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【2043250】私立中学の価値 2校め

投稿者: ようこそ!書き込み歓迎   (ID:4Xzxz71IPe2) 投稿日時:2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

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  1. 【2288969】 投稿者: 未来  (ID:B356RGy62cw) 投稿日時:2011年 10月 08日 22:50

    遺伝さん

    そうそう、あまり勢いよく書くと
    危険人物と思われますよ。


    私のように。。(*^^*)

  2. 【2289035】 投稿者: 福の神  (ID:SkkrQKcfM8k) 投稿日時:2011年 10月 08日 23:53

    未来さん

    >彼らは、それができていない
    なぜなら、身の丈にあった勉強ではなかったからでは
    ないかと考えます。

    どうでしょう?
    その子たちがどういう小学校中学校時代を
    送ってきたのかわかりませんので、あまり
    無責任なことは言えませんが、現実として
    分数の通分ができない子がいて、しかも
    それが一人二人じゃないから、かかりっきり
    ではなく、公立高校で習熟度にする必要が
    あり、教員が不足している、ということの
    ようです。

    実は身内に教員がいまして、そこから
    聞いた話です。
    多少誇張されてる部分もないではないかな
    とも思うのですが、当たらずとも遠からず
    のところはあるのでしょう。

    ここからは自分の子どもの経験からの
    感想ですが、
    今の小学校中学校で、この子はこの部分が
    抜け落ちてると把握できているとは
    思えません。

    公立中学校は知りませんが、公立小学校の
    評価、ご存知ですか?
    絶対評価ですよ。
    この子にしたらできてる、できてない、
    なんですよ。
    だから、エデュでもよく話題になっている
    ように(塾がいいとは思いませんが、ただ
    一つの点数という尺度で順番をつけると
    いう観点で言うと)塾でいい点数を取って
    いる子が異様に低い評価がつく場合がある
    んですよ。

    未来さんのおっしゃるように、発達段階に
    おいて理解できていないことを押さえて
    理解できるようしていくのはその通りなん
    ですが、それを学校ではやってくれず、
    今は家庭任せになってるということだろう
    と思います。だから、教育意欲の薄い親の
    もとで育った子は通分ができないまま、
    高校に入るのでしょう。

  3. 【2289036】 投稿者: 判断  (ID:7PknSJofXAk) 投稿日時:2011年 10月 08日 23:55

    無常感さん


    私は暗記して書いているわけではないのですが…。
    無常感さんのご意見が、私学助成を(条件付きで)おかしいというのなら
    それでよいのではないでしょうか。
    専門家の見解だって分かれるくらいですから、
    どれかにはっきり決めることはできないのでしょう。
    法を優先させるのか、関わる人のことを考えるのか、
    とらえる人の立場で、見方使い方が違ってしまう事例なのでしょう。
    それを別法で助成ができるように補ったというのは、
    あくまでも国の事情によるものでは?


    それだけたくさんの文献をお読みなら、せっかくなので
    国に直接、質問、意見を投げかけられたらいかがでしょう。
    結果はこちらでお知らせいただくということで…。

  4. 【2289047】 投稿者: 福の神  (ID:SkkrQKcfM8k) 投稿日時:2011年 10月 09日 00:15

    適性さんもさんざっぱら言ってますが、
    結局、今の偏差値や、その偏差値による序列化
    を一番気にしているのは、視点さんであり
    無常感さんなのではないでしょうか。

    視点さんは塾に行く経済力のない子が
    東大京大に入れるようにしなくちゃいけないと
    言うし、
    無常感さんは、「お受験私学」は機会均等を
    害しているから、助成はおかしいと言う。

    で、そういう子が目指すところはいわゆる
    偏差値の序列で高いところなんですよね。


    現実的にはこの日本でみんな一律になること
    はあり得ないけど、国力が弱って来てるのは
    上の方の問題ではなくて、この前も書いた
    ように、成績分布がフタこぶになってること
    つまり、下の方の問題だと思います。
    先ほど未来さんにレスした、小学校ですでに
    理解力不足に陥っている子どもたちを放置
    していることが問題です。

    これに対処するのには、私学廃止とか、助成
    廃止ではなく、もっと前の段階、さらに言えば
    そういう親の教育が必要なのではないですか。

    ここに集っている親御さんは、知識も周辺状況
    も充分理解され、お子さんの理解力についても
    把握する能力がある。
    必ずしも大学でなくても、本人のやりたいこと
    を進路にするにしてもいいのですが、
    とりあえず大学を目指すというところで考えた
    ときに、そのコースを私立にするか公立にする
    か、というだけのことであって、それは各家庭
    の事情と好みの違いだけだと思いますよ。

    それより、そんなことを考えることすら
    しない家庭の親御さんの問題では。
    で、そんな家庭の子どもが勉強したいと
    言い出したときにそれを担保する制度を作っと
    けば、それでいいんじゃないですかね。

  5. 【2289125】 投稿者: 量的  (ID:gMEgW33mp2w) 投稿日時:2011年 10月 09日 05:55

    何人かの方々の議論、”公立の子にも東大、京大、医学部にいけるルート(教育)を”についてなのですが、都立と私立を比べるのではなく、都立と昔の都立を比較してみます。


    少なくとも、今よりも大分実績があった時代、東京の30-40年前にさかのぼって考えたときには、当時の都立の教育が際立って優れていたおかげで東大に入ったひとは多かったか、というと、少なかった、こんな風に考えます。ですから、公立(・私立・国立)の実績があがったというのは、都立(・私立・国立)にどういう個性が進学するか、に主に掛かっていたように思われます。(教育の違いが全く無関係とまでは言いませんが大きくない)


    当時、都立高校生で国立を目指す生徒はZ会をしたり、駿台の現役生の夏季講習を取ったり、「大学への数学」の懸賞をしたり、があったと思いますが、もっとお金を掛けず、定評ある参考書と問題集に、独学で挑んでいた人も多かったです。それでも、今より高い学力到達レベルだったと思います。


    ですから、”公立の子にも東大、京大、医学部にいけるルート”が確保されている、(かどうか)に注目するよりも、都立高校全体での数の議論の場合には、そういうことはもともと昔も今も、主要な問題でなく、関係タイプの子、そういう資質の子、希望の子が、いなくなった(私立・国立などへシフト)したことが、結果として合格者が少なくなった主な要因だったという注目点があると思います。


    そう考える理由は、都立高校が東大合格者を減らした1975-1985年の変化データが、学校で与えた教育ではなく、ほとんど入学する生徒いかんで圧倒的に東大合格者が支配されていたことを炙り出すインパクトある実験例(結果として)だったように思われるからです。(*) 


    東大に合格する生徒が少ない、進学者の多い私立高校と大きく水をあけられているように見えるというのは、事実ですが、原因は、先生や、教育が決して悪いためではなく、そういう個性を持った子供が、"既に”大部分私立にいっているだけなのではないでしょうか。定量的に、光を当てる必要がある議論と思いますので、その点は、別途考えてみたいと思います。


    気をつけて議論したいのは、ここで、高校の学校教育そのものが無力だったり役立たないということを言おうとしているわけではありません。高校教育なくして大学レベルへの進学はありません。また、これは良い先生に出会ったということを否定するものでもないです。


    相対的に他の要因を含めてみて寄与度を考えたときに、こと東大合格に結びつく、決定打になる鍵は、学校の与える教育よりも入学者そのものだということです。これは知的な才能であったり、家庭の教育だったり、強い意志だったり、努力する気質・性格だったりするでしょう。高校3年間に特に高校教育がよくて実現なされた進学の数字ではなかった、ということがほぼ事実に近いと思います。(**)


    外部環境は、当時、都立全日制は5.0~5.3万人程いました。(今は3.9万人) 東大合格者は400名弱いました。今は100名。子供を育てるという教育の質は、冷静に考えると、今も1970年代も同様に”良い”のです。


    (**)
    今後、よい教育により、普通の生徒が意欲さえあれば東大に合格するようなことがマス教育が実現できるかは、教育の進歩の可能性などもあり、正直、言ってわからないと、ここではしておきます。電子教材導入はその契機になる可能性もあるかと思ってもいます。わたしは、この1975-1985年という時代で、私立も都立も、共に、この普通のレベルを東大レベルに上げるような神業的なことをマスプロ教育で出来ていたことは、ほとんどないと想像してます。


    以下は、上記の(*)にかかわる、まったりモードの詳細を書いてみたものです。
    うまく書けたか定かではありません。ご興味ない方はスルー下さい。乱文ご容赦ください。


    ”公立の子にも東大、京大、医学部にいけるルートを”という
    ご意見に対しては、そういうルートは現在でもあると思います。
    という下記の判断さんの議論に触発されて、関連でまったり考えて見たいと思います。

    <判断さんWrote>
    【2287420】 投稿者: 判断(ID:7PknSJofXAk)投稿日時:11年 10月 07日 09:59
    「公立の子にも東大、京大、医学部にいけるルートを」という
    ご意見に対しては、そういうルートは現在でもあると思います。
    詳しい数字は分かりませんが、都立からなら年間100人超が
    そういった大学、学部に合格しているのでは?
    (個人の経済状況、塾などの利用状況の影響については不明。)


    1970年代には、東京では、(地域の名門)公立小→公立中→公立高に行くルートがまだあり、越境入学も数多くありました。この時代であっても、東大合格するかどうかは、今も昔も学校に大きくは依存しなかったのではないか、と思っています。すなわち、知的な才能であったり、家庭の教育だったり、強い意志だったり、努力する気質・性格だったり、ひとりひとりの入学者の個性に依存したという感覚があります。


    なかなかその根拠を示すことはできないのですが、
    例えば、下記に、ちょっと面白い資料があります。


    都立高校のトップ高が、最後に東大合格者を減らしたときの様子を示す資料なのですが、
    この中で、第1学区、第2学区、第4学区、第5学区、第6学区には、5年間であっというまにゼロになっている学校が7校あることです。

    注目点は2つほど思いつきます。

    1)この時期、教員の変化/教育の質の変化は、他の都立トップ高に比して相対的に悪くなったことはないだろう

    → 前後の5年間で学校の教員の質はこの期間、特にトップの学校の一部だけが、落ちているとはいえません。


    2)共通の特徴
    これらの学校は学校群で、より強い人気高にくっついてトップ学校群を作っていた共通の特徴があり、人気が急速に翳って、優秀層がこなくなったという共通の特徴があります。(除く新宿高校

    → 特に5年間で50名くらいあった東大合格者が次の5年ではゼロになるような急激変化が起きていたということです。

    で、この落ち方が何故、注目されるのかというと、1)2)を考えると、東大合格者が受験生の変化でほとんど決まることを端的に示していること (定量的には示しにくいですが、これは確かではないかと思っています)です。50名→30名の現象でも大きな変化でしょうが、教育野大きな変化なく、50名→0名などというのは、すごいインパクトだったという点です。これほど大きな実験場はなかったと思います。


    http://d.hatena.ne.jp/u2takada/20110912/p1


    群 校名 1975-1979 1980-1984 増加率
    #1計 105* 41* -61.0%
    #11 日比谷 79 28 -64.6%
    #11 三田 0* 13*
    #11 九段 15* 0* -100.0%
    #14 小山台 11* 0* -100.0%

    #2 452* 301* -33.4%
    #21 駒場 17* 0* -100.0%
    #21 新宿 11* 0* -100.0%
    #22 戸山 238 161 -32.4%
    #22 青山 186 140 -24.7%

    #3 428* 302* -29.4%
    #32 西 241 182 -24.5%
    #32 富士 187 120 -35.8%

    #4計 133* 75* -43.6%
    #41 小石川 85 75 -11.8%
    #41 竹早 48 0* -100.0%

    #5計 6* 14* 133.3%
    #52 白鴎 0* 14*
    #52 上野 6* 0* -100.0%


    #6計 88* 47* -46.6%
    #61 両国 73* 40* -45.2%
    #61 小松川 7* 7* 0.0%
    #61 墨田川 8* 0* -100.0%


    #7 227* 275* 21.1%
    #72 国立 111* 159 43.2%
    #72 立川 116* 116 0.0%

    群 校名 1975-1979 1980-1984 増加率


    それから、別の理由として、個人的な感想があります。当時の都立の友人などを見ていても、どこの高校にいようが、高校に行きさえすれば、その東大にはいった生徒は東大に入っただろうな、と思われたものです。知的才能もそこそこあったし、自学自習の習慣のあった子、基本、勉強が大好きな子、という特徴が顕著だったと思います。


    大学に入って、関西の有名私立高の友達が沢山できたので、彼らにどんな様子だったのか、を聞いたところ、ある学校は特別に東大進学率が高い学校でしたが、「流れに乗っていさえすれば、自然に東大を受験するし、自然に合格するから自分は優秀ではない」と答えていたひとが複数いましたが、東京の私立・国立からの人々は、学校のおかげで合格したと言わなかったです。むしろ、ほとんどの学校は、以外にも受験指導もなければ進学指導もなかったと言っていました。ただし、授業は面白かったと。事実、本人がお勉強好き、目標への意志が強かったから、入ったことが大きいように思われました。(念のため、今どきの議論ではなく、”当時”の話ですね)

  6. 【2289130】 投稿者: 量的  (ID:gMEgW33mp2w) 投稿日時:2011年 10月 09日 06:04

    すみませんが、手直ししました。


    何人かの方々の議論、”公立の子にも東大、京大、医学部にいけるルート(教育)を”についてなのですが、都立と私立を比べるのではなく、都立と昔の都立を比較してみます。


    少なくとも、今よりも大分実績があった時代、東京の30-40年前にさかのぼって考えたときには、当時の都立の教育が際立って優れていたおかげで東大に入ったひとは多かったか、というと、少なかった、こんな風に考えます。ですから、都立(・私立・国立)の実績があがったというのは、都立(・私立・国立)にどういう個性が進学するか、に主に掛かっていたように思われます。(教育の違いが全く無関係とまでは言いませんが大きくない)


    当時、都立高校生で国立を目指す生徒はZ会をしたり、駿台の現役生の夏季講習を取ったり、「大学への数学」の懸賞をしたり、があったと思いますが、もっとお金を掛けず、定評ある参考書と問題集に、独学で挑んでいた人も多かったです。それでも、今より高い学力到達レベルだったと思います。


    ですから、”公立の子にも東大、京大、医学部にいけるルート”が確保されている、(かどうか)に注目するより、都立高校全体での数の議論の場合には、そういうことはもともと昔も今も、主要な問題でなく、関係タイプの子、そういう資質の子、希望の子が、いなくなった(私立・国立などへシフト)したことが、結果として合格者が少なくなったことが注目点と思います。


    そう考える理由は、都立高校が東大合格者を減らした1975-1985年の変化データが、学校で与えた教育ではなく、ほとんど入学する生徒いかんで圧倒的に東大合格者が支配されていたことを炙り出すインパクトある実験例(結果として)だったように思われるからです。(*) 


    東大に合格する生徒が少ない、進学者の多い私立高校と大きく水をあけられているように見えるというのは事実ですが、原因は先生や教育が決して悪いためではなく、そういう個性を持った子供が、"既に”大部分私立にいっていただけなのではないでしょうか。定量的に、光を当てる必要がある議論ですので、その点は別途考えてみたいと思います。


    なお、気をつけて議論したいのは、ここで、高校の学校教育そのものが無力だったり役立たないということを言おうとしているわけではありません。高校教育なくして大学レベルへの進学はありません。また、これは良い先生に出会ったということを否定するものでもないです。


    相対的に他の要因を含めてみて寄与度を考えたときに、こと東大合格に結びつく、決定打になる鍵は、学校の与える教育よりも入学者そのものだということです。これは知的な才能であったり、家庭の教育だったり、強い意志だったり、努力する気質・性格だったりするでしょう。高校3年間に特に高校教育がよくて実現なされた進学の数字ではなかった、ということがほぼ事実に近いと思います。(**)


    外部環境は、当時、都立全日制は5.0~5.3万人程いました。(今は3.9万人) 東大合格者は400名弱いました。今は100名。子供を育てるという教育の質は、冷静に考えると、今も1970年代も同様に”良い”のです。


    (**)
    今後、よい教育により、普通の生徒が意欲さえあれば東大に合格するようなことがマス教育が実現できるかは、教育の進歩の可能性などもあり、正直、言ってわからないと、ここではしておきます。電子教材導入はその契機になる可能性もあるかと思ってもいます。わたしは、この1975-1985年という時代で、私立も都立も、共に、この普通のレベルを東大レベルに上げるような神業的なことをマスプロ教育で出来ていたことは、ほとんどないと想像してます。


    以下は、上記の(*)にかかわる、まったりモードの詳細を書いてみたものです。
    うまく書けたか定かではありません。ご興味ない方はスルー下さい。乱文ご容赦ください。


    ”公立の子にも東大、京大、医学部にいけるルートを”という
    ご意見に対しては、そういうルートは現在でもあると思います。
    という下記の判断さんの議論に触発されて、関連でまったり考えて見たいと思います。

    <判断さんWrote>
    【2287420】 投稿者: 判断(ID:7PknSJofXAk)投稿日時:11年 10月 07日 09:59
    「公立の子にも東大、京大、医学部にいけるルートを」という ご意見に対しては、そういうルートは現在でもあると思います。 詳しい数字は分かりませんが、都立からなら年間100人超が そういった大学、学部に合格しているのでは?
    (個人の経済状況、塾などの利用状況の影響については不明。)


    1970年代には、東京では、(地域の名門)公立小→公立中→公立高に行くルートがまだあり、越境入学も数多くありました。この時代であっても、東大合格するかどうかは、学校に大きくは依存しなかったのではないか、と思っています。すなわち、知的な才能であったり、家庭の教育だったり、強い意志だったり、努力する気質・性格だったり、ひとりひとりの入学者の個性に依存したという感覚があります。


    なかなかその根拠を示すことはできないのですが、
    例えば、下記に、ちょっと面白い資料があります。


    都立高校のトップ高が、最後に東大合格者を減らしたときの様子を示す資料なのですが、
    この中で、第1学区、第2学区、第4学区、第5学区、第6学区には、5年間であっというまにゼロになっている学校が7校あることです。

    注目点は2つほど思いつきます。

    1)この時期、教員の変化/教育の質の変化

    → 他の都立トップ高に比して相対的に悪くなったことはないだろう。前後の5年間で学校の教員の質はこの期間、特にトップの学校の一部だけが、落ちているとはいえません。


    2)共通の特徴
    これらの学校は学校群で、より強い人気高にくっついてトップ学校群を作っていた共通の特徴があり、人気が急速に翳って、優秀層がこなくなったという共通の特徴があります。(除く新宿高校

    → 特に5年間で50名くらいあった東大合格者が次の5年ではゼロになるような急激変化が起きていたということです。

    で、この落ち方が何故、注目されるのかというと、1)2)を考えると、東大合格者が受験生の変化でほとんど決まることを端的に示唆することです。 (定量的に示しにくいですが、これは確かではないかと思います) 50名→30名の減少でも大きな変化でしょうが、教育の面で大きな変化なく、50名→0名などということは、実にすごいインパクトだったという点です。これほど大きな実験場はなかったと思います。


    http://d.hatena.ne.jp/u2takada/20110912/p1


    群 校名 1975-1979 1980-1984 増加率
    #1計 105* 41* -61.0%
    #11 日比谷 79 28 -64.6%
    #11 三田 0* 13*
    #11 九段 15* 0* -100.0%
    #14 小山台 11* 0* -100.0%

    #2 452* 301* -33.4%
    #21 駒場 17* 0* -100.0%
    #21 新宿 11* 0* -100.0%
    #22 戸山 238 161 -32.4%
    #22 青山 186 140 -24.7%

    #3 428* 302* -29.4%
    #32 西 241 182 -24.5%
    #32 富士 187 120 -35.8%

    #4計 133* 75* -43.6%
    #41 小石川 85 75 -11.8%
    #41 竹早 48 0* -100.0%

    #5計 6* 14* 133.3%
    #52 白鴎 0* 14*
    #52 上野 6* 0* -100.0%


    #6計 88* 47* -46.6%
    #61 両国 73* 40* -45.2%
    #61 小松川 7* 7* 0.0%
    #61 墨田川 8* 0* -100.0%


    #7 227* 275* 21.1%
    #72 国立 111* 159 43.2%
    #72 立川 116* 116 0.0%

    群 校名 1975-1979 1980-1984 増加率


    それから、上記に加えて、別の理由として、個人的な感想があります。当時の都立の友人などを見ていても、どこの高校にいようが、高校に行きさえすれば、その東大にはいった生徒は東大に入っただろうな、と思われたものです。知的才能もそこそこあったし、自学自習の習慣のあった子、基本、勉強が大好きな子、という特徴が顕著だったと思います。


    大学に入って、関西の有名私立高の友達が沢山できたので、彼らにどんな様子だったのか、を聞いたところ、ある学校は特別に東大進学率が高い学校でしたが、「流れに乗っていさえすれば、自然に東大を受験するし、自然に合格するから自分は優秀ではない」と答えていたひとが複数いましたが、東京の私立・国立からの人々は、学校のおかげで合格したと言わなかったです。むしろ、ほとんどの学校は、以外にも受験指導もなければ進学指導もなかったと言っていました。ただし、授業は面白かったと。事実、本人がお勉強好き、目標への意志が強かったから、入ったことが大きいように思われました。(念のため、今どきの議論ではなく、”当時”の話ですね)

  7. 【2289146】 投稿者: 無常感  (ID:bmVKzSbHExE) 投稿日時:2011年 10月 09日 06:49

    判断さん

    ・・というか、

    >「私学の特性と助成対策」(市川昭午)という論文によると、

    ・・と、せっかく「国立大学財務・経営センター」の掲示論文まで読まれたわけですから、
    もったいないですので、漠然と紹介するのではなく、その論文にある「おもしろい論点」をピックアップして、
    判断さんのご意見を加えて、紹介されてはかがでしょうか? 

    ・・この掲示板は、そういう場なのではありませんか?

    その論文は、単に「私学助成」だけを書いているわけではなくて、
    じゃあ、そもそも「私学って何ですか?」・・と本質的な問いも含んでいますよね。
    なにせ、このスレは「私学助成」が主役ではなく、【私立中学の価値】・・・「私学の存在意義」が
    テーマなのですから、ぜひ、そういったことも検討してください。


    >思いや願いを理解しないと現実を読み取ることはできないでしょう。

    「思い」や「願い」は、あなただけではなく、私も含めてみなさんもっています。

    私も、何も法令、理論だけで語っているわけではなく、
    いくらなんでも、受験私学は暴走し過ぎだろう・・そういう実感がある、
    それを法理で表現しているだけにすぎません。

    そして、社会にもそういう「思い」「願い」があるから、公立中高一貫校 が現れたのだと思いますよ。

    私は反対ですが・・公立中高一貫校の「学力検査」実施・・これは時間の問題でしょう。
    そして、多分、いずれ東大・京大合格者数トップ10の大半を、公立中高一貫校で占める時代になると思う。

    受験私学を成り立たせているものは、往年の日比谷高校が凋落した理由が示すとおり、
    「公立学校(公教育)での予備校化はけしからん!」という激しい批判、強いバイアスです。
    このタガが外れてしまったら、受験私学の大半はもろくも崩れますよ。
    要は、東大・京大等への受験教育は、別に「私学の特性」ではないということです。

    だから、もっと本質的な問い【私立中学の価値】・・「私学の存在意義」が大切だと私は思います。

  8. 【2289152】 投稿者: 適性  (ID:.EHeG/LNF/Q) 投稿日時:2011年 10月 09日 07:21

    量的さん。

    同意します。
    あまり、こういう観点で見てくれない人もいます。

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