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【2444410】私立中学の価値ーゼロ 

投稿者: 適性   (ID:RfnxxivKKcs) 投稿日時:2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

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  1. 【2864076】 投稿者: 無常感  (ID:e4YhTfhXpg2) 投稿日時:2013年 02月 16日 09:52

    スプリングさん

    それでは、

    ゼロワンでお会いしましょうね。

  2. 【2865214】 投稿者: コピペ  (ID:66JFFxxoigA) 投稿日時:2013年 02月 17日 08:52

    だいぶはなしがそれたようですけど・・・


    **********


    桜宮バスケ部顧問懲戒免職に「暴力」が自殺要因と結論
    スポニチ 2013年2月14日


     大阪市立桜宮高バスケットボール部主将の男子生徒=当時(17)=が自殺した問題で、大阪市教育委員会は13日、部員に恒常的に平手打ちなどの暴力を加えていたとして、顧問の小村基教諭(47)を懲戒免職にした。


     これらの行為は指導上の体罰ではなく「暴力」と明記。「顧問には顕著な暴力傾向が認められ、責任は極めて重く、厳重な処分が必要」と指摘した。また報告書は、顧問が主将交代の話を生徒にたびたび持ち出したことも、自殺に追い詰めた背景にあると認定した。


    **********


    100%同意できる処分です。
    でも、これは生徒を「自殺に追い詰めた背景」です。
    ではなぜ、この生徒は「暴力」から逃げることができなかったのでしょうか?
    なぜ、この家庭はこの生徒を逃がすことができなかったのでしょうか?


    世の中には様々な悪い組織が存在します。上記の処分はそういう悪い組織に対する処分として十分納得できるもです。でも、自分や自分の子供がたまたまそういう悪い組織に所属してしまった場合、自分たち個人はなすすべなくその悪の流れに乗って、行くところまで行ってしまうしか仕方がないのでしょうか?


    あまりにも弱すぎると思いました。

  3. 【2865246】 投稿者: 無常感  (ID:WU3iiBp8LdE) 投稿日時:2013年 02月 17日 09:39

    桜宮高校の件はよく分かりませんが、これとは別件で、

    大阪で、小学校の統廃合を悩んで、5年生の児童が自殺する事件がありましたね。ああいう記事を読むと、痛ましい気分になると同時に、なんで?・・と不可解な気持ちになるのですね。

    我々が小学生だった時代、児童の自殺など聞いたことがありませんが、この変化が何なのか・・理解に苦しみます。コピペさんがおっしゃるように、それは、弱さなのか・・問題が深すぎてとても難しいです。

  4. 【2866331】 投稿者: コピペ  (ID:zccWFj8W.FI) 投稿日時:2013年 02月 18日 07:25

    ちょっと古くて長いですが、本質論です。


    ************


    掲載日2005-10-17
    この原稿は、『スポーツ・ヤァ』(角川書店・刊/126号9月8日発売号)の連載コラム「玉木正之のスポーツ文化発信所」に寄稿したものです。今年はいろいろと「高校野球の暴力事件」が噴出したので、ちょっと早いですが、少々手を加えて、ここに“蔵出し”します。


    高校野球の「教育」が「暴力」を生む


     「スポーツ選手は罰の体系のもとで機能している」
     そのように喝破したのはアメリカのスポーツ心理学者であるデューカス・スーザン・バットであり、彼女は、そのようなスポーツのあり方を、最も「非スポーツ的」なものとして非難した(『文明としてのスポーツ』(日本経済新聞社・刊より)。


     プレイでミスをすれば腕立て伏せ20回。集合時間に遅れたらグラウンド10周・・・。そのような「罰」が課されると、何のためにスポーツをプレイしているのか、何のために規則を守るのか、といった理由は忘れられ、選手は、ただただ「罰」を恐れ、その「罰」を回避しようとしてプレイするようになる。


     さらに、「罰」は「体罰」へとエスカレートし、スポーツ選手は指導者の「暴力」を恐れ、文字通り必死になってプレイするようになる・・・。
     そのようなスポーツにおける「罰の体系」で、最も陰惨だったのが、サダム・フセイン政権下のイラクのスポーツ選手だった。


     サッカー・ファンなら誰もが知ってる「ドーハの悲劇」で、日本代表チームは試合終了直前イラクに得点され、W杯(1994年アメリカ大会)への初出場を逃した。
     そのとき、イラクはその試合の勝敗にかかわらず、既にW杯への出場が絶たれていた。が、当時のイラクのスポーツ界を牛耳っていたサダムの弟ウダイ・フセインは、チームの不甲斐なさに激怒し、最後の日本戦に敗れたら、「罰」として鞭打ちの刑か、兵士として戦場の最前線へ送ることを、選手全員に伝えていた。


     そして敗戦が目前に迫ったとき、生死に関わる「体罰」を恐れた選手たちは、火事場の馬鹿力ともいうべき力を発揮し、日本代表チームとサポーターを奈落の底へ突き落とすような得点をもぎとったのだった。
     これは「極端な例」かもしれない。が、けっして「例外」ではない。


     ウダイが用いた「暴力」も、駒大苫小牧の野球部長が高校生の部員に向かってふるった「暴力」も、スポーツにおける「罰の体系」としては、同じ意味合いを持っている。
     それは、どっちも、スポーツをやること以外に別の目的があった、ということである。


     スポーツをやる(勝利を目指す)こと以外の目的(勝利を得ることによって得られる別の利益)をスポーツに持ち込むと、何としてでもその目的を達成するために、スポーツ以外の手段、すなわち「罰」や「暴力」が持ち込まれることになる。
     ウダイの場合は、サッカーの国際試合にフセイン政権下のイラク国家の威信やウダイ自身の栄誉といった目的を持ち込んだ。
     そして高校野球には、野球をやること以外に高校生の「教育」という別の目的が謳われている。


     スポーツにきわめて教育的な要素が存在することは明白な事実といえる。
     努力をすれば成長することが実感できたり、困難を乗り越える精神力を養えるのは、スポーツの有する教育的美徳といえる。が、そういう教育的要素は、スポーツに思い切り打ち込んだ結果として得ることのできる、いわば副産物にすぎない。つまり、思い切りスポーツに打ち込まないと得られないもの、といえる。


     スポーツとは基本的に遊びであり、楽しいものであり、楽しいから自発的に行われるものである。この基本が蔑(ないがし)ろにされ、「命令」や「罰」によってスポーツが強制されることになると、それはもはやスポーツとはいえない「別物」(体育?興業?)になってしまい、スポーツが自然に有している教育的要素も失われてしまう。


     そして「命令」や「罰」によってでもやらせなければならない目的(スポーツをやること以外の目的)が前に出て、「命令」や「罰」は、「体罰」や「暴力」へとエスカレートする。
     さらに「暴力」は「隠蔽」され、発覚したら「罰」が与えられ、「罰」を恐れて「隠蔽」する・・・という悪循環を生む。


     駒大苫小牧以外にも最近は高校野球部の暴力事件が続発している。
     その根本的原因は、高校野球に野球(スポーツ)をやる(楽しむ)こと以外の別の目的が存在しているから、といえる。高校の野球部は高校生の課外活動であり、演劇部や軽音楽部と同様、正式な高等学校教育ではないはずだ。


     にもかかわらず、高野連を初めとする高校野球関係者が「教育、教育」と連呼するのは、野球(スポーツ)に教育的要素が自然に備わっていることを知らないからか、あるいは、さらに別の目的(新聞の拡販?私学の宣伝?)が存在することを隠蔽したいからか?


     いずれにしろ、「教育」の連呼を止めないかぎり、高校野球の「暴力」と「罰」の連鎖は幕を閉じないだろう。
     今回の「事件」を受けて高野連は「暴力のない高校野球を目指して」と題した声明を発表した。「目指して」などと書かなければならない甘さは、もはや笑うほかない。どうして「暴力部長」や「暴力監督」をきちんと指導できないのか? それは、高野連自体が、「罰」をくだす頂上に君臨しているからにちがいない。
     高校の野球部の多くが高野連の下す「罰」を恐れて行動しているナンセンスに、高野連関係者は気づいていない(気づかぬふりをしている?)のか?


    ************


    スポーツとは、「体育」ではなく「プレイ(遊び)」ですね。

  5. 【2866990】 投稿者: 通りすがり2  (ID:SHAk792BXpM) 投稿日時:2013年 02月 18日 15:48

    2つの道の話をするとき

    >右に行くと「興味をそそるものがある。でも、そちらに行くと他人に迷惑をかけることがわかっている。」
    >左に行くと「他人に迷惑をかけることはないが、興味をそそるものはない。」

    と例示していますが、皆さんお察しの通り、

    右の道を選ぶ人=右脳(感情・感覚)を多く使って考える人
    左の道を選ぶ人=左脳(論理)を多く使って考える人

    と捉えています。

    スーパーグレート中学生君の場合は、右脳にある「右の道」を選ぶという「回路」と、左脳にある「左の道」を選ぶ「回路」がケンカして、右脳の回路が勝ってしまったケースです。

    右脳が強い人は、結果的に、感情的・感覚的(好き/嫌い、面白い/つまらない等)に物事を考えてしまう確率が高まります。

    子供の頃は、左脳の「回路」を開発している最中ですから、大人と比べれば、当然、右脳を使い「右の道」を選択する確率が高いでしょう。

    ですから、スーパーグレート中学生君が、最初に、「右の道」を選んでしまったのは仕方ないでしょう。

    でも、通常は、年を取るにつれて、

    友人との会話・授業・本などの情報や (=知識)
    実際に「間違い→説教→成功→褒められる」等と繰り返す (=経験)

    うちに、段々と左脳の回路が強化・整備されていきます。

    大人になるにつれ、この強化・整備された左脳の「回路」を使って、より論理的・道徳的に行動するように変身していくわけです。


    普通は、そうなはずなんですけど・・。

    ところが、大人になっても、右脳の「回路」を多用する人がいる。

    何故なんでしょうねぇ~。

  6. 【2867182】 投稿者: 通りすがり2  (ID:SHAk792BXpM) 投稿日時:2013年 02月 18日 18:27

    大学にて


    僕はスーパーイケメンボーイ、某国立大学に通っている。

    (自称)福山雅治似で、性格も明るい。

    別名ガリレオ(湯川教授)なんて呼ばれたりして・・(でも、本物のガリレオと違って、女性は好きです)。

    多趣味で、先週できたばっかりの2つのサークルを含め、4つのサークルに参加している。

    おかげで、土日も休む暇がない。

    あー、忙しい、忙しい。

    でも、そのせいか、こんなにイケメンなのに、未だに彼女ができないのである。

    トホホ・・。


    僕はスーパーイケメンボーイ。

    実は、悩んでいることがある。

    大学に入ってから、友人の一人に、「かっこ悪い」と言われたのだ。

    でも、それは、おかしい!!

    僕は、中学・高校では、間違いなく「福山雅治似のイケメン」ということで有名だったのだ。

    それなのに、大学に入って、いきなり「かっこ悪く」なるわけがないからである。

    そんなことが、あったらおかしいでしょ?

    あっ、そういえば、そいつは○高出身だった(友達の友達に、その学校の良くない噂を聞いたことがある・・)。

    そいつの言っていることは、絶対に間違っている!!!

    それに、彼女ができないのだって、周りの見る目がないからだ!!!

    僕が「かっこ悪い」からじゃない!!


    僕はイケメンだ!

    だって、最近、サークルの連中で、僕を真似する者が出て来たくらいだからね。

    理由はよくわからないけれど・・。

    でも、これは「かっこいい」という証拠だよね。

    だって、誰だって「かっこ悪い」人の真似なんてしないでしょ?


    さあ、今日も4つのサークル活動に精を出そう!


    なぜなら、

    僕はスーパーイケメンボーイ(彼女なし)

    だから。

    (あっ、最後に、ちょっとだけ忠告しておくけど、僕はイケメンだから、僕の物真似は難しいよ!)



    どうなる・・?

    『実に興味深い』

    (この話はフィクションです)

  7. 【2867197】 投稿者: 南無阿弥陀仏  (ID:Cq/GcaNEXFw) 投稿日時:2013年 02月 18日 18:37

    キミ、福山雅治がイケメンであることを前提としているが、前提が崩れたら理解不能だ。

    新しい回路をつくりたまえ。


  8. 【2867201】 投稿者: 何が問題?  (ID:MbD8t4/V7R2) 投稿日時:2013年 02月 18日 18:39

    今度は意味分かったけど・・・
    どうなんだろう・・・

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