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【4906550】中学受験に大きな影響あり!地方創世って?

投稿者: 意義あり   (ID:UQ5OU2l8o/2) 投稿日時:2018年 02月 28日 17:22

内閣官房の地方創世により教育が大きく歪められていると思います。
早稲田は2年間で合格者数半分に…。
本当に地方創世って教育を歪めるほどのスピードで行わないといけないものでしょうか?
東京都は2月に反対の緊急提言を出しましたが、本日の国会でも強行していくことを明言した政府。
教育の観点から合格者数を減らすならわかるけれど、「地方創世のため」で跡付けの理由というのはおかしいと思います。

中学受験はこれから早慶附属校を中心に、附属校の人気が大幅に高まるでしょうが、将来の日本にとって大きなマイナスとなると感じます。

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  1. 【5002042】 投稿者: 前衛党  (ID:V7hHwwhrRZg) 投稿日時:2018年 05月 22日 13:38

    >私立文系型入試では将来食っていける人材が育たないので、次第に淘汰されると思います。

    上記では、あなたは「数学」との特定をなさっていない。
    また、必要に応じ数学を学習すれば済むだけのこと。蓋し、高校のある時点までは我ら文系志望者も数学を学習してきているがゆえ。

    むしろ私立大学文科系の試験科目に「数学」を加えるならば、他教科-国・英・社-との再調整も必要となろう。なぜなら、すでに一般的国立大学入試問題よりも相対的に難度の高いそれら文系科目。そこへ、さらにまた直接の専門外となる数学が加わることは、受験生の大きな負担となりかねないからだ。かといって、早慶の英・国・社の出題レベルを多くの国立大並みに容易化すれば、逆に超高得点での過当競争を招きかねない。

    ちなみに、わが大学でゼミをもつ教授ら共通の悩みは、学生の議論における積極性の乏しさである。その理由として、自ら意見を述べること自体への躊躇に加え、哲学や歴史、公民的分野等に対する基礎知識の不足が指摘されている。あれだけ膨大な知識を問われる本学入試を通過した学生にして、そのありさまである。

    そこに、新たに数学を課すことの現実的必要性について議論が必要ではあるまいか。たとえば、法律学であれば、公民や世界史の知識がまず求められよう。医学であれば、生物学か。理想を語れば切りがないが、まずは入学後の当該専攻に関わる基礎知識を試すという入試本来の目的に忠実でありたい。

  2. 【5002057】 投稿者: 前衛党  (ID:V7hHwwhrRZg) 投稿日時:2018年 05月 22日 13:54

    補足

    私見では、私大文系入試に数学導入よりも、国語等で論述問題をもっと多く出題してもらいたいと考える。

    多くの大学ではマークシートの採点事務は外注化し、論述試験の採点は教員らが汗をかきながら行っている。その多くは非出題者らであり、大変な難業になっているようだ。たとえば、延べ10万人以上の受験者を集める法政、明治、早稲田といった大規模私大でそれは酷であるかもしれない。しかし、そこが文系におけるわれら私学が、一流国立大学に対抗する道であると思われるのである。

    昔の早稲田の小論文入試のように、奇抜な意見ほど高評価を受けるとの伝統の再来を願いたいものだ。それがこの大学の大いなる魅力であったはずである。

  3. 【5002470】 投稿者: 何か問題があるの?  (ID:Y5FG5e0CzRs) 投稿日時:2018年 05月 22日 21:13

    > 文科省と私立大学という限られた当事者間での長期かつ継続的な関係であるからこそ、より慣習法の成立する余地がある。

    これだと、昔の建設省と建設業者という関係も同じになりませんか。談合だって双方の信頼関係のもと続けていたら慣習として扱うことができると。当事者間だけで決めているものであっても、第三者の目で良し悪しが判断されたり、一般に広く知られたりしたものでなければ慣習とは言えないのではないでしょうか。また、法令2条では「法令に規定のない場合にだけ法律と同一の効力を有する」としていますので、「定員」という別指標がある以上、「合格者数」を慣習と位置づけるのは難しいと思います。

    > 仮に変更するのであれば、十分な激変緩和措置-猶予期間のようなもの-が必要。

    「定員」のような計画が公になっている数字を減らすなら激変緩和措置は必要ですが、「合格者数」は結果が公表されているだけで計画は公表されていません。多くの受験生は「合格者数」ではなく、予備校が出す「偏差値」を見て大学を決めています。予測に非公式な数字を使うのは自己責任であり、それは保障されるべきものではありません。もし受験生からの予測可能性を保障しなければならないならば、試験の出題方法も一切変更できなくなり、過去問を繰り返し解いた浪人生が圧倒的有利になります。そんな方法で多様な価値観を持った学生を入学させることができるのか疑問です。

    > 研究費や人件費と定員超過分を結び付ける根拠は如何に。

    教職員組合からの反対意見です。入学者が減れば教員1人が面倒を見る学生数が減る(=教育の負担が減る)のに反対するのが不可解です。前衛党さんの主張のように、国立と私立の助成金(交付金)の差が13倍あること、文科省が定員超過を長年見過ごしてきたことを勘案すると、国は私立に出すお金を増やせないので、それを定員超過分の入学金や学費で賄うのを認めてきたと想定しています。今回その財源が奪われ、かつ代替の提示もないので、私立が強く反対しているのは致し方ないと思っています。

  4. 【5002474】 投稿者: 何か問題があるの?  (ID:Y5FG5e0CzRs) 投稿日時:2018年 05月 22日 21:16

    > それでなくとも、商業的見地からの学問の選別は、学問的価値平等の考え方を損ねる恐れがある。

    国が学問を選別しているのではなく、どの学問を探究するのか大学に選ばせている(=大学の自治)のではないですか。お金にならない学問でもあってもある程度は探究できる環境を国が整える必要はありますが、国の財源は無限ではないの
    で、整える大学を選別することになります。成果なのか立地なのか伝統なのか、何で評価しているかはわかりませんが、国のお金ということもあってか国立大学が優先されています。国の財源が配布されなかった私立大学でも当該学問の探究
    は可能ですが、お金を確保するのに民間企業の支援を取り付けるか、個人の寄付を募るかが必要になります。憲法では学問の自由を保障していても、その財源については言及していません。どうやって財源を確保するかは大学の自治の範疇と理解しています。国立よりも私立のほうが経営の自由度が高いので、私立のほうが民間企業と組みやすいのではないかと思います。

    なお、金儲けや軍事の研究のため学問を探究するかどうかは、その大学の判断(=大学の自治)ですので、外野がとやかく言うべきことではないです。

  5. 【5002496】 投稿者: ↑  (ID:wxlAKWamzOM) 投稿日時:2018年 05月 22日 21:37

    受験生は当事者。君は外野。

  6. 【5002574】 投稿者: 考察  (ID:t6kXX7rO9r.) 投稿日時:2018年 05月 22日 22:50

    >成果なのか立地なのか伝統なのか、何で評価しているかはわかりませんが、国のお金ということもあってか国立大学が優先されています。国の財源が配布されなかった私立大学でも当該学問の探究は可能ですが、お金を確保するのに民間企業の支援を取り付けるか、個人の寄付を募るかが必要になります。憲法では学問の自由を保障していても、その財源については言及していません。どうやって財源を確保するかは大学の自治の範疇と理解しています。

    鋭い洞察です。
    いわゆる科研費というのは、学術振興会助成金というもので、研究計画などを盛り込んだ申請書を書いて、当該振興会に送り、審査を経て支出が決まるものです。一律に支払われる運営費交付金とちがって、審査の結果、獲得できるものなので一般に競争的資金と呼ばれていますが、少なくともここで言われている競争は「市場競争」ではありません。一定のルールに則ってはいるのでしょうけれどもきわめて評価の基準が不透明な競争です。その結果、科研費は旧帝に偏っています。
    それに比べて、民間資金の導入による競争は、より「市場競争」の原理に則った競争になります。需要があるかないか、利益を生むか産まないか、が競争を制するポイントになってきます。
    私は、この「市場競争」こそがもっともフェアな競争だと思っています。
    もちろん、市場競争になじまない基礎研究の資金には科研費が必要だと思いますが、もっと市場競争での評価で決まる民間資金が活用できる枠組みを作るべきだと思っています。そして、市場競争で評価される研究に、大学が積極的に関わっていくべきだと思っています。
    そのとき、「大学の自治」がどのような役割を果たすのか。教授会の権限を強くすることが本当に「学問の自由」を享受する道なのか、真剣に議論されなければならないと思う。建前としての「学問の自由」を守ることが、時代遅れになった既成の学問を擁護することだけに終わってしまったら、本当の学問の自由とは言えない。その観点から、国立大学の法人化、学長の権限強化、理事会の実質的な役割強化、などが検討されなければならない。それらのものも含めて「大学の自治」が実現されなければならない。

  7. 【5002594】 投稿者: 何か問題があるの?  (ID:Y5FG5e0CzRs) 投稿日時:2018年 05月 22日 23:03

    >> 私立文系型入試では将来食っていける人材が育たないので、次第に淘汰されると思います。
    > 上記では、あなたは「数学」との特定をなさっていない。
    > また、必要に応じ数学を学習すれば済むだけのこと。蓋し、高校のある時点までは我ら文系志望者も数学を学習してきているがゆえ。

    まずは、東洋経済の記事を読んでくださいね。その記事では「数学」を特定しています。高校のある時点まで数学をしっかり学習してきたのなら、センター試験の数学ならばなかり高得点を取れます。旧帝大クラスの受験者ならば文系でも数学は満点を狙います。他教科との再調整など必要ないでしょう。学校の授業+αで済むのに、私立文系の専願者ははなから数学を捨てて、全く勉強しないことが問題なのです。

    > ちなみに、わが大学でゼミをもつ教授ら共通の悩みは、学生の議論における積極性の乏しさである。

    それこそ、科目を絞って一般的国立大学入試問題より相対的に難度の高い問題を課してきたことの弊害ではないのですか。高校の範囲を大きく逸脱したマニアックな問題を並べてその勉強に多大な時間をかけさせ、受験科目以外は切り捨ててよいような流れに誘導しているのだから、視野が狭く、大学に入るだけが目的のような学生が増えるのは当然でしょう。すべての科目をある一定レベル以上にこなしてきた推薦入学者のほうが優秀だと言われるのはそのせいもあると思いますよ。

    > そこに、新たに数学を課すことの現実的必要性について議論が必要ではあるまいか。

    数学は直接の専門外だからやらなくてよいという考え方は、人文系学部が不要と言っている文科省の官僚と何も変わりませんよ。役に立たないものは捨てればよいと言っているようなものです。高校で習うことは基礎の基礎です。捨ててよいものなど何一つありません。若いうちに幅広く学んでおけばその分伸びしろが大きくなります。週刊ダイヤモンドの特集にもなったように、ここ最近リベラルアーツが再注目されています。「教養」と名のついた大学や学部には人気が集まっています。ちなみに数学もリベラルアーツの一つです。

  8. 【5002668】 投稿者: 何か問題があるの?  (ID:Y5FG5e0CzRs) 投稿日時:2018年 05月 23日 00:11

    > 私見では、私大文系入試に数学導入よりも、国語等で論述問題をもっと多く出題してもらいたいと考える。

    私は逆ですね。難しい問題を課して選別するより、アメリカのハーバードやスタンフォードのように、共通テスト+推薦状+エッセイで多種多様な学生を入れた方がいいと思います。国立大学は経済的に厳しい家庭でも努力すれば入れるようにしなければならないので、どうしても学力テストに比重を置かざるを得ません。同類の学生が集まるので居心地はいいですが、多様な価値観は生まれにくいです。どのような学生を求めるかは、大学それぞれが決めることですが、国立大学と同じ基準で選別してたら序列化されるだけです。私立大学は差別化のために独自の選別基準を持つ必要があると思います。そういう点では、東京の私立大学が推薦で4割近くとるようになってきたのは良い傾向です。

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