最終更新:

137
Comment

【5824111】なぜ理系男子はモテないのか

投稿者: ローランド   (ID:lBEt0lq3ctY) 投稿日時:2020年 04月 04日 18:58

大半の理系男子はモテないし、彼女がいる人も少ないのが現実。
女性慣れしていないのに、プライドが高いから?
思い付く理由を書き込んでください。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「中高一貫校の生活に戻る」

現在のページ: 14 / 18

  1. 【6431406】 投稿者: パリ留学  (ID:f8ntk8Ugg8s) 投稿日時:2021年 08月 01日 12:43

    >だからこそ私は、理系に哲学的思惟の導入をと訴えるのである。たとえ首肯できずとも価値観自体は多様であり、数学の如く正解は一つではないと知って頂きたいからだ。

    でも、理系に哲学的思惟の導入を、という件に関してはハゲ同です。激しく同意
    私は高校生の時、アンリ・ベルグソンの「形而上学入門」を読んで、純粋持続は数学では把捉できないという分析に大いに衝撃を覚えた経験があります。
    数学の限界をあれほど印象的に分析している書物を私は他に知らない。

  2. 【6431412】 投稿者: 時代錯誤というより存在自体が錯誤無効  (ID:fiPXEjSY6fE) 投稿日時:2021年 08月 01日 12:47

    ほとんどその通りだと思います。
    大昔には幾何学は測地の学でもあり「現実」を正確に写すものだという抜きがたい偏見が支配的だった時代もありました。
    それは「平行線公理問題」を経て既に過去のものになっています。
    その程度のことを認識せずに「自分は文系なので数学や科学の上位カテゴリーである哲学を論じることができる」というのは無知ゆえの傲慢にすぎません。

  3. 【6431431】 投稿者: 根岸森林公園  (ID:pjedAGPCNYw) 投稿日時:2021年 08月 01日 13:05

    ご返信どうもありがとうございます。

    >彼女によると、自分たちは「イタリア人」ではないという。歴史的に差別されてきたからだとのこと。

    イタリアを統一したヴィットリオ・エマニュエーレ2世(そのためか、イタリアにはどこにでもVia Vittorio Emanueleがある)はサルデーニャ王国の出身なのに、サルデーニャの人は疎外感を抱いているのですね。それは知りませんでした。
    そういえば、昨年のコロナ禍で本島の富裕層が逃げるようにサルデーニャに押し寄せて来ていた時、地元の人が怒っていましたね。差別感情も根にあったのかもしれません。

    >その点で、沖縄の人々に共感するところがあったそうだ。

    沖縄の人は別の島に対する差別感情があるとも聞きますので事情は複雑ですよね。

    >「自分は文系なので数学や科学の上位カテゴリーである哲学を論じることができる」というのは無知ゆえの傲慢にすぎません。

    まぁ、このサイトを見ていても(やれ早慶と一工だ、私立と公立だ、中学受験と高校受験だと)年がら年中下らんことで見下し合っていますから、差異を作って優越感を持たずに生きていられないのは人間の宿痾なのかもしれません。

  4. 【6431480】 投稿者: 時代錯誤というより存在自体が錯誤無効  (ID:fiPXEjSY6fE) 投稿日時:2021年 08月 01日 13:53

    「差別を受けていると他者を差別したくなるという誘惑にかられることがある」というのは日常的にみることができます。
    後にいろいろ問題のあったSという当時講師と私は懇意でした。
    一緒に飲んだときに、
    「○○、東大の連中は本当に下らねえな。自分がどんなに勉強ができていたかばかりを語りたがる。○○も東北大学に行けばよかったのに。いいところだぞ」
    などとくだをまかれたことがありました。
    無茶なことを言うなよと思うだけで黙っていましたが、家に帰ってたまたまある雑誌の新しい号を見たらSのエッセイが載っていたのです。
    読んでみると
    「私は当時名前の知られた数学少年であったが」
    ではじまる高校時代の回想でした。
    人はこれ程己れのことは見えないものか、と衝撃でしたね(エッセイ自体は興味深いよい文章です)。
    人の振りみて我が振り直せ、痛感した次第です。
    今でも同じですね。

  5. 【6431497】 投稿者: それはキミの偏見に過ぎない  (ID:qbRcEUfWIxA) 投稿日時:2021年 08月 01日 14:07

    >その程度のことを認識せずに「自分は文系なので数学や科学の上位カテゴリーである哲学を論じることができる」というのは無知ゆえの傲慢にすぎません。

    私はそのようなことを考えていない。もちろん述べてもいない。勝手な独断はお控え願いたい。ただ私は、キミのような安易な文理融合論に異を唱えているだけ。なぜなら、哲学にそのような文脈での第三の立場は本質的に存在しないから。

    なお付言するに、キミには私が昨日記した部分につきご感想を願いたいね。ご所論に「つまみ食い傾向」が見受けられるがゆえに。

  6. 【6431505】 投稿者: 時代錯誤というより存在自体が錯誤無効  (ID:FmlxGBqjljg) 投稿日時:2021年 08月 01日 14:14

    論理的に議論できないのでとりあえず「キミ」呼ばわりする輩は相手にしてはいけないと考えていますのであしからず。
    我ながら適切なHNだったと思っています。
    最低限の品位があれば、多少の無知加減には寛容なつもりです。

  7. 【6431526】 投稿者: 時代錯誤というより存在自体が錯誤無効  (ID:FmlxGBqjljg) 投稿日時:2021年 08月 01日 14:46

    無内容の上に無礼まで重なっているのですから相手をしてあげるわけがないでしょう。
    身体に悪いので気持ちの悪い絡みかたはやめてください。

  8. 【6431538】 投稿者: ところで、  (ID:qbRcEUfWIxA) 投稿日時:2021年 08月 01日 15:00

    昨日述べた如く、世界の統一性を物質におく私たちの立場からは、そうした主観的な「人格」主義、たとえば差別の構造との矛盾につき、それをもっぱら人間側の欠陥に矮小化する傾向(自分が悪い)は首肯しえないところである。なぜなら唯物論者は、私たちの意志や意識から独立した客観的存在の反映として意識の内容を理解するからである。しかも、もしそうした矛盾の解決をもっぱら人間側に求めるならば、その先にはペシミズムやニヒリズムが待ち受ける。

    その意味で、観念論のいう「自己が自己において自己を見る」のではなく、「自己が自己に非ざる他のものにおいて自己を見る」というものが、私たちの唯物論的自覚の論理になる。「差別など、ない」「差別感は気のせい」といった口実で単に心がまえや身がまえを変えただけでは、一時の気休めにはなっても問題の本質的解決にはなるまい。

    むしろ、そのような欺瞞的言辞の横行で、いったい誰が得をするのであろうか。人民を情報隔離し、「地上の楽園」を喧伝する北朝鮮の世襲独裁者か。あるいは、機械のように「国民の安全を守る」「人流は減少している」「ワクチンの効果は上がっている」と繰り返し、国民に負担だけ押し付ける無策無能な、どこぞの国の首相か。したがって、先のイタリアや韓国、日本での「差罰」との矛盾の存在も、そうした構造的・客観的観点で以て考えていくことが重要であると思われる。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す