき、
「これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる」と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。 -
【5595462】 投稿者: アジア (ID:jRyooLjSF1g) 投稿日時:2019年 10月 05日 22:24
マレーシア マハティール首相
東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。
そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。東アジア人は、もはや、劣等感にさいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分達の力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。“もし日本なかりせば”世界は全く違う様相を呈していただろう。富める北側は益々富み、貧しい南側は益々貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。」
欧州・東アジア経済フォーラム 平成4年10月14日 -
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【5595463】 投稿者: アジア (ID:jRyooLjSF1g) 投稿日時:2019年 10月 05日 22:26
マレーシア ガザリー・シャフェー元外相
大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ
「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ。」
(日本のある政治家が日本の過去を謝罪した後の言葉) -
【5595468】 投稿者: アジア (ID:jRyooLjSF1g) 投稿日時:2019年 10月 05日 22:27
インドネシア サンパス元復員軍人省長官
特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけで済むものではない。 -
【5595471】 投稿者: アジア (ID:jRyooLjSF1g) 投稿日時:2019年 10月 05日 22:32
バ・モウ(ビルマ元首相 独立宣言より)
ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり
ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり -
【5595474】 投稿者: アジア (ID:jRyooLjSF1g) 投稿日時:2019年 10月 05日 22:36
ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)
私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。
この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。
その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない
要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。
(昭和二十七年 広島高等裁判所での講演)
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