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【1434032】「開成」と「逗子開成」

投稿者: ガンバルカン   (ID:7v9f5lBv05Q) 投稿日時:2009年 09月 18日 22:04

「開成」と「逗子開成」とは何か関係があるのでしょうか?
姉妹提携とかそういったものがあるのかと想像していますが、ただ名前が被っているだけ?

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  1. 【1434055】 投稿者: パパはなんでも知っている  (ID:B.wBlSCUtgs) 投稿日時:2009年 09月 18日 22:21

    昔、昔、そのまた昔、開成太郎君と逗子開成花子ちゃんは深い恋愛関係にあったそうじゃ。
    今は小島よしおが「そんなの関係ねぇ」と言っています。
    冗談はさておき、お問い合わせの件につきましては、逗子開成のHPに書いてありますよ(笑)

  2. 【1434060】 投稿者: 確か・・・  (ID:LA8j1u/1vv2) 投稿日時:2009年 09月 18日 22:28

    遥か昔・・・(ウン十年前)に分かれた学校だと思います。
    一応兄弟校ではないでしょうか。昔、開成で健康がすぐれなかったりする子弟がいたので(当時は結核とかもありましたものね)、療養地である逗子に分校?を開設したかと思います。

    当時は健康を害すると逗子開成に移りそこで療養しつつ勉強に励み、健康が回復すると東京の開成に戻ったりし、交流もあったようですが、現在は完全に別校かと存じます。

    大宮開成は始めて聞きました。ここは開成と関係あるのでしょうか?それとも名前がかぶっているだけなのでしょうか??

  3. 【1434092】 投稿者: 関係あり  (ID:75aa0WQYMnc) 投稿日時:2009年 09月 18日 22:52

    開成と逗子開成はその設立時には関係あったとききました。そもそも横須賀あたりの海軍関係者の子弟の通う学校がなく、開成に要請して開設したとか何とか・・・だから関係はあります。校章も似てますよね。本家本元の開成は「ペンと剣」、逗子開成はペンと剣の図案の上に桜の花がのってます。
    学校説明会に行った折にそんな説明を聞いたような気がします。
     大宮開成はまったく関係ないそうですよ。

  4. 【1434130】 投稿者: ウィキで解決!  (ID:z6VQQOk.XuE) 投稿日時:2009年 09月 18日 23:26

    「逗子開成」はもともと「第二開成」だったとか。以下ウィキでご確認を。


    そいえば「逗子開成」では火だね(内紛)を抱えていると人づてに聞いことがあります。真偽のほどは定かではありませんが、それがもとで、在京私大が高校大学連携教育のターゲットから外す傾向にあると。これも噂に過ぎませんが。ご存知の方いらしたら、ご教示ください。


    歴史 [編集]
    1903年、東京・西日暮里にある開成中学校の分校第二開成中学校として設立された。大日本帝国海軍による横須賀海軍鎮守府の軍人の子弟教育の要請を受けてのことであった。本校の生徒のうち、学業についていけない者や、体が弱く大自然のなかでの療養が必要だとされた者は、第二開成中学校に一時的に転校させられたケースも多かった。1909年、独立組織となり逗子開成中学校に改名する。


    ボート遭難事故 [編集]
    改名翌年の1910年1月23日、休日に無断で学校所有のボートを海に出した生徒ら12人が七里ヶ浜沖で遭難し、全員死亡する事故が発生した。この事故の補償のため、当時経営母体が同一であった鎌倉女学院が所有地を売却するなどした。遭難地点に近い稲村ヶ崎には、現在慰霊碑がたてられている。


    戦前・戦中期 [編集]
    太平洋戦争前は退役した帝国海軍将官が校長を歴任したため、学年を「中隊」・学級を「小隊」と改称したり、「振武隊」と称する楽隊(現在の吹奏楽部)を作って軍艦行進曲を演奏させるなど、校風はきわめて軍隊調となっていった。これらの海軍寄りの校風から卒業後の進路として海軍兵学校を志す者も多く、敗戦を迎えるまでの逗子開成は、半ば海軍兵学校の予備校的存在となっていた。


    戦後 [編集]
    戦後は帝国海軍の消滅に伴ってエリート養成校としての地位を失う。組合員の不当解雇を巡って訴訟に発展するなど経営側と教職員組合との間で労働争議が頻発、これに嫌気がさした生徒会が同盟休校を宣言するなど、校内の風紀は次第に荒廃してゆく。1973年には志願者減少により中等部の募集が停止された。


    八方尾根遭難事故 [編集]
    1980年の12月、冬休みを利用して顧問教師の引率のもと長野県の八方尾根に登山に向かった山岳部の生徒5名が消息を絶つ事故が発生。雪が解けた翌年の5月に、生徒と引率の教師の6名全員が遺体で発見された。この登山はメンバーこそ学校の山岳部員と顧問教師であったが、顧問教師が学校側に部活動として登山旅行する事を届け出ていなかったため、学校側は管理責任を否定し遺族からの賠償要求を拒絶した。この学校側の対応に憤慨した遺族は学校を相手取って民事訴訟を起こし、泥沼の法廷闘争に発展した。
    八方尾根裁判を巡って、経営陣や教職員も含め校内の意見は二分し、1980年代初頭には学校運営が大きく傾きかけた。しかし、卒業生でもある徳間書店社長・徳間康快が、事態収拾と母校再建のため経営に参入。徳間書店の財力を背景に理事会での主導権を握った徳間は、八方尾根問題の早期解決を主張した。これにより理事会は裁判所の和解勧告受け入れを決定し、学校側の管理責任を認め遺族と和解した。


    近年 [編集]
    その後、旧経営陣を一掃し自ら理事長兼校長となった徳間の下で、中等部再設置を軸に種々の改革が行われた。1985年の募集再開から、徐々に6ヵ年コース生徒の割合を増やして中高一貫教育によるエリート化が図られ、ついに2003年からは3ヵ年コースの募集が廃止された。これにより、横浜南部から湘南・三浦半島にかけた地区でも有数の大学進学校へ成長を遂げた。徳間はこの他にも、後述のような立地を活かした「海洋教育」や、名作映画による情操育成を目的とする「映像教育」などを推進し、2000年に没するまで理事長職に留まり母校の再興に尽力した。


    2003年に創立百周年を迎えるのに際して、1990年代末から大規模な校内の改装工事が行われ、校舎改造・新プール建設・全館冷暖房設置・敷地周囲の塀撤去など、施設の充実が図られた(ちなみに、1984年までは校内に暖房すら設置されていなかった)。


    年表 [編集]
    1903年(明治36) - 私立東京開成中学校の分校として、第二開成学校を開校(4月)。現在地に移転(9月)。 


    1904年(明治37) - 中学校として正式認可を受ける(5月) 


    1907年(明治40) - 東京開成中学校から独立、私立逗子開成中学校と改称(7月) 


    1910年(明治43) 
    1月 七里ヶ浜沖でボート遭難事故  
    2月 追悼法会で鎌倉女学校生徒により「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の嶺)」が歌われる


    1916年(大正5)
    10月 校歌制定(作詞:井上司朗 作曲:弘田龍太郎)


    1928年(昭和3) - 校章のペン・剣の交叉の上の「二」を「桜花」にを改める(4月)


    1931年(昭和6) - 学校を財団法人化(12月)


    1932年(昭和7) - 創立30周年記念式典(5月)


    1947年(昭和22) - 財団法人逗子開成学園と改称し、新制逗子開成中学校設置(4月)


    1948年(昭和23) - 新制逗子開成高等学校設置(4月)


    1951年(昭和26) - 3月 財団法人から学校法人へと改組


    1953年(昭和28) - 定時制高等学校を新設(1967年廃止)(2月)。創立50周年記念式典(10月)


    1963年(昭和38) - 創立60周年記念式典(11月)


    1973年(昭和48) - 中学校生徒の募集中止決定(1月)。創立70周年記念式典(11月)


    1980年(昭和55) - 山岳部部員5名と顧問教諭1名、北アルプス八方尾根で遭難(12月)


    1984年(昭和59) - 八方尾根遭難者の合同慰霊祭(4月)


    1986年(昭和61) - 中学校再開 中学・高校の校章を「ペンと剣と桜花」に統一(4月)


    1989年(平成元) - 三学期制を二学期制に変更(4月)


    1993年(平成5) - 創立90周年記念式典(4月)


    1998年(平成10) - 週5日制実施(4月)


    2003年(平成15) - 高等学校入学者募集停止(3月)。創立100周年記念式(4月)。第1回アメリカ合衆国長期留学開始(8月)


    2006年(平成18) - 古くなった校舎3棟(理科棟・芸術棟・K++棟)を改修。旧理科棟がメディア棟に、旧芸術棟が理科棟に、旧K++棟が芸術棟にそれぞれ用途変更された。


    特徴 [編集]
    中等部再開から1990年代半ばくらいまでは、卒業後に専門学校や短期大学へ進む者、進学せず就職する者なども見られた。しかし、大学進学を第一目標に掲げる学校運営を推進し続け、入学生の学力レベルが公立高校の滑り止め程度であった高校3ヵ年コースを縮小・廃止したことにより、現在では生徒のほぼ全員が4年制大学への進学を志望し、早慶上智などの難関私大や国公立大学の合格率も年々増え続けている。

  5. 【4594351】 投稿者: 騙されるな!やっぱ勘違いさせてる!  (ID:.MDeq3nZWx6) 投稿日時:2017年 05月 31日 23:23

    個人的には悪質だと思います。

    開成の本家、つまり最初に開成という学校を作ったのは日本国で東大の前身の『開成学校』です。

    それをどさくさに紛れて自分たちが本家のように振る舞う私立の学校が出てきて日本中で混乱を生じてきました。

    こういう出自に関することは有耶無耶にしてはなりません。

    旧東大以外の開成はすべてパクり(真似っこ)、もっと良い言い方をするなら、東大にあやかって拝借しているに過ぎません。

    それを本家のごとく振る舞うのは、本当の意味では、紳士的ではなく、卑しいことかもしれません。

    ここではどこの学校だ!とは言いません。
    まぎらわしい名前をやめて、正しい教育機関としての務めを果たしてほしいです。

    東大にたくさん受かれば、特別!
    最初に真似したのだから特別!
    他の学校は紛らわしい名前にするな!

    もしそんな考えだと言うのなら、歴史を歪めるどこかの悪い国と同じように思います。

    謙虚、、、素晴らしい日本語が我が国にはありますね。

  6. 【4594357】 投稿者: 悪くありません。  (ID:.MDeq3nZWx6) 投稿日時:2017年 05月 31日 23:29

    つまり大宮開成は全く悪くありませんし、むしろ被害者です。

    きちんと大宮、とつけていますから。
    仮に、地名をつけずに開成という名前をさも当然のやうに使っている学校があったとするならばそちらの方の常識を私は疑います。

    大宮開成も、今後新たにできるような◯◯開成高校があっても、謙虚に名乗るのならば、本家『開成学校』の重みを受け継いでいる名門です。
    それが正しい開成をめぐる解釈ではないでしょうか?

  7. 【4594386】 投稿者: 大宮はなぜ?  (ID:C6pB2Xxv0Fk) 投稿日時:2017年 06月 01日 00:02

    ウィキ
    大宮開成中学・高等学校(おおみやかいせいちゅうがく・こうとうがっこう)は、埼玉県さいたま市大宮区に所在する私立中学校・高等学校。高校募集の高等部と中学募集の中高一貫部があり、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では、3年間別クラスになる併設型中高一貫校[1]。 東京都荒川区西日暮里の開成中学校・高等学校とは全く関係が無い。

    なぜ大宮「開成」と付けたのか?
    被害者? 笑

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