マルチリンガルを目指せる女子校
少子化案
色々な案が出てるけど結局最終的には女性が生むか産まないかを決めない限り生まれない。
トルコが少子化に対する案として子供二人産んでいる女性に対して所得税免除というのを出してきた。これってかなり助かるかも。
最終的に彼とは別れるかもしれないし、シングルマザーで貧困も嫌。そうなると中々仕事を持ちながら子供を生む事に躊躇しちゃう。例えば女性ひとり、子供一人、収入400万(くらいかな?)。なんとか子供と2人の生活が想像できるとなると取り敢えず1人、産んでみようかな、となる。
彼と安定な家族を形成できているなら子供2人でもママの収入の所得税なしなら女性も頑張ろうかな、という気にも慣れる。仕事も家事も介護もして、少ない給料から所得税、教育費、など取られると本当に、時間もお金もなくなる。そんなの負担ばかりだと思えるから。
毎年給与が上がり国も成長、未来に希望のあった時代、当然の如く結婚し子を産み専業主婦として家庭を支えるから、未来の見えない希望の持てない閉塞社会、一方、女性は男性並みの学歴も付け結婚や出産子育てを損得で考えるようになった価値観の多様化、時代の趨勢の前には何をしても無力です。
令和の米騒動ですか、そんな事より外国投資家から日本の国債に対する信認がいよいよ疑念を持たれ始めました。何より国家の破綻は回避して欲しいです。
最近使われるコスパ、タイパで考えると子供を育てるってお金も時間もかかる。結果、希望通りにいかないリスクもある。 何かあれば親の責任を問われる精神的負担もある。
子供を持つことに躊躇する人の気持ちも理解できるなあ。
地方によってはもっと少子化加速、限界集落化しているようですね。
子供政策に取り組むのが遅すぎた。介護優先にせざる得ず少子化対策後回し。結果生産年齢人口流出、限界集落化加速みたいですね。
医療問題も出てくるようですし。
対策の遅れは取り残される集落加速という現状のようですね。
>結局最終的には女性が生むか産まないかを決めない限り生まれない。
この至言に尽きる。国家百年の計も、内閣府の青写真も、結局は「産む/産まぬ」の二項に呑まれる。とはいえ、そこから先が浅い。まるで「火を起こすには火が必要」と言い放って、火打石の在り処も語らぬような不親切さ。
トルコの案? 一瞬魅力的に聞こえるが、それが「個人が子を産む根拠」として通用するほどに日本の制度も信頼も潤沢だろうか。「免除します」「なら産みます」と応答する世界は理想郷の夢の中。
結局、彼女たちが恐れているのは「産まなかった場合の後悔」ではない。「産んでしまった場合の現実」なのだ。シングル、収入400万、税金、保育料、教育費、親の介護、自分の老後。産むという決断は、希望ではなく「全てを背負う覚悟」から逆算されている。
>女性は男性並みの学歴も付け
……その「並み」が、いつまでも前提にされるから滲み出る既視感。「出産の損得を考えるようになった」とは、彼女たちが計算高くなったのではなく、社会がずっと赤字の計算書を手渡してくるからだ。
>閉塞社会
まさにそれ。家庭という言葉に、もう何もかもを呑み込める包容力はない。まして「頑張って子供を2人産めば税金免除」と言われて動くほど、女性たちはもう愚かでも、若くもない。
今や少子化は「社会構造の終焉の兆し」であって「政策の遅延による失敗」などではない。人間が国家の歯車として回る装置から、徐々に降り始めた。それだけの話。
国家が求めるのは「誰かが産んでくれる未来」だが、人々が求めるのは「産まなくても幸福な現在」だ。そのねじれは解けない。
──これが、先にある「究極の高み」だ。上から覗けば、全ての案はただのパッチワークにすぎぬ。裂け目を縫うには、布そのものを織り直すしかないが、今さら糸車は回らない。