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投稿者: 時代錯誤というより存在自体が錯誤無効 (ID:ZcqB7O1jyWE) 投稿日時:2021年 08月 02日 11:49
何でも書き込める掲示板ですが、時々事実を述べているだけなのに「○○を自慢したいだけだろう」式の突っ込みが入り、そこで話がとまるのを見かけることがあります。
これは惜しいと思います。
薄い論評はなくても問題ありませんが、各人固有の経験は貴重です。
論評としてはあり得ない珍論を展開していながら、趣味や個人的に経験したことはなるほどと思うことがしばしばありませんか?
むしろその種のことを寛容に見ていく方が読むに足る話が出てくる気がします。
みなさんはどう思いますか?
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【6448325】 投稿者: 人民 (ID:AJsfpoTMGiY) 投稿日時:2021年 08月 17日 22:30
>この場合の新興階級というのは、共産主義者でもなければ額に汗する労働者でもない、AIを使いこなせるITオタクです。
周知のように「人民、ただ人民のみが世界の歴史を創造する原動力である」とは毛沢東の不滅の名言である。ただ問題は、その歴史創造の原動力たる人民が支配階級の権力史の肥料とされ、またその自覚にも乏しかったことにある。
そこで、江口朴郎は現代史をどうとらえるかにつき、次のように述べた。すなわち、「客観的に大衆が歴史を動かしているだけでなく、その歴史を動かす大衆自身が、そのような法則を自ら認識し、自分自身の理論を持っており、実現さるべき目標に向かって意識的に一つの組織をもって歴史の課題をみずからの手で解決しようとする運動が始まっていること」と。しかし、現実はそうした「人間が歴史を創る」のではなく、「歴史が人間を創る」との逆転現象がしばしば見受けられるのが率直な思いであった。
そうしたとき、AIを使いこなせる「ITオタク諸氏」が人民としてどのような働きを為すかにつき、興味津々である。 -
【6448709】 投稿者: パリ留学 (ID:gFmgKDr9C1Q) 投稿日時:2021年 08月 18日 11:01
>一方で、そうした認識の相対性と同時に、本質とは何かという真理の絶対性を要求する思惟の本質(超越論的意識)との矛盾こそ、認識の発展の原動力だと考えられる。そこで唯物論は、この認識(超越論的認識)の進行過程と客観的実在(世界定立)の運動過程を統一的に把握する。
私はあなたの上記の言説の該当の語をそれぞれカッコ内の語に読み替えて理解した時、現象学の論理構造を下敷きにして、マルエンの弁証法を理解しなおしたサルトルの弁証法と論理構造が相似であると判断したので、「わかっていらっしゃる」と申し上げたのです。
換言すれば、あなたの上記の言説を、要素に分解してFFT変換したとき、サルトルの弁証法と極めて似た波形が現れるので、相似形であると判断したまでです。
これと同じ方法論でマルクス(エンゲルス)の弁証法とヘーゲルの弁証法の論理構造を比較すれば、ほぼ相似形と判断できます。 -
【6448758】 投稿者: G (ID:RbMYoZILCiA) 投稿日時:2021年 08月 18日 11:38
人生のピークが学生時代という、ニートなオッサン2人による御何ー合戦。
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【6448794】 投稿者: お答えする (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 08月 18日 12:05
私の所有する『世界の名著』シリーズ中、「ヘーゲル」「レーニン」「ルソー」などは目にした一方、一度として開いてみたことのない巻がある。たとえば、「ミシュレ」「ホイジンガ」「トインビー」などである。まして「サルトル」はそこにラインナップされておらず、私自身も彼の著作につきこれまで、とりたて注目してきたというわけでもない。したがって、サルトルにつき、たしかに私の語り得る知見は乏しい。
ただ、そうしたサルトルのスターリニズムに対する誤解と幻滅。その後の「反スタ」への傾斜ぶりを見ると(それでいながら中国党に対する肩入れも意味不明だが)、そこにわれわれの考えるスターリン哲学に対する批判と一見類似したものが存するのかもしれない。それらをして、あなたがどのように仮説を立て評価しようと、一義的にはあなたのご自由である。もっとも、それにつき私は「誤解あるのでは?」と反応した次第である。本質的に異なると「感じられる」からだ。 -
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【6448812】 投稿者: 補足 (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 08月 18日 12:18
>これと同じ方法論でマルクス(エンゲルス)の弁証法とヘーゲルの弁証法の論理構造を比較すれば、ほぼ相似形と判断できます。
たしかにそうかもしれぬ。青年期のある時期のマルクスやエンゲルス自身、青年ヘーゲル学派(Jugendhegelianer)にあったことは間違いないのだから。ただ、等しく対立の統一の論理といわれても、その内容につきマルクスとヘーゲルはまったく相異する。ヘーゲル弁証法からは、矛盾を通して「新しいもの」が生まれ出るわけではないからだ。 -
【6448820】 投稿者: ドリームランド (ID:tkzp4rgS.AI) 投稿日時:2021年 08月 18日 12:27
>何でも書き込める掲示板ですが、時々事実を述べているだけなのに「○○を自慢したいだけだろう」式の突っ込みが入り、そこで話がとまるのを見かけることがあります。
予想通り、茶々入れしてくる人登場ですね。
二俣川さん、どうかお気になさらずに。
あなたのことを目障りに感じる人がいるくらい、あなたがここで目立っている証拠です。私はいつも興味深く拝読させていただいていますよ。 -
【6448827】 投稿者: パリ留学 (ID:tXMbR.BgQGI) 投稿日時:2021年 08月 18日 12:31
サルトルといえば松浪信三郎。早稲田関係者ならご存知でしょう。
でも、あの人は本当はダメで、弟子の高橋允昭が有能です。「存在と無」も実質的に彼が訳したと言われています。 -
【6449008】 投稿者: 恐縮 (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 08月 18日 15:49
蛮勇でもって、間違いを恐れず勝手なことを記させて頂いている。
さて、大学という場は学問の上で干渉を受けない世界であるものの、一部の学会等を除き最近はこうした議論が見受けられなくなった。しかしながら、図書館の書庫や近隣の古書店に行くと、左翼関係の古い文献に名も知らぬ先輩方による「書き込み」「傍線」「?」、なかには頁全体に✖が記されているものなどを見見かけ、とてもうれしくなる。かつて指導教授から譲り受けたある本にも、学生時代の彼による傍線が何度も色を変えて引かれており、ある文章の横には「スターリニスト?」との書き込みもあった。
ある思想家は、読書につき「著者との媒介的対決を基礎としてわれわれは、さらに読書する以前の自己と、読書の過程および読書後の自己との『対話』にすすみでるのであって、この『対話』は、頭脳のなかで、また対象的なかたちで(ひとりごとをつぶやくとか、紙の上に文章を書くという行為とかをつうじて)なされるのである」と指摘する。そのうえで、思想的基盤をひろげ、自己を現代の〇〇主義者として鍛え上げよ、というわけであろうか。
むろんこの場合、われわれが畏敬する著者と憤激の対象たるそれとでは、違いはあろう。だが、深夜一人で本に目を通しているとき、たしかに一人でぶつぶつ言っているであろう自分があることは、間違いなさそうである。
ご支援・ご理解に感謝申し上げる。
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