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投稿者: ありがと (ID:.Z7VIbKGJBc) 投稿日時:2018年 03月 03日 22:18
よく各種イベントの後に「この度はたくさんの方にご来場いただきまして、ありがとうございました」という記事を見かけます。
アーティストの展示会やコンサート、保護者会・運動会・文化祭、学校説明会などでも、「ご来場へのお礼」が公開記事として上げられるのは、ごく当たり前の挨拶文だという認識です。
誰もが参加できる公開行事の場合は、仮に自分が都合が悪く行けなかった場合でも、写真などで盛会の様子を垣間見えた時は「良かったね」という気分になります。
アーティストが「来てくれてありがとう」とブログやSNSに発信しても、何とも思いませんし、行ってないからとヤキモキすることもあまりないでしょう。
これがもし、結婚式やお誕生会などのように招待制の祝賀会で、誘われなかったメンバーに対しても
「お越しくださった皆様に感謝いたします」という文面で、大いに盛り上がった様子がSNSなどで流れて来たとしたら
どのように感じられますか。
お礼状のマナーとして、誘わなかった人にまで出したりはしませんよね。
お祝いのパーティに誘われなかったのに、「こんなに盛り上がりました。みんな、来てくれて本当にありがとう」と言われても、正直その後の関係にヒビが入りかねないと思うのですが…
来場のお礼はあくまで、招待して参加した客のみに出すもので、招かれざる客に対しても目に入る形で発信するというのは、ちょっと…いただけません。SNSにUPするにしても、宛先を公開にしてしまったのは、先方の盲点だったのかしら。今回は比較的大きなイベントだったらしく、いつにも増して何枚も写真を上げて、投稿も数回に渡り会の様子が流れてくるという、ここまで顕著だともうマナーに欠けていると思わざるを得ません。
他人の幸せは素直に祝福したいところですが、複雑な気持ちです。
人のふり見て我がふり直せ、ではありませんが
大人の世界ですから、誘われるほどの縁でなくとも「おかげ様でこれだけの会を開けました、ひとえに常日頃の皆さんの支えあってのこと、お礼申し上げます」という意味の感謝のニュアンスならば、違和感なく受け取れるのかなと考えました。
せっかく知り合ったご縁ですから、快く「盛会で何よりです。これからもよろしく」と言いたいのに
「あなたは誘うほどではないけれど、会はこれだけ盛り上がりました。私たちの会に来てくれた人、ありがとう」と言わんばかりの発信に、いささか辟易し関係を疎遠にしたくなりました。(あちらからしたら、そこまで親しく思っていないのでしょうが)
これだけ悶々としてしまうのには私の方が、知人の幸せを気持ち良く受け取れないだけの、僻みが多分にあるのでしょうか。「自己嫌悪」と「先方の常識を疑いたくなる」、二つの間で葛藤しております。
こういったお礼状の類の記事、皆さんはどのように受け取られますか。
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【4911292】 投稿者: 鈍感力 (ID:quTBntyupV6) 投稿日時:2018年 03月 03日 22:22
常套句みたいなものですからね。
いちいち気にしません。
でも、スレ主さんが書いていらっしゃるような、気を使った言葉を使っていたら、ちょっと一目おくかも。 -
【4911297】 投稿者: ありがと (ID:.Z7VIbKGJBc) 投稿日時:2018年 03月 03日 22:27
鈍感力 さま
率直な思いをくださって感謝します。
こちらで私がお褒めいただけるとは思っておりませんでした。
鈍感力さまに慰められた上に、心が軽くなりました。
ありがとうございます。 -
【4911332】 投稿者: ふくろう (ID:hYeoTg7Y202) 投稿日時:2018年 03月 03日 22:54
「相手はそこまで深く考えていない」
ただそれだけの話かと思います。
相手を気遣える人が少なくなりましたよね。
残念ながら自分さえよければOKという風潮は強くなりつつあります。世の中は豊かになったはずなのに、不思議と心は飢餓状態なのでしょう。
自分のポリシーに反するので私は不特定多数の友人が見るSNSには何も書かず、単なるアドレス帳として使っています。 -
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【4911343】 投稿者: ありがと (ID:.Z7VIbKGJBc) 投稿日時:2018年 03月 03日 23:05
やはり選ばれざる者の寂しさなのでしょうね。
桜の季節に、通りかかった楽しげなお花見の一行に遭遇したとしてもここまで心は荒れません。
選ばれた方のみのお仲間の会、という意味では
受験と似たようなものがある気さえします。
ご縁があった方同士の「晴れの日」の充実した様子を、わざわざ縁がなかった側に見せなくとも…暗に逆撫でしたかったのでしょうか。
「あれは楽しい会だったね」と振り返るのは
選ばれた縁のある者同士の中で充分、お礼の言葉の裏にある自己顕示欲といいましょうか、見たくないものを見てしまう自分に早く切替スイッチを入れたいものです。
受験の合格不合格と、祝宴の招待を重ねるのはいささか、たとえが飛躍し過ぎかもしれませんが、今回はもう勘弁してほしいと知人に伝えたい一心です。 -
【4911363】 投稿者: ありがと (ID:.Z7VIbKGJBc) 投稿日時:2018年 03月 03日 23:22
ふくろう さま
的確なお言葉に心を励まされております。
私も今回の一件を通じ、SNSやネット上のお付き合いにおける麻痺感覚、危うさについて強く考えさせられました。
語弊があるかもしれませんが、承認を求めるがあまり、自分の良さを前に押し出し過ぎることで失ってしまうモラル、表現の難しさを身にしみて感じております。
ネットがここまで普及していなかった時代であれば、オープンにしてこなかった内面的な事柄、取るに足らない出来事を見せ合うことで、親近感や励ましを得られたりといったプラスになることもありましょうが
かえって心がざわつくようなお付き合いであれば、距離を置いて、他者に承認されずとも自己に満足した謙虚な心で世界を保ちたい、今となってはそんな思いにふけっております。
ありがとうございました。 -
【4911384】 投稿者: 鈍感力 (ID:quTBntyupV6) 投稿日時:2018年 03月 03日 23:41
そんな風に心を乱されるくらいならSNSなんて見なければいいと思いますよ。
私も同窓会の人に言われて一応FBのアカウントは作っていますが、殆どメアドを知らな人との連絡用です。
通知も切っているのでよく見落とすのですが、たいして困ることもありません。
そもそも親しい友人にFBを熱心にやっている人が少ないということもあります。
私と違うコミュニティだと思っています。
一方で匿名のtwitterは大好きで、リアルの知り合いはいない世界で、気楽にいろいろな人と交流しています。
FBとtwitterって全然違うSNSで、面白いな~と思います。 -
【4911444】 投稿者: ありがと (ID:.Z7VIbKGJBc) 投稿日時:2018年 03月 04日 01:09
鈍感力 さま
はい、しばらくお世話になっていたSNSですが、思い切っていったん冬眠に入ることにしました。
いいね!がなくても、精神的に満たされた生活を送れるものだと今さらながら改めて実感しております。
身内にはやめなさい、と言われてもやめられなかったのに、痛い目にあってからの今は清々しているから不思議です。
独特の雰囲気へ無意識に迎合していたのでしょうか、一面的な優劣・華のあるなしで自他を評価する癖は、行き過ぎると自分を窮屈にしますね。
いずれは私の子もSNSに触れる機会があるかと…その折には鈍感力さまのように、毅然と自分自身の軸を持ち、優しくアドバイスをしながら見守ることができたらと思いました。
本当にありがとうございます。