最終更新:

322
Comment

【6338522】どうして出禁にできないの?

投稿者: 願望   (ID:akgNAL3MZA.) 投稿日時:2021年 05月 15日 12:54

エデュで昔からいたコテハンの方々 いつの間にかだいぶいなくなりましたが、今はコテハンにしてないけど(というより同じスレで何度もHN変える)昔からいる偏った強気の思想の方
本当にムカつく それが正当ならまだしも受験生にとって何の役に立たない。
賛同する人もいないだろうし、みんな気分を害してるだろうし、なによりも考えが偏りすぎていて有意義な情報にならないのに何故出禁にならないのだろう?
今コテハンにしてないからエデュの運営で把握することができないから?
本当に毎度毎度イライラして、登場した途端そのスレを読む気がなくなる。
確かに誰でも参加できる掲示板かもしれないけど何とかできないものなのかしら?

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「なんでも雑談に戻る」

現在のページ: 27 / 41

  1. 【6341502】 投稿者: ご本人?  (ID:sz5MpLAOTd6) 投稿日時:2021年 05月 17日 20:09

    あの投稿をしたご本人?

  2. 【6341509】 投稿者: ディベート  (ID:xPzCQgIY7fQ) 投稿日時:2021年 05月 17日 20:14

    「日本の古」というスレは独特な世界ですね。長いので所々拾い読みしただけだけど、あそこでF氏の持論のマルクス主義の観点からの天皇制論が出てきたら、そりゃあ、とんだ狼藉と思うでしょうね。ご愁傷さまです。
    私は古代史にはほとんど興味はないのだけど、昔、折口信夫の『死者の書』(郎女様っていうやつ)や柳田国男の『山の人生』くらいは読んでいて、不思議な想像力を喚起する装置くらいには思っています。
    折口信夫が、考えることではなく古代人になりきって感じることだ、みたいなことを書いているのを読んだことがあります。
    「小夜深く大き鬼出て斧振り遊ぶ、心荒らかに我は生きざりき」という歌が付いている随筆です。
    これに通底するのが本居宣長の『古事記伝』の「唐ごころ(論理)を排してやまとごころ(直観)に帰る」という言ですね。
    本居宣長と言えば小林秀雄です。彼は『様々なる意匠』の中でイデオロギーは様々なる意匠に過ぎない、と言っています。プロレタリア文学が最盛の時代にこの言をなすということは、明らかにマルクス主義への当てつけで、その真意は、唐ごころ(論理)を排してやまとごころ(直観)に帰れば、マルクス主義イデオロギーなど八百万の神(様々なる意匠)の一つに過ぎない、というところでしょうか。
    狼藉へのお詫びです。

  3. 【6341575】 投稿者: ドア砲  (ID:WaBKqw0dh66) 投稿日時:2021年 05月 17日 21:13

    理由もなく罵倒ではなく、物事には全て理由がある、何もないのではなく、故あって罵倒される。

    充足理由律。

    因縁生起、一切有為。

    因も縁も其方にある。

    Why is there something rather than nothing?

    形而上学の領域で議論される存在の謎(The riddle of existence)でもなく至極当たり前の事。

    存在論は突き詰めると「何が在るのか」と「なぜ在るのか」の二つの問いに収束していくとも言われるが、この問いとは関係なく、罵倒されるべき存在で罵倒される言動をする故にたはり罵倒されるに過ぎない。
    よって”全ての命題は、総じてこの謎に帰結する”とも言われる。

    この問いの前提である「罵倒されるべき理由が無い」ことを肯定することで問いから逃れることはおよそ困難である。たとえば実在するものはすべて意識的なものだけであるとする観念論的な立場や、または世界は私の見ている夢のようなものであるとする独我論的な立場などを取ってみても、その意識や夢にあたる「何か」があることは依然として認めざるを得ない。

    仮にそうした罵倒されるべき根拠の存在を全て否定してみたとしても、ある種のシミュレーション結果だけはどうしても残る。シミュレーション結果の存在さえ否定してみたとしても、そこには「何もない」「まったく何もないんだ」というその考え、思考と呼ぶべきようなものが最後まで残り続けることになる。こうして「何が在るのか」という点については色々な答え方が可能であるが、「まったく何もない」と主張してこの問いを却下する行為は矛盾を来すため不可能である。

    物理学の領域でのビッグバンにより宇宙が始まったという説を以て説明しても、また答えとはならない。なぜなら問いの形が「なぜ何もなかったのでなく、ビッグバンがあったのか」に置き換わるだけだからである。

    ビッグバンが真空の量子揺らぎから発生したといった説明もまた同様である。「なぜ何もなかったのではなく、量子力学の法則にしたがって揺らぐような真空があったのか」、もしくは「なぜ量子力学の法則などという自然法則があったのか」こうした形に問いが置き換わるだけである。

    同じように何か超越的な存在、たとえば神様を持ち出し、それが世界を作った、と説明しても話は同じである。「なぜ何もなかったのではなく、神様がいたのか」、こう問いが置き換わる。こうした例を見てわかるように、この問いは存在の根拠についてより基盤的なレベルの原理でそれを説明してみても、または因果連鎖を過去に遡ることによって答えようとしてみても、もっと基盤的な何かへ、もっと基盤的な何かへ、またはもっと過去へ、もっと過去へ、無限後退が生じるだけ。

    つまりは、居場所が無い鬱陶を晴らすかの様な低Noな文章と、存在そのものが読む側、エデュの貴様以外のユーザーがイラッとするからこそ、相応に罵倒されるだけ。

  4. 【6341612】 投稿者: 要は逃げているだけ  (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 05月 17日 21:40

    底の浅さがばかりが目立つ。
    「引かれ者の小唄」との言葉が浮かぶ。

  5. 【6341725】 投稿者: 観念論に過ぎない  (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 05月 17日 23:00

    折口にしろ小林にしろ。

    たとえ、そうして「なりきって」考えたところで、なり切れるものでもあるまい。そのように問題の解決をもっぱら人間の内面性にだけ求めることは明らかに誤りである。むしろ目前の客観的矛盾の存在を隠蔽し、助長する反動的な役割さえ果たすものだといえる。空腹を満たすには実際に食べることが必要であり、いくら豪勢な馳走で満腹に「なりきった」ところで、飢餓という現実に何ら変わりなく、解決にはならないのであるから。

    蓋し、(なりきって?)たとえどのように人間側の欠陥を取り除こうと、環境と人間との間に実在する矛盾を放置しておいたのでは、真の解決は何ら展望しえないのである。すなわち、このような客観的な矛盾を現実的に解決するためには、そうした環境と人間との間に存在する「矛盾」に対し、その構造を認識し、積極的に働きかけてそれの変革を目指すという、積極的・能動的で実践的な主体的態度が求められる。そして、その実践を通じて、また造りかえられた環境によって、人間もまた変革されていくのであろう。

    唯物論哲学は、われらに物質なしに運動はありえず、運動なしには物質もあり得ないと教える。この両者の本質的な統一の上に、歴史が創造されてきた。したがって、こうした物質の必然的な自己運動―生物的自然と外的自然との対立・矛盾における交互作用ーとの歴史的法則性をわれわれは肯定する。そしてそれは、客観性・物質性有するゆえに、人間が観念的に勝手に「創造」したり「改造」することはできないのである。

    歴史の経過とは、このような本質的・内面的な一般的法則によって支配されていると考えられるのである。そして、運動する現実=歴史的社会の全体的認識は社会的・実践的にのみ深められ得る。したがって、ややもすると抽象的一面的足らざるを得ないアカデミックな世界に属する人間もまた、歴史的革命主体たるproletarianによる社会的実践に主体的に参画しないでは、全体的展望認識に至ることは困難である。

    かくいう、私のような協調性乏しい非組織的人間もまた、組織的運動の契機たる限りにおいて積極性を得るものといえる。換言すれば、合目的的な観点から運動主体たる組織を利用することによって、かかる自らの主張を社会的実践の一環として有意義なもの足らしめるのであろう。もっとも、それは私にとって険しく、難儀な遠い道程である。

    以上、本日の書籍ご紹介のお礼に代えて。

  6. 【6341746】 投稿者: 願望  (ID:nFFZh22EImo) 投稿日時:2021年 05月 17日 23:18

    もう〆ました。お願いですから他でお願いします。

  7. 【6341749】 投稿者: ディベート  (ID:xPzCQgIY7fQ) 投稿日時:2021年 05月 17日 23:21

    新進気鋭のマルクス学者、斉藤幸平は『人新世の資本論』の中で、資本は際限のない増殖が宿命づけられているので、資本主義の進展は自然資源を際限なく搾取し続けることが不可避となる、人々の欲望を拡大させ過剰な消費へと駆り立てていくことは、過剰な資源の浪費につながり、やがては致命的な環境破壊を招き、人類を破滅へと導く、それを阻止するには、近代以前の伝統的な生活様式とそれを支えていた文化を見直すことが必要だ、ということを述べているらしい。
    自然資源を蕩尽するのではなく、自然との調和を目指す、神道の祭祀のような伝統的な価値観を表徴する文化に支えられた生活様式が、見直されるべきなのではないか。
    そこには死者の民主主義という伝統文化を尊重する政治思想も同時に必要になってくる。

    資本論と神道の接点が見えてきました。

  8. 【6341771】 投稿者: 願望  (ID:nFFZh22EImo) 投稿日時:2021年 05月 17日 23:52

    本当にやめて欲しい。
    どんなスレだったのか理解してるのかしら?
    こういうところなんですよ。
    人の気持ちなんかお構いなしで、周りの流れも読めない。
    厚顔無恥
    難しい言葉並べて偉くなったつもりになる前に、まずは子供でもわかるような簡単な四字熟語の意味から理解すればいいのに

あわせてチェックしたい関連掲示板

このスレッドには書き込めません

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す