最終更新:

2523
Comment

【6292335】小室圭さんの文書

投稿者: るる   (ID:IWkcQU5DXG6) 投稿日時:2021年 04月 08日 18:01

一生懸命やってるのは分かる。
きっともう、楽になりたい(婚約をやめたい)んじゃないかな?
あの文書読んだけど、「で、この先どうなるの?」って思った。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

  1. 【6316701】 投稿者: 確か  (ID:lxKQeWGsBws) 投稿日時:2021年 04月 28日 10:54

    陸軍元帥 (イギリス)で国籍とは違うのですか。

  2. 【6316705】 投稿者: 詳しい事情は不知  (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 04月 28日 10:56

    ただ、早稲田のどこかの部門がその沿革を説明していた。
    また、日本に留学していた当時の中国人学生の多くは「漢族」であったと思われる。したがって、彼らは清政府に反逆する立場であった。今でも、少数民族たる「満族」による清政府に対する中国人一般からの視線は冷ややかである。むろん、英国始め列強からの侵略を許したとのナショナリズムの観点からも。

    ちなみに、中国の出入境管理局発行になる一般旅券には、名義人の「民族」名も表示されていた。大昔に、外見上はトルコ系と思われる風貌の方が中国人であると知り、驚いたことがある。実際にトルコ系の氏名が漢字で表記されていた。ウイグル族である。その当時から「チベットや新疆は中国の仲間」との官製歌謡曲が作られ、全土に流布されていた。

    ベトナムとの国境での「懲罰」戦争時には、ベトナムはけしからんとの曲を流し、ベトナムによって首都を追われたあのクメール・ルージュ(ポル・ポト派)を擁護した。もっとも、実際の戦闘では米帝との戦闘で鍛えられた北ベトナム軍にてこずり、大勢の犠牲者を出して撤退を余儀なくされた。私の友人の父親は人民解放軍の古参幹部だったが、「自分たちがベトナムに教えたゲリラ戦術でやられた」と、悔しがっていた。以降、中国は軍の近代化に努めることになる。

  3. 【6316709】 投稿者: 天空の嵐  (ID:5CXE2NgjF8k) 投稿日時:2021年 04月 28日 10:57

    国籍と階級は違うでしょ。

  4. 【6316712】 投稿者: 天空の嵐  (ID:5CXE2NgjF8k) 投稿日時:2021年 04月 28日 11:02

    清朝は東北地方で暮らしていた女真族の王朝ですよね。違ったかしら?
    民族名を満州族に王朝設立で改めたのでは?
    清朝は漢族の国じゃないのでは?

  5. 【6316714】 投稿者: それはありえない  (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 04月 28日 11:05

    現在でも。
    まして、明治憲法の観点からも。

    たしかに昭和天皇皇太子時代での外遊で、英国王室が彼を厚遇したことに間違いはない。いろいろな思惑があったものと思われる。まだ日本が「内にdemocracy、外に imperialism」の時代であった。

  6. 【6316720】 投稿者: 天空の嵐  (ID:5CXE2NgjF8k) 投稿日時:2021年 04月 28日 11:09

    令和2年秋の外国人叙勲として141名の受章者、階級とは違うけど国籍なくてもとれるものなのでしょうね。

    英国帝国>ロシア帝国

    ニコライもあまねく貰っているのだから

  7. 【6316738】 投稿者: 天空の嵐  (ID:5CXE2NgjF8k) 投稿日時:2021年 04月 28日 11:33

    現役リタイアして週刊誌にネタを提供することで生計をたてているのでしょうか?
    パピーの告白によって愛子内親王の子と眞子内親王の子(小室氏との間)と、はとこ同士にならなくてすみそうだけど、まだまだ油断できない状況でしょうね。

  8. 【6316740】 投稿者: その通り  (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 04月 28日 11:35

    だからこそ、少数民族たる満族主体の清政府には、今でも中国人一般からの評価が低いのである。さらにいえば、蒋介石もそうした辺境の満州地域に対する意識は低かった。

    それゆえ関東軍が満州事変を自作自演しても、その範囲に自重すれば最終的に国際連盟からの脱退もなかった(欧米列強に日帝を非難できる道理なしゆえに)。また、その後に領土的野心を抱いて日中戦争に発展させなければ、15年戦争もなかった。そうした日本軍部の神国的軍事冒険主義が破滅への契機になったのである。

    さらに、そうした蒋介石の日帝に対する優柔不断と思われた姿勢につき、あの満州の支配者・張作霖の息子であり、「花花公子(=プレイボーイ)」こと張学良(昭和天皇と同い年。彼の家庭教師も日本人であった)が命を懸けて西安事件を起こし、第二次国共合作を促したのであった。結果的にそれが功を奏し、日帝を打ち破ることになった。もっとも張学良自身は、その後も不幸な運命をたどる。彼自身は、もともと親日派であったのに。

あわせてチェックしたい関連掲示板