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【4629475】受験勉強よりも大切なこと

投稿者: 動機が大事だよね   (ID:YyWL0G4gxNE) 投稿日時:2017年 07月 02日 05:58

偏差値第一主義、ペーパーテストの点数さえ取れればいいという考えでやってくると社会に上手く適合できない。では彼らは何が足りなかったのか?

1.相手がどう思うかという「思いやり」
2.自分は完璧ではないという謙虚な姿勢

受験勉強ができる=自分は他人より頭がいい=相手を見下してもいい
という考えのまま大人になるのは非常に危険。思い上がった人間は人に嫌悪される。

将棋の藤井君、囲碁の井山裕太をご覧なさい。圧倒的な勝率を収めても謙虚だ。彼らは自分の力などどれほどのことでもないと思っている。藤沢秀行はこういった。「碁の神様を100とするなら私など2~3ぐらいのものだろう」

隣の小学生より受験勉強ができて灘、開成、桜蔭などに入学できても社会で活躍できなければ意味がない。自分より能力の低い者にいらいらするのではなく彼らを引っ張り上げる、モチベーションを上げさせる努力をしなければいけない。

受験勉強の神様など存在しなくても数学や物理、分子生物学などの神様(今の人間にとって未知なもの)はいるかもしれない。受験勉強ができて東大に入ってもそこで満足するのではなく神様相手に精進して欲しい。

道を誤った彼女は、私がいつも言っている「受験勉強ばかりしていると大切なものを取り落とす」を満天下に示してくれた。私の危惧が的中した。
優秀な受験生を持つ親にとって今回の事件は他人事ではない。

家族でよく話し合い、何のために勉強しているのかもう一度確認すべきだろう。

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  1. 【4666293】 投稿者: そうそう  (ID:5Xs1hw1x48s) 投稿日時:2017年 08月 08日 23:58

    >勝ちか負けかの問題では無く、なんか一言言いたい人がいるのでしょう。



    受験負け組というだけで
    すぐに食いつくんだよね。


    屈折感があるのね。

  2. 【4666314】 投稿者: 斜め上から  (ID:wRKFImfp8Ow) 投稿日時:2017年 08月 09日 00:16

    お子ちゃまはもう寝たのかな。
    こっちがいろいろ書いても理解しようとしないからタチが悪い。
    自分のちっぽけな世界だけで語っているだけなんだから呆れる。

  3. 【4666355】 投稿者: パズル  (ID:LeJpHUO5bSs) 投稿日時:2017年 08月 09日 01:29

    JQさん、お久しぶりです。
    漫画の話、大歓迎!なんですけど、今夜はお休みなさいです。
    息子に付き合って映画観てたらこんな時間に…
    もう目がショボショボです。

  4. 【4666564】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:HppCw2k.p.M) 投稿日時:2017年 08月 09日 10:54

    >受験勉強ばかりしていると大切なものを取り落とす

    形而上の理念としては何となく理解はできるものの、では、その「大切なもの」とは何かと問われると、答えを得るのはなかなか難しいのではないか、と思う。
    思い浮かぶのは二十年来唱えられてきた「生きる力ーゆとり」論だが、要するに偏差値至上主義の「詰め込み教育」(受験勉強)を減らせば、子供たちが自ら考え主体的に判断し行動できる力の育成(大切なもの)に資するだろう、ということだが、ではその「主体性」とは何か、あるいは「ゆとり」を施せば自然発生的にその「主体性」とやらが育成されるのか、と問われれば明確な答えを得るのは難しい。なぜか、、

    まずここでいう「主体性」が、社会一般のコンテクストの中で語られているからである。つまり「学校」という制度自体をこれとは別個のコンテクストを意図的に創り出して、「主体性」に向けての教育を行う場として捉えていることが、そもそもの論理矛盾であるということ。
    「ゆとり」を子供自ら「時間を支配」することと定義付ければ(「『生きる力』を育てる教育課程」児島邦宏 著、明治図書)、受験勉強という時間的制約を取り除いてやれば「主体性」が育成されるのか、答えは「否」である。なぜなら、ここで語られている「主体性」とはあくまで「学校」という制度の中での「主体性」だからだ。仮に受験勉強をなくして「主体性」を育むというのであれば、そもそも「学校」という制度自体が不要になる。行きたいものだけが行けばよい、というフリー・スクールならば格別、「学校」という制度を認める以上、子供自ら「時間を支配」することは、最初から否定されなければなるまい。
    「学校」に行くことが最初から自明の理であれば、子供たちにとって「主体性」を発揮できる場面はただひとつ。どのような「学校」を選択するか、のみである。選択は他方では選抜を意味するのだから、受験勉強とは不可分の関係となる。

    「脱学校化社会」という概念も20世紀の独あたりでは盛んに唱えられていたが、受験勉強否定論者の中で、そこまで踏み込んだ提言をなさる方は、我が国ではあまりいないようである。もっとも行きたいものだけが行くようなフリー・スクール論が台頭しても、江戸時代の漢学塾、寺子屋のような住み分けの如く、新たな階層化が生じるだけで結果は同じ。受験勉強がなくなることはない。

    なるほど、受験勉強の弊害については一理あるものの、一方でこれを否定することは「ゆとりー空白の時間」である者たちにとって、アジールにもなり得ることを看過するべきではない、と思う。

  5. 【4666650】 投稿者: 斜め上から  (ID:wRKFImfp8Ow) 投稿日時:2017年 08月 09日 12:38


    長い文章ですが、かなりズレていますよ。
    「ゆとり」を目指したわけではなく、「脱詰め込み」を目指したんですよね?
    「脱詰め込み」で生きる力がつくのかは分かりませんが、
    「脱詰め込み」を実践できない先生ばかりだから頓挫したんじゃないですか?
    「土曜日は自由に使える→休みor学校行事」と解釈しているわけですから。
    子供を放牧したら考える力が増すなんて誰もいってませんよ。

  6. 【4666656】 投稿者: ↑おいおい 笑  (ID:fnQlVqzGdtg) 投稿日時:2017年 08月 09日 12:43

    東大卒の冷静さんに

    頭が高いぞ。

  7. 【4666658】 投稿者: 斜め上から  (ID:wRKFImfp8Ow) 投稿日時:2017年 08月 09日 12:49

    ついでにもう1つ

    俗称「ゆとり教育」時代の薄っぺら教科書はミニマムで、教師の裁量で豊かな授業にしていいはずでしたが、
    教科書しか教えられない教師に自由にさせたらどうなるかという失敗例ですね。

    ゆとり教育を勘違いしている人って多いのかな?

  8. 【4666660】 投稿者: ↑  (ID:fnQlVqzGdtg) 投稿日時:2017年 08月 09日 12:51

    しつこ 笑

    相手は東大卒の官僚さんですが。

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