日本に生まれただけで超ラッキー
どんな庶民に生まれてもあらゆる夢を追える。
貧しくてもそこそこ豊かな生活。
安全で平和で清潔。
こんな国、日本以外にどこにある?
>貧しくてもそこそこ豊かな生活。
なんかとても虚しいですよね。そこそこってなんでしょう?そんな曖昧なもので納得できるって、知性が感じられません。そりゃPISAの学力も墜落していくわけです。
「他国と比べると日本には貧困層はあまりいない」と思っている人も多いように思いますが、実はそうではありません。日本の社会では、しばらく前から、さまざまな側面での二極化が進行し、貧困率も上昇しつつあります。
厚労省が7月に発表した日本の最新の貧困率は、3年前に比べて改善したものの、米韓にも抜かれ先進国の中で最悪となってしまいました。
相対的貧困層の飢餓とは、その日の食事に困っている層を指しますが、この相対的貧困の家庭が、日本では15.6%。つまり、7世帯のうち1世帯が相対的貧困にあたることになります。しかも、一人親の家庭に限った場合、相対的貧困率は50.8%にもなることが厚生労働省の調査により明らかになっています。
日本人で食べるに困る家庭がこんなにあるんです。
一人親世帯の貧困は深刻です。
公的補助を入れても収入は200万以下、子供が熱を出せば仕事を休み、その分収入は更に減る、給与日前は食費もギリギリで、親は子に1品与えるために何日も水だけ。下の子は何でママはご飯食べないの?上の子はママに気を遣って、おなかいっぱいだからママ食べて。
こんな家庭が実際にあるんです。
給食のない長期休暇はもっと悲惨。まともな親ならまだしも、親がパ[削除しました]三昧な子供はリアルにゴミ箱を漁って食事を探すのです。
これがはたして
>貧しくてもそこそこ豊かな生活。
でしょうか?
「美しい国ニッポン!」という感じでしょうか。
確かに、貧しく生まれても必死で勉強して一流大学を出て大組織に入り忖度とか隠ぺいとか良心を捨てて高いところを目指せば出世できるし、少なくとも今の大人が現役のうちに国が乗っ取られるようなこともなさそうだし、経済成長して豊かになったガイジンが「安い」といって遊びに来てくれるし、まあ、いい国なんでしょうね。
その割には、幸せと感じている人が少ないのはなぜでしょうか?
日本は確かに、安全で清潔、そして一見豊かな国に見える。しかし、その外見に隠された問題点は計り知れない。経済格差、過労死、少子高齢化、ジェンダーギャップ、自然災害への脆弱性——これらはすべて、私たちが真摯に向き合うべき現実であり、深刻な課題である。
経済格差
非正規労働者の増加とともに、ワーキングプアが社会の隅々にまで蔓延している。最低賃金では、まともな生活すら成り立たない。これが「豊かな生活」と呼べるだろうか?
過労死
長時間労働が文化として根付き、過労死や過労自殺は絶え間なく発生している。これが本当に「平和な国」だと言えるのか?
少子高齢化
年金や医療費の負担が若い世代に重くのしかかり、将来への不安は日々膨らんでいる。これが果たして「夢を追える国」として誇れるものだろうか?
ジェンダーギャップ
女性の社会進出は依然として遅れ、育児と仕事の両立が困難な状況は改善されていない。これが「平等な社会」だと言えるのだろうか?
自然災害
頻発する地震や台風に対し、防災対策が不十分な地域も多く見受けられる。これが「安全な国」だと言えるのか?
これらの問題を指摘した途端、「中韓の人間だろ?国へ帰れ」といった反応が上がることがしばしばある。しかし、これは問題を直視せず、安易に他者を攻撃することで自らの問題から目を背けようとする姿勢に他ならない。日本には日本国籍を持つ人々も同じ問題に直面しているのだ。問題を直視せず、他者を責めることで建設的な議論を妨げているのは、まさに我々自身の問題である。
日本人の誇りとは、問題を直視し、改善を求めることである。先祖たちは、常に自己批判と改善を繰り返しながら、今日の日本を築き上げてきた。それなのに、問題に目を背け、改善を求めず、ただ現状を擁護する者こそ、真の日本の精神に反する存在であると言わざるを得ない。そのような人物は、先祖に顔向けできない。自ら海の藻屑に帰すべきだ。
問題を回避しようとする者たちは、日本の未来を真剣に考えていない。そうした安易な発想は、日本の伝統的精神には到底相容れない。私たちは、問題を直視し、改善を求めることで、真に日本人たる資質を示すべきである。
さらに、最近、フランスのフォンテーヌブロー宮殿で、幕末の日本から皇帝ナポレオン3世に贈られた数々の贈答品が発見された。掛け軸やびょうぶ、漆塗りのたんすなど、日本の芸術が結集された豪華な美術品が数多く見つかった。この事実は、日本が欧米列強の進出にさらされながらも、最先端の国フランスに美術品を通じて外交を行っていた証拠である。
その当時、訪仏した武士たちの使節団が写真に残されている。ちょんまげ、着物で椅子に浅く座り、不遜でふてぶてしい態度が写真からも感じ取れる。しかし、この姿勢はフランス人によって高く評価された。皇帝に謁見を申し出た他のアジア諸国が、皇帝の前で平伏していた中で、日本の使節団は一切媚びることなく、まるで大国の使者のように凛とした姿勢を保ち続けた。この堂々とした態度が、フランスを驚嘆させ、当時の大国フランスに対する日本の影響力を物語っているのである。
このエピソードは、武士の精神がどれほど強く、また尊敬されていたかを示している。武士は自己の信念を貫き、相手に敬意を示しながらも決して媚びることなく、その立場を堅持した。この精神こそが、現代の日本にとっても求められるべきものなのだ。
私たちは、武士の精神に学び、問題を直視し、改善を求めることで、真の日本人の資質を示すべきである。現状に甘んじ、目を背け、向上を否定することこそ、日本の伝統と精神に反するものである。
苦言を呈することができない者こそ、日本の伝統に反する存在である。そのような者は、先祖に顔向けできない。自ら海の藻屑へ帰るべきだ。