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投稿者: 時代錯誤というより存在自体が錯誤無効 (ID:V/aAt8hqz22) 投稿日時:2021年 08月 17日 00:55
雑誌について何かというお話がありましたので、別にスレッドを立てさせていただきます。
作る方についてはたいして何もありません。
せいぜい月刊プレイボーイのライターだったこととSM雑誌に小説を載せていたくらいです。
それで読むということですが、字が書いてあれば読み尽くす子どもでしたので、お気に入りは出版社の広報誌でした。
新刊書の紹介や再版の告知だけでなく、エッセイに読みごたえのあるものが多かったと思います。
岩波書店の「図書」はまあいいとして、新潮社の「波」筑摩書房の「ちくま」は単行本化を前提とした連載などミニ文芸誌の趣きがありましたし、未来社の「未来」の完全な個人誌テイストも好きでした。
共立出版の「蟻塔」東京大学出版会の「UP」はそれぞれの個性があらわれていて読みごたえがあったと思います。
特にUPは創刊号から愛読していて、ちょうど駒場で標準的な数学教科書を出していこうという時期だったので、中高生としては新刊情報は受験勉強の側面からもありがたかったです。
みすず書房の「みすず」はある意味もう少し本格的な「雑誌」でページ数も多かったと記憶しています。
外山滋比古さんが執筆されていることがしばしばで人気があったようですが、私はあまり気に入りませんでした。
今でも中学入試などで出題例がありますが、過大評価されているもののひとつであるように思います。
逆に興味深く読めたのは島崎敏樹氏の追悼記事で、「知能は高く教養人であったがその趣味は凡庸」という身内の方の批評が妙に印象に残っています。
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【6448341】 投稿者: もっくもっく (ID:Hvv1mUnhF6A) 投稿日時:2021年 08月 17日 22:40
>結局入試に間に合ったのは斎藤正彦先生の線形代数入門だけでしたが、行列が大学入試に取り入れられた最初期でしたので冒頭の20ページくらいはかなり役に立ちました。
年齢が絞り込めてしまいますね。
なるほど、わかりました。私のころは1次変換は既に頻出でしたので、齋藤線型代数の冒頭部分くらいは受験生の常識になっていました。
赤攝也さんが三省堂から出した『新講数学』は大変意欲的で、実数の切断について書いてあるは、二次曲面の分類までしているはという超高校級の参考書でした。もし古本で見つけられたら再入手したいほど思い出の所です。二俣川さんのように書庫があったら捨てずにすんだのですけどね。 -
【6448364】 投稿者: 時代錯誤というより存在自体が錯誤無効 (ID:V/aAt8hqz22) 投稿日時:2021年 08月 17日 22:52
中高生のころかなり熱心に読んだのは「現代思潮社」の本でした。
トロツキー選集以外では唐十郎の「腰巻お仙」澁澤龍彦らの「サド裁判」ジャリの「ユビュ王」など。
「古典文庫」もまさに古典中の古典の宝庫で、ブランキやフーリエはここで学びました。
赤瀬川原平さんの装丁だけに惹かれて購入した本もあります。
篠沢秀夫訳のバルト「神話作用」、ブランショ「至高者」も現代思潮社です。
篠沢教授もああなるとは想像もしていませんでしたね。 -
【6448389】 投稿者: もっくもっく (ID:J89g6G2JJLU) 投稿日時:2021年 08月 17日 23:22
サド裁判って、いわゆる 悪徳の栄え事件ですよね?
随分早熟な中高生だったのですね。
読書の幅広さにおいて私には全く太刀打ちできません。
澁澤龍彦はエロティシズムやヨーロッパの乳房、その他を大学時代に2、3冊読んだ程度です。彼がどこかで紹介していたマッジョーレ湖、イゾラ・ベッラのボッロメオ宮殿、庭園にわざわざ出かける程度には影響を受けました。
スレ主さんは東大理系ですよね?それほどの関心の広さと学部に入って以降の勉強を両立させるのに苦労はされませんでしたか? -
【6448401】 投稿者: 時代錯誤というより存在自体が錯誤無効 (ID:V/aAt8hqz22) 投稿日時:2021年 08月 17日 23:34
実験系には進まなかったので、そういう部分にはさほどずれを感じませんでした。
もっと苦しんだ方が良かったのではないかというところはありますね。
なかなか鋭い指摘でした。 -
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【6448474】 投稿者: 拙宅の場合、 (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 08月 18日 01:50
亡父が残した書物群は保管してあっても、整理が全くなされていないので利便性には乏しい。私的に司書を雇用できる売れっ子作家が羨ましい。
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【6448756】 投稿者: G (ID:RbMYoZILCiA) 投稿日時:2021年 08月 18日 11:36
人生のピークが学生時代という、オッサンニート2人による御何ー合戦。
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【6458538】 投稿者: 時代錯誤 (ID:SjSJiR1pUMU) 投稿日時:2021年 08月 26日 17:49
私は「ひとつ気に入ると全作品を読みたくなる」ほうで、たぶんそういう人は少なくないと思う。
全集が出ている場合、まず読みたくなるのは月報で、日記や書簡は外れのない面白さであることが多い。
石川啄木全集の書簡の終わり近くは夭折を知っているだけに残酷な美しさがある。
「ぼくは肥えたようだ」と体調を伝えていても、実は末期で腹水がたまっていたと考えるとつらい。
最後の葉書が「見舞いに来てくだらないことを話すな」だった妹のミツさんの想いはいかばかりだったろうか。
彼女はただの歌人の妹にとどまらないパワフルな人で、長命でもあった。 -
【6458701】 投稿者: 「解題」 (ID:wWmR05FXUsQ) 投稿日時:2021年 08月 26日 20:20
私は、社会科学系分野の大家の個人全集や個人著作集にある著者自身あるいは著者を知る方々による解題を読むことが好きだ。そこに初めて知るエピソードや専門家ならではの観点が示されているからである。もっとも、ややもするとその影響により、その後の読解が一定方向に誘導されてしまうとの危惧もある。
また、当該全集等に収録された自らの論文につき、ときどき著者自身による自己の未熟さや当時の見解の誤りを自認し、反省の弁を語る例もある。とくに旧ソ連によるハンガリーやチェコへの介入、スターリン批判により、それまでのソ連に幻滅、過大な崇拝を止めた研究者らの苦悩や弁明には深刻なものがある。それは、簡単に「転向」などと切捨ててはならないものであるように思う。
その点、われわれの世代は旧ソ連スターリン主義の悪性など周知の事実ゆえに、それを所与の前提にできるとの便宜性がある。しかし、またそうした先達の苦悩が想像しえず、安易に批判しがちとの陥穽もある。私の学位論文にも、先達に対する尊敬の念が見受けられないとの講評があった。反省しきりである。それ以降は、著者の考えの変遷の動機にも留意するように努めている。