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投稿者: 意外と謎 (ID:xhxnmduTJng) 投稿日時:2019年 10月 09日 23:44
吉野先生は大阪府出身、北野高校から京大工学部。
もう公然の噂というか常識になってるけど、このようなパターン、明らかに多いですよね…
なぜ10代から20代はじめにスレタイのような環境に身を置いていた受賞者が多いのだろうか。
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【5600431】 投稿者: 時代 (ID:T0fPyoKGuzc) 投稿日時:2019年 10月 10日 14:48
>立地的に公立高が一番楽な方もいますので、何とも言えませんが、吉野氏の頃はよほど家庭が裕福でないと、私立校は考えなかった時代ですね。
それが一番大きいと思います。
おぼっちゃまお嬢ちゃま以外は公立に行く時代だったのでは?
>ただ、公立高出身者からのノーベル賞受賞は、現在の50代の方ぐらいまでかもしれません。
その後は、研究者の環境が大きく変わって行きました
今のアラカンあたりまでは大学院の数が少なく研究職を巡る椅子取り合戦も激しくなかった、さらに早慶の学閥の影響も今ほど強くなかったので国立大学出の研究者にとって仕事がしやすかったです。 -
【5600441】 投稿者: そうですか? (ID:z4YlfAQbSpU) 投稿日時:2019年 10月 10日 15:01
私もアラフィフですが、周りには北野出身の女子多かったです。たまたま密度が高かっただけでしょうか?
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【5600452】 投稿者: ? (ID:xid43Wztx/2) 投稿日時:2019年 10月 10日 15:13
吉野さんはアラフィフさんたちよりもっと上の方ですよね?
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【5600458】 投稿者: そうですか? (ID:z4YlfAQbSpU) 投稿日時:2019年 10月 10日 15:22
上の世代だから、クラスは男子ばかりだったんだと思います。
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【5600491】 投稿者: アラカンです (ID:niAacwAYwzI) 投稿日時:2019年 10月 10日 16:29
吉野氏から約10年下です。
当時は、北野のある学区では二番手豊中もがんばっていました。
というか、北野と豊中の差がいまより小さく、あまり二番手という意識はなく、校風の違いでどちらを選ぶか、でした。豊中高校から阪大医学部へ進学した人もいました。地元の阪大へは、北野よりも豊中からのほうが進学者数が多かった年もありました。
女子生徒(およびその保護者)の中には、体育が厳しくてガラの悪い北野よりも豊中を好む人もいました。
なにせ、北野は、昭和40年代まで、戦後の男女共学発足時に女子トイレを大慌てで一か所にまとめて作ったまんまというような高校でした。教室によっては、休憩時間に校舎の端から端までダッシュしてトイレに走り、ダッシュして戻って来ないといけない、というような学校でした。
元女学校で環境も上品な大手前が非常にうらやましかったものです。 -
【5600553】 投稿者: 昔話 (ID:LGXUA/CiVks) 投稿日時:2019年 10月 10日 17:54
私の前の学年の北野の女子の志願者数は確か定員割れしていましたよ!80年代のことですけど!
12学区制の時はそんなに北野は目立ってなかったけどなあ!そりゃあ豊中や箕面や池田が学区だったら教育熱心な人多いから有名大学への進学者数も多いだろうって感じ! -
【5600588】 投稿者: 山中伸弥教授 (ID:/rzIkmTCqLA) 投稿日時:2019年 10月 10日 18:17
大阪出身のIPSの山中伸弥さんは、大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎から神戸大学でしたね。
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【5600995】 投稿者: 奥様 (ID:xaAUqKr9GgU) 投稿日時:2019年 10月 11日 06:19
奥様はやはり京都女子大でしたね。京大京女結婚あるある。
京都女子大学、土井たかこさん、夏井いつきさんご卒業。高校なら、藤山直美さん卒。