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【2444410】私立中学の価値ーゼロ 

投稿者: 適性   (ID:RfnxxivKKcs) 投稿日時:2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

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  1. 【2539276】 投稿者: 量的  (ID:9RnoLSD00PU) 投稿日時:2012年 05月 12日 20:35

    適性さん、

    そこ、ツボだとわたしも思います。

    ですので、・・・より多くの「キャラ」の立った大人に触れさせることが親の教育、という持論です。結局、「職業のバラエティ・種類」ではなく、「大人のキャラ」の類型に触れたとき何かのインスピレーションがあり、あとは子供が努力を自分でしていく(→いやせざるを得ないと自覚)ということで、自立学習への展望が開けるのだと思います。(*)

    今、高校・大学の先生とチャレンジしはじめている”キャリア教育”のコンセプトは「キャラ」をもっと掘り下げて、同期につなげる考えです。
    その後に学力が付いてくる・・・みたいな??

    そんな挑戦で忙しくなっています。あっちもこっちもでちょっと時間がなくなっています。。

    (*)ようやくそんな道筋が見えてきました。

    <適性さんWrote>
    しかし、最近思うのが・・「親のキャラ」です。子供のキャラの前に・・
    (中略)
    「環境」である「親」は自覚的に改善するぐらいしか方法もなく、子供との「距離感」の問題はありますが、『自分のキャラ』で、自分の能力で「子供が伸びるであろうと思う」サポートをするしかないわけです。そう、かかわるしかないわけです。
    で、子供の教育で必要な「一部」にでも、なればいいや。ある意味、開き直りかもしれませんけど。

  2. 【2539286】 投稿者: 量的  (ID:9RnoLSD00PU) 投稿日時:2012年 05月 12日 20:44

    適性さま、

    ほんの少し続きです。

    ・・・ですので、仮に量的が、ゼロで教わった仕事について仮に勉強して、「知識」として子供に話をしても思ったよりも、思うようには伝わらない、と言うことだと思います。その「キャラ」の人が、”らしい環境”の中で”らしく語る”ことで、こどもは「そうだな」と安心して思っていく。

    こどもへのセミナーでそんなことも感じるところが強くあります。ですので、私の父がわたしの高校時代にしてくれた、”様々な大人に会わせて話を聞かせる”という行為は、親のしてくれた、想像以上に大きな贈り物だったと気づきます。。

  3. 【2539393】 投稿者: 適性  (ID:RfnxxivKKcs) 投稿日時:2012年 05月 12日 22:02

    NHK
    新世代が解く!ニッポンのジレンマ「僕らの救国の教育論」
    面白かったです。
    再放送未定のようですが・・

  4. 【2539567】 投稿者: 量的  (ID:9RnoLSD00PU) 投稿日時:2012年 05月 13日 00:39

    適性さま、
    地域、時代さま、

    ちょっと愚痴になるかも。
    わたしの分野=技術だけの話ですので、気楽に読んでください。

    今、前に取り置いた、NHKBSの 熱論!ダントツ解決策 「日本の生きる道」を見ています。2011年のものですが。


    今、できの悪い技術者は小さい所にドンドン入っていって、「現場」に埋もれるわけで、それはそれで事情もあり、仕方がないのですが、
    世界の優秀な技術屋は大きなところにむかっていることがある。理系に求められているのは、「技術開発に埋没する技術者」ではなく、
    「価値から発想できる技術者」ホントはこれだけなのです。


    この視点は、米倉誠一郎さんが「モノありきではなく理想からスタートする」とプレゼンでしていましたが、
    我々にとっては、正直本音ベースで、”常識”であって、一般常識とのGAPです。
    (前にIssueからの発想と、わたしの言葉で書いたことにも通じます)


    ちょっとした違いと思われますが、ビジネスの死活問題です。
    これが判っている人は、(日本人技術屋には)おそらく0.1%しかいない、
    ということなのだなと常々感じています。


    ・・・・だから、採用したい大学生が、特に長難関大学にも、誰もいないのだろうかなと思います。
    <大学の理学系工学系先生は、ほぼ、そう考えてはいませんし、学生も然り)


    他のプレゼンターは、「モノに拘って、中小企業の活性化」と言っていますが、
    正直、・・それでは大きいところでビジネス乃支配ができずに競争環境では通用シナイ(=ダメ)です。

  5. 【2539977】 投稿者: 適性  (ID:uNPA7mAUwNY) 投稿日時:2012年 05月 13日 12:33

    ■量的さん

    >私の父がわたしの高校時代にしてくれた、”様々な大人に会わせて話を聞かせる”
    >という行為は、親のしてくれた、想像以上に大きな贈り物だったと気づきます。。

    そうでしょうね。それも「キャラ」の立った大人が、直接「自分」に語ってくれるのですから。
    スペシャルですね。

    多くの学校が、OBによる特別授業?が行われています。これも「いい」ことだと思います。
    かなり、「本音」も言ってくれるようですし。

    『新世代が解く!ニッポンのジレンマ「僕らの救国の教育論」 』でも・・

    作家・批評家…東浩紀,
    NPO法人理事長・ワークショップ主宰…石戸奈々子,
    デジタルクリエーター…猪子寿之,
    教育哲学者…苫野一徳。

    東氏が・
    「いろんな職業の人に会わせるのが大事。」
    「公教育が多様性だ、って言うなら、大人の多様性を示さないと。」
    「キャラ付けが上手くいって多様性が生まれればいい。」
    と発言していました。

    東氏以外の方もいいこと言っていたのですが・・・東氏は、議論の活発にする為に、わざと?逆の立場になった発言されていて、なかなか面白かったです。

    私の理解では・・・・

    継続してきたこの社会は一定数の「大人」が存在しないと、継続できないシステムという前提に立ち。
    (学ぶことの楽しさとか、快楽というとこはあるが・・)

    東氏は・・あえて、教育の「ミッション」は、子供を「大人」にすることだ。という。

    そこには、どうしても教育に「抑圧」が組み込まれる必然性を強調していた。
    (どうしても、子供のクリエイティビティーを伸ばすことが大事という流れがつよくなりそうだったからでしょうが)
    子供的な即時的快楽でなく、「欲望の延期」を学ばせる機会でもある。
    ある種の我慢の後に、報酬がついてくる。
    「欲望の延期」の構造は、受験勉強が、その一つだったが、それも現代は、弱まっている。

    東氏は
    「快楽は我慢して得られるものもある。ドリルがその瞬間楽しい人はいない。しかし後から来る可能性はある。子どもの快楽は即時的だから、この後発的な快楽の存在をどう教えていくか。」
    と発言してます。

    子供を子供のまま「肯定」すること は大切だが 「子供を大人にする」ことも同時にする必要がある。
    教育は、個人の為なのか、社会の為なのか、という問いにもつながるが、そこを外すわけにはいかないということでしょう。(たいがい、ごっちゃに議論される)

    また、所謂社会的「成功」する人間は、現実は、ほんの一部であって、「失敗」しても幸せに生きていくのが社会だから安心して「失敗」しないさいというようにしないといけないのではないか。
    子供、全員に「成功」を求めるのは「ウソ」だ。ということも強調していた。
    子供が全員、明確な目標(夢)があるなんてことも「ウソ」。


    子供「全員」にされる教育は、「子供をこどものまま、肯定する」といった教育「だけ」では成立しない。これは、自然発生的「キャラ」を、社会で受け入れらる形にする「抑圧」部分を否定してはいけないということでしょうか。
    同時に、クリエイティビティーを発揮する人が、ある種、大人になりきれないタイプ(抑圧を無視したのか、抑圧に反抗したのかは別にして)であることも指摘しています。そこは、分かった上での発言でしょう。

    別に、東氏が、多くの人がクリエイティビティーを発揮できるようになる教育を否定しているわけではなく。能動的教育を否定しているわけでもなく。それはいいことだが、そっちばかり強調しては、ウソっぽい、という思いがあったのでしょう。(対立的、どっちが正しい、になりやすいとこなので)


    世間でいう「成功者」ではない、ほとんどの一般人のリスクヘッジとしても、基本的、最低限の能力を身に着けるのが公教育の役目という考えで、それが、担保されないと、次のステップに行くことが困難で、社会流動性が阻害されるという理由もあるのでしょう。

    さらなる個人の能力の開発については、各自が、必要であれば、「家庭や他の場所」でされるだろうし、それを無理に、止めることなんかできない、止める権利もないのだから。という考えです。


    他には・・

    国語能力が低い問題については

    「国語は(深い部分まで行くと)正解がない。でも、ある文章がどういう意味か、要約する力ってのはすごい大事。日本人はその力に欠けてる。」

    と言ってました。Aの発言をBがCに、正確に伝えられないといけないのに、できていない。


    それから・・

    苫野氏が、ディベートの非生産性を問題にして、
    「普通のディベートは二項対立のどちらが正しいかを争ってて不毛、もっといい選択肢がないかを考えた方がいい。もっと良くする、という思考法。」
    が取り入れられるべきと訴えて、賛同を得てました。
    具体的には「ブレインストーミング(集団思考、集団発想法、課題抽出)」でする。

    このゼロも、受験私学はダメだとか、いいとか、二項対立ではなく、ブレインストーミング的な場になっているような気がしますので・・私も賛同する意見でした。

    まとまりありませんが・・とりあえず、こんなとこです。

  6. 【2540032】 投稿者: ピース  (ID:hvb5zsdbTAM) 投稿日時:2012年 05月 13日 13:44

    公立一貫様


    お察しの通りで、百万遍に出没してます。
    親は自由な環境で自由に思考し、自分の哲学みたいなものや確固たる自我を確立して欲しいと思っていましたが、
    達成できたかはわかりません。が、就活を通じてかなり自分自身については考えた様子があり、
    この感じなら何とか社会人にはなれそうかな、とちょっと安心している所です。


    ここでの話題は内容を咀嚼するだけでなかなか自分からは発信できずにいますが(読みが浅いと言われそうで)、
    普段の生活では考えられないようないろいろな刺激を受けてすごく楽しいです。
    いつか対等に?対話が出来ると嬉しいのですが、いつになるやら、です。

  7. 【2540051】 投稿者: 量的  (ID:9RnoLSD00PU) 投稿日時:2012年 05月 13日 14:09

    適性さん、
    丁寧にかいていただいてありがとうございます。
    かなりイメージできました。今度再放送あれば録画して見てみます。。

    東氏の「抑圧」(欲望の延期含む)を教育の中に入れるということは、わたしの必要だと思います。でも議論の本丸でもないと思います。
    総花の印象です。適性さん仰るように、狂言回しの役割なのか、マスコミ(NHK)のレベルがいっこうに上がらない議論によくありがちで、堀下げが浅かったでしょうか。

    ポイントは、どこかのタイミングで、
    社会貢献評価軸・・・・・評価軸1
    自分の内なる満足度・・・評価軸2

    が生徒の中に作られなければならないという、大きな議論が先にあるべき。
    なのに、適性さん仰る通り、「将来作り出すべき2津野軸に沿った価値」から発想せずに
    味噌もクソもごちゃごちゃに議論する。(=議論がへたくそ)です。

    ・・・それと、例えば、ディベートなどは、もはや時代遅れのツールで、Issueを意識しないで形に拘るやり方が、
    あまりに人間心理の有り様や、あるべき実作業(すなわち「理想」からブレークダウンして解決策を得るアプローチからみて劣る)
    から乖離することで、使えません。もっぱら企業では相手にされないツール。”枝葉”の議論で、NHKらしいです。

    話が変わりますが、わたしは同じNHKなら、中高生向けの「テストの花道」が番組としてはなかなか
    良くできていると思い評価します。プロヂューサはなかなか考えている。

    ・本放送:月曜日 18:55 - 19:25(2012年3月まで)
    ・特盛り!テストの花道:土曜日 10:00 - 11:00(2012年4月から)

    お薦めです。特に、今週と次週の内容は確実でしょう。
    (理由:悩みを書かせて、それを扱うべき課題(issue)としてブレークダウンさせて、試行錯誤を経た実行で、「解決」に至る、
    このようなプロセスを、中高生ひとりひとりがやるように仕向けているところは、本質的教育でかなり評価ができる。)

    自学自習など、ほっておいたら、できるわけではなく、せいぜい受験参考書で、予備校的に勉強することが関の山、これも工夫と言えば工夫で、ありますが、教育としてやっとギリギリ合格点イメージ。

    それを「真の学び」にするには、様々なテクニックの習得と、「人との出会い/感動 を鏤めた精緻な基本パターンと生徒への注意深い目線、
    しかし、Supply RichではなくDemand Generation(=外形的には手を掛けすぎない教育)の実現。これに尽きると思います。ここには膨大な準備と思考・経験が必須です。

    <適性さんWrote (一部略)>

    東氏は・・あえて、教育の「ミッション」は、子供を「大人」にすることだ。という。 そこには、どうしても教育に「抑圧」(欲望の延期含む)が組み込まれる必然性を強調していた。

    子供を子供のまま「肯定」すること は大切だが 「子供を大人にする」ことも同時にする必要がある。 教育は、個人の為なのか、社会の為なのか、という問いにもつながるが、そこを外すわけにはいかないということでしょう。(たいがい、ごっちゃに議論される)

  8. 【2540083】 投稿者: 量的  (ID:9RnoLSD00PU) 投稿日時:2012年 05月 13日 14:39

    適性さん、
    日本の理工系教育は、いまほんとに瀬戸際だと思います。

    クリエーティビティだけではなく、「企画力」(*) and/or「創造力」が核で、これが基礎学力の土台に存する姿が、Issueを解決しうる(つまり、適性さんの仰る「大人の理系人になる」という将来像です。

    (理系を理解シナイ記者が90%のマスコミの書く記事が、原液、高校生・大学生あるいは大学教授にも悪影響を呼び起こしているのかもしれないです)

    (*)
    企画力とは何か、・・Issueを取り出してCritically important
    である大きな「価値」を生み出せる能力。(今は、企画でともすると集団対応志向が強いが、これが大間違い。Potentialある数名が鍵になります。だから0.1%レベルの教育というような、”量的議論”も併せて必要)


    <適性さんWrote >
    別に、東氏が、「多くの人が言う クリエイティビティーを発揮できるようになる教育を否定しているわけではなく。能動的教育を否定しているわけでもない。それはいいことだが、そっちばかり強調しては、ウソっぽい」という思いがあったのでしょう。

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