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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【4977140】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:9HkhpuqEUw2) 投稿日時:2018年 04月 29日 06:34

    教えて下さい。 (ID:JaG/wPSVRx2) さん


    >八百比丘尼の話は知っています。新潟県が発祥だとか。ウィキの引用ですが、伝承地は新潟、福井、岐阜と北陸地方寄りのような感じがします。不老不死は元は中国の何とかいう皇帝が望んだものだとか。思想の影響があるのでしょうか?

    秦の始皇帝ですね。思想の影響となれば、ご指摘の北陸寄りの伝承ルートを前提に考えると、徐福伝説なども関わってくる気がいたしますが(福井県の八百比丘尼の伝承には「白い顎髭を蓄えた老人」も登場したような記憶が)、、 でも、伝承時期の端緒は鎌倉時代からではなかったでしたっけ? 

    >ヨーロッパ文学の話も興味深く、日本だと谷崎、太宰も影響を受けているとお考えですか?

    申し訳ないが、文学についてはそれほど知見がありません。
    太宰治が「人魚」をテーマにした短編を著していることは存じていますが、わたしは読んでいません。
    ただ推測ですが「人魚」というテーマに絞れば、ヨーロッパ文学の影響というより翻案である可能性が高いような気がいたします(原書は分かりませんが)。
    総じてこの辺りの話は、わたしより詳しい方が大勢いらっしゃるはずですので、ご登場をお待ち申し上げるということでご容赦願います。

  2. 【4978063】 投稿者: 教えてください。  (ID:yFjA7FAefEg) 投稿日時:2018年 04月 30日 05:15

    冷静にかんがえるとさん
    私も詳しくないのでちょっと調べてみました。
    太宰のは「人魚の海」で、冷静にかんがえるとさんのいう通り、井原西鶴の「命とらるる人魚の海」の翻案(この言葉、しりませんでした!)だという評価がされているようです。
    教えて頂き、有難うございました。

  3. 【4984394】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:ZA7J8yuPuAI) 投稿日時:2018年 05月 06日 11:19

    今年のGW.は5月1日、2日と休めば10日間近い休日取得が可能、わたしもこれを利用して1日より妻の実家がある豪州に遊んできた。
    QLD州の州都ブリスベンから一時間ほど車で下ったところに、日本人にも馴染みのあるゴールド・コーストという観光地があるが、その中心部のサーファーズ・パラダイス。
    高校時代にホームステイでお世話になったホスト・ファミリーと夕食を囲み、シーフードに舌鼓を打つ。かつてネラング川辺にルーマニア出身オーナーの店があったはずだが、仄聞したところここは閉店して久しいらしい。歴史の話で何度か言及した宗教・歴史学者M.エリアーデに興味をもつきっかけを与えてくれたのだが、、

    思い出したのが、そのオーナーは日記を欠かさず付けていたこと。チャウシェスク政権下だった彼の国でそれが可能か否かは分からないが、渡豪後は少なくとも毎日つけていた(はず)。
    彼が移民者として受けた諸々の被差別、レストラン開業までの苦悩や、あるいは当地Chamber of commerceの重鎮にまで上り詰めた軌跡が余すことなく綴られ、私費出版されてから一部のメンバーに配布されたらしい。
    わたしも何とか入手できぬものかと伝手を辿ってみたが駄目であった。もしかしたら東欧革命までの赤裸々な一市民の声に接することが可能だったことを考えると、貴重な歴史の記録として逃した魚は大きかった気分。

    さて過日、奈良の正倉院保管の出挙文書が公開され、話題を呼んでいるらしい(朝日デジタル、5/2付)。
    「月借銭解」、いわゆる借用証書で、奈良時代の下級役人が造東大寺宮の写経所に提出した100通余りの文書の一部である。月金利が15%だったとは驚愕だが、債務者のほとんどが写経生であったとのこと。おそらく布施を得るまでの当座しのぎで借金を余儀なくされたか、上官よりの要請であったかのどちらか。当時の下級役人の「苦悩」が垣間見えるようで興味深い。
    ところで都城の経済活動や流通史、あるいは債務史といった分野で、件(くだん)の古文書は貴重な資料価値があるとのこと。言うまでもなくそれが保存原書で、これら分野の研究も相当の蓄積を有する。やはり後世に残す記録というものは、それが真正であればあるほど正しい歴史を伝えるといった意味で、現代の我々は、少なくとも公の記録というものにもう少し責任を持つ必要があろう。

    我々のこの時代が「古(いにしえ)」と呼ばれる頃、あるいはその時代の研究者のひとりが改ざんされた「古文書」を見破り、この時代にはこのようなことが公然と行われていたと「勘違いされ」てはたまったものではない。
    後世に顔向けができないとは、まさにこのことである。

  4. 【4997004】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:Q9FJ5Zj5eJI) 投稿日時:2018年 05月 17日 20:50

    「地位(ポスト)が人を育てる」とは人事経験者であれば一度は聞く言葉だが、(些か不敬なれど)「地位が人を変え、環境が人を慣れさせる」となれば当に的を射たショットであった。
    美智子皇后陛下並びに雅子妃殿下の日本赤十字全国大会(5月16日)出席のお写真(ANN NEWS配信)である。久々に雅子妃殿下の満面の笑顔ともいうべきご尊顔を拝見した思いだった。来年度以降、名誉総裁職が引き継がれるとのこと。

    日本赤十字社といえば、最近では虎ノ門、六本木ヒルズのライトアップがあったなあと思い確認したところ、2016年から毎年5月8日を目処に、全国の主なランドマークでレッド・ライトアップを実施しているらしい。北は五稜郭タワー、南は宮崎県庁に至るまで40施設以上、その中にはあの富岡製糸場(群馬県)も含まれている。養蚕業の近代化は確か明治以降だったと思うが、農業と並びその重要性は食の五穀と共に記紀にも記述があることからも想像し得る。あるいは17条憲法でもよい、農桑の時期(春~秋)には民を使うべからず、とある(16条、「桑」は養蚕)。

    さて養蚕業もまた我が国の産業、文化を語るに外せぬところだが、皇室の伝統行事として明治以降、歴代皇后に引き継がれてきた御養蚕の諸儀式も、来年度以降、雅子妃殿下に引き継がれていくとのこと(朝日デジタル、5月13日付)。
    その地位を取り巻く環境に慣れて頂くことが、雅子妃殿下にとってまずは最良であると信じたい。
    冒頭述べたショットのようなご尊顔ををいつでも拝見できることを、国民のひとりとして願ってやまない。

  5. 【5000182】 投稿者: ちはやふる  (ID:SX8OwEpbVr6) 投稿日時:2018年 05月 20日 16:56

    冷静にかんがえるとさま、ご無沙汰しております。
    お教え頂いた雅子様のお写真、素敵な笑顔でらっしゃいますね。歴代皇后の皆様が携わってこられた養蚕は、今回、雅子様から引き継ぎのお申し出をされたようです。
    親戚が長野県の方におりますが、以前は養蚕業王国で、大伯母などは「オカイコ様」と言っていたと思います。

    日本書紀にも記載があるとすれば、日本の伝統産業として、歴史の古いものですね。外来か元々の日本古来のものか、ひじょうに興味がございます。

  6. 【5006104】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:aS/Vk2XulL2) 投稿日時:2018年 05月 26日 12:48

    ちはやふる さん、お久しぶりです。
    大学の方は落ち着かれましたか?

    10数年ほど前だったと思いますが、桜井市の纏向遺跡でベニバナ花粉の出土が話題になりましたね。その量からおそらく染料として用いられたという見方が主流。卑弥呼と魏との交易でも絹が扱われていたことは、魏志倭人伝にも記載があります。
    但し、ベニバナ自体は我が国で自生しているものではなく、染色技術は大陸より技術職人とともに伝わったとされています。

    もともと蚕にはクヌギやナラの葉を食す「天蚕」と称されるもの、桑の葉しか食さない「家蚕」と称されるものの二種類があるとのことで、前者は我が国原産の野生種、後者は大陸より持ち込まれたものだそうです。
    いわゆる養蚕に用いられているのは概ね後者の家蚕で白色の繭を作るとのこと。

    確認してみないと分かりませんが、古事記上巻の五穀の起源では「桑」についての記述はなかったはずで、その記述が登場するのは書紀の方。おそらく製糸自体は古墳時代頃まで我が国では天蚕を用いて為されていたと考えられ、大陸より染色技術とともに家蚕が持ち込まれ、桑のみでの飼育が可能ゆえに天蚕に取って代わったという流れではないでしょうか。

    皇居にて執り行われる養蚕の諸儀式で用いられるのは、我が国原産の天蚕。日本古来の技術継承と言ってよいと思います。

  7. 【5007546】 投稿者: ちはやふる  (ID:YfvUQkc4Lvs) 投稿日時:2018年 05月 27日 21:36

    冷静にかんがえると様
    いつもいつもありがとうございます。
    はい、大学の方もだいぶ落ち着き、今は図書館通いの毎日です。
    天蚕が原産のものなんですね?昭和初期ごろ、ヨーロッパの養蚕が病原菌で大打撃を被ったとき、日本の絹糸は輸出の主力品目までになった、と私も習った記憶がございます。でも戦後、廉価な化繊がメジャーになり、絹糸は高価なブランドとなったけど、需要は低迷していったそうです。
    関西の方だかで、このブランド色を見直す動きもあるそうで、日本の伝統産業として、養蚕が復活することがあるかしら?
    私はシルクとはあまり縁ございませんが、庶民にもシルク・ドレスなど気軽に手が届くようになれば、また夢見ることも出来ます。

  8. 【5011984】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:3Ux6gRJzvy2) 投稿日時:2018年 06月 01日 15:27

    ちはやふる さん、レスありがとうございます。

    伝統産業の復活と言えば、確か熊本県でシルク産業の更盛を目指したプロジェクトが、3年ほど前に始動したという記事を読んだ記憶があります。熊本地震の影響から頓挫したものの、世界最大の養蚕工場(桑園)建設を目指すもので、美容・医療などシルクの持つ可能性を模索して、地方創生に結び付ける戦略プロジェクトの一環とのこと。同様のプロジェクトは「養蚕イノベーション」として、岩手大学が今年、大学発ベンチャーを立ち上げていますね。こちらの方は例の「モスラ」をメイン・キャラクターに用いることで、東宝の賛同も得ているとか。
    両県に共通しているのは、大地震に見舞われ打撃を被った地域経済の再生を試みようと模索していること。規模でも関連商品でも唯一無二の特色を産み出してほしいと切に願うところ、その特色がいわゆる「ブランド」となるのですから。

    もっとも昨今、その「ブランド」という言葉自体が今年の流行語大賞にでもなりそうな扱い。欧州史にお詳しいちはやふるさんはご存じだろうが、元は北欧辺りの放牧民が用いた焼印が語源。本来は差別化程度の意味合いしか持たぬ言葉ゆえ、「下がったり上がったり」するものではないことは自明。言葉の使い方ひとつで他者の感情に影響を及ぼすことを考えると、公の場で使用するにも軽率に用いるべきではない、と、、これは余談でした。

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