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【2043250】私立中学の価値 2校め

投稿者: ようこそ!書き込み歓迎   (ID:4Xzxz71IPe2) 投稿日時:2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

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  1. 【2323097】 投稿者: 地域、時代  (ID:NTVFNX5ppX6) 投稿日時:2011年 11月 10日 21:45

    量的様

    もう、ご覧になったかもしれませんが、つい最近、NHKのBS放送で「フラッシュ、クラッシュ」株取引 超高速化の落とし穴。
    というのをやっていました。
    BS放送なのでまたいつか同じ放送をやると思いますが、これも、考えさせられる所が多いです。

    再放送は
    2011年11月16日(水) 18:00~18:50 BS世界のドキュメンタリーです。
    一方向的な見方だとは思いますが、なるほど、、という感じです。

  2. 【2323116】 投稿者: 地域、時代  (ID:NTVFNX5ppX6) 投稿日時:2011年 11月 10日 22:02

    適性様

    教えて下さってありがとうございます。
    特にゴリラの方の山極さんのお話が面白かったです。

    で!
    今日、久しぶりに男の子が熱唱する、ららら、らら~消臭リキ!のコマーシャルに偶然遭遇!
    適性様の事思い出して、そこからドナドナに行ってしまい、それからドナドナが頭の中ぐるぐる。
    一人でぐるぐるするのも嫌だから、適性様も遺伝様も一緒にドナドナして~!(笑)

  3. 【2323137】 投稿者: 地域、時代  (ID:NTVFNX5ppX6) 投稿日時:2011年 11月 10日 22:16

    根本的様

    私だって、家の中じゃ、主人に弱いダメだって言われ続けてますよ。
    私も主人に言うし。
    家庭ってそんなもんじゃないかな??な~んて思ってます。

    根本的様も信頼感様のようにお子様が小さい頃育児をなさっていたのですね!
    赤ちゃんを抱いて、あやしている男性ってめっちゃカッコエエです。

  4. 【2323150】 投稿者: 信頼感  (ID:LXTwhB0V4Ss) 投稿日時:2011年 11月 10日 22:30

    適性様

    コメント、ありがとうござます。

    >であるなら、私は・・「影」が存在したとしても、それを「どうこうできるものでもない」というイメージを持ってしまうのですよね。

    そうなんです、仰る通り!.....ですが、冷静に主張を振り返ることが出来れば、自己の主張の矛盾点の痕跡に気づけることもあります。その状況証拠を基に「影」の真意を考察することも部分的に可能だと思うのです。そして、こちらの皆さん、全員に云えることですが、その状況証拠に気づける方々ばかりだと思っております。

    茂木先生のお話...「脆弱性が多様性を必然とし、多様性が豊富な程、人は利他的行動による深い喜びを本来欲している。ミラーニューロンによって共感を獲得したある種(霊長類)にその傾向が見られる。」
    まだ、考えが繋がらない...というか初めて聞く考えなので少し反芻してみます。

    先日、根本的様と「個性」の解釈についてお話した際、「個の差がクローンの様になくなると個性のない我が存在することになる」→アリ、ミツバチに例えると女王以外皆兄弟の為、個の差があまりない。DNAレベルの個の差があまりない上に生殖機能を持っていないこれらの昆虫にとって女王、巣、卵を守ることは必然であり、外野から見ると利他的行動に見える。仮に「個の差が少ない」=「主体性に欠ける」とするなら個々が均一化することで利他的行動をとるのでは、妄想してみました。しかし、「個の差が少ない」=「主体性に欠ける」という仮説は、飛躍し過ぎであり繋がりきらない....こりゃダメですね。

    ゴリラのお話も興味深く拝読いたしました。

    >社会的価値観の少ない、言葉のない、野生動物が、なぜ、利他的行動ができるのか?(集団での、生き残りを優先するという考えもありますが、それは、おいておいて)

    この辺りも諸説ありますよね....集団での生き残りってのは、ちょっと違うような気がしています。(一般的には、こういう説明ですよね)
    これまた、少し考えてみます。

    >幼児期の教育というのが、何が必要かといえば、平和な環境であることは、間違いありません。
    「共感力」が高い子が多ければ、自然と他者を大事にしますから、外部から強制する必要が少なくなるでしょうね。それは好循環になるでしょう

    物理的にも精神的にも平和が必須条件ですよね。
    何方かの言葉で「人間は他者と喜びを十分に共有し合った後でなければ、他者と悲しみを分かち合うことはできない」だったかな、本当にそう思います。
    多分順番があって、「深い悲しみを共有することで、喜びを分かち合うことができる」わけじゃなく、先ず、十分な喜びを共有し合う必要がるような気がしています。それは、父性の前段階に十分な母性との依存関係が必須条件のように。
    そして適性様の↓に繋がるのだと感じました。
    >母性、これこそ「共感力」の原点でしょうね。

  5. 【2323175】 投稿者: 信頼感  (ID:LXTwhB0V4Ss) 投稿日時:2011年 11月 10日 22:44

    適性様

    書き忘れた。

    >母親には「抱き癖がつかないように、あまり、あなたを、だっこしなかった」と、大人になってから、さらっと言われましたが・・・手遅れでしょうか?(笑)

    適性様の正義感と自律性は、人並みはずれているでしょ。
    つまり、十分過ぎる母性を受けたのでは!?

    この「抱き癖」という都市伝説も養育者の負担軽減の為のデマとしか思えませんよね。

    >幼少期の母親の母性が「足りない」と・・・取り返せない、それで決まる。
    といわれるとつらいので、そうでもないのでは?と思うのと。

    取り返せますよ、ちょっと大変なだけ。
    臨床治療でも、大人に「赤ちゃん返り」させるらしいし...そこで母性依存の再体験をするというプログラムもあるようです。

    >重要は、重要ですが、現在は、「多くの手」で、母性が補完されればいいのでは?
    という考えです。

    仰る通り、戦前と環境も価値観も違います....出来うる最善をつくすだけ。

  6. 【2323199】 投稿者: 凡才  (ID:urcmgMBfpyw) 投稿日時:2011年 11月 10日 22:57

    無常感様

    ご返答いただき有難うございます。別に話について行こうと思っていない訳ではないですが、とにかくこのスレは速いですね。しかも、量も多いので、知らず知らずのうちに割愛しているようです。

    あの時代は、某外資証券マンは、年収3000万位行っていましたね。ただし、期間限定、だって家に帰れなく、ホテル住まいですし、寝る時間も無い、家庭なんてかまっている暇は無いし、1年が限度だったかも知れないですね。私の友達は、辞めて塾開いてましたが、暫く会っていないので、今はどうだか知りません。
    あと、某都銀では、試験会場に行くと、全てグループ会社の人だったりして、出社日当日のみ行って、すぐに辞令、出向なんてあったりして、結構大手はどこもシビアでしたね。財閥系も同じですね。

  7. 【2323345】 投稿者: 量的  (ID:gMEgW33mp2w) 投稿日時:2011年 11月 11日 01:02

    地域、時代さん
    BS番組のご紹介ありがとうございます。
    見るようにします。

  8. 【2323377】 投稿者: 老眼  (ID:cJoehyhsfQ2) 投稿日時:2011年 11月 11日 02:04

    信頼感さん
    ありがとうございました。
    適性さん,未来さんのコメントと合わせ読みました。
    難しい内容ですが,お考えがわかったような気がします。
    確認させてください。


    >こちらでの議論でも、自律、自立が人格形成において重要であることに異論を唱えている方はいらっしゃらないと思います。自立、自律性を備えていれば、学問、修行、何でもストレスなく(やらされているとか我慢じゃなくて)取り組めます。我々は、強いられると伸びず、好きなことほど没頭できることを経験的に知っています。


    ここはわかります。


    >じゃ、強制は全てだめかというとそうではなく、信頼感が育っていれば、今は必要ないことでもやがて必要になるだろうことを受け入れ、強制をストレスなく受け入れることもできます。(これが初等教育)信頼感→自律的判断→慈愛のある強制を受け入れる、ということが可能です。


    初等教育において,強制的要素が肯定されるには,子供と先生の間の信頼感がその必要条件であると。
    とてもわかりやすいです。


    次の,ニュートラルな思考の必要性について,信頼感さんのお考えを書いておられる部分ですが,難しい内容ですので,正しく理解できたかどうか自信がありません。1文ごとに確かめていきたいと思います。


    >人間の心には、社会的善悪の価値観を重んじる「ペルソナ」と自己の生命を最優先に思考する「影」から構成されています。(私はそう信じているだけ)


    人格を構成する要素は2つあるというご意見,・・と理解でよろしいでしょうか。1つは自分の命を守るだけの【人格】(信頼感さんの影),1つはそれ以外にかかわる『人格』(信頼感さんのペルソナ)。
    この信頼感さんのイメージを共有して,以下読んでいきます。


    >「影」の価値観は自己の生命を守ることが目的ですので、人間の決めた価値観にとらわれません。


    自分の命を守るだけの【人格】は,本人が後天的に獲得したもうひとつの『人格』には影響されない,・・という理解でよろしいでしょうか。


    >むしろ、それを無視する方向に行動します。「影」にとって「ペルソナ」で得た価値観は、無価値ですから。


    上に書かれてあることですね,これはわかります。


    >特に社会で人格否定をされ自我が傷つきそうな場合に「影」が働きかけ、自己否定を防ぐ為に責任転嫁をさせます。


    ここの人格というのは,自己の生命を守る【人格】ですね。


    >これによって自己否定を回避し、心の安定を得ます。(責任転嫁している本人は、その論理矛盾すら気づかない)


    自己の生命を守ることだけに特化しているはずの【人格】が,命を守るという行為とは異なる「責任転嫁」という行為をする。「責任転嫁」をする人格は『人格』の役割であるから,ここに矛盾が生じる,という理解でよろしいでしょうか。


    >このように価値観を重んじる人格と価値観は、無価値であり生命に主眼をおく人格から形成されていると思っています。


    価値観を重んじる人格は『人格』ということですね。
    その人の『人格』(とその人の持っている価値観)は,そもそも【人格】によって形成されている,というお考えですね。そして,その【人格】は無価値である。・・という理解でよろしいでしょうか。


    【人格】が,『人格』と価値観を形成しているのであれば,無価値ではないような気がしますが,わたしの理解の仕方が間違っているかもしれません・・。


    あるいは,「このように価値観を重んじる人格と価値観は、無価値であり生命に・・」のなかの,「,」の場所が,「価値観は無価値であり,生命に・・」でしょうか・・。


    とすれば,【人格】がそのひとの真の姿であって,『人格』は「移り変わる無常のもの」というイメージに合致するのですが・・。


    >人の行動を考察すると「ペルソナ」の部分は、わかりやすく、社会的善を基に思考すれば理解しやすわけです。


    ここからが,ニュートラル思考の必要性についてのご説明ですね。


    他人を観察するときに,その人の『人格』に着目するすると比較的納得感を得やすい(けれども,【人格】に着目してその人を観察すると芯と表面の乖離がある場合もあるだろうから困難さを伴う)・・というような意味合いでしょうか。


    >一方、「影」は、価値観を無視しいていますので思考するうちに矛盾してしまうのです。何故矛盾するかと申しますと「ペルソナ」の人格によって「影」を考察するからです。


    諸々の影響を受けてしまう『人格』が,絶対的・不変であるはずの【人格】を考察することそのものが,矛盾している,という理解でよろしいでしょうか。


    >「ペルソナ」は価値観の権化ですから。「ペルソナ」の価値観とことごとく違う思考や行動をとってしまう人格がいる自己の存在について悩んでしまうわけです。


    「行動をとってしまう人格」の人格は【人格】としますと,
    『人格』と【人格】の2つの人格を持つ自分の存在に悩む,という理解でよろしいでしょうか。


    >「影」は、可哀想、残酷、惨い、悲惨、生命倫理....etcという感情を意識しません。或は意識しても行動を決める材料にはならない。


    【人格】は命の自己防衛のためだけにある,ということですから,これはわかります。


    >「影」というものの行動ロジックを把握したければ、善悪の判断をしない、価値観を持ち込まない......感情を無視して「影」を考察するしかないと考えるわけです。



    命にのみ関わる【人格】のみに着目してものごとを考察すべきである,というご主張なわけですね。



    >過去を振り返って、「何故あの時、あのような言い訳めいたことを主張してしまったのか...」と考えたりしませんか?「ペルソナ」人格で思考しても原因はわかりませんし、行動の是非ばかりに執着してしまいます。間違いなく云えることは、「影」によって言い訳を選択する必要があったということだと思います。



    上の文と同様ですね。


    つまりは,
    ニュートラル思考とは,【人格】だけに着目しての考察と同義,ということですね。
    その理由は,『人格』は修飾されているがゆえに本質を示していないから,ということになりますでしょうか。


    信頼感さんによれば【人格】は命を守るためだけにあるもの。
    としますと,その【人格】に個人差はほとんど存在しないのではないかと思うのですが・・。
    もしかして・・,
    【人格】には「差は無いはずだ」
    だから,
    「その【人格】にとって大事なことは,誰にとっても共通のはずである」
    という論理展開になりますか!?

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