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【4906550】中学受験に大きな影響あり!地方創世って?

投稿者: 意義あり   (ID:UQ5OU2l8o/2) 投稿日時:2018年 02月 28日 17:22

内閣官房の地方創世により教育が大きく歪められていると思います。
早稲田は2年間で合格者数半分に…。
本当に地方創世って教育を歪めるほどのスピードで行わないといけないものでしょうか?
東京都は2月に反対の緊急提言を出しましたが、本日の国会でも強行していくことを明言した政府。
教育の観点から合格者数を減らすならわかるけれど、「地方創世のため」で跡付けの理由というのはおかしいと思います。

中学受験はこれから早慶附属校を中心に、附属校の人気が大幅に高まるでしょうが、将来の日本にとって大きなマイナスとなると感じます。

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  1. 【5028672】 投稿者: 考察  (ID:Cc9B/3cSZ0A) 投稿日時:2018年 06月 16日 11:22

    「人と人との関係が物としての関係になる」有名なマルクスの疎外論だが、商品形態が物神性として機能し、人がその物神性に絡め取られて一面的な抽象的な存在として扱われていくということは必ずしも否定的な側面ばかりではない。
    価値形態という合理性によってのみ評価される世界で抽象的な人格として社会的な活動を行い、関わる人々も抽象的な人格として扱っていくということはある種の自由の発露であり人間性の解放である側面もある。
    閉鎖的な共同体の中でその構成員と常に具体的な人間として全人格的につきあっていかなければならないというのは重く停滞的で不自由だ。慣習や伝統を重んじる生活は安定している反面、束縛が多く刺激に欠ける。つまるところ、自由がない。
    フロイトがエディプスコンプレックスに支配される家族関係の束縛からの解放として「孤独」を挙げていたのは象徴的だ。
    人は田舎の退屈から逃れて都市の孤独のなかでの様々な出会いを通して新たな自分を見出したいという願望を有しているものなのだ。もちろんそこには、孤独から逃れて退屈へと逆戻りする「自由からの逃走」もありえる。それも含めて、都市の孤独は若者の憧れだ。

    最近の東大生の志向も、安定した共同体の中での重たい安心感よりも、抽象的な人格として自由に振る舞い価値形態の中で多くの利潤を引き出せる仕事に傾いているのも理解できる。彼らは結局、偏差値という抽象的な評価基準の世界で勝ち上がってきた自分の能力を試したいのだと思う。抽象的な世界での人とかかわりを通して、自由を発見し享受したいと思っているのだと思う。

    それと「吸血鬼」というのはいただけない。文革当時、資本家を糾弾し、首に看板をぶら下げてさらし者にしたとき、そこに「吸血鬼」と書き込んだことを思い出す。
    結局、前衛党さんも革命という勧善懲悪劇で盛り上がりたいレベルの低い大衆なのかなと思ってしまう。

  2. 【5028685】 投稿者: 38℃  (ID:ZBBUYT9LMjw) 投稿日時:2018年 06月 16日 11:37

    >「A判定」でも不合格
    ➔ A判定とは、過去データでの80%合格可能性。
    20%は不合格の可能性あり。だから「A判定」でも不合格は毎年一定数(約20%)はいます。今に限った話ではありません。


    要は、A判定を、
    ● 成績上位者の累計から、過去実績の相関から80%は合格すると予想する偏差値として定義しているのか、(見かけ: A判定者群が80%の合格可能性)
    あるいは、
    ● その偏差値の成績者が過去実績の相関から80%合格となる偏差値として予想して定義しているのか、(見かけ:A判定偏差値者が80%の合格可能性であり、それ以上の偏差値では合格可能性がもっと高くなる。つまりA判定者合格可能性80%以上と類推)

    いずれを定義して判定しているのかという統計計算の問題ですがですが、私が以前子供の模試結果レビュー時に確認した時の主催者側の説明は、前者でした。
    模試を主宰する会社により定義づけが違うことがあるのかもしれません。

    後者の場合は、模試受験者の母集団が相当大きく、当該進学校の合否実績データを多く有する(もし受験者から合格者がかなり出ている)のでなければ、模試の偏差値から各大学の合格可能性をそれなりの精度で評価することは出来ません。又この手法であるなら、わざわざA判定というグループで合格可能性を評価するのでではなく、各偏差値で合格可能性を表記することも出来るはずです。つまりA判定合格偏差値ボーダーより上の偏差値であれば、80%超の数値を可能性として示せるはずです。模試の大学進学評価は大学の学部毎が対象となりますので、対象者数及び過去のデータもさほど多くはなく、データにもばらつきがあります。

    そういう意味で、前者の方が信頼性は高い。
    そもそも、「A判定」とは、模試を通じて大学入試による合格可能性を過去の実績データから統計的に予想する参考指標であり、実際に合格するか否かはには他の要因も大きく関わってきます。


    >「A判定」でも不合格
    それがどうかしましたか? 
    模試と実際の入試との相関を考えれば、常に有り得ることではないですか!


      

  3. 【5028693】 投稿者: 日向  (ID:sZmlkRho6WY) 投稿日時:2018年 06月 16日 11:43

    嘘つき、論点ずらし、騙し。

    それを具体的に説明されてはいかがですか?

    ・・・といままでも、似たような批判に他の方たちも随分そのようにおっしゃっていらっしゃいましたね。
    こういう解釈もできる、という議論が展開されているだけなのに。行政官だとか関係者が擁護に来ているってどうやってわかるのか疑問ですし、来ていたからと言って差し支えなく内容で反論すればいいと思いますが。このような反論の仕方は口封じを目的とした印象に私は繋がりますが、いかがでしょうか?

    「浪人の増加がある」と一言で言っても、その浪人はどのような浪人か?その増加はどのような増加か?その存在の是非は?という議論が展開されているスレッドです。私は「浪人(させるの)は嫌だ」だけで止まっていては、、、と思い、ずっと拝見してきました。

    そしてその間、政策の批判は時間の流れで見る必要もあると教えていただきました。成果もさることながら、今後の変容もある、と。その変容について語られる方たちのお話も目から鱗と思うことが多くありました。

    今朝になって昨日の『マルクス・エンゲルス』への感想が変わりました。前衛党さんと考察さんの議論を踏まえて観ると、「あ。これ。」と思う箇所があります。この後ご覧になられる方はお楽しみくださいますよう。

    この政策について、このように具体的に熱く議論される方が私の周囲におりませんでしたので、嬉しくてつい内容のない投稿を続けてしまいましたこと、お詫びいたします。

  4. 【5028702】 投稿者: 前衛党  (ID:V7hHwwhrRZg) 投稿日時:2018年 06月 16日 11:46

    >価値形態という合理性によってのみ評価される世界で抽象的な人格として社会的な活動を行い、関わる人々も抽象的な人格として扱っていくということはある種の自由の発露であり人間性の解放である側面もある。

    だれがそれを言っているの?
    出典を教えてくれまいか。その抽象的な「自由」の大義名分のもとに、強者の自由=弱者の不自由が横行したのが資本主義であり、それの反省形態が同じ資本主義国家である北欧等の福祉国家像ではないか。「人間性の発露」なるお為ごかしは、(経済的)奴隷にとってどのような説得力を有するというのかね。

    >閉鎖的な共同体の中でその構成員と常に具体的な人間として全人格的につきあっていかなければならないというのは重く停滞的で不自由だ。慣習や伝統を重んじる生活は安定している反面、束縛が多く刺激に欠ける。つまるところ、自由がない。

    経済至上主義者らしい、手垢のついた使い古されたような言い分だ。
    だから自由に、勝手気ままに金もうけをさせろ、ということだろう。
    それも誰が言っているの? 古臭い。
    時代は、ルールある資本主義の再構築だ。

    もはや、欧州にもそのような乱暴な議論をする研究者は少なくなった。米国でさえ、彼等は孤立しつつある。その具体化が、大統領選でのサンダース候補の大善戦であった。

    何事も、米国から10年遅れて追随する日本らしい、時代おくれの議論。
    新自由主義者が相も変わらずデカい顔して論壇で跳梁跋扈する。その最後の先進国ではないか、この日本は。アベ政権の崩壊と軌を接し、5年後には消え去っている人々だろうと思う。

  5. 【5028735】 投稿者: 考察  (ID:AtPO0A/46h.) 投稿日時:2018年 06月 16日 12:26

    >だれがそれを言っているの?
    出典を教えてくれまいか。その抽象的な「自由」の大義名分のもとに、強者の自由=弱者の不自由が横行したのが資本主義であり、それの反省形態が同じ資本主義国家である北欧等の福祉国家像ではないか。「人間性の発露」なるお為ごかしは、(経済的)奴隷にとってどのような説得力を有するというのかね。

    以前に挙げたフランスのテル・ケルの理論家たち、デリダ、クリスティバ、スーザン・ソンターグ、ロラン・バルト、柄谷行人はみんなこの立場ですよ。
    彼らは、マルクスの価値形態論を記号論として扱って積極的に評価している。柄谷行人などは利潤は記号論における差異化の産物としている。『マルクスその可能性の中心』をじっくりお読みになってください。

  6. 【5028747】 投稿者: 見て見ないふりしているのかな?  (ID:iVcCKfAHeCQ) 投稿日時:2018年 06月 16日 12:37

    38℃さん、偏差値の作り方による模試の信憑性の話とか全く関係ないですよ。
    あなたがどの偏差値が信頼できて良いと考えているとか、どうでも良いです。
    あなたのお子様が昔受けた模試の評定がどうだったかも、どうでも良いです。
    記事では何を説明しているのかだと思います。
    昨年の受験で現実として起きた大きな変化は何ですか。

  7. 【5028752】 投稿者: 38℃  (ID:ZBBUYT9LMjw) 投稿日時:2018年 06月 16日 12:47

    「A判定」にこだわり続ける方がいるようでしたので、補足しました。

    近年、浪人が増えている現実に対する私の捉え方と意見については、
    本スレでの投稿を読んで頂ければ分かります。

    現実を、浪人の短期的増としてだけで捉えているのではなく、俯瞰して観ています。

         


         

  8. 【5028770】 投稿者: 38℃さん  (ID:iVcCKfAHeCQ) 投稿日時:2018年 06月 16日 13:12

    いったいどういうこと?
    「A判定とは、過去データでの80%合格可能性」だ「毎年一定数(約20%)はいます」と言っているのは38℃さんですよね。あなたの話は辻褄があわないことが理解できていますか?
    母集団がなんなのか整理できていないのではないですか?
    A判定の中で20%の不合格が毎年いることになる理由が説明としてどんどん遠くなっていると思いますけど。


    【5028685】 投稿者: 38℃ (ID:ZBBUYT9LMjw)  投稿日時:18年 06月 16日 11:37
    >「A判定」でも不合格
    ➔ A判定とは、過去データでの80%合格可能性。
    20%は不合格の可能性あり。だから「A判定」でも不合格は毎年一定数(約20%)はいます。今に限った話ではありません。

    要は、A判定を、
    ● 成績上位者の累計から、過去実績の相関から80%は合格すると予想する偏差値として定義しているのか、(見かけ: A判定者群が80%の合格可能性)
    あるいは、
    ● その偏差値の成績者が過去実績の相関から80%合格となる偏差値として予想して定義しているのか、(見かけ:A判定偏差値者が80%の合格可能性であり、それ以上の偏差値では合格可能性がもっと高くなる。つまりA判定者合格可能性80%以上と類推)

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