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投稿者: イチゴ (ID:tcAcJtHFyO.) 投稿日時:2017年 11月 14日 19:14
今、自殺関連の事件が世間を賑わせています。
私は40代主婦です。
小さい頃から、できが悪く取り柄もなく、ただなんとなく生きてきました。
特に高校卒業してから旦那と出会うまでの8年くらい、本当に思い出したくないくらい暗黒の時期を過ごしました。
仕事もプライベートも何一つうまくいかなかった。
打破する事もできたろうに、あの頃の私にはそんな気力もなかったです。
当時やってたドラマのなかで「死ぬほど辛いわけではないけれど」ってフレーズがあって、まさしくそんな感じでした。
私には自殺する勇気もなく、ただただ毎日を過ごしてました。
今の時代のようにSNSもなかったから、悩みを打ち明ける場所が無いかわりに、弱った心に入り込むものが身近に無かったのが救いだったなと今になり思います。もし、あの頃の自分が今の時代に生きていたら、どうなっていたか分かりません。
自殺はいけないことって良く分かってます。
でも、とんでもなく辛いと、誰にも相談できない、話す気力もなくなります。
もし、死ぬことで楽になれるって思いに駆られてしまったとき、黒い手が差しのべられたら、その手を掴んでしまうのではないかと。
私は、本当にありがたいことに旦那と出会うことができ、生きてていいんだなーって思え、今があります。
気持ちが落ちてるときって本当に普通では考えられない思考回路です。
この問題って、なかなか難しい問題です。
ただどんなしょうもない悩みも、人が聞いたらなんて事の無い悩みも、「そんな事、どってこと無いって!前向きに!」って言われず聞いてくれる人なり場所がみんなの身近にあったら救われる人、いるんじゃないかなと思います。
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【4774527】 投稿者: 私の場合 (ID:zmM2r0tF3Ao) 投稿日時:2017年 11月 15日 07:45
子ども時代、青年期の辛い体験が、心の隙を作り、
大人になってからいろいろ悪いことにつながりましたが、
子どもたちだけは、しっかりと育ちました。
逆にこれだけしっかり育ったら、私はもういらないかな…と思ったら、
生きている価値がわからなくなりました。
今、高齢社会が問題になっていますが、
本当に深刻になるのは、私たち40代が高齢者になった時。
早く、〇ななきゃ。
子育てが終わったあとのおばさんなんて、社会にとっては何の価値もない、
ただの重荷…子どもたちの重荷にはなりたくない…と
考え始めると、
うまくいかなかった時代のことしか思い出せない
毎日〇にたいと思っていましたが、
どうやったら早く〇ねるの、
もうやりたいことは全部やったから、
早く〇にたい…
でも
やっぱり親がじ さ つしたら、子どもの人生は台無しになります。
だから、できない。
でも〇にたいという気持ちがとまらない。
これが、こころの闇であり、隙です。
あんなのにこ ろされたら、、それこそ子どもの人生が台無し…。
だから心の隙を作ってはいけない。
はっとさせられた事件でした。 -
【4774587】 投稿者: スレ主です (ID:tcAcJtHFyO.) 投稿日時:2017年 11月 15日 08:30
私以外にも、「死にたいほどではないけれど」と思われているかたがいるのは、変な話ほっとしています。
今現在、私は心療内科に通っています。
このこの年齢になり、自分の体力や容姿に衰えを感じ、人生に楽しみを感じることもできません。
子どもの事でも色々悩みが多く、毎日何かしでかすんじゃないかと動悸がとまりません。
実両親も義両親も問題山積で、正直なとこ疎遠になりたいと思うくらいです。
これからますます年を取り、希望があるとは思えないです。
早く人生を引退できたらと、結婚する前の感情が沸々と甦ってきています。
でも自殺なんてしてしまったら、夫に迷惑かけてしまうのが嫌で、きっとこのまま行き長らえていくのだと思います。 -
【4774600】 投稿者: 私の場合 (ID:zmM2r0tF3Ao) 投稿日時:2017年 11月 15日 08:38
あまりにマイナス思考で、
悪いことしか考えないのは、
更年期とも関係があるのかな?と思ったりしています。
閉経前後の10年間くらいを更年期というそうです。 -
【4774669】 投稿者: ひかり (ID:hYCDsj.ukO2) 投稿日時:2017年 11月 15日 09:29
40代半ばです。中学生の頃からずっと早くシ ニ たいと思っていましたが主人と出会い交際、結婚し子供が生まれるまではその感情を忘れていました。
しかし子供が生まれ再び早くシ ニ たいと思いながら暮らしています。
でも、現実には不可能なことなので「生きる目的も生きている意味もないけれども生きなければいけないんだ」と思うことにしています。
本音は子を持ちたくはありませんでしたが、二人産んだのでそれで自分がこの世に生を受けたお役目は果たせたのではないか、と自身に言い聞かせています。
お金もないし長生きしたくない。突然死んでもいいように写真、育児日記、過去の手帳など身の周りは既に整理しました。
子供たちの幼少時の写真も、辛い思い出ばかりなので本当は処分したいのですが。これも更年期のせいでしょうか。 -
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【4774693】 投稿者: 更年期かもしれないけど (ID:GbomxgkOWJ6) 投稿日時:2017年 11月 15日 09:48
やはり生育歴が根本にあると思います。
客観的に過酷な状況を経験されたのでは?
でも次世代を残された。辛い環境にも拘らず、二人もお産みになった。誰にでも出来ることではありません。
産み育てることの困難さに、子どもを持たなかった人も居るのです。
素晴らしいと思います。 -
【4775147】 投稿者: ひとりごと。 (ID:F/ec.ncO94.) 投稿日時:2017年 11月 15日 16:20
本当に死のうとしてる人は死にたいって言いません。
お金がない人はお金がないことは言いません。
本当に困ってる人って困ってるっていわないんです。
人間はそういう生き物です。 -
【4775156】 投稿者: うーん (ID:OB0Zynw6K56) 投稿日時:2017年 11月 15日 16:25
年中「死にたい」と言って未遂を起こしてた友人が2人ほど本懐を遂げてしまったので、あながちそうとも言えないかもしれないと思うけど、腹が決まったら逆に言わなくなるのかもね。
本当に亡くなる時には一人で静かに行ってしまった。 -
【4775920】 投稿者: 幸せとは (ID:2r9l0mLbpLs) 投稿日時:2017年 11月 16日 08:37
幸せとは という歌詞ではじまるback numberの映画の主題歌を耳にしました。
そのまま書けませんが、幸せとは美しい夜と朝が繰り返すことではなく、大事な人に降りかかる雨に傘をさせることなのだと。
思春期が、自分には誰も傘をさしてくれないと思い込んだり、傘をさしかける相手を熱望する時期だとすると、思秋期は子育てや仕事などで必死に傘をさしかけた相手を見失ったり、意味がなかったのではと思う時期なのかもしれません。
でも一度でも傘をさせたということがあったということは、やはり良いことではないのかと思います。
さしかける相手がいなくなっても、一人街を歩いている時に子供相手に困惑しているお母さんがいたら心の中でがんばれって声をかけ、本当に困っていたらちょっと手を差し伸べる、それが出来る人になっているわけですから。
そんな人がただ生きているだけではだめでしょうか。