- インターエデュPICKUP
- 最終更新:
投稿者: 紫陽花 (ID:n9GdevNcDdk) 投稿日時:2020年 07月 07日 22:43
お寺の奥さんてそんなにエライのですか。
うちの檀那寺の住職さん、この方も外面が良さげで(偶然、裏の顔を見てしまった)その奥さんも、一見親切に声をかけてくるのですが言葉の端々に見下されているような悪意を感じています。
檀那寺なので付き合いから逃れられず、会う機会があると憂鬱です。
それに、この住職と奥さんは市内の他のお寺さんたちとの間で派閥?を作っているらしく、自分の気にくわないお寺さん(奥さん)を集まりごとでワザと外したり、悪口を吹聴していることを見聞きしたことがあり、お坊さんでもそんな事をするのかと驚きました。
気の合うお寺の奥さん(元看護師)とつるんでいる様子も、どこか下品で。何かと委員や会長などの役職につきたがり前に出たがるタイプ。
学歴は多分大卒でしょうが、エリート意識がすごいのです。
とてもうまくごまかしているので、気づかない人(特に年配者)は多いのですが、どうも物言いが上から教えてあげてる、という感じ。高飛車です。
お寺の奥さんは、もっと控えめな物腰柔らかなイメージだったので予想外に上からこられて気分悪いです。
お寺さんてこんなひどい方ばかりではないとは思いますが、この先もお付き合いしていかなければならないかと思うと考えるだけで憂鬱です。
正直、ご近所付き合い等は上手くいっているし、お寺の門徒をうちだけ辞めるというのも面倒だなと悩んでしまいます。
現在のページ: 3 / 4
-
【5937238】 投稿者: やはり… (ID:zR00ER8mWaw) 投稿日時:2020年 07月 08日 09:50
菩提寺とは言いますが、檀那寺は聞いたことがありません。
そういう言葉もあるのですね。
それはそうとして、檀家が何かも知らず、さも経験者のようなコメントするというのは、エデュにそういう人たちが入ってきてるということですね。
知ったかぶりの聞いたかぶり…笑
それか、バイトさん?
おかしなコメントや、なににでも噛み付くコメントが増えていると思ったら…納得です。 -
【5937265】 投稿者: 整理 (ID:idTeShknndU) 投稿日時:2020年 07月 08日 10:19
檀那という言葉がサンスクリット語の「ダーナ」から来ていまして、贈るとか与えるという意味から、仏教では「ほどこし」や「お布施」を指すようになり、檀那という漢字をあてるようになったようです。
庶民の間では「旦那」となり、お給料をくれる、養ってくれる人を旦那と呼ぶように。なので、夫とか雇い主、それからお得意さんを旦那と呼ぶのですね。 -
【5937289】 投稿者: みわ (ID:AYHy/PFrPvk) 投稿日時:2020年 07月 08日 10:37
社会的地位が高いと勘違いされているから上から目線でくるのでは?
みんな騙されますよね、お寺の人なら大丈夫とか。
でも、結婚して全然ちがう世界から入られる方もいることを考えると、そういう俗っぽい部分が染み付いたままなのだと思います。
もしくは、寺の娘としてちやほやされ育てられ、私は皆さんとはちがうのよー!の思考から抜け出せず、大人になってもお寺の奥さんで、年取ったけど一般社会の感覚とはズレたままか。
誰か教えてあげたら(笑) -
【5937310】 投稿者: 神様なんて信じない (ID:CZFLgSPJEs2) 投稿日時:2020年 07月 08日 10:52
仏様も信じない。
コロナや、こんな大雨で川が氾濫して、罪のない人や子供が死ぬ世の中に神も仏もないだろうと思う。
前世とかの罪とかもナンセンス。
うちは分家で本家とは遠いので、代々の墓はないけど、親は有名なお寺でお墓を買ってた。
本家は決まったお寺があるみたい。
坊さんが祈ったって何もいいことないのに。祈らなかったらもっと悲惨とでも言うのだろうか。 -
-
【5937332】 投稿者: 誤解 (ID:bwff4h.iFlg) 投稿日時:2020年 07月 08日 11:15
>坊さんが祈ったって何もいいことないのに
おそらく仏教を誤解されているのでは?
仏教を信じる→仏教の教えに基づいて行動する→ご利益がある、という考え方が仏教の教えの一つです。
「仏教の教えに基づいて行動する」というのは、宗教的な行いということではなく、「人としてよいことをする」という意味です。
つまり、困っている人がいたら助けてあげる、とか、他人のために行動してあげる、というようなこと。
それを行うことによって、他人から逆に助けられたり、自身の考えが穏やかになって平穏な日々が過ごせるとか、そういった「ご利益」があるという教えです。
「情けは人のためならず」と言う言葉がありますが、この言葉のように、他人に情けをかけると、いずれは自分に返ってくる。だから、情けは自分のためにかけるものだ、ということが、仏教の教えの根本的な考え方です。
ただ、どうしても大きな天災などがあると、神仏に祈りたくなる気持ちになる人がいるのも当然です。
本来はそれは仏教に対する誤解なのですが、それもまた悪いことではありません。祈ることで心が救われる方もいるからです。
その場合のご利益も、天災等が無くなる、被害が少なくて済む、というものではなく、天災があっても心穏やかに過ごせる、というようなものです。
人間はどう頑張っても自然の猛威、天災には勝てません。
勝てなかったときに、どういう心の持ち方をすればいいのかが重要なのだと思います。 -
【5937338】 投稿者: 勝五郎再生記 (ID:SZc4.YCzhUI) 投稿日時:2020年 07月 08日 11:18
江戸時代の記録だけれど、エデュ的に言うと中央大学 多摩キャンパスの辺りでの話。
キャンパス周辺の山を挟んで北側だったか南側だったか、どちらかで産まれた子が、話ができるようになると、きょうだいに「元はどこの家の子だった?」と聞き、盛んに『元の家』に帰りたがったらしい。
あまりに言うので調べてみると、山の向こう側の地で、何年か前によく似た子が亡くなっていたと。
亡くなった時の様子を詳しく色々話すけれど、お坊さんの話になると嫌そうな顔をして口をつぐんで話さなかったらしい。
お坊さん、どんなだったんだろう? -
【5937351】 投稿者: 神様なんて信じない (ID:CZFLgSPJEs2) 投稿日時:2020年 07月 08日 11:27
結局それって自分次第ってことですよね。
仏いらんわ。
ただ、新興宗教が流行るように、人っていうのはなにかに依存しないと生きていけない生き物なのかも知れませんね。 -
【5937404】 投稿者: 小倉あん (ID:c19vyusvDCo) 投稿日時:2020年 07月 08日 12:09
親戚にいくつかお寺があります。
身内なので言いにくい面もありますが、人間性はそれぞれです(笑)
お寺の人間だから、と思っているとビックリするようなこと、たくさんありました。
現在60前後の寺の坊守、若くして寺に嫁いできたので(自身も寺の娘)外の社会を知らないまま。
同居の義両親がいたので、それなりに大変だったとは思いますが現在は他界、子どもたちも独立し自由もあり立場も昔とは違い堂々としたものです(笑)
今の60才は昔とはちがい、感覚も若いのでしょう。
近くのお寺に嫁いでこられた若嫁のことを「それがさー変な女でさぁ~」などど言ってた時には呆れました。
外からみると、ボランティアをしたり和歌を読んだりすごく良い人に見えます。
親戚の中でもお寺同士はいろいろあるみたいで、よそのお寺の問題に首を突っ込んで、先方からキレられたり。
年齢からいっても、あまり宜しくない振る舞いをしたと父から聞きました。
孫もいるような年齢であっても、その狭い特殊な世界にどっぷりつかっていると、自身の行動が正しいか見極められなくなるのだと残念に思います。