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長嶋茂雄?誰?

【7678165】
スレッド作成者: 平成世代 (ID:j/ioMOc17Z6)
2025年 06月 03日 13:12

一茂さんのお父さんなんですね。知りませんでした。有名ですか?

【7682432】 投稿者: 落合さんsaid   (ID:fIRkANar532)
投稿日時:2025年 06月 16日 14:23

元中日監督の落合博満氏が15日、TBS系「サンデーモーニング」に生出演。3日に肺炎のため89歳で死去した長嶋茂雄さんについて語った。

 落合氏は「憧れの何物でもないですよ。野球界にスーパースターが何人かいるとなれば、最右翼じゃないですか」と話した。一番の思い出も告白。「連敗してる時に、この連敗を止める時にどうするんだろうなって思ってたの。負けてる試合に、次の日使えばいいピッチャーをどんどんどんどんつぎ込んでいく」と印象的な采配を明かした。

 つづけて「なんでこういう使い方するの? って長嶋さんに聞いたらね、『東京ドームに来るお客さん、毎日来るお客さんもいるけども、初めてで最後のお客さんがいる。そういうお客さんに、長嶋巨人はゲームを諦めた、捨てゲームにしたっていうことを絶対に思わせちゃいけない。だからどんだけ負けてても、最後まで勝ちに徹していく。最後まで最善を尽くす。それで負けたら、長嶋巨人っていうのは、最後まで我々が信じている、勝つことに最善を尽くしてくれたんだって納得して帰れる』。ああ、そういうことなんだと。だから次の日にとっておけば良い戦力をどんどんつぎ込んでいった」と、ファン第一の姿勢を語った。

 最後に「ファンとは言いませんでした。『お客さん』って言ってた。あくまでも興行ですから。見に来るお客さんに寂しい思いをさせちゃいけないっていう、その一心でやっていたと本当に感じます」と締めくくった。

【7682436】 投稿者: 山田久志said   (ID:fIRkANar532)
投稿日時:2025年 06月 16日 14:40

山田久志氏「プロ野球の世界で長嶋さんと同じ舞台に立てたことは幸せ」長嶋茂雄さん悼む
6/3(火) 19:15配信

 阪急ブレーブスで通算184勝を挙げた元中日監督・山田久志氏(76=日刊スポーツ評論家)が、6月3日に肺炎で亡くなった長嶋茂雄さんを悼んだ。

山田氏 いつも太陽のようにまぶしかった。わたしにとって長嶋さんはそういう人でした。そこだけが輝きを放って、いつも球場という空間を支配している存在でした。選手同士として対戦したし、長嶋さんが監督、わたしが選手、あるいは監督と投手コーチという関係で、いろんな立場で戦いましたね。

 交流戦がない時代で、セとパでリーグが違ったので、両者の対決はオープン戦、日本シリーズに限られた。

 山田氏 長嶋さんは長打力もありましたが、基本的には中距離打者だったと思います。バットを短くもってね。少し前かがみになった構えは独特で、こちらはマウンドからストライクゾーンが狭く見えたものです。でも打席の長嶋さんはそれが広かったんでしょうね。悪球打ちの名手でもありましたね。

 日本シリーズで長嶋と山田が初めて対戦したのは1971年(昭46)だ。3年目の山田が22勝(6敗)でエースにのし上がった年。1勝1敗で迎えた第3戦に先発した山田は8回まで2安打で抑えながら、9回に王貞治に逆転サヨナラ3ランを浴びたのは名勝負として語り草になっている。

 山田氏 わたしは1-0で勝っていた9回1死から柴田さんに四球を出すんです。柳田さんが右飛でツーアウトになって「あと1人」までこぎつけた。その後、長嶋さんの打球がセンター前に抜けていった。ショートの阪本さんのグラブをかすめるかのようなボテボテの打球でした。あそこでつながれて2死一、三塁になった後、王さんにホームランを打たれるんです。わたしが鼻っ柱を折られた生涯忘れることのできない一戦でしたね。

 「長嶋対山田」は71、72年の2年間で、通算成績は、12打数3安打1打点、0本塁打だった。ちなみに対王は23打数8安打、4本塁打、10打点。

 山田氏 長嶋さんと何度も対戦しましたが、なぜか敵に見えないんですよ。だってあこがれの人でしたから、やっつけてやろうという気にならないんです。阪急は75年から3年連続日本一を果たしたんですが、その76、77年も、現役として長嶋監督だった巨人と対戦しました。

 引退した山田氏は、99年に長嶋監督の巨人から投手コーチを打診されたが、夫人の体調が思わしくなかったので断りを入れた。

 山田氏 家庭の事情で仕方がなかったのですが、その直後にロサンゼルスに滞在していた中日監督の星野さんから口説かれるんです。長嶋さんに断りを入れたので無理だといっても聞き入れてもらえず、すぐに日本に帰ってきて会うことになった。最終的に中日にお世話になったのですが、長嶋さんに不義理したのが心苦しかった。でも長嶋さんが電話で「山ちゃん、気にすることないからね」と気遣ってくれたのでホッとした覚えがあります。それに仰木監督のオリックスで投手コーチだった当時も、長嶋監督の巨人と対戦しましたね。名球会での思い出もたくさんあります。プロ野球の世界で長嶋さんと同じ舞台に立てたことは幸せでした。

補足

先日、CBCアナウンサー光山氏がインタビューで再度ミスターについて聞いていた。

1969~88通算20年でプロとして活躍。
1965~73年、V9時代の巨人と3度、阪急ブレーブス投手として日本シリーズで対戦。

彼を一言で

「輝いて眩しかった」

と。オーラとは別だと。オーラとは別の輝きがあった。他の人と何が違うか分からないけれど、一人だけ違う世界に感じた。

打席の中の輝き、テンポの良い山田投手も打者長嶋茂雄は姿を目で追ってしまう。バットを短く持ち、バットスイングが早い、フォームは前かがみで懐の部分を大きくしながらという構え、同時期の中日、高木守道氏にも似ていた。だからインコースは投げにくかった。当てたら大変なことになるから。

試合以外では非常にフランクに声をかけてくれた。「山ちゃん!元気?」と。

現場では、監督、コーチときちんとメリハリをつけられていたそうです。

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