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【2444410】私立中学の価値ーゼロ 

投稿者: 適性   (ID:RfnxxivKKcs) 投稿日時:2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

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  1. 【2502700】 投稿者: 神戸観光案内2  (ID:GUFGF5TyoGI) 投稿日時:2012年 04月 11日 15:16

    地域・時代様


    仰る通り関学グリーはすでに高校生から大人顔負けの歌声ですね。あの年頃は子供の声でもなく、大人の声にもなりきって
    いなくて中途半端だと思うんですが、あれだけ洗練された声を聴かせるというのは、やはり訓練なのかと。


    高校生親様


    私も通った中学が合唱指導の盛んな学校でした。そこで目覚めさせられました。(笑)
    高校はちょっとお休みしまして、大学で混声を再開したのですが、これが弱小合唱団でして。日本人の作曲家による
    合唱組曲など歌える編成ではなく、もっぱらルネサンス期のラッソだのアルカデルトだのの小曲を歌ってお茶を濁して
    おりました。(笑)たまにアルトがテナーに加勢したりして。なので録音を聴くとテナーが中性的です。(爆)
    ですからジョイントなどで大編成になり、合唱組曲を歌う機会がもらえたときはうれしかったです。ただ当時は高田三郎が
    一大ブームで・・・いっつも高田三郎ばっかり歌ってたような記憶があります。(苦笑)
    社会人で所属したところでは全国金も経験させていただきましたが・・・プロとアマが混交のちょと特殊な環境でして。
    具体的なことは書けませんが(爆)うーむ合唱の世界もいろいろ・・・と考えさせられました。
    オケをバックに合唱は・・・私はそれほど多く経験したわけではありませんが、気持ちいいですよね~。(笑)


    そういうわけで(どういうわけだ?)今息子たちが「ザ・男声合唱」で日本人の合唱曲をいろいろ聴かせてくれるのが
    とても新鮮な体験なんです。もちろん今までにもグリーのコンサートに足を運びましたけれど、これほどじっくり一曲一曲
    聴きこむのは初めてで。演奏会のCDを何回も聴く親バカです。(笑)

  2. 【2502863】 投稿者: 適性  (ID:35xcBehQL7M) 投稿日時:2012年 04月 11日 17:43

    ■信頼感さん

    ***********************************************
    地域、時代様からいろいろお話(半月ほど前)いただいていたのに、お返事出来ずにスミマセンでした。月末に京都へ行ったり、チト忙しかったり、別スレにうんざりしたり・・・しておりましたもので。
    ***********************************************

    ・・そうですか。(苦笑)
    しかし、ほんと、お久しぶりですね。

    ***********************************************
    シツコク「合理性」を考え続けています。合理性=「道理に適い、行動が無駄なく能率的であること」なんて記されています。「空気抵抗の軽減」が目的なら流線型になってしまうようなもの。合理性を追求すれば、必然的に解は1つになり他の意見を受け付けないことになります。つまり、合理性とは、ひとつの価値観に終息することなのだと思うのです。だから「結果主義」と相性がイイと思われます。
    ***********************************************

    「合理性」ですか~

    合理性は「単純」であるほど、相性がいい。その通りです。

    例えば、「他の場所に、自分が移動する」という意味では同じだが・・

    『早く目的地に着く為』(単純・具体的)の合理性って、とても、わかりやすいが・・

    『幸せに旅をする為』(複雑・抽象的)の合理性って、わかりにくい。あっても一般化できない合理性。

    パーツに分ければ、それなりに「具体的」になるのだが・・・
    歩き?自転車?電車?飛行機?船?貧乏旅行?豪華旅行?1人、2人?団体?
    組み合わせは、無限大。

    社会で生きていくとは、具体的 抽象的 が混ざり合っている。
    部分的には合理的だから、「正しい」とは言えないわけです。皆さんそれは、知っている。

    だから、社会政策などで強引な「一点」突破で「正しい」という主張は・・・なんだかな~です。

    また・・ほぼ日ですが・・「合理的な選択」について・・・
    http://www.1101.com/shigarami/2012-03-22.html

    □糸井
    経済学の分野でも「人間とは、必ず自己利益にしたがって合理的な選択をする」という「ホモ・エコノミクス」の理論ではすべてを説明しきれないことは明らかですものね。
    □山岸
    ええ、ええ。
    □糸井
    これは、いろんなところで話しているんですけど‥‥
    東北の被災地に行くと「ごちそう」になることがよくあるんです。
    旬のカツオのお刺身とか、つみれ汁とかね、おもてなしを受けて、本当にいいのかなぁと思いつつ‥‥うまいもんだから、食べちゃうんですよ。
    □一同 (笑)
    □糸井
    するとね、すごくうれしそうなんです。
    □山岸
    被災地は大変な状況なんだから、ごちそうになって、どうするんだというふうに
    ふつうなら思われてしまってもしかたないけれど。
    □糸井
    そうなんです。
    もう、現地の人と友だちになっちゃってますから、「これってアリなのかね、本来は逆じゃないのかね」と聞いてみたんです。
    そしたら、「ごちそうしたい、というのも欲望なんだ」と。
    □山岸
    なるほど‥‥。
    □糸井
    映画を見たいとか、食卓に花を飾りたいとか、きれいな服を着たいとか、
    そういうことと、同じだって言うんです。
    「俺たちが、そういうことをしたいんだから、素直に受け止めてくれよ」と。
    □山岸
    うん、うん。
    □糸井
    ただ、お金や物資を一方的に渡すことだけが「支援」じゃない。
    もちろん、衣食住はいちばん大事なんですが、それだけでは生きていたって楽しくない。
    だから、さっきの経済学の問題についてもそういう「人の気持ち」まで組み入れて考えないと、ダメだろうな、と。
    □山岸
    そうですね。すごく難しい取り組みにはなるでしょうが。

    ・・・・

    たぶん・・学問で大切なことは「法則」を見つけることです。
    新しく、強力で、正確で、普遍的な「法則」なら、すごいことです。

    「法則」とは、個人がいかようにしても、「変えることができない」ことです。
    その「法則」を無視して、個人で、その法則の範疇の問題を解決できるならいいですが・・そうはならない。
    だから、社会にある「法則」を理解して、それを利用?することで、解決する。または、問題を避ける。その為にも、学問がある。

    しかし、その法則は、やはり「万能」ではない。社会に適用すると・・

    ある意味、「単純」な法則なのだが・・・
    それは、学問は細分化され、それぞれの分野で法則があるわけで・・細分化された中では、妥当性もあるのだが・・「社会」はとても複雑で、現実的には、パラメータが多すぎる。
    その法則は、必要な法則の「一つ」でしかない。あとは優先順位の問題。

    上の話は、「経済学」と「心理学」などなどを組み合わせた、解決策を必要としているという話だと思うのです。どちらかの学問だけでは、幸せには「できない」ということです。

    選択の妥当性ってのは、せめぎあうものですよね。
    「やせ我慢」っていうのは、魅力的な欲求を我慢することによって、それに変わる利益を期待しているわけです。またそれによって失われる利益を恐れているわけです。(たいてい、未来に・・・)
    この場合は、「時間軸」も、ちょっと違うわけですよね。
    そういえば、時間軸が、ずれる場合は、「理性」と「直感」も関係しますしね。
    などなど・・考えるわけです。

    しかし・・心理学?の場合・・心の問題は「選択」への影響が大きいですよね~。
    確実に「合理的」であって「利益」があると分かっていても、「精神的なトラウマ?」などがあれば、どうしても、選択から除外せざる得ない・・・それを改善するには・・ということが、テーマになるのでしょう。もしくは、それを受け入れて、別の方法を探るなど。

    さっき、優先順位と書いたが・・これが、しっかりしてる人は、法則も理解していれば、それなりの判断が可能になるのでしょうね。

    なんか、とりとめもなくなってしまいました・・・

  3. 【2502928】 投稿者: 適性  (ID:35xcBehQL7M) 投稿日時:2012年 04月 11日 18:47

    ■高校生親さん

    「日本の無思想」読んでないのに・・あれですが・・(申し訳ありません)

    無思想とは、「優先順位がない」ということではないでしょうか。
    それなりの「考え」や「好み」があっても、「法則」を「思想」を知っていても、「選択」に影響するほどの、優先順位がついていないわけです。

    とうぜん、メリットとデメリットがあるわけで・・・それが物事が、決まらない・・原因には、違いありません。
    でも、文化的に、歴史的に、そういう傾向が、日本だともいえます。

    例えば宗教が強い国は、その優先順位が高く、その規範が、優先順位に影響するでしょう。
    ベースが決まるわけです。普遍性が高いわけです。
    また、歴史的記憶が、その国民性を縛る場合もあるでしょうね。

    ■笑い話です・・救命ボートで、定員オーバー。だれかが、海に飛び込まなければならない。
    さて・・なんて言えば、飛び込んでくれるのか?

    アメリカ人には 「あなた今飛び込んだら、『ヒーロー』ですよ」・・ドボーン

    イギリス人には 「『紳士』なら、飛び込むでしょうね」・・ドボーン

    フランス人には 「今飛び込んだら、『モテ』ますよ」・・ドボーン

    ドイツ人には  「飛び込む、『規則』になっております」・・ドボーン

    日本人には   「『みなさん』、そうされてます」・・ドボーン

    てな具合です。(笑)
    「みなさん、そうされてます」は「しがらみ」ってやつですね。

    さて、それを踏まえ??、

    「生物」は境界(外部)によって自己規定されるようです。
    強烈な宗教などの境界があれば、その「生物」は規定されやすく。
    反応の一律になるでしょう。疑いなく自己の押し出しもしやすいでしょう。

    でも、境界があいまいな「生物」は規定されないのだから、ある意味変形も「自由」ではあるのです。その可能性は、「悪くない可能性」だと、思いたいです。
    その割に「自由な感じがしない」「均一的」という「事実」があるわけですが。

    しかし、すでに、「まわりの様子を伺って」という、時代でないことは、たしかでしょうから。
    日本人はダメだ・・という話よりも、「悪くない可能性」についての方が、建設的なのでは?と思うのですよね。

    いろいろ「自由に変形する」日本人を、他の日本人が「みなさん、そうされてますよ」と受け入れる可能性もあるわけですから。応援しましょう。

    私は、いまさら、国民を自己規定させる程の、思想?を急遽、作ることは、不可能なんですから・・ないものねだりでしょうね。いったい誰が作るのでしょうか?という疑問もあります。

    そう考えると、高校生親さんの主張する「自己利益」の追求も、「一つ」の形であるのかもしれません。また、別の人は「他者利益」の追求をしたりして。

  4. 【2503215】 投稿者: 公立一貫  (ID:L26orB5ME.Y) 投稿日時:2012年 04月 11日 23:38

    合唱は楽しいです。高校生親さんも仲間だったのですね、
    なんだか世の中狭いですよね。


    関学グリーのモットーは確か「メンタルハーモニー」だったと思います。
    とても良い言葉だと思います。
    周りの声を聴きながら全体の声を質として統一する、個人プレーとは正反対の精神、
    その精神を基盤とした、団員の心のハーモニーの鍛錬。
    広く世の中に通用する考えではないでしょうか。
    狭くはこのエデュの中の一スレにおいても。

  5. 【2503340】 投稿者: 読者  (ID:hmsTu8o1.II) 投稿日時:2012年 04月 12日 02:37

    シルバースプーンさま

    194頁目への、レスです。亀亀です。

    >「私立中学の価値」に関して言えば、
    >タテヨコの人脈づくりができるのは大きなメリットですよね。

    中高6年間は、理系も文系も一緒、で
    自分と違う志向をもつ友人と出会う、大事な場、ですよね。

    高橋智隆さん、ネットで検索してみました。
    YouTubeでロボットも見ました。

    すごい才能の人なのですね!
    ロボットクリエーター、って
    理系の才人+クリエイターの才能
    って、ことでしょうか。
    「『電磁吸着二足歩行』のアイデアは、受験勉強中に偶然、浮かんだんです。」
    って、凡人にはあり得ないセリフ。

    でも、理系の研究者も、クリエーターも、
    内発的なモチベーションが強い人(自分のやりたいことをしたい人)、つまりわがまま、で
    クリエーターは、私の知っている範囲では、頑固な人も多いから
    (理系研究者の方、クリエーターの方、ごめんなさい)
    わがまま×(わがまま+頑固)
    で、小さいときから、少し変わっていた子だったかもしれないですね。
    実家の2階をロボット制作の工房にしているって、
    う~ん、もしかしたら、親の受け入れ力というか、子どもへの適応力も、
    すごいのかもしれないな~、と思ったりしました。

  6. 【2503555】 投稿者: 神戸観光案内2  (ID:GUFGF5TyoGI) 投稿日時:2012年 04月 12日 10:26

    公立一貫様


    これで最後にします。


    >周りの声を聴きながら全体の声を質として統一する、個人プレーとは正反対の精神、
     その精神を基盤とした、団員のハーモニーの鍛錬。


    これまさに息子たちも取り組んでいることです。


    息子は幼いころから「周りに合わせる」ことが苦手でした。
    幼稚園でも、みながお遊戯やお歌を楽しむ中、ひとり離れて黙ってみているような子でした。
    小学生になってからも集団行動を嫌い、「なぜみんな一斉に同じことをしなければいけないの?」と先生に質問して
    困らせたりしました。
    中学、高校の部活動は個人プレーが主体で、部員はそれぞれ自分なりの達成目標を立て、マイペースでやっていくというもの。
    好きなようにやらせてもらっていました。


    それがここにきて、大の苦手であるはずの、「調和」を求められる部活です。
    親の驚きもひとしおだったわけです。
    彼なりに、このままではいかんと思ったのか。(苦笑)
    なにしろ頑固で、自分を曲げない。
    そんな息子がいまどれだけ悪戦苦闘しているか・・・想像に難くありません。
    公立一貫様ならお分かりと思いますが、ステージ上での小手先だけでは、声の統一はできませんよね。
    普段から仲間としっかり話し合い、たびたび声を合わせ、また話し合い、調整し・・・
    みなでひとつのものを創り上げていく、その難しさも喜びも、苦戦しながらも息子は今噛みしめているようです。
    (やっと今頃か、ですが)


    そんな彼の成長も感じられ、なおさらうれしく思うのです。(またまた親バカで、ほんとすみません)

  7. 【2503586】 投稿者: 信頼感  (ID:u964cH12D3c) 投稿日時:2012年 04月 12日 10:50

    適性様

    >『幸せに旅をする為』(複雑・抽象的)の合理性って、わかりにくい。あっても一般化できない合理性。

    「幸せに~・・」が多様性ですからこの文脈は、合理性を適用できないのでしょうね。仰るように世の中、合理性を適用してイイ場合とダメな場合があるということなのでしょう。

    >社会で生きていくとは、具体的 抽象的 が混ざり合っている。
    部分的には合理的だから、「正しい」とは言えないわけです。

    ホントそうですよね。
    物事は、モノと体感に分けられると思います。
    ソムリエという職業を思い浮かべるとワインという「モノ」を五感を使って「体感」し、そこから得た情報を「抽象化」し、言葉で切り出す・・(正に量的様)ワインは、モノとして捉えるなら「酸っぱい水」なのでしょう。抽象があるから感動する・・・抽象がなければ、ワインという次元に上がれないことになる。
    具体→体感→抽象→感動というプロセスは確実にあるものの、似たような具体→体感を経験していれば、経験抜きでも抽象→感動に移行できるわけです。実際・・点、線は実態がないのに抽象として確実に存在しますしね。この概念を利用して設計されたモノは、抽象によって存在している・・・依って具体は抽象の支配下にあると感じています。

    >たぶん・・学問で大切なことは「法則」を見つけることです。
    >だから、社会にある「法則」を理解して、それを利用?することで、解決する。または、問題を避ける。その為にも、学問がある。
    >「社会」はとても複雑で、現実的には、パラメータが多すぎる。
    >その法則は、必要な法則の「一つ」でしかない。あとは優先順位の問題。

    深いですね・・・頭の中を整理できます。
    近年、行動経済学、行動心理学の研究が進み「合理的判断を人は選択する」という定説が臨床実験で否定されつつあり、「人は不合理な選択をする」ことが解ってきました。このあたり、「予想どおりに不合理」ダン・アリエリー著に記されています。(イグノーベル受賞者)

    >そういえば、時間軸が、ずれる場合は、「理性」と「直感」も関係しますしね。

    これは、アイエンガー教授も指摘されていましたよね。未来は理性で、現在は直感で・・・でしたっけ?

  8. 【2503624】 投稿者: 高校生親  (ID:PRfb5WRAKHY) 投稿日時:2012年 04月 12日 11:14

    適性様


    日本の無思想で取り上げている問題は優先順位というのとは少し違いますが、それも重要ですね。私はそれを共通の物差し、価値判断の基準の問題として考えてきました。確かに、宗教の強い国では、宗教が私的な考え、思い、好みと、公的な法則、思想を貫く強固な物差しになりやすいですね。私の考えですが、これは「宗教とは良いもの」という公的な考えを、個人が押しつけられて受け入れた結果でなく、個人の方から絶対的な共通の物差し、価値基準を求める欲求が強く、進んで受け入れているという風に感じます。もしかしたら宗教の側が上手く仕組んでそう見えているだけかもしれませんが。


    欧米人と話していて欧・米共通の傾向と感じますが、個人が心の中に持っている闇の部分(「原罪」のようなもの)、これが強烈なんです。例えばドイツ人とかは、自分の隣の人間はほっておくと、自分と敵対して、自分を否定しに来るかもしれない、と思っている部分がある(中島義道さんも同趣旨のことを言われてますが)。それでは不安でしょうがないので絶対的・超越的な価値基準を求める。それが「神」ということになれば宗教という事だと思っています。ただ、やはり「神」という存在に疑問を持つ個人もいるわけで、それに替わる価値基準が哲学的・形而上学的な思想になったりする。だから、日本では学問の中でも最も浮世離れしたものと考えられがちな哲学が、個人の考え、思想と結びつく。だから、サンデルの哲学講義があれほどの人気を集める、ということじゃないかと思っています。


    じゃあ、日本はどうか。日本で、宗教とか思想に替わる超越的な価値基準というのは、実は「空気」じゃないかとずっと思っています(山本七平さんの空気の研究が参考になります)。何しろ「開戦」という凄く大きな決断を、その場の空気ではそうするしかなかった、ってことで決めてしまうわけですから。


    このあたりが、「日本の無思想」の趣旨とはちょっと違いますが、私なりに日本で思想・学問が本当に個人の心の深層に根付かない原因なんじゃないかと思っています。前回レス以前の話に戻ってしまって恐縮ですが。

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