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【4906550】中学受験に大きな影響あり!地方創世って?

投稿者: 意義あり   (ID:UQ5OU2l8o/2) 投稿日時:2018年 02月 28日 17:22

内閣官房の地方創世により教育が大きく歪められていると思います。
早稲田は2年間で合格者数半分に…。
本当に地方創世って教育を歪めるほどのスピードで行わないといけないものでしょうか?
東京都は2月に反対の緊急提言を出しましたが、本日の国会でも強行していくことを明言した政府。
教育の観点から合格者数を減らすならわかるけれど、「地方創世のため」で跡付けの理由というのはおかしいと思います。

中学受験はこれから早慶附属校を中心に、附属校の人気が大幅に高まるでしょうが、将来の日本にとって大きなマイナスとなると感じます。

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  1. 【5017923】 投稿者: 考察  (ID:XV/HBE3/RqI) 投稿日時:2018年 06月 06日 23:37

    >考察さんの考察がオソマツなので指摘したら、削除されてしまったみたい。書くだけ野暮なのか。やめとこう。

    どんな指摘だったんですか?気になりますねえ。
    再現してくだされば、それなりに答えますが・・・

  2. 【5017946】 投稿者: 前衛党  (ID:V7hHwwhrRZg) 投稿日時:2018年 06月 07日 00:14

    呼んだかね?

    ところで、「学問の自由」や「大学の自治」の意義を再確認させてくれたのは、もちろんわが愚相(選愚)こと、われらがアベ・シンゾウ君。悪い意味での期待?に必ず応えてくれる稀有な存在だ。そのアベが自らの野望達成への正当化のために、悪名高い内閣府にでっち上げた彼をトップとする『経済財政諮問会議』。ここの公表した「経済財政運営と改革の基本方針2018(仮称)」なる作文がまたすごい。例のごとくアベのお友達で固めた委員諸氏らのオツムには、大学における研究者の人事の自治や財政自治権といった大学の自治(憲法23条)の基本的な保障の概念がまったく欠落(アベ自身は初めから知らない)しているようだ。

    たとえば、(支援措置の対象となる大学等の要件)との部分。
    なにゆえ高等教育無償化による経済的支援を受ける学生の在籍する大学が「産業界のニーズを踏まえ」た大学に限定されなければならないのか。私立大学にかかわる諸法は少なくないが、そのどれとして大学の目的に「産業界のニーズ」などを定めたものはない。当然だ、大学は産業界にご奉仕するために存在するわけではないからだ。換言すれば、この基本方針とやらは、アベの好む大学に学ぶ学生以外は支援の対象にはしないということである。(続く)

  3. 【5017947】 投稿者: 前衛党  (ID:V7hHwwhrRZg) 投稿日時:2018年 06月 07日 00:14

    (続き)
    また、「(大学の)理事に産業界等の外部人材を複数任命していること」とまで要求する厚かましさ。
    どうやらこの委員たちは、その原資が自分たちのお財布からの出捐であるかのように錯覚をしているらしい。そもそも人事は当該大学自身の自主性に委ねるのが大学の自治の本旨はずだ。しかも、(大学教育の質の向上)とのお題目で、外部の人材(要は資本家・財界人またはその走狗)を教員とする場合には、「少ない持ち時間であっても専任教員とすることができる仕組みを学部段階に導入することにより実務経験ある教員を増やし、教授会などの運営にも参画する」とまで放言する始末。いったい、どこの大学でわずかの時間しか仕事をしない者を専任教員としてあえて雇用し、あまつさえ大学の教学の最高意思決定機関たる教授会のメンバーにまで加えようとするのであろうか、准教授でさえそこから除外されているにも関わらず。

    他方で、アベは大学に勤務する有期の非常勤講師(研究者)らには、有期労働契約が更新され通算契約期間が「10年」を越えない限り無期労働契約への転換を認めないとの権利発生要件上の高いハードルを設けた。アベのいう「外部の人材」と比べあまりに衡平を失したやり方ではあるまいか。もっとも、例の「モリカケ問題」をみれば、さもありなんという気もする。ヨーロッパ中世当時の権力からの干渉を21世紀の今日に再び浴びなければならないこの国の大学とはいったい何なのだろうか。やりきれない思いがする。

  4. 【5018022】 投稿者: 考察  (ID:Tv5jXmxx4Yk) 投稿日時:2018年 06月 07日 06:47

    「経済財政運営と改革の基本方針2018」をお読みになったようですね。
    素晴らしい内容じゃないですか。少なくとも、今の野党にはこういうものは出せませんね。
    彼らは、「もりかけ」みたいな大衆を扇動する安直なキャンペーンができるだけです。

    「学問の自由」は「表現の自由」「言論・出版の自由」と並んで精神的自由権の代表格とみなされていますが、情報を社会に拡大して人々の社会生活に影響を及ぼす側面があることを考慮すれば、これすら公共の利益を守るという観点から一定の制限を受けるというのはご存じのとおりです。
    「大学の自治」も例外ではありません。あなたもお書きになったように、教授と学生の関係が封建制の師匠と弟子の関係になってしまい、弟子は師匠から就職、結婚の世話までしてもらう代わりに師匠の学説と社会的な地位を守り抜くという前近代的な原理が教授会を支えている現状がある限り、選挙による民主的な委託を受けた政権がここにメスをいれ、近代的な組織に改編していくのは当然のことです。教授会にも民主的なプロセスが実現されるべきです。
    教授と学生の関係は、企業の社長と社員の関係のようになることが本来望ましい。教授に経済活動の自由が付与されて、民間から多額の研究費を導入し、それを資金にしてポスドクを雇っていけるようにすれば、優秀な教授は多くの有能なポスドクを繋ぎ止めて、研究をさらに発展させ、拡大再生産の道をたどることができる。こうなれば、優秀なポスドクが研究室を渡り歩くことも可能になり、将来は教授として独立することもできるようになる。

  5. 【5018029】 投稿者: どうかな  (ID:Wy4vwYRdxI2) 投稿日時:2018年 06月 07日 07:05

    早稲田は私立なんだから、まだマシじゃないの?でもちょっと前、微妙な文科省の天下り受け入れていなかったっけ?

    まあ、読売新聞のこの辺り、特に#40から#46あたりを読むとゲンナリします。#46はオススメです(皮肉のつもり。念のため)

    http://kyoiku.yomiuri.co.jp/torikumi/jitsuryoku/iken/
    「もはや"国立大学"ではないと認識を」(#42)
    「国家価値を生み出すための学問の府であるということを考えるべきだ」(#46)

    なんだそうです。

  6. 【5018075】 投稿者: 前衛党  (ID:V7hHwwhrRZg) 投稿日時:2018年 06月 07日 08:04

    >弟子は師匠から就職、結婚の世話までしてもらう代わりに師匠の学説と社会的な地位を守り抜くという前近代的な原理が教授会を支えている現状がある限り、選挙による民主的な委託を受けた政権がここにメスをいれ、近代的な組織に改編していくのは当然のことです。

    前段について、その最も適切な例が東大法学部である。まさに師匠の伝統芸をそのまま継承しているかのようだ。一門が大先生を支えている(大先生に支えられている)。そして、「雑巾がけ」から始め、一門のなかでの序列を上げていく。
    だが、それだからとて制度論としての教授会に企業関係者らを強引に押し込もうとする金融財政諮問委員会=アベの考えには反対である。

    ましてや、後段は全く失当だ。
    あなたが根本的に誤解されているのは、いかに「民主的」に誕生した政権であろうとも大学の自治という憲法的保障を侵害することはできないということだ。それは明らかに憲法が保障した大学人事の自由や財政的自治の保障に違背する違憲性濃厚な介入の試みだと言わざるを得まい。だからこそ、国立大、私立大を問わず多くの関係者らから反発の声が噴出したのであろう。

    選挙で選ばれた以上、俺が一番。何をしようとフリーハンドだとの思い込みなら、かつて大阪に君臨したあのファシスト(もっとも彼は確信犯だったが)と同じである。どの政党が政権を担おうが、学問の自由と大学の自治という制度的保障は守りぬかれなければならない。それは欧州・中世から続く大学の苦難の歴史から得た貴重な人類の教訓である。

    「それでも地球は動く!」
    この言葉の為に、学問の自由(大学の自治)は必要なのである。

  7. 【5018133】 投稿者: >もはや"国立大学"ではないと認識を  (ID:kbJkLfpzE1o) 投稿日時:2018年 06月 07日 09:08

    ―最後に、国立大学とは何か。「国立」である意味はあるか。

     

    上山 いや、すでに「国立」ではない。法人化したので、「国立」であるという意味もない。国家の草創期、国づくりに寄与する人材と研究を育てることが使命だった。今のように5割が大学に行く時代になり、その選択肢の一つとして国立があるのなら、そこに私立と国立の違いはない。

     「指定国立大学は新たな差別化」と山極先生は言うが、「国立大学」自体がすでに「差別化」ではないか。

     

    ――「公共財」に議論をもう一度戻そう。

     

    上山 山極先生と五神先生の「公共財」は、異なるようだ。五神先生は「蓄積された資本の集計」と考えているようだ。明治時代以来、国が投下してきた資本を返せていない、だから大学はもっと強くならなければいけない、そのために民間資本を取り入れると言っている。一方、山極さんは運営費交付金を増やせと言っている。それでは、今まで国に支えられてきた責務を果たしていない。今やるべきことは、限定された公的資金の中に民間資金を大胆に組み込んで,大学の財務を強くし、可能性を伸ばし、恩恵を広く社会に返していくことだ。それが研究大学のすべきことだ。「公共財」という性格が強かったときに投入されてきたものを大学は社会に返していない、という五神さんの意見には同調する。

     

    ――「大学改革の歴史は、失意の連続」。ある著名な高等教育研究者の言葉だ。改革時に人々がかけた期待は、見事に裏切られていく、と。 

     

    上山 それでも、大学人が一丸となってやるしかない。我々大学人が解かないといけない。

     私たち大学人は、いま解けない問題を、どういうアプローチなら解けるのかを考える人種のはずだ。

     

    おわりに

     国立大学とは何か、「国立」である意味はどこにあるか――東日本大震災や安全保障など国を揺るがす大きな問題に直面するたび、その問いが胸に重くのしかかった。法人化されたとはいえ、86の国立大学に約1兆1000億円の運営費交付金が支出されている、私立大学とは別格の扱いを受けているからだ。



    法人化されているから「もはや国立大学ではない」ということか
     

  8. 【5018189】 投稿者: 前衛党  (ID:V7hHwwhrRZg) 投稿日時:2018年 06月 07日 10:03

    小林氏の身勝手な言い分を目の当たりにして、『存在が意識を決定する』との唯物論の妥当性を再確認した。

    ただ現実に引きずられるだけで、歴史に対する洞察が微塵も感じられない。この程度の人物でさえ経済界のリーダーになってしまうところに、日本資本主義の底の浅さが露骨に表れているといえよう。OECDのお荷物と化しつつあるわが国の現状を象徴している。

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