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【1504617】【大学受験目標】公文式有効利用法の探求 その2

投稿者: インターエデュ・ドットコム   (inter-edu.com) 投稿日時:2009年 11月 13日 19:32

『【大学受験目標】公文式有効利用法の探求』は容量が限界に達してしまいましたため、
新しく『【大学受験目標】公文式有効利用法の探求 その2』を作成いたしました。

引き続き、有益な情報交換の場としてご活用いただければ幸いです。

前スレ【大学受験目標】公文式有効利用法の探求
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?1302,870545

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  1. 【1507309】 投稿者: なる  (ID:3FS7PgdbJPE) 投稿日時:2009年 11月 16日 00:49

    ということで、地味に進行しますので
    荒れそうになったら、また助けてくださいませ。
    まぁ、当分わたしは身バレしませんから
    スレ進行ができなくなることもないのですが…。(笑)


    ちまきさんもありがとうございました。


    通りすがりの関係者様


    スルーしてしまってごめんなさい。
    大変失礼いたしました。スレの進行上、
    公文の話題をするタイミングではなかったので…。
    本当は公文の関係者の方にご意見いただいた方が
    良い場面ってたくさんあるんです。公文一般父母では、
    経験不足で、どうにもなりません。


    またこのスレは「他の公文スレを荒れにくくする」という
    ちょっと変な意味を込めてますから、
    「ココ以外の公文スレで、迷われたり悩まれたりして
    いらっしゃる父母の方々を導いてくだされば、なお幸いで
    ございます。」


    わたしは番人として、皆様を応援することしかできません。
    ひたすら身バレを防ぐために、自分のことも子のことも
    書かずに、コピペをし続けるだけです。(苦笑)

  2. 【1507617】 投稿者: なる  (ID:MKeeG.WdvUk) 投稿日時:2009年 11月 16日 11:15

    コピペしたブログは、今も継続しているものもあるんだよね。
    この大学院生は、修論追い込み中。
    http://d.hatena.ne.jp/Mephistopheles/20091109#1257957156



    ■[勉強]公文式について再考 23:58


    はっきり言ってこんなこと書きたくない。別に私は公文式の回し者ではない上,
    広告塔でもない。しかし,書かないといつまでもモヤモヤするだろうから書こ
    うと思う。ここで書くことは決して嫌味でも自慢でもなんでもないことを最初
    に断っておこう。それでも嫌味や自慢に聞こえるならそう思ってくれて構わな
    い。もう,慣れた。
    私は3歳のとき近所の公文式の教室で勉強を始めた。親が無理矢理やらせたわ
    けではない。「読み聞かせ」という形でしか読書することのできない不便さに
    苛立ち,「1人で本を読めるようになりたい,現状が続くといつまでもママが
    いる時にしか本が読めないじゃないか」と親に迫ったのである。すると母が
    「とりあえず参考までに話を聞きに」私を公文式の教室に連れて行ったという
    わけである。ということで,まず国語から始め,ほどなくして算数も始めた。
    私はバカみたいに向学心旺盛だったので,小4の時に国語は全課程を修了し,
    数学に関しては,全課程修了にはいたらなかったものの,とりあえず中学入学
    までに数II・Bまでの範囲はなんとか終わらせた。これ,いつも驚かれる上,
    「天才」などと言われるのだが,公文式をやっている子どもの進度としてはい
    たって普通である。そして私が秀才でもなければ,ましてや天才などではない
    のは周知の事実であろう。むしろ理解力も記憶力も平均以下である。他の人が
    1回でわかるものは,5回以上やらないとわからない。頭の出来としては悪い
    方だ。


    当時,幼児教育は風当たりが強かった。岡山は教育県だなどと言われているが,
    私はそんなことを信じていない。所詮田舎である。ほとんどの人間は,幼い子
    どもが勉強しているのを決して良く思っていなかった。母も私も,無関係な人
    間からずいぶん謂れのない中傷を受けたものだ。特に母は私を虐待でもしてい
    るかのように言われていた。私は私で「かわいそうねぇ」などと言われていた。
    就学してからは「Mちゃんは天才だからね」「頭の出来が違うからね」などと
    言われた。それが好意ではないことを私は知っていた。美辞麗句を並べ立てる
    周りの大人の目は笑ってはいなかった。人に先んじて,成績のよさをひけらか
    して,そんなに楽しいか,彼らの目はそう語っていた。勉強することは悪いこ
    とだ,子供らしくないことだと言わんばかりだった。中学に上がる頃にはもっ
    とはっきり言われるようになった。全く関係ない人から「公文なんて役に立た
    ないわよ」とか「いい塾を紹介してあげるわ」とか言われたことが何度あった
    か。まったく大きなお世話である。私は「結構です」としか言わなかったが。
    私が出来ることは,結果を出すことだけであった。私のやり方(≒公文式のや
    り方)で結果を出すこと。それが私に出来る唯一の抵抗であった。


    はっきり言って,これらのことは私の中では根強い「恨」となっている。だっ
    て,そうだろう。私にとっては,公文式は理性と学問の素地であると同時に,
    人格形成の素地でもあったのだ。何においても諦めないこと。真摯に取り組む
    こと。まずは,自分でやってみること。物事に取り組む基本的な姿勢を教えて
    くれたのが公文式であった。周りの人間はそれを全否定したのだ。国語に比べ
    て数学は苦手であったけれど,それでも嫌いにはならなかった。数学の勉強は
    いつも楽しかった。そしてその姿勢は他の苦手なことに取り組む時にも役立っ
    た。最初からできないと決め付けないこと。とりあえず,やってみること。
    出来た時の感動はひとしおだった。私は前述の通り理解力も記憶力もないので,
    人一倍時間はかかったが,その分,出来た時は人一倍嬉しかった。


    特に数学については,「機械的な計算練習ばかり」などと揶揄される公文式で
    はあるが,それははっきり言って間違いである。計算練習は確かに多いが,思
    考を求める問題も出題されているし,教材も上にいけば電磁気学やら線形代数
    やらを学ぶところまであるのだ。すなわち,大学の教養課程相応の教材も用意
    されているのだ。これを「機械的な計算練習」だと呼ぶ人がいれば,話してみ
    たいものだ。たまに公文式をやっていた人でも「機械的な計算練習ばかりでま
    ったく役に立たなかった」と言う人がいるが,それはやり方が悪かったんじゃ
    ない?と言いたい。公文式に限らず,どの教材を使うにしてもそうだと思うが。
    それに,計算なしでは何もできないでしょう。むしろ,それを軽んじることの
    意味がわからないのですが。応用は基礎の組み合わせでしょう。


    「意味もわからないまま機械的にやっているに過ぎない」もよく言われること
    ではある。幼い子どもが高校レベルの問題を解いているのは確かに不可解だろ
    う。不気味かもしれない。しかし,断言するが,意味はわかっている。子ども
    の吸収力の強さと向学心を侮ってはいけない。難しい言葉や記号を使って教え
    ようとするからわからないのである。教職の授業で「どのような内容であれ,
    その知的性格を損なうことなく,すべての年齢の子どもに教えることができる」
    (J.Bruner)と教わったが,確かにその通りである。だって,現に私がそうな
    のだから。


    まぁこれらのことは一例としても,他にも数々の誤解があると思う。これまで
    も,今も,私はその誤解の信奉者達から敵のように扱われ続けてきた。なぜだ
    かわからないが,私の周りの「公文式嫌い」な人々は,私を見るたびに,私が
    公文式側の代表者であるように糾弾するのだ。あの,困るんですけど,そう言
    いたいのを堪えて「ああ,そうですか」とだけ言ってきた。私は公文式を信頼
    してはいるが,公文式を伝道しようとは毛ほども思っていないので,別に嫌い
    な人に好きになってもらおうとは思わない。知る人ぞ知る公文式でいいと思っ
    ている。


    では,なぜこんなことを書いているかというと,別に何でもないのだが,最近
    ともちゃんと公文式について話すことがあり,その時,ともちゃんも少なから
    ず誤解しているように見受けられたからだ。さすがに腹が立ったりはしなかっ
    た*1が,そうか,やはり誤解は根強いのか,と思った。だから思ったことを書
    いた,それまでである。


    ただ,それらの誤解の背後には,公文式の商売色の強さもあるかもしれない。
    幸いにして,私がついていた先生は,公文式教室の指導者でありながら,
    「公文式至上主義」の人間ではなかった。私や妹の学問の師としてのみではな
    く,子育ての先輩として母の相談相手にもなってくれたし,私や妹のカウンセ
    ラーにもなってくれたし,私たち姉妹のピアノの先生を探してくれたのも,公
    文式の先生だった*2。実際,ピアノのコンクールや発表会の前には「公文なん
    てやらなくてもいいからピアノの練習しなさい」とか言ってくれていた。勉強
    に関しても,公文式だけやっていれば,という考え方ではなく,他に工夫でき
    る点があればどんどん取り入れてくれていた。私は中3の時に卒業したが*3,
    今でも帰省の折にはお土産を持って先生のお宅に伺っている。


    しかし,公文式においてそういう指導者はかなり稀なのである。大半の指導者
    や親たちは盲目的に公文式を信奉しており*4,自分の教室の生徒や自分の子ど
    もが「進度上位者」として表彰されるのをステイタスとし,教室にその折の写
    真を飾ったりしているのだ。私の先生は私が表彰を受けることをステイタスと
    思っていたどころか,むしろ私が公文式の商売道具として利用されないか,私
    への風当たりがさらに強まらないか,いつも心配してくれていた。私は根拠の
    ない賞賛が大嫌いなので,かなり先生に助けられた。しかし公文式全体として
    は,生徒の学習意欲高揚のため,そういう式典のようなものをやるのである。
    私も仕方ないので参加はしていたが,あれははっきり言ってどうかと思う。た
    だの変な集会である。


    私は,東大に合格したのも*5,今の私の人格も,少なからず公文式が関係して
    いると考えている。だから公文式を悪く言うつもりはない。いかに人から悪く
    言われようと,私はそれを認めるつもりはない*6。特に理解力の乏しい私にと
    って,「出来た」「わかった」などの気持ちを早くから味わえたことは,学習
    に対する真摯な姿勢を生み,また,自信にもなった。これは幼児教育において,
    ひいては教育全体において大切なことではないかと,私は素人目に考えている。
    「できない」「わからない」と思ってから慌てて対策してももう遅い。わかるこ
    との喜びを知っていれば,決して勉強を嫌いになったりはしないはずである。


    しかし,ともちゃんとも話した通り,すべてはその子どもの適性に合わせるべ
    きだろう。私は自分が大いに公文式のお世話になっているので,出来れば自分
    の子どもにもやらせたいと考えてはいるが,もしやってみて,自分の子どもに
    合わないようなら無理にやらせる必要はないだろう。しかし,公文式に限らず
    だが,よく知りもしないで「どうせ役に立たない」とか「子どもに合わない」
    などと言ってやらせないのは良くないと思う。結局,その点は親の好き嫌いに
    よるのであろうが。


    私が幼児期から今までずっと考えていたことを成文化してみた。今後,幼児教
    育に対しても公文式に対しても,風当たりの強さが改善されるようには,現時
    点ではとても思えないから,これは私の独り言になるのだろう。まぁ,それな
    らそれで,別に構わないが。


    *1:昔から友達にも誤解を受けていたので,いちいち腹を立てていたらキリがない。
    *2:先生のお嬢さんはM音大だった
    *3:公文式は先取り学習としてやるものであって,高校に入ってまでやるもので
    はない,という先生の考えにより
    *4:公文式トランス状態,とでも言おうか
    *5:現に苦手な数学でも「2完」できたし
    *6:だから私に公文式の悪口を言ったところで無駄なのです。


    http://d.hatena.ne.jp/Mephistopheles/20051207





    だから私に公文式の悪口を言ったところで無駄なのです。

  3. 【1507752】 投稿者: エートス  (ID:t6eyexoBgAA) 投稿日時:2009年 11月 16日 13:40

    この大学院生のブログをよんで、東大に入り一応勝ち組なのに、こんなに言われるというか彼女が感じている風当たりというものは強いのか・・・と改めて思った。


    東大に入った成功を持っているのに??
    公文をやること、それも幼児からとは目立つことなのだろうか?
    そんなに、批判というか風当たりをうけなくてはいけないのだろうか・・・と素朴に思った。
    これを読んで、私なんか「素晴らしい、すごい」と思うだけなのだが・・・。



    >就学してからは「Mちゃんは天才だからね」「頭の出来が違うからね」などと
    >言われた。それが好意ではないことを私は知っていた。美辞麗句を並べ立てる
    >周りの大人の目は笑ってはいなかった。人に先んじて,成績のよさをひけらか
    >して,そんなに楽しいか,彼らの目はそう語っていた。勉強することは悪いこ
    >とだ,子供らしくないことだと言わんばかりだった。
    これは、捉え方の問題ではないの?と思う。
    自分が公文の優秀児の経験がないのでわからないといえばわからないが、本心から言っていた大人もいるはずだと思うが。
    田舎だからか。
    本人にとっては、一人や二人でもいたらアウトということだろう。
    プログだから本人の感じかたであり、またウソなど書かないであろうから、余計なお世話でしょうが。




    >中学に上がる頃にはもっ
    >とはっきり言われるようになった。全く関係ない人から「公文なんて役に立た
    >ないわよ」とか「いい塾を紹介してあげるわ」とか言われたことが何度あった
    >か。
    これは、出来るお子さんだからでしょうね。
    公文を完全に否定しているとは限らない。公文よりもっとよいものをと考えているでしょうから。



    公文をしなくとも東大に入った子供は、公文と同じように又はそれ以上に努力しているのでしょうに、公文は風当たりが強いですね(笑)
    目立つ何かがあるのでしょうか?
    いじめられっこなのでしょうか?公文は・・・?
    飛び級などない日本の教育観よるものか?
    足並みそろえる間違った平等観からか?
    そんな日本だから、賞賛どころか、それは優秀税なのかもね。

  4. 【1507814】 投稿者: さくら  (ID:qqHx4qMwEbs) 投稿日時:2009年 11月 16日 14:27

    ココさん、じゃい子さん

    ありがとうございます。
    お二人のお話は楽しみ読ませていただいています。



    なるさん

    おや、戻った。
    うむうむ頷きながら、読む生活がいいよ。わたしは(笑)



    エートスさん

    私は
    >誤解の背後には,公文式の商売色の強さもあるかもしれない。
    じゃないかと思うのだけどな。
    あと、地方は結構凄いと思います。
    公文だけではなく、ちょっと目立つ事をするとそういう傾向は強いのではないでしょうか。

    >公文をやること、それも幼児からとは目立つことなのだろうか?
    目立ちます。
    良くも悪くも。
    ちなみに、今2年生がかけ算をしているのですが、
    「○ちゃん公文だから早いのね〜」的な噂話が親の間でもあります(聞いちゃった)
    他の方法で終了しているお子さんも多いのですけど、何故か公文は目立ちます。

  5. 【1507876】 投稿者: なる  (ID:MKeeG.WdvUk) 投稿日時:2009年 11月 16日 15:24

    エートスさん
    さくらさん


    今までどおり、地味に威圧的に進行中でございます。(笑)


    公文式の教室に行って、高進度になって目立ってしまうと
    いうことは、それはそれで「面倒な」ことなのでしょう。


    あまりにそんな事が繰り返されると、被害妄想が増幅されて
    周囲の心からの賞賛も喜べない心理に追いやられるのかもしれない。
    とにかく彼女は大学生にもなってまで、そんなことを書き
    綴るほど、強い想いを持ってしまったということ。


    公文を取り巻く様々な人々が織り成す、複合的な要素が
    絡まる構造的な問題で原因は一つに特定できません。
    「子の教育」という極めてセンシティブな事柄でもあります
    から、「強い想い」を伴うことも…。
    日本のにおける「新興宗教」を取り巻く現象とかなり近い部分も
    あるかもしれない。


    永続的な学習行為自体が信仰(祈り)と同じく、ある種の
    価値感を伴った「エートス(心的態度)」なんだから。(笑)

  6. 【1507985】 投稿者: アンダンテ  (ID:Is895MsVPKM) 投稿日時:2009年 11月 16日 16:51

    昨日、ホームコンサートが終わって、しばらくぶり(といってもそんなにたってないと思うが)に来てみたらば、なんだかずいぶんいろんなことがあったみたい。すっかり浦島になってしまいました。まとめて読んだんだけど、流れが理解できてません…

    我が家にとって公文というのは、「利用しやすいパッケージ」くらいの位置づけで、必要と思うときに必要と思うだけ学習に使う、というものです。だから、コピペしてもらった学生さんの深いわだかまりについて、興味深く読みました。

    計算も読み書きも、そりゃできないよりできたほうがいいし、それを身に着ける手段はいろいろあるけど、なるべく自分の状況に合うものを使ったほうがいい。公文はその選択肢のひとつ。でも、「読み書きそろばん」だけで大学受験に通ると思う人もいないだろうし、それは別途考えるとして。

    そういう考え方からくると、ちっともウェットな気分にならないわけで、もちろん我が家にとって公文はちゃんと役に立っている(モトはその都度取れている)のだけれども、たぶん、公文のもっと本質的な魅力・価値というものには触れていないのだろうと想像します。

    この学生さんがおっしゃるように、公文から得られるものの本質(そして大学受験にも大いに役立つもの)が
    > 何においても諦めないこと。真摯に取り組むこと。まずは,
    > 自分でやってみること。物事に取り組む基本的な姿勢を教え
    > てくれたのが公文式であった。
    であるとすれば、公文のプリントは単なる「技術(読み書きそろばん)」を伝達するものではなくて、たんたんと毎日そのプリントに取り組むという「祈り」にも似た行為を通して、「道」を究めていくようなものなのかと。

    であるからこそ、公文に合う人にとっては「信じるに足るもの」「(一歩進んで)布教したくなるもの」であり、一方、体験していない人、あるいは体験して合わなかった人からしてみれば気持ち悪い、不気味。

    公文体験がそのようなものなら、公文高校教材によって、大学受験数学で必要な力のどのへんまでをカバーしているのかというようなことはぜんぜん問題になりません。なにしろ、「公文道」を身に着けたことによって、自学自習能力という、メタな学習を遂げたわけですからね。

    しばらく前に公文で配布されたプリントに、公文の先輩の講演記録がありました。なんでも、うちの子どもが通う教室に小さいころから通って、まず四年までは公文、それから中学受験をするといって公文をやめて、ほぼ塾なしで(自習のみ)開成と筑駒に合格。中学から公文を再開して最終教材までいって、今度は東大理科一類合格、だったかな(細かいところはうろおぼえ)。

    もちろんこのすばらしい事例は、「本人の資質が高いこと」、「その資質が公文に向いていたこと」、「公文という学習方法の特長」、このすべてが合わさって初めて実現したもの。「公文という学習方法の特長」を宣伝したい公文がこのような事例を広告塔として持ち出したい気持ちはとてもよくわかりますが、その際に前二つのポイントを意図的に弱めて、公文道を信じてついていって、膨大な時間とお金を捧げれば、誰でもそういった境地に達するかのようなミスリードをしたいのがみえみえ。

    そういった宣伝の仕方をされれば引くし、そのうさんくささを強く感じた人の中には、そういった優秀児に捻じ曲がった言葉をかける人もいるのでしょうね。

    私は、私の視点からですが公文が好きですから、公文自体がもっと、それぞれの資質を持つ子どもがどのように公文を利用すると伸びるのか(あるいは伸びないのか)を積極的に明らかにしてほしいですね。

  7. 【1507996】 投稿者: アンダンテ  (ID:Is895MsVPKM) 投稿日時:2009年 11月 16日 17:03

    連投すみません。

    自分で書いたものを読み返して、おかしなことを書いたことに気づきました。ふつう、日能研だってサピックスだって早稲アカだって、
    ・もともとの能力が高い
    ・自分のところの勉強方法に合っている
    という成功事例を広告塔としてブチ上げて、この二つの条件については黙っていますよね。

    営利企業なのだから、そんなこと当たり前で、塾ならあからさまにミスリードさせる意図を持った宣伝うってても、いまさらなんとも思わないし、消費者がしっかり自分にあったものを選ぶしかないと思ってますよね。

    なら、なんで公文だけ「ちょっと」気になるんだろう…ぅぅぅ。

    強いていえば、塾がどんなにそういう宣伝を打っても、
    ・もともとの能力が高い
    ・自分のところの勉強方法に合っている
    ような子しかそんな成功事例にはならないってことが誰の目にも明らかなのと比べると、公文の、少なくとも入り口は「やれば誰でもできる」プリントの連続というものが、ふと「夢」「妄想」を持たせてしまうからなんだろうか…

    よくわかりません。もうちょっと考えてみます。

  8. 【1508071】 投稿者: なる  (ID:MKeeG.WdvUk) 投稿日時:2009年 11月 16日 17:57

    アンダンテさん



    お久しぶりで~す。


    >コピペしてもらった学生さんの深いわだかまりについて、興味深く読みました。


    ありがとう。前スレのずーと深いところにコピペして
    あったのだけれど、公文を取り巻く人々のメンタリティを
    考えるときに、いつも思い浮かぶブログです。
    新スレを立てるときに、この文章からはじめようと思ってた。
    読んでもらうと、皆さんそれぞれのご感想をいただける
    想いの詰まった文章ですよね。
    ウェットな公文な人はかなり共感しちゃう…。(笑)


    >公文に合う人にとっては「信じるに足るもの」「(一歩進んで)布教したくなるもの」
    >であり、一方、体験していない人、あるいは体験して合わなかった人からしてみれば
    >気持ち悪い、不気味。


    そうなんですよね。
    (不可解な当スレを含む)「公文式エバンジェリズム」が
    「反感の火花」に油を注いでしまっているということも
    この構造的問題の一部なの。

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