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【2043250】私立中学の価値 2校め

投稿者: ようこそ!書き込み歓迎   (ID:4Xzxz71IPe2) 投稿日時:2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

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  1. 【2317805】 投稿者: 量的  (ID:gMEgW33mp2w) 投稿日時:2011年 11月 06日 09:39

    信頼感さん、

    おはようございます。2つにわけて、レスを試みたいと思います。
    反論と言うことではありませんので、気楽にお読みください。

    なお、誤解をされるといけないので補足させていただきますが、11月5日に頂いた信頼感さんのお意見をスルーしていたわけでは無いのですが、レスがつけにくかったこと、他の点からさきにレスいていたのと、自分の方の本業の仕事も忙しかったので、丁寧にレスつけておらず、ちょっとすみませんでした。

    ・・最初は、信頼感の問題点の指摘p.631に対する論点のところです。2つめの投稿で、議論のアプローチとご指摘頂いたところについて、俯瞰し分けて考えてみることにします。

    最初に確認で引用して、まとまりごとに量的のコメントと、明確にするための簡単な質問をつけていきます。

    <P.631 信頼感さんWrote 【2316866】 投稿者: 信頼感 より>
    1)
    初等教育での立ち歩き、責任のない権利を主張する自由、中学からの陰湿なイジメ、根っこは、幼児期の躾の遅れに始まり、「枠」でしか子供たちを評価しない自律性を蔑ろにした養育環境だと思うのです。既に、幼児期からボタンの掛け違いが始まっているのに、そのボタンを一旦外し、掛け直そうとしない。 掛け違ったボタンの位置を眺めながら、服を引っ張って、掛け違っていないように見せようとしているだけ....私にはそう見えます。 (信頼感さん)

    → わたしはAgreeです。個人ベースで見れば、躾の要素があると思います。「自律」と書かれたのは「自立」という意味でいいですか。(幼児に自律を促す環境が必要とは思いませんし、その文意と思わないので)ボタンのかけ直しの主語は、「保護者」「家庭教育+学校教育のプランナー・実施者」で良いですか。 (量的)

    2) 極論すると、自律性が育まれていれば、イジメは極端に減るでしょう。 イジメの根っこは、幼児期、学童期の母性不足、理不尽な父性などによる信頼感の欠如→自律性の希薄が基盤となり、学童期、青年期での心の傷が投影という責任転嫁に発展することで引き起こされると思っています。
    イジメに対処した具体例は、行動として参考になります。しかし、イジメの手口やその対処を学んでも、ボタンの掛け違いを見いだす方向に目は向かないし、イジメはなくならない。そもそも、イジメはなくならないという前提で話されているようにも感じます。(信頼感さん)

    → わたしはいじめを、自殺とか、顕在化した虎部ると定義してそれを無くする、という定義であれば、なくすのは極めて重要で、今、そういう方向に社会は向かって努力していると考えています。一方でわたしのつかっている「いじめ」は人間関係の各種のハラスメント、(例えば、パワーハラスメント)を指しており、ことばでキヅ付ける、おとしめて、顕在化しにくいものをも含みます。(量的)

    イジメは、独裁者と同じような経緯で生まれる負の感情(憎しみ)が原因です。(イジメたい相手が憎いわけじゃありませんから)負の感情は、自律して思考(信念から思考)しません、誰かに負わされた心の傷から生まれる負の感情に支配されているのですから。
    臨床心理の治療でも、ボタンの掛け違ったところまで戻り治療するわけです。算数だって四則演算でつまずいている子に方程式を教えても解決されないでしょ。 こんなことを述べてもこちらの皆さんは、スルーなのでしょうけど。

    → 書かれていることにAgree です。
    心に受けた負の感情がいじめに向かわせる要素のあることは当然だと思います。内容としてはそうです。ただ、では次におわされた心のキヅは、と考えると、Agreeしていただいたように社会の問題、その親の環境です。
    後述するように、家庭の躾のありようの一般議論は大きな問題であること、よってサブの議論として扱いが難しいし、そこに議論を持って行くことで解決はしないと思います。まして掲示板ですから。幼児にどう教育すべきか、しつけるべきかあり方かは、若年層の労働環境、共働きがあるとか、親自身の置かれたさまざまな付帯状況を想定して議論することになりますが、どんどん違う議論・広い範囲の議論になってしまうことでかみ合わないことが増えますし、段階的な拡張議論になることで議論しにくく、私立中学の価値議論とは違う議論に見えてしまいます。少なくとも、(私はIssueの扱いとして自信がない扱い方です。)実質、限界があるというのが私の理解です。本質としてあるというのが理解です。(この部分をレスが遅れてお伝えしていなかった部分かと想像します。関連は次にも記載しておきます。)


    p.634【2317034】 投稿者: 信頼感

    >出発点は、家庭教育で、そのバックグラウンドとなる社会のありようの部分の議論でしょう。(量的)

    仰る通りです。 量的様にとってこの部分は論外ということでしょうか。
    だとすれば、イジメを本気で議論しても解はないと思われます。
    イジメに限らず、原因を理解した上で対処を考えませんか?
    対処が、先にあるって.....私には、よくわかりません。(信頼感さん)

    → 論外ではありません。がしかし、時間を食う割に、かなり大変です。いじめの問題を複合問題と捉える私の今の考え方からすると、問いの立て方・与え方が、違うためです。(ご意見違ってもかまいません。)それでも、後ほどこの部分も含めて別の機会に、わたしなりには詳細に考えてみようと思っています。(量的)

  2. 【2317817】 投稿者: 量的  (ID:gMEgW33mp2w) 投稿日時:2011年 11月 06日 09:50

    信頼感さん、
    Part2としては、いただいたコメントについて、考えるところを少し書きます。

    1)
    議論出来ない部分というのは、お互いに環境が違うので、あると思いまが、ただ、さきほどのPart1で少し、立ち場、考えの違いが明確になればとは思います。化替えがそれでも、違う部分はあると思います。それはそれで仕方がないと思います。(*)

    総括すれば、 わたしは信頼感さんの言われるような視点は、理解ができます。しかし、そこは議論をして入っていっても出口がないので、議論しにくいと言っているつもり。(理由は、どういう社会を目指すかは大きい議論で、議論しきれないし共通の認識もない。また、どうやって社会をかえる、というような議論を精緻に出来るかというと掲示板では、限界があり、そうでない。)

    2)
    ご指摘にあった、「善悪の判断」の部分は他の方が書かれた部分ですので、善悪については関係ないとおっしゃるなら、関係というのは同じ考え方、だと思います。無視して頂ければ結構です。


    3)
    お書きになった、「教育環境を緩くする」というのも信頼感さんに向けたモノでは全くありません。こちらの記述は、無視なさってください(**)


    なお、註で少し補足を付けました。あくまで本文の意図の補足説明で、しかも信頼感さんには本文出言い尽くしているつもりです。敢えて書いてはおりますので、この部分にご興味無ければ、どうぞスルーをなさって下さい。


    (*)
    補足をさせていただければ、わたしは、自分の昔の「いじめられた」あるいは「いじめた」経験だけでモノを見ているつもりはありません。今も、自分が仕事をしている時には、これらは常に潜在危険としてあることであり、これは、身を守る手段です。わたしは、こころの問題の切り口で議論をしようというアプローチはこのテーマには、さしあたりしません。

    (**)
     記述が簡単過ぎた部分を細くします。いま、私立中学校で行われているいじめの緩和策の肝の部分を考えてみます。例えば、1990年代にスパルタで伸びた学校も、その後は、大学には行った生徒の留年問題などや反社会的行動で問題になった学校があり、今は、ものすごく緩くしているのが主流で、一般的ないじめ・落ちこぼれ対策です。一言で書けばこういうことですが、これは公立・私立を問わずでてくる進学校の発展の歴史そのものとみております。

     これが未熟なところでは、生徒を締め上げてカリキュラムや生活指導で厳しくやると、ともすると自殺者などが出てしまいます。公立・私立を問いません。わたしのいたころの公立の(中堅)進学校では、やはり1~2%位ついて行けなくて学校を辞めたり、友人関係のトラブルが顕在化していました。1960~70年代です。 この因果関係はきついというのが共通の認識になり久しいと理解しています。最近では、中国(あるいは最近では韓国などアジアの国もそうですが)では、一人っ子政策を記に教育ブームで、親が多額のお金を投じて、こどもの教育をさせる教育ブームが続いています。国家全体をマスとしてみれば、沢山人はいるから、弊害が出てもかまわない(最悪、生徒が死のうがしかたない) という感覚も、大人の側、行政の側ではあるのが特徴で、日本で言うなら1960年代くらいの感覚です。これは、でも昔の話ではなく、今まさに、企業でアジア人と日本の若い人を比べたときに感じることです。

    そして企業人さんが以前に書かれた<P.476【2290554】 投稿者: 通りすがりの企業人> や量的の書いたP.471 【2290969】 に関わる議論で、問題意識が詳細に書かれています。密接に関わると思います。

    教育のあり方論議の文脈では、「いじめ問題(あるいはカリキュラムの方で言えば進度と落ちこぼれ問題も同じ次元で関わると理解していますが)」と「優秀な若い世代を育てる」というのは、口で言うのは非常にたやすいが、教育の大きなやりかたとその具体的実施の仕方で、深いところで密接に絡む背反問題/裏腹の問題に思えます。

  3. 【2317819】 投稿者: 老眼  (ID:cJoehyhsfQ2) 投稿日時:2011年 11月 06日 09:54

    >信頼感様がおっしゃるように、私も「いじめをなくす事」は難しい事ではない。と思います。 そして、それを教育で行わずにどこで行うんだ??と思います。・・・・・時にはクラス中が泣きだす事もあった。 友人達と心が通じ合えた時の感激の涙だったと思います。・・・・・ 単純な事ですが、私達は先生からこれを徹底的に実践する事を教わり、時に強く叱られ、一人一人が大きく変化出来たと思います。


    大変励みになるお話です。
    励みって,わたし個人にとってというちっちゃなことではなくて,これから教育を受ける子供たちにとってです。


    全体のお話の中に,いくつもの重要な要素がありますが,最も目を引いたのが,「一人一人が変化出来た」という部分です。すごい。一人の先生がそれをやりとげたとするとこれはすごい。理想的なクラスですね。


    それをやらなきゃって想う先生がいて,実行(生半可じゃないでしょうけど)すれば出来る,ってことですよね。

  4. 【2317839】 投稿者: 無常感  (ID:k9eWi1uClxY) 投稿日時:2011年 11月 06日 10:16

    【2317607】量的さん、【2317650】老眼さん のコメントを拝見してですが・・

    >例えば、狭い金魚鉢で沢山の魚を飼うと縄張り争いで弱い魚は犠牲になりやすい。(量的さん)

    僭越ですが・・生物における弱肉強食と「いじめ」の問題は少し違うと思うのですね。

    世のなかは弱肉強食(あくまでも比喩です)なのだから、かならず、強いもの、弱いものがいて、
    自分はどちらにころぶか分からない、理不尽なことだってあるのだから、そういったことに耐えるよう、
    力をつけなさい・・それが教育である・・おそらく、そういったご趣旨ではないかと思うし、
    そういう観点で支持します。

     でも・・「いじめ」の問題は、これとは少し違いますよね。

    たしかに、鍛えるという意味で苦労すること自体に意味がある というのは正しいけども、
    それは、極力、「意味があること」で苦労するべきで、「いじめ」みたいな「意味がないこと」で
    苦労させない方がいいでしょう。

    「いじめ」の問題が魚にあるのか?・・ないですよね、これは人間(社会)の問題です。

    宗教で、異教徒には寛容なのに、異端に厳しいという事象がありますよね。
    大きな差に対しては寛容なのに、小さな差が許せない・・憎悪を感じる。
    根本的さんがご指摘なさったとおり、「いじめ」の問題は、価値観が均質化した社会で起きやすい
    のではないか・・と感じています。

    「いじめ」問題は、やはり社会で取り組むべきことだと思いますよ。

    >同じ「いじめ」でも,量的さんのケースように後で和気藹々となれる関係もあれば,命にかかわるケースや幸い命の問題までいたらなくともPTSD併発というかなり深刻なケースも多発しています。(老眼さん)

    おっしゃるとおり、深刻な問題がありますよね。

    ただ・・深刻な問題まで入れたら、それはおそらく「教育」の射程では収まりきらないですよ。

    小中学校の教育プログラムといった「教育論」だけではダメで、
    【2316925】で書いたような「暴力論」など、他の分野にも視野を広げて考えないと、
    なかなか、犯人はみつからないと思います。

  5. 【2317842】 投稿者: 地域、時代  (ID:ArztdBfx5S.) 投稿日時:2011年 11月 06日 10:18

    老眼様

    先生の努力は生半可なものではなかったと思いますよ。
    新卒の先生ですので、私達が先生のクラスの一期生だったんです。
    なので、ベテランの事なかれ主義の先生達の中には、私達生徒に直接悪愚痴を言ってくる先生もおられましたしね。
    もちろん、私達はそういった先生に対して「先生の事、何もわかってないくせに!」って強く反発しましたね。
    当時の先生の物事に対する姿勢を見ていますと教師間でもおかしい、、と思った事はおそらくしっかり発言なさる方であったと思いますから。

    親御さん達からの信頼も厚かったと思います。
    うちの母も数回呼び出されたりしたのですが、「エエ先生に出会えたな。素晴らしい先生や。。」と毎回自分を反省していたような気がします。

  6. 【2317853】 投稿者: 量的  (ID:gMEgW33mp2w) 投稿日時:2011年 11月 06日 10:31

    弱点さん、
    量的について書かれたところは、その通りです。
    ひどいいじめを容認したり、とおもっていることは、勿論、全くないです。

    小学校教育の先生方の努力、改善も評価しています。
    小学生は前より競争てきな環境ではなく、通知表も簡素で
    雰囲気良いとおもいますし。
    さらによくなるおとを期待しています。教育として
    (この部分ならいくらでも教育でできます)

    ただ、弱点さんもかかれたように、
    社会にも世界にもでていけないということは、
    成長社会でないだけに切実ですね。こことの釣り合い。

    こどもの代までは親が面倒見れますから良いデス(=問題がさほど顕在化しない)
    が、孫の代とその次は、本気で危ない、という危機感は、肌感覚として強くあります。

    因みにわたしは、自分の仕事は、完全に近く若い人からガラス張りになるように「見える化」して、
    Makingビデオのようにしています。気づきのあったときに、また、わたしがいなくなっても勉強できるように跡をつけています。

    以前のわれわれのやりかたでは、見せない様にしている先輩のノウハウを如何に"盗む”かは当然であったのですが、時代・相手に合わせる必要があります。。

    今の環境、それから教育では、良い反面、それだけ押しが弱い
    部分ができるのでしょう。


    <弱点さんWrote >
    教育を変える、その必要性はもちろんありますが、
    そして、その都度の事例での両者へのケアは当然のこととして、
    すべての人をいわゆる善の固まりとすることは無理だと思っていますし、
    それをしたら、どうなるかという先も考えないといけないと思います。
    悪とか善という言葉もちょっと違うように思うのですが、
    悪を知った上での善でないと、社会にも世界にも出て行けないと思うのです。
    真に純粋な人は、心を病んでしまうことでしょう。たぶん。
    だから、心を強くする必要があるんだと思います。
    量的さんは、その視点で話されているのかなと思いました。私も同感です。

  7. 【2317855】 投稿者: 信頼感  (ID:LXTwhB0V4Ss) 投稿日時:2011年 11月 06日 10:33

    地域、時代様

    >大きな「許さない」の看板のもとで、先生達は、私達一人一人を「許して、受け入れて」くれました。

    素晴らしい先生ですね、そして大切な↑の部分を追記くださる時代様の深い理解に感謝いたします。
    「責任の基に成り立つ自由」を体感された生徒さんは幸せだと思います。

    量的様

    丁寧な返信をいただきましてありがとうございます。
    同意、異議の部分を明確にご説明いただき感謝いたします。

    >一方でわたしのつかっている「いじめ」は人間関係の各種のハラスメント、(例えば、パワーハラスメント)を指しており、ことばでキヅ付ける、おとしめて、顕在化しにくいものをも含みます。(量的様)

    この問題も含めて、イジメの発生ロジックを端的に述べたつもりです。(これが全てとは申しません)ですが、これ以上話すと長〜い時間を議論に費やすことになるので、私もこれ以上述べません。
    ひとつだけ...成長した大人をイメージしてイジメを捉えると、量的様の知性をもってしても無力感に苛まれるかもしれません。俯瞰して思考されることも重要ではありますが、子供視点に立ち返り相手の心をイメージすると、別な観点もあろうかと存じます。

    >後ほどこの部分も含めて別の機会に、わたしなりには詳細に考えてみようと思っています。

    楽しみにしております。

  8. 【2317857】 投稿者: 無常感  (ID:k9eWi1uClxY) 投稿日時:2011年 11月 06日 10:35

    >仰る通りです....しかし、そこまで文章にしたくない。
    原因の一旦を明確にしたいのです。原因=社会とすると、そこだけが強調され思考停止する方もいらっしゃいますから。
    と、書きながら、今まで散々母性父性の問題点について述べたこと...つまり大人の責任を言い張ったのは自分自身ですしね。 (信頼感さん)


    本当は「社会」全体の問題として、解決すべきことだけども、

    問題意識が拡散にしないように、可能な限り「教育」のなかで戦うわけですね。

    そういうお立場も理解できます。

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