最終更新:

6763
Comment

【2444410】私立中学の価値ーゼロ 

投稿者: 適性   (ID:RfnxxivKKcs) 投稿日時:2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

  1. 【2586421】 投稿者: 動機が大事だよね  (ID:8mFCx/wltSk) 投稿日時:2012年 06月 19日 16:55

    >動機様が、700本のテープの分析、と仰るのに全面的に賛成ですが、果たしてその結果、私たちの知るところとなるでしょうか。





    幹部が提供した説法テープはNHKにあるのか? 公安当局のアクセスできるところにあるのか? あるいは番組に提供した元?オウム信者の元にあるのか?


    この辺が分からないのですが・・・・・・・・表に出たという事は公安当局はもうコピーをとっているのでしょうか? 一般人のアクセスが出来るようになる手段を所有者には是非とってもらいたいものです。


    私のイメージとしては「海軍反省会」のように研究者がアクセス可能となり麻原が何を考え何をしようとしていたかを後世に残してほしいと思います。平田出頭、菊地、高橋逮捕でまたしばらく裁判が続きます。


    この時期にもう一度専門家による(学者、ジャーナリスト、宗教家)オウム事件の総括、検証が行われることを期待します。


    一冊本の紹介を。  麻原彰晃の誕生 高山文彦著  文春新書


    幼少年時代からニセ薬販売、オウム神仙の会、オウム真理教設立までのいきさつがよく分かります。 

  2. 【2587223】 投稿者: 地域、時代  (ID:NvjYM2VsUGk) 投稿日時:2012年 06月 20日 09:19

    動機様

    アマゾンで購入しました。
    また読んだ後に感想書かせて下さいね。

  3. 【2587258】 投稿者: 地域、時代  (ID:NvjYM2VsUGk) 投稿日時:2012年 06月 20日 09:48

    ひかりの輪のHPの4.心理学的な視点に基づく、麻原・弟子・現代社会の人格分析総括の部分で、動機様がお薦めして下さった本が引用されているのですね。

    今、気付いたっ(^_^;)、動機様、ありがとーー!

  4. 【2587282】 投稿者: 凡才  (ID:4pPEDDLaS8o) 投稿日時:2012年 06月 20日 10:03

    世の中には、知っていた方が良い事と、一生知らない方が良い事がありますね。物事に深く立ちいる事は、時として自分にも影響を及ぼす事もあります。世の中で一番問題になった事から目を逸らさない為にも、相入れない方が良い物もあります。
    そもそも、それぞれ何かを尊敬し敬っているとします。自分の内面でそれを育てている分には問題はありません。しかし、外に働きかけるのは別だと思います。お互い、分かり合える事は無いと思います。なぜなら、その尊敬、敬う人や物が絶対的に一番だからです。他の人には一番ではありません。
    だから、普段生活をしている上で、他の人に影響を及ぼさないものであれば共存はできますが、他の人に働きかけがあった時点で問題が起こると思います。実際には、生活の絡みがありますから、判断が難しいと思いますが。

  5. 【2587434】 投稿者: 動機が大事だよね  (ID:vCxZEqEC1x6) 投稿日時:2012年 06月 20日 12:04

    >心理学的な視点に基づく、麻原・弟子・現代社会の人格分析総括の部分で、動機様がお薦めして下さった本が引用されているのですね。


    オウムにあれだけ多くの人たちが入信、出家したのはなぜかということに興味があります。


    麻原の魅力、カリスマがあったからというのも否定できない事実でしょう。集団を引っ張る人心掌握術なり相手の心をつかむ話術をどうやって身につけて行ったのかなども麻原の成育史を見ていくと分かるかもしれません。

  6. 【2589172】 投稿者: 適性  (ID:8dwRaJ3Aa1Q) 投稿日時:2012年 06月 21日 17:51

    ■地域、時代さん の TV番組内での発言 抜粋
    *******************************************************
    「いま、あなた(じょうゆう)が言ったことは 自己弁護 である。当時のあなた、あなた達を知っている僕にはそのようにしか聞こえない。」と。

    【宮嶋カメラマンの発言】
    ●自己弁護だ。
    私は事件のきっかけを作った坂本弁護士事件の真相を知っていながら教壇の弁護をしたあなたから申し訳ないだの言われても許し難い。
    マインドコントロールされていたなど一言で言うあなたを許し難い。
    今なお、宗教団体をやってる事事態が許せない。
    なぜ麻原のような俗人に盲信出来たのか?それはあなた達にエリート意識があったからだ。

    当時の幹部達は、自分達は特別だ。超能力がある。エリートがぷんぷん漂ってました。あなたはそういうところに酔っただけだ。」

    【それに対するじょうゆうの発言】

    ●確かにエリート意識は信者全体にあったと思う。自分が特別な存在でありたいという欲求があった。今言われた事を受けとめさせていただいて、深く考えたいと思います。
    *******************************************************

    以前、「さよなら~」の本の話で、エリートについて書きました。

    西洋のエリートは、自分は「大衆」とは「違う」という前提があって、だから、私が正しく、この世界をリードする(その責任もある)。(大人を教育する立場ともいえるかもしれません。)
    ある意味、「特別」な存在で、社会もそれを是としているとこもある。階級社会ですし。

    日本は、自分は大衆に近く、明確に、分離されていない。多くの人は、自分をエリートだと思わない。たとえ、他者から、勝手に、そういうカテゴライズしていても。

    しかし・・日本でも「自分を、特別と思える人」「自分以外は何も考えてないと思える人」「自分は絶対的に正しいことを知っていると思っている人」からは、「エリート臭」がだだよいますよね。

    ほんとに、その人がエリートかどうかは「関係なく」、自分を『特別』と思い、「押し付けよう」とする、反対する人は「攻撃」する・・のは、「エリート臭」が漂います。

    あの時のオウムには、現実には、エリートでもないのに、エリート臭をばんばん出ていました。
    (自分達だけは、神秘を体験し解脱に近づいている、オウムには未来と幸福が約束されている、という妄想からでしょうけど)『肥大した自己』によるエリート意識です。

    「エリート」と「エリート臭」は、まったく違うものですね。

    謙虚さのない『肥大した自己』は、自分の言動を都合よく正当化し、相互承認を前提にしないことが、よくわかります。それは、オウムなどの特殊な場合でけでなく、「一般」にも当てはまります。
    だれでも、どこかに「特別でありたい」という気持ちはありますしね。


    >坂本弁護士事件の真相を知っていながら教壇の弁護をした・・・

    の部分・・

    上祐は、ディベート的?なウソで、『被害者』を、さらにウソツキ呼ばわりし、罵倒しました。
    そして、教団への批判は、すべて、不可侵な宗教の「自由」を『最大限』に利用しました。

    上祐は、被害者への「それ」は、社会的な「悪」?であることは、理解していたとは思います。

    しかし

    大いなる「善」(絶対的に真理?)を守る為という『絶対性』で、小学生でもわかる「悪」を「正当化」したのです。

    大いなる「善」ではなかったわけですが、上祐は信じていたのは本当でしょう。
    しかし、小学生でもわかる「悪」をした「事実」は、変わりません。

    上祐の場合は、マインドコントロールされていたわけですが・・・

    マインドコントロール されていなくても、同じパターンがあります。

    小学生でもわかる「悪」で「攻撃」しながら、大いなる「善」みたいなものを、持ち出す人間は、ほんとうに、気をつけないといけません。たいがい、ろくなもんじゃない。

    ■「攻撃される理由のない人」を攻撃してはいけない。■

    という、小学生でもわかる「悪」を、本当は、なによりも前に、おかなくてはならないのではないでしょうか。。

    ただ・・社会的妥当性なんて無視して・・・
    大いなる「善」を理由にしたり、無理やり「攻撃していい理由」をつくりだして、主張したり。
    「攻撃ではない」と主張したりするのは・・・自己弁護として、ディベートとしては、よくあるパターンです。

    上祐は、「ああいえば上祐」と言われて、ディベートが、確かに、上手でしけど、
    ディベートは「どんなことも(正当じゃなくても)」『正当化』する技術ってことですからね。

    そんな難しいことではないですからね。

    『何か』を、「自明」である、「最強」である、「一番大切」である・・として『勝手』に固定する。だれがきても、それを動かさない。(もともと、そこに、同意を得ようとはしていない)
    麻原が、解脱していることは「自明」だし、教団が「一番大切」

    そうすると、小学生でもわかる「悪」を、正当化できる。攻撃を続け、そして、なにより自分を守れる。

    宗教であろうが、政治であろうが、経済活動であろうが、いろいろな場所で、それは、「攻撃される理由のない人」を攻撃するのに、利用されてきたわけですね。

    個人が・・『何か』を、「自明」である、「最強」である、「一番大切」である・・
    と思うことは、いいことですよ。それを大切にすればいい。

    そして、「事実を前提に」説得力のある「言論」で、そして「態度」で、それを、広げればいいだけですからね。
    相手が、「本当に、そうだな~」と思えば、きっと広がるでしょう。
    (でも、その際に、「事実と違う」とか、「おかしい」というなら、周囲からチェックされ、批判されるでしょう。それウソじゃん。とか。)

  7. 【2589173】 投稿者: 適性  (ID:8dwRaJ3Aa1Q) 投稿日時:2012年 06月 21日 17:55

    ■地域、時代さん の コメント
    **************************************************************
    神戸観光案内2様が書いて下さっている
    「第三者が判断するならともかく、当事者である彼らがそれを伝家の宝刀みたいに振り回し、責任逃れに利用しようとするのであれば」、正直反感を覚えます。

    宮嶋さんはこれと同じ気持ちを持って怒ってらした、、とテレビを見ていて私は感じましたし、私もじょうゆう、、あまりに客観的な語り口では?とずっと感じておりました。
    **************************************************************
    紹介してもらった、ウエブの映像でも 上祐 は、「近くにいたのに、客観的すぎませんか?」ということ言われていましたね。

    たしかに・・・「客観的」なんですよね。すごく。

    「反省はしているが、後悔はしていない」とも言いました。
    その理由は、「今考えても、あの状況(マインドコントロール下)では、どうしようもなかった。」ということでしたね。(後悔しても「しょうがない」という意味でしょうか?)

    自分は、ある意味ロボットなので・・と「開き直られた」感じです。

    被害者としては、「反省」も「後悔」もしてもらわないと、何を言っているんだ?ですよね。
    オウムの世界に入り、人を傷つけた、自分の人生を後悔しないで、どうするのでしょうか?

    「客観的」=「他人事」に感じるわけですよね。

    たしかに・・
    当事者意識が強すぎると、自分の精神が耐えられないのかもしれませんが・・・

    「割り切り(しょうがない)」ってのは、精神状態を安定させますよね。(それは皆さん、わかりますよね。)

    「割り切り(しょうがない)」が「自己完結する話」ならいいですが・・他者がからむと・・問題です。

    例えば・・相互承認なんて意識せず・・
    他者がどう反応するなんて、わからないのだから、自分の「思いつきの、自由な言動」が、他者に、どう受け取られても「かまわない」。自分の好きにしたい。
    いい反応も、悪い反応のあるものだ。悪い反応?・・「しょうがないじゃない。」と。

    結果としては、できるだけ他者に対して「鈍感」であれば、自分は「強くなる」。

    こういう「割り切り」ってのは、自分の精神の安定には寄与するけど、
    自分の言動の、「社会的妥当性」なんて、
    検証しないし(自分では妥当と思っているかもしれませんけど)、
    反省もしないから(反省なんて必要ないとおもっているかもしれませんけど)、
    現実的に被害にあった他者にとっては・・・えらく「迷惑」な話です。
    (きっと、大切にしたいのは「相互承認に含まない(他者を考慮しない)」自由ですね。) 

    「自分の言動での被害」をまるで「他人事(しょうがないじゃない)」にするので、自分の心は痛まない。
    「だからどうした?」と。

    自分のことは、自分の頭で思考するのに、他人の反応や被害には「思考停止」する(鈍感になる)。
    被害者側から見ればですよ・・「そこ」を「思考停止」させないで欲しいという感情があるわけです。

    自分を守る為の「思考停止」に見えるから、被害者は、まったく納得できないのでしょうね。

  8. 【2589737】 投稿者: 愛読者  (ID:MA18hBhyuiM) 投稿日時:2012年 06月 22日 02:09

    アレフや光の輪の信者は、毎年
    100人ずつ位のスピードで増えていると
    報道されていました。そのほとんどが、
    若者だそうです。

    オウムのテロ行為は、以前の出来事でも、
    オウムが暗示する病理は、終わっていない、ということでしょうか。

    社会情勢、と言うより、私たちの社会が抱える病理なのか
    私たちの社会の一人が、抱えやすい心象なのか

    他者の痛みへの想像力の希薄さ、と
    疎外感、と
    自らを捨てて得られる一体感への渇望
    と。
    その先に、また麻原のような人間が現れれば
    集団の一員であるため
    に、殺しさえ容認するかもしれない、集団の中での精神の危うさ。

    '自分たちの'社会のこと、との観点から考えることが必要な気がします。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す