マルチリンガルを目指せる女子校
大学の文系学部不要論についての賛否両論
ウチの夫は、事あるごとに、大学の文系学部は不要だと強く主張します。
ろくに勉強もしない学生ばかりだし、入学さえしてしまえば、勉強しなくても大半が卒業できてしまうと。
そんな者たちと、それを教えている教授陣の為に国家予算(大学補助金)を与えることに腹が立つと。
文系学部卒の妻である私へのちょっとしたモラハラでもあるのですが、まぁ、私もムッときて言い返すと、不味いと思ってか、黙ってしまいます。
当然、家の中でだけでしか言いませんが、本気で思っていることはわかります。
そこで、文系学部の社会的意義、存在価値について、世間一般のご意見をお伺いしてみたいと思いました。
私も、正直、大学に文系学部が無くても、社会は困らないだろうとは思っています。
私自身、教養を得る為、自分の学業成績の客観的指標を得る為、大学生という人生の中で社会的に最も自由な時間を得る為に通った経緯があります。
もちろん、当時は勉強もしましたが、夜中まで研究室に詰めているような理系学生より、明らかに自由な時間は多かった。
ちなみに、夫は難関国立大学&大学院博士課程を終了。もうすぐ定年の研究職ですが、毎日、仕事の他に、英会話や経済関連の読書を欠かしません。
夫の親族も、母親以外は全て理系。
私どもの息子も理系です。
理系エリートの人がよく言う話ですが、どうして「文系学部は不要」だの「国立大学は理系学部だけで充分だ」といった話になるんでしょう?
こういう人たちが「文系の学生にもっと勉強させるべきだ」ということはけっして言わないのは何故なんでしょう?
「文系の学生が本気で勉強したら、勉強以外にとりえのない自分たちの地位が危うくなる」と思っているだけではないでしょうか?
この世の中は全て人それぞれ、好きなことも、能力も、考え方も。
確かに、そういう人たちが支え合って、社会は成り立っていますよね。
世の中はピラミッド構造。
上層少数の人々は、下層多数の人々がいなければ、その地位や役割を維持できない。(これからは、特に下層パートの多くはAIに変わられていくでしょうが、少なくとも今までのところは)
相互にその役割を認め合い、感謝の気持ちを持って接していかなければ、この組織と自分の立ち位置も保持できない。
そして、この世の中に存在し続けてきたものは、何らかの意義があるから生き延びている。
役に立っていないようでも、実は役立っているってことは多々ある。
と私は考えています。
ただ、営業職、事務職、政治家、法律家も含め、文系卒の人間が就職する仕事って、わざわざ大学で学ばなくても、自分で勉強できてしまう内容のものが多いことも事実。
文系学部で大学時代に勉強してきたことって、高い授業料支払って大学で勉強しなくても、大半は自分で本読めば、実質同程度以上の知識教養は身につけられる。
そこに税金投入する価値があるかと言えば、疑問に思うところは確かにあります。
また、何よりも、大学に行って勉強しない学生の多さは、理系より文系の方が多めな気もしていて、特に夫の目には、文系学部の日本の大学生は勉強が足りなさ過ぎだとうつっているようです。
まぁ、日本の大学生の勉強量が、諸外国に比べて格段に少ないことはデータでも出ていますし、理系学生の勉強量もまだまだ足りてはいないと思いますが。
その通りで、日本的な話しです。
大学生の授業以外での勉強量の平均データで、日本が諸外国に比べて極めて低いというデータを見て、その話題をつい私が夫に振ってしまったら、それは文系の学生が勉強しないせいだ→文系学部はいらない、と発展。
恐らく、文系学部の学生さんでも、それぞれの専門を極める為、懸命に勉強しているなら、文系理系問わず、夫もその存在を頑なに否定したりはしないのだろうとは思います。
大学に入ったら、勉強しなくても、成績が悪くても、卒業、就職できてしまう、この日本の大学システム、就職の仕組み、社会風土に、不満を抱いているのですね。
そこは、私も同じです。
ですから、自分達の子供には、他者がどうあれ、学生である限り、その本分である学業をないがしろにする生活はさせぬよう、環境を整え、かつ普段の生活の中で教育指導をし続けています。
多くのご家庭でも、願わくばそうあって欲しい。でも、そうでないから不満に感じてしまうのでしょうね。
文系と理系か。
文系ではなかったので文系の人が何を勉強しているのかはっきりとは
わかりませんが:
社会に出てどうか、と問われれば営業は正直、文系とかのくくりではなく、
理系で営業職もいますし、体育会系、芸術系でもいますので
文系の特化した技術でも無い気がします。適正があれば誰でもできる。
研究系は理系、もしくは技術専門学校出の担当ですよね。商品開発には文系もいらっしゃいますね。
私の父もそうですが経済で大学院(MBA取得)まで行った人も何人か知っていますが彼らはアナリストですね。文系というか、理系というかといった感じです。
そして大学を卒業して時間が経って子供に、それこそ中学受験などに付き合う
時に理系は漢字から社会から理科、算数をちょっと一緒にテキストをみたりは
しますが教えられる場合が多いのかな。でも文系出身はすでに漢字の読みも
あやしいものがあったり。読解力があって、算数の解説を見て教えられるか、と問われれも難しいのではないかな。
そうなってくると「君、大学で何を勉強してたの?」となりますね。
法学とMBAくらいなのかな。本当に大学に行って勉強しないとどうにもならない、
文系能力を開発されているのは。後は遊びに行っていると言われてもそうなるのかも。
文系か理系かなどと、つまらないことでああだこうだでなく、だから何が出来るのかどこが秀でているのか、と具体的に言えばお互いに尊重の意識も出てくると思います。
夫婦だけでなく他人のいいところ、自分のいいところ見出して、影響受けたり尊重したりが結局自分のためにもなると思います。
理系の場合、議論が甘やかされているというか、何を論じているか曖昧でも許されがちなので、テキトーな言葉を撒き散らして、何か言った気になってしまう人が多いですね。
「文系」の定義なしに、このような議論は成り立つわけもないので、敢えて議論を定義してあげると、
「理系」とは科学を学ぶ学問分野の総称と推測され、「科学」とは実験によって実証可能な理論のことを言うのかと。
こう定義すると、「理系」代表の数学は「理系」に入らなくなるのですが、「役に立つ」という基準だと、数学は知識のための知識が中心で、「理系」の「科学」のように直接利便性や生産性を高めるものではないので、スレ主の「文系」に近いですね。
つまり、「科学は役に立つ」のは科学は価値中立的に、あるいはプラグマティズムという価値観に則って、「役に立つ」ことを研究するから、役に立つわけです。(同語反復的ですが、そういうことです。)
対して、「文系学問」すなわち法律、経済、政治、文学、そして哲学などの学問は「役に立つ」という定義そのものを議論の対象としています。
法律なら正義は何か?(どちらが正しいか)、経済なら富とは?政治ならどう意思決定すべきか、文学人に大事なものは、そして哲学。意味とは?
理系、科学が「役に立つ」を所与としているので、それを目的として目的合理的なのは当然。
他方、文系は法律的に役に立つのはどちらか自体を議論しているので、方向を決めるのに役立っても進みはしません。
理解できたかな?