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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【5078187】 投稿者: ちはやふる  (ID:NV.7a6IL4VA) 投稿日時:2018年 08月 07日 20:10

    冷静にかんがえると様

    お話、興味深く拝読しました。
    仰る通り、「明治維新150年」というのは、変な言い方ですね。私も確認しましたが、政府機関は「明治150年」としているようです。
    何年か前ですが、NHK大河ドラマで、吉田松陰をテーマにしていたことを、思い出して、幕末志士たちの、精神的支柱と言われた彼の思想が、どのようなものだったかを知りたいと思いました。
    明日は台風で外出は控えますが、今週末に大学に行きますので、帰りがけにでも、書店を覗いてみたいと思っています。

  2. 【5084908】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:XaMWsvM/QoU) 投稿日時:2018年 08月 14日 15:23

    ちはやふる さん

    地元山口県入りした安倍首相は、党県連挨拶において正式な総裁選出馬表明こそされなかったが、吉田松陰の言葉を引用してその意欲を示したとのこと。
    座右の銘とされる「至誠」も、松陰が好んで使用した言葉らしく(8月8日、日経)、安倍首相が自ら件(くだん)の挨拶で、「長州出身の政治家として・・」と述べられたように、吉田松陰をかなり意識・敬愛されていることは、伺いし得ると思います。

    >吉田松陰

    だからと言うわけではないが、松陰の評価についても様々のところ、一般的には維新志士を数多輩出した「松下村塾」を主宰して維新の精神的支柱となり、正義を貫き「安政の大獄」の犠牲となった偉大な思想家、教育者、といったところでしょうか。ちなみに萩市HP.を見ると、当然ながら吉田松陰を称賛し観光アピールに余念なし。案の定、明治「維新」150周年としていることは言うまでもありません。
    まあ松陰の人物評価をネガティブに捉え、一部論者のように現政権批判へと繋げようとするのも、あまり意味がないような気はいたしますが、、

    それはともかく吉田松陰の「思想」となると、これは膨大な書籍が既刊されていますから、ざっと足跡を辿ってみるだけに留めます。
    二人の叔父、山鹿流兵学師範の吉田大助、松下村塾創設者の玉木文之進は、松陰の後の思想形成に欠くことの出来ぬ存在として都度に指摘されるところ、じっさい松陰は20歳の頃、平戸遊学に際し、山鹿万介に教授を受けています。
    山鹿流兵法学は山鹿素行を流祖とし、一言で言うならば、一般の兵学=戦(自身の身を守る)ことを、統治=文の手法にまで応用させる考え方、と言えるでしょう。両者は同根であり自然の法則に従い臨機応変に為すべきものとします。
    後に水戸学の藤田東湖とともに、松陰が例の「みちのく忠臣蔵(弘前藩主暗殺未遂事件)」にひじょうに興味を持ったことが指摘されていますが、処刑の直接要因たる老中、間部詮勝襲撃計画。つまり「義」の為であれば場合によっては暴力的手段も正当化される。
    彼の「思想」の根源としてここは押さえておく必要があるように思います。
    巷間所謂「長州閥」というものがあるならば、山縣有朋が松陰を「師」と仰いだことも一本の線で繋がる気がいたします。

    話は戻りますが、安倍首相、「長州出身の政治家として・・」云々。
    歴史をご存知だとは思うが、批判者につけ入る隙を与える可能性を考えると、少し言葉を選ばれた方がよかったかも知れません。

    余談ですが、松陰処刑の話に付随して、、
    世田谷の松陰神社の近くに「招き猫」で有名な豪徳寺がありますが、彦根藩井伊家の菩提寺で、大老井伊直弼の墓もここにあります。
    水戸学の藤田東湖とともに松陰がひじょうに興味を有した「みちのく忠臣蔵」。
    歴史の偶然とは本当に面白いものですね。

  3. 【5088295】 投稿者: ちはやふる  (ID:jMPInAL82yk) 投稿日時:2018年 08月 18日 17:51

    冷静にかんがえると様

    詳しいお話を有難うございます。
    松陰神社は私も訪れたことがあるのですが、たいしてゆかりも知らず、勉強になりました。
    歴史で、日米修好通商条約に批判し、老中暗殺の計画を漏らしたため、処刑された、と習った覚えがございます。あるお説ですと、ロシア軍艦に乗り込もうとしたのは、プチャーチン暗殺の計画を持っていたとか。
    冷静にかんがえると様のお話を伺い、奈良本辰也著、「吉田松陰と松下村塾のすべて」を買いました。今、読んでるところです。
    来週から私、ニューヨークに1ヶ月ほど、貧乏旅行の予定でおります。帰国しましたら、また色々とお教え頂ければ幸いです。いつもお聞きするばかりで、申し訳ございません。
    そういえば、例の眞子さまのお相手の方、ニューヨーク留学前に秋篠宮家、ご訪問されるとき、しきたりを破って、東宮御所正門から入ったとか。
    そのようなことが出来るのでしょうか?
    厚かましく、お聞きしてばかりですが、お時間のあるときにでも、お教え頂けませんでしょうか?

  4. 【5090246】 投稿者: 奥都城  (ID:4Mf8mVkTfck) 投稿日時:2018年 08月 20日 20:16

    ご無沙汰しております。
    突然の書き込み、申し訳ありません。

    >しきたりを破って、東宮御所正門から入ったとか。
    そのようなことが出来るのでしょうか?
    (ちはやふる様)

    このニュースを見てとても驚いてしまいました。
    ただ、しきたりとはいえ例外はありますし事情によっては慣例に沿わない場合もあるかと思います。
    このような判断は陛下や皇族方でなく宮内庁職員によるものだとは思いますが
    どのような理由があったのか?まさか忖度のようなもので宮内庁が判断したのかどうか、私には分かりかねますが。。。
    正門を使用した理由を知りたいと思います。
    マスコミや国民の目を避けるためにやむをえずでは理由になりません。

    どのような理由があろうと、たとえマスコミに対してであっても皇室が国民を欺くような行いは失望しかありません。


    ちはやふる様、もう出発なさったのでしょうか?
    ご出発前に書き込もうかどうか迷っているうちに月曜となってしまいました。
    ニューヨークにご旅行とても羨ましいです。
    ご旅行楽しまれて下さいね(^^♪

  5. 【5090747】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:aGG/PuwihJM) 投稿日時:2018年 08月 21日 09:34

    彼の西郷隆盛は、太刀の帯同が許されない江戸城入城に際し、従者を伴っていなかった故、自らこれを捧げ持って城内に立ち進んだという逸話もあるくらい、「しきたり」というものは先人らの営為の積み重ねという重み、それなりの理由があるもの。

    秋篠宮家眞子内親王のお相手がNY.州留学、国際弁護士(?)を目指すというニュースははじめて知りました。もっとも国際弁護士などという資格は元々なく、いわゆる州弁護士として、将来は企業法務をご専門にNY.を拠点として活動されるということなのか、、
    資格を得れば日本国内でも一定の実務経験を経たのち、外国法事務弁護士の登録が出来ますから、多少、活動の場が拡がるとはいえ、今はIT系企業にもインハウスロイヤーがいるご時世。本格的に企業法務を為さるのなら、やはり日本の法曹資格を得てないと厳しいかも。知り合いの弁護士らで米国の州弁護士資格を得た者らは例外なく日本での法曹資格を有していましたね。例えば特許侵害訴訟の案件などは連邦地裁が一審管轄ゆえ、特定州の弁護士資格のみでは中々対応出来ないとのこと。
    まあ、まだ20歳代の方ですから、事情が許されるのなら様々なことに挑戦されるのは良いことではないか、と思います。
    それはともかく、東宮御所正門ですか、、

    許されるか否かはともかく、秋篠宮家ご訪問に際してここを利用することは、異例だといえるでしょう。通常は豊川稲荷脇に通じる東門、巽門の方が利便性が高いはずだが、マスコミ対応か何某の理由があったのでしょう。
    そもそもその折に皇太子ご夫妻、愛子内親王は御所に居られたのでしょうかね?

    さていわゆる皇居、赤坂御用地において○○門と称される場所は数多在るものの、「正門」となるとこれは格別です。
    我が国では桓武朝の平安宮などが好例ですが、正門から左右に翼廊を配し、その先に楼閣を設ける建築様式が一般的でした。おそらく古代中国漢代の都城、洛陽の応天門あるいは長安の承天門などを参考にしたと思われますが、正門はまさしく「外朝との仕切り」だったといえるでしょう。つまり謁見、もしくは接見の儀式用の門として、他の門とは異なる役割を与えられていたと考えられます。単なる通行路とは異なり、権威を示す舞台装置でもあったわけです。
    現在でも皇居正門などは信任状棒呈式の馬車列に用いられますから、これは当時の名残りというのではなく、正門の「しきたり」として現在でも活きているといってよいでしょう。
    東宮御所は迎賓館(赤坂離宮ー旧東宮御所)の造りをみても分かるように、朝堂に接するとまでは言わないものの、やはり格式あるお場所。ましてや天皇・皇后両陛下が将来、お移りになる予定であることを考えれば、未だ納采の儀も済ませていない者を(たとえ正式に婚約者であったとしても)、単なる通行路目的として使用させたことは、やはり「しきたり」を軽んじたと評されても致し方ないことと思われます。

  6. 【5090998】 投稿者: 奥都城  (ID:4Mf8mVkTfck) 投稿日時:2018年 08月 21日 13:56

    冷静にかんがえると様、ありがとうございます。
    ちはやふる様、横入り申し訳ございません。

    >単なる通行路とは異なり、権威を示す舞台装置でもあったわけです。

    仰る通りです、お言葉を拝見して自分の浅はかさを恥ずかしく思います。
    なにが「しきたりにも例外が」でしょうか、私自身が「しきたり」を軽んじる考えを持っている事にショックを受けてしまいました。自分に腹がたってなりません。

    >そもそもその折に皇太子ご夫妻、愛子内親王は御所に居られたのでしょうかね?

    その日は8月4日、敬宮様は英国へ、ご夫妻は甲子園開会式ご臨席の為に関西へお成りでした。。。

  7. 【5093429】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:HybtJwSPqNo) 投稿日時:2018年 08月 23日 19:17

    奥都城 さん、ありがとうございます。

    そうか、、東宮御一家はご不在だったわけですね。
    まあ原則論を言えば皇居、赤坂御所の所有者は国ですから、最終的な判断は警衛当事者たる皇宮警察(警察庁)、更にいえば官邸ということになるのでしょう。
    事前に知らされていたはずですから。

    「しきたり」・・これは重んじるものですから、厳格なルールとは少しニュアンスが異なる。奥都城さんのおっしゃる通り、例外は当然にあるものと思います。
    ただ先にも書いた通り、単なる通行路目的では例外たる理由にはならない、くらいの意味で捉えて頂ければ、うれしく存じます。
    じっさい東宮御所正門は接見以外にも、例えば園遊会招待客の方々が利用されることもあります。

    余談ですが、先に書いた西郷隆盛が太刀を捧げ持って江戸城に入った話。
    それでも、脇差あるいは小太刀は武士の「たしなみ」として帯同は制限されなかった。吉良上野介に打ちかかった浅野内匠頭が用いたのは小太刀でしたっけ?
    城内での不測の事態を防ぐためなら、武具の持ち込みを全面禁止にすればよいものを、やはり例外はあり得ると思います。例の土俵における救命もひとつの例外だったと言えるでしょう。

    そういえば(私事で恐縮乍ら)、学生時代に他大学(都内某有名私立大)の学祭に赴いた際、仏語だか独語で「刃傷、松のお廊下」と題した寸劇を見たことを思い出しました。演じていたのは日本人学生らですが、浅野内匠頭が用いていたのが大太刀で、思わず失笑してしまいました。
    おいおい、外国語も良いけど、日本人なら基本は押さえてくれよってね。一応、最難関といわれる私立大学のひとつなんですけどねえ、、
    我々の世代ですらそうなのですから、無頓着というか、「しきたり」に留意する注意深さは、寂しいことですが、徐々に失われつつあるかもしれませんね、、

  8. 【5094060】 投稿者: 奥都城  (ID:4Mf8mVkTfck) 投稿日時:2018年 08月 24日 14:00

    冷静にかんがえると様、ありがとうございます。

    >ただ先にも書いた通り、単なる通行路目的では例外たる理由にはならない、くらいの意味で捉えて頂ければ、うれしく存じます。 (冷静にかんがえると様)

    「例外」の意味を間違って捉え「しきたり」の重要性を軽んじていた誤りに気付く事が出来ました、ありがとうございます。

    8月4日小室氏の秋篠宮邸訪問時、当初は巽門に警備が配備されていたそうですが
    午後7時を前に突如警備が解除(通常警備を除いて)されたそうです。そのころ小室氏は東宮御所正門を通って秋篠宮邸に入ったと報道されています。
    どの時点で門の使用が変更されたのかわかりませんが
    宮内庁がマスコミの目を避ける為に指示したことで間違いないでしょう。

    東宮御所正門は皇太子ご一家のご友人方が東宮御所へ入る時にも利用されますので、冷静にかんがえると様がご指摘下さった通りこれも例外と言えると思います。
    けれど小室氏の場合はマスコミの目を逃れる為であってそれは「例外」とは言えず。言い方は悪いですが下手な小細工でしきたりを軽んじ国民を欺く行為を許可した宮内庁に幻滅してしまいます。
    今回の事、秋篠宮家ではどのように考えておられるのか知りたいと思っています。

    しきたりや伝統が守られてきたのにはそれぞれ理由があって
    それを軽んじてしまう事は皇室の存在が危ぶまれる事態となる可能性もあり
    宮内庁がそんなことではあかんやないかと、開いた口が塞がらない状態です。

    >我々の世代ですらそうなのですから、無頓着というか、「しきたり」に留意する注意深さは、寂しいことですが、徐々に失われつつあるかもしれませんね、、

    私も私事で恐縮ですが学生時代に少しお茶をしておりましたので
    テレビや何かで茶道をやっていると懐かしく拝見してしまいます。
    ところがテレビドラマなどの茶道の場面で先生が腕時計をしてお点前をしているシーンを見かけびっくりする事がたまにあります(・□・;)

    それまでに作法を知らないのは仕方がありませんが、無勉強のままでは困りますよね。知らないのは恥ではありませんが、知ろうとしないままなのは駄目だと思います。
    某大学の「刃傷、松のお廊下」は残念ですが
    一つ擁護するなら、小道具である刀が舞台から観客に分かりやすい様に
    大太刀にしたのかもしれませんね。。。。(汗)

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