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【6432293】自慢話が好き

投稿者: 時代錯誤というより存在自体が錯誤無効   (ID:ZcqB7O1jyWE) 投稿日時:2021年 08月 02日 11:49

何でも書き込める掲示板ですが、時々事実を述べているだけなのに「○○を自慢したいだけだろう」式の突っ込みが入り、そこで話がとまるのを見かけることがあります。
これは惜しいと思います。
薄い論評はなくても問題ありませんが、各人固有の経験は貴重です。
論評としてはあり得ない珍論を展開していながら、趣味や個人的に経験したことはなるほどと思うことがしばしばありませんか?
むしろその種のことを寛容に見ていく方が読むに足る話が出てくる気がします。
みなさんはどう思いますか?

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  1. 【6433250】 投稿者: いや、恐縮  (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 08月 03日 10:59

    30年前の上海もそれなりに発展していたが、現地の一流ホテルでさえシャワーからお湯が出ず(故障)、室内用のスリッパはビショビショのまま。連泊では枕の下に1000円(日本円)のチップを置いておかないと、ベッド・メーキングすら怠るというありさま。だが、大都会上海であってさえ、当時の一般男性の月給が日本円で5000円にも満たないと言われた時代であった。ホテルのフロント係がチェックの際、日本円で支払ってくれないか、と小声で依頼してきた(兌換して差額を設けるのであろうか)のも当時の中国での日常茶飯事であった。

    ところで、ある商社マンの保護者から以前、「教育というのは子どもや若者の成長が実感できるよいお仕事ですね」と言われたことがある。手を焼いた腕白坊主が最後に「1年間ありがとうございました!」と元気に言ってくれたとき、「そんなことが言えるようになったのか」と感激したことがあった。その意味で、現在の大学という場も、私は大好きである。

    以下、私の書き込みからの一部転載。

    「ある日の夜、先輩に叱られたらしいリーダー部の1年生応援部員らが青い顔をしてキャンパスを右往左往していた。また、学ラン姿の彼が多忙の中、レポートを仕上げるべくパソコンに向かう姿も目撃した。その彼らもやがて4年生の幹部に。3年前当時に比べると若干仲間が減ったようだが、よくぞ最後まで残った。

    あるとき『あの時のキミがもう幹部になったのか』と話すと、急に恥ずかしそうに微笑んだ猛者の顔が印象的であった。だが、その顔は誇りと自信に満ちていた。そんな学生を歓迎せぬ企業があろうかと思う」

    もはや絶滅危惧種となった観ある大学応援団リーダー部。登校時は常に学ランゆえに、少数でも目立つ。昔と比べれば、彼等の顔立ちも上品になり、いささか線が細くなったとの印象は否めない。しかし、それゆえにあえて苦労の4年間を選択した彼らの勇気を称え、陰ながら応援したいと考えている。

  2. 【6433318】 投稿者: もう一点だけ  (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 08月 03日 11:56

    >「中国人女性と結婚すると一族郎党が頼って集まってくる」と見下げたように言っていましたが、今ではすっかり立場が逆転ですね。たった30年でどうしてこんなことになってしまったのか。。。

    かつての「一人っ子政策」の影響からか、中国人一般に子どもを可愛がる傾向にあると感じる(それゆえに、他人の子どもにも余計な口出しをしがち)。また、家族間の連帯は強く、兄弟間の仲もよい。日本人との相違を感じるところである。それゆえにまた、子どもの誘拐事件も多いようだ。上海でかつて、夕刻に校門前に集結する初老の人々の集団を見受けた。共働きの両親に代わって、祖父母が孫の迎えにきたとのことであった。

    その上海では、圧倒的な女性優位。大柄で声のデカい北部の中国人女性。他方、色黒で小柄なタイプの南部の女性。そうしたなか、長身美人が多いというのが上海女性の自慢であった。だが、そうしたプライドの高さや面子の後ろに心細さも感じさせる(それが、彼女らの魅力でもあるのだが)。その折り合いは「小さなことは女性が決め、大きなことは男が決める」で解決だとは、ある上海の「花花公子(プレイボーイ)」からの助言であった。

  3. 【6434867】 投稿者: 自慢話(転載)  (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 08月 04日 23:03

    「体育会系のイベントに顔を出すと、ほどなく部の主務(マネージャー)から礼状が届く。それがはがきであっても、やはりうれしいもの。/ところで、私の高校時代はまだ個人情報保護の意識が低かった。そこで夏休み直前になると担任=監督が各科目の先生方の住所を黒板に書き、それをノートに写して自宅や休み時間でせっせと『暑中見舞い』のはがきを書いた。/それを後日、夏の合宿先の地方から投函したものであった。「今、合宿で〇〇県に来ています。練習ばかりではなく、勉強道具も持参しました(注 これはウソ)」の如き。それでも効果満点で、そのおかげで二学期の赤点→再テストを免れた仲間もあった。/もちろん、それ以降常にはがきを持参し、目上の方とお目にかかるたびにすぐに礼状を記し、近くの郵便ポストに投函する習慣が身についた。そのおかげで『律儀』との―多分に誤解の―高評価を戴いた。そうした部活動を通じて学んだこともまた多い」

  4. 【6434941】 投稿者: ジョイナス  (ID:21dAkICOLYM) 投稿日時:2021年 08月 05日 00:53

    今の若い人は紙の手紙などほとんど書きませんから、まめに令状を書く人は目立つでしょうね。我が子にも教えてやるべきことなのかもしれません。

    ところで、二俣川さんは満洲建国大学についてはお詳しいですか?
    私はこの大学についてはほとんど何も知らなかったのですが、最近、安彦良和さんの『虹色のトロツキー』を読んで興味を持ち、ルポルタージュ『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』も併せて読んでみました。
    建国大学は「アジアの全ての国、民族の指導者たるべき青年を一堂に集めて切磋琢磨させる」場として、石原莞爾の構想により作られた大学で、日本、満洲、中国、台湾、韓国、モンゴル、ロシアなどから難関の試験を突破してきた学生が集い共に寮生活を行っていたそうですね。
    当時、日本では統制されていた共産主義の書物なども自由に読め、日本の植民地主義について学生間で侃々諤々議論をするなど、言論の自由も守られていたようです。ガンジーやボーズ、トロツキーなどを招聘する計画もあったとか。
    『五色の虹』の著者は各国に散らばっている存命の卒業生にインタビューに行くのですが、中国人の卒業生だけはインタビューの当日に妨害があって詳しく取材できずに終わっています。はたして中国人の卒業生が建国大学のことをどう語るか、読んでみたかったのですけどね。

  5. 【6434952】 投稿者: ジョイナス  (ID:21dAkICOLYM) 投稿日時:2021年 08月 05日 01:26

    ×令状
    〇礼状
    失礼しました。

  6. 【6434962】 投稿者: 名前だけ承知いたしている  (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 08月 05日 02:49

    詳細については不知。ただ、どうしてもそこにアベ前総理の祖父たる、革新官僚:岸信介の存在を想起してしまうのである。

    ところで、一般に旧満州(現東北三省)は、昔から北の辺境の地といった印象がある。満州事変自体は批判されねばならぬが、蒋介石自身は日本軍がその地に留まり北支にまで進出せねば、プレイボーイ張学良の願いなど聞き捨てたような気もする。また、英仏も中国侵略では脛に傷を持つ連中であり、当時の日帝を非難できる立場ではなかった。その意味で、ー中国人民には申し訳ないが―本来帝国主義国同士での「住み分け」も可能であったとも思われるのである(米ソは別にして)。

    ちなみに友人(中国人)の両親は、かの地でいずれも大学教員を務めていた。だが、父親の賃金は母親の半額であった。なぜなら、この父は学生時代に故郷に所用で戻っているさなかに、あの林彪が失脚した。だが、田舎とて彼はそのニュースを知らなかったという。大学の戻り、友人からそれを初めて聞いたとき、思わず「でも、林彪って何が悪かったの?」とつい問いかけてしまった。毛沢東と林彪との盟友関係を考えれば自然なことであった。しかし、この一言が問題視され、彼の「档案袋」には、その黒歴史が加えられてしまったのであった。それがその後もマイナスの影響を及ぼしていたというわけである。

    また、この友人自身によると、ハルピンでの子ども時代、先生が校庭に文革で失脚した要人(鄧小平か?)の名を書き、それを子どもたち全員で「踏みつけた」ことを覚えているという。そうしたこともあり、文革でひどい目に合ったインテリ層ほどその後も北京の政府を信用せず、わが子を日本などの外国へ逃がそうと懸命であった。面従腹背は彼等のお家芸だが、相手が強大なだけにそのストレスはいかばかりであろうか。

  7. 【6435918】 投稿者: 強かった中国卓球チーム  (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 08月 05日 22:28

    日本チームも健闘した。

    その日本を打ち破った「抗日曲」。

    「起来! 不愿做奴隶的人们!
    把我们的血肉,筑成我们新的长城!
    中华民族到了最危险的时候
    毎个人被迫着发出最后的吼声

    起来! 起来! 起来!
    我们万众一心,
    冒着敌人的炮火,前进!
    冒着敌人的炮火,前进!
    前进! 前进! 进!」

    (『义勇军进行曲』)

    立ち上がれ 隷属を望まぬ人々よ!
    われわれの血と肉をもって新しき長城を築こう!
    中華民族の危機だ
    みんなで危急の雄たけびを上げるときだ

    立て!立て!立て!
    われわれすべてが心を一つにして、
    敵の砲火に向かって前進!
    敵の砲火に向かって前進!
    進め!進め!進め!

    (中国国歌『義勇軍行進曲』)

  8. 【6435982】 投稿者: シャル  (ID:juxPERfb2jY) 投稿日時:2021年 08月 05日 23:08

    起来!って「チーライ」と発音するんですね。日本語に近いですよね。それで思い出しました。昔、南京に留学していた友人が、彼の地では日本のドラマ『スチュワーデス物語』が大人気で、放送時間には通りに人がいなくなるほどだった(日本でかつて『君の名は』がそうであったように)と言っていました。なんでも、中国人声優の吹き替えがとても上手なので、堀ちえみさんと違って迫真の演技に見えるのだそうです。「教官(チョーチャン!)」一つとっても。
    二俣川さんが留学されていたときは何か日本のドラマは放送されていましたか?
    一般的に中国では中野良子さんと高倉健さんが有名だとはよく聞くことですが。

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