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【4906550】中学受験に大きな影響あり!地方創世って?

投稿者: 意義あり   (ID:UQ5OU2l8o/2) 投稿日時:2018年 02月 28日 17:22

内閣官房の地方創世により教育が大きく歪められていると思います。
早稲田は2年間で合格者数半分に…。
本当に地方創世って教育を歪めるほどのスピードで行わないといけないものでしょうか?
東京都は2月に反対の緊急提言を出しましたが、本日の国会でも強行していくことを明言した政府。
教育の観点から合格者数を減らすならわかるけれど、「地方創世のため」で跡付けの理由というのはおかしいと思います。

中学受験はこれから早慶附属校を中心に、附属校の人気が大幅に高まるでしょうが、将来の日本にとって大きなマイナスとなると感じます。

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  1. 【5180488】 投稿者: 前衛党  (ID:ePQV51RVX.A) 投稿日時:2018年 11月 08日 23:56

    合わせ付言する。
    あなたはしばしばこの私をして「ポジション・トーク」のような言い方をする。
    だが、それは学問(哲学)的には当然のことなのである。マルクスの有名な『ドイツ・イデオロギー』には、「意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定する」との有名な言葉がある。同じく『経済学批判』序文にも「社会的存在が社会的意識を規定する」とある。

    これらは唯物論哲学の立場からは至極当然ことだ。蓋し意識と社会は相関関係にあり、その意識は大脳という物質の一つの機能であると考えられる。そうすると、意識以前にまず物質が存在することになる(唯物論の観念論に対する優位)。

    しかし、意識が意識として成立すると、今度は意識が現実を規定する(逆規定)。すなわち、最初は現実が意識を規定(大脳が意識を規定)するのが原則だが、いったん意識が意識と成立すると今度は意識が現実を規定する。ゆえに、われらは権力と対峙する私学人としての意識をつかみ取って、それを現実に貫徹する主張を行う。同時に、つまり、意識が実践を規定していく。これを哲学者梅本克己は「物質が意識に先行するのは原初的な一時期においてであって、具体的な生活過程においては意識と現実とは相対的だ」、「没価値的動因が価値的動因に優先するのは原初的な一時点だ」と指摘した。

    そして、われわれの認識は現在から出発する。現時点において、われわれが直面している問題は何か。なぜ、われわれが解決すべき問題か。その問題意識を解決するために―問題意識をもって―過去へ反省し、過去から現在へ戻る。そうするとそこに「国家」をどう理解するのか、という問題が出てくる。とりわけ、生産過程そのものの問題が大きなカギとなる。しかも、現行憲法においては「自由・平等」との建前によってハイカラに搾取が正当化されている。そうすると、支配層と非支配層=賃労働者との利害の対立、およびそれを糊塗し階級支配を貫徹するための手段としてそこに国家、ならびに大学の存在が浮かび上がってくる。

    すなわち、助成金問題も含めた大学に関わる諸矛盾もそうした「社会の生産関係」の在り方に起因するものといえる。ゆえに、財界は大学を自らの利益獲得の手段に利用しようとその利益代弁者たる国会で悪法をでっちあげ、他方でわれらは大学や学問の商業化、軍事利用に強く反対するのである。だが、根本的な解決は、そうした資本主義的生産関係の在り方の改革なくしてありえないことは厳然たる事実である。

  2. 【5180544】 投稿者: JQ  (ID:d2IufS.Ei42) 投稿日時:2018年 11月 09日 00:40

    社会が個人を規定するとともに、個々人の総体をして社会が浮上する訳なので、
    古典的なモデルで解明できることはかなり限られて来ると思うよ。
    初期の資本主義では、生産する主体は、かなり限定されていたけれど、現状では産業も細分化されていて、かつ、1次〜3次という類型すら通用しない産業形態も出て来てるでしょ。更に、発展途上国等をみてみると、1次→2次→3次等と言う階梯を経ずに経済発展していくケースも多い訳だし、、

    ものごとをある程度整理するツールだという位に考えておいた方が良いと思います。

    あとさ、パラリーガルみたいな人もいる訳で、法学といっても、ドメスティックな範疇に限られるものでもないということくらいは踏まえて立論してもいいんじゃないかな?僕は、日本の文脈で普遍的な人間社会の原則=法と考えることにもおそらく限界があると思う。

    恐らく法律というのは、普遍的な人間観を下敷きにしつつも、従前の状況に解釈を重ね上書きされてきたテクストの総体みたいなもであり、異文化それぞれに成立の背景をもっている訳だから、教典のあり方も運用のあり方も、ある程度ローカルなものだと考えるのが妥当でしょうね。

    こうした状況認識をもって、法=普遍的な規則と捉えてしまうと、それは神の御技みたいな話になってしまい、「唯物論」でも何でもないんじゃないかなと思う。マルクス泣くだろうね。

    大体お前マルクスのマの字も読んでねーだろ。価値形態が一番面白いんだよ。ものすごく微視的だからね。

  3. 【5180582】 投稿者: ファンタジー  (ID:.tuTSTQpm26) 投稿日時:2018年 11月 09日 02:11

    前衛党さん、相変わらず言葉の選択が粗雑ですね。
    こういうところが説得力を欠くもとですよと山崎朋子さんの例をひいて教えてあげたのになあ。
    金城湯池というのはもともと漢書からきていて「守りが固い、守備堅固」という意味です。
    そこから転用して選挙用語として「他の勢力が入り込みにくい強固な地盤」の意味で使うようになったのは半可通の昔のジャーナリストだったんですよ。
    かつては誰でも漢文をかじっていましたからね。
    さらに転用して「利権」みたいな意味で使う人もいますが、すでに「金城」の意味が分かっていないのが明白で、無反省に持ち出すと教養の浅さが露見してしまいます。
    文科I類をL1と呼びますが、このLはliteratureであり、「文によって立つ」のが文系の矜持ってものではないんですか?
    他人が使っているからと言って安直に孫引きするようなやり方を本来「付和雷同」というのです。
    前衛党さんの文が実につまらないのは付和雷同だらけだからという自覚を持つと、もっと読める文章が書けるようになりますよ。
    これは励ましですので素直に読んでいただけるとうれしいです。

  4. 【5180584】 投稿者: ファンタジー  (ID:.tuTSTQpm26) 投稿日時:2018年 11月 09日 02:42

    ほんとかなと思って山形大学の役員の経歴をざっと見たのですが、文部科学省の官僚出身者は副学長の小島浩孝氏一人であるように読み取れました。
    私の理解で正しいですか?
    だとすると
    >>地方大学の中でも官僚の天下りの金城湯池といわれるあの『山形大学』
    というレッテル貼りには相当の疑問を感じるのですが、そのように言い切った根拠を明らかにしていただけますか?

  5. 【5180624】 投稿者: 格差の実態  (ID:EQro1FCZAx2) 投稿日時:2018年 11月 09日 06:57

    2018年度概算要求の内、国立大学向け運営交付金は1兆1,309億円、私立大学向け経常費補助は3,283億円で、格差はおよそ3.4倍である。
    「高等教育の機会均等等に関する要望」で述べられているのは私大生1人当たりに対する公的支出が、国立大生のそれに対して13分の1ということで、例えば学生数が少ない東京神学大学(177万円)や東京基督教大学(131万円)などの私立大学だと、お茶の水女子大学(151万円)、東京芸術大学(145万円)とほぼ同じ、文系単科大学の殆どがこれ以下となる(2018年度、so-netより)。

    国立・私立大学の「格差13倍の不平等」云々というが、じっさいは各大学毎によって区々であり、これを是正するには公的支出を増やすより先に、首都圏を中心とした大規模大学の定員を減らす方が先。何万人もの学生を集めておいて、単純に格差、格差と「不平等」を連呼するのはいただけない。
    子供でも分かる理屈だろう。

  6. 【5180635】 投稿者: 格差の実態  (ID:EQro1FCZAx2) 投稿日時:2018年 11月 09日 07:17

    ちなみに山形大学の小山清人学長の会見を報じたのは日本経済新聞で、「山形大学だから」との理由で因縁じみたことを書き込むのは、まさしく○○の勘繰りであろう。

  7. 【5180968】 投稿者: 地方草生  (ID:qW4JObN1VCU) 投稿日時:2018年 11月 09日 12:05

    補助金の話の続きで、大きな大学の定員を減らすべきとの主張が出てきましたが、理由がわかりません。

    大きな大学のほうが学生一人当たり補助金ば少なく、効率的ではありませんか?

  8. 【5181044】 投稿者: 前衛党  (ID:ePQV51RVX.A) 投稿日時:2018年 11月 09日 13:06

    あなたには以前にも申し上げたが、「付和雷同」「金城湯池」ともに、その語義につき私に誤用はない。少なくとも一般的な辞書における用例に準じているはずだ。まず、このことを申し上げておきたい。

    むろん、そうした言葉の「原義」にこだわるあなたご自身のご趣味もあろう。その姿勢には敬意を表する。だが、国語(四字熟語)自体を議論する場ではない本スレにおいて、その姿勢は必ずしも適切ではないと考える。一般的な語義や用法の使用を肯定すべきである。まして、それすら誤りとするなら、明らかに行きすぎである。

    したがって、—恐縮ながら―あなたから頂いたご指摘は首肯できない。

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