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東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?
東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」
入試概要:
A方式(50名)
*大学入学共通テストの結果
*高校の調査書(または成績証明書)
*エッセー
*東大が指定する英語試験の結果などの書類
*英語による面接
B方式(50名)
*東大が指定する国際的な統一試験の結果
*複数の提出書類
*英語による面接
特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします
基礎理論は学際的に並行して学ぶのでは。
科目等は自由選択とするか、いくつかの中から選ぶとか。
カレッジオブデザインは基礎理論や科目と並行してデザイン理論、手法を学ぶ
2.3年次から課題設定などプロジェクトベースの学び、
基礎理論と課題設定や課題解決等を並行して実施するのでは。
おそらく東大が最も意識しているのは、学際ではなく越境だと思いますね。
分野を並列して学ぶのではなく、理論と実装、抽象と現場を行き来する回路を学生自身が設計できるようにする。そのためにカレッジオブデザインは言うなれば、知の翻訳者を育てようとしている。
基礎理論を学ぶのは当然として、それをいかに現実世界の課題に接続し、社会の制度や仕組みのデザインにまで落とし込むか。ここが従来の学部との決定的な違いです。
デザインというワードセレクトした東大側の視座、射程を強く感じさせます。
単なるPBL(課題解決型学習)ではなく、課題そのものをどう定義するかというメタな段階まで踏み込む構想になっています。既存の専門学問を足し合わせるのではなく、社会の側の前提を組み替えるところから始めようとしている。
その意味で、カレッジオブデザインは学問の融合(integration of disciplines)ではなく、知の再編(reorganization of knowledge)を目的とした拠点だと思います。
だとするとディープテック学部などはどのようになるのか、
スタンフォードのように、面白いこと、世界を変える製品やサービスを創出するための事業化が目標というところか。
世界を変えるとか、日本を変えるとか、大きな志をもった学生が世界中から集まるのが理想。スタンフォードのように、
日本は研究者も蛸壺で面白い研究とか、面白い事業とか、そういうのがなさすぎるんだろうな
志を語ることと、構造を変えることはまったく別だよ。
スタンフォードが世界を動かしたのは、面白いことをやりたい学生がいたからではなく、面白いことをやっても潰されない制度と文化があったから。
失敗を資産に変える金融、教授が企業を興せる法制度、学生が独立しても戻れる学術構造。その生態系があって初めて、志が持続する。
日本では志を掲げる者ほど早く摩耗する。
なぜなら制度が熱量を吸い取る設計だから。ディープテック学部が本当に意味を持つのは、面白いことをする人ではなく、面白いことを制度の外にまで拡張できる人を育てる時。
その視点を欠けば、またも志のある若者を制度が消費する構図が繰り返されるだけだと思ふ。
君のいう制度って、言い訳なのでは。
確かに投資家は米国より圧倒的に少ないが、公的セクターがそれを担うと投資家は育たないよ。
教授が起業家になろうなんて、そもそも日本ではしないよ。日本の場合、研究者は研究の道をきわめるか、研究者のマネジメントをするか、で民間にいこうとか起業家になろうとかなどと思わない。
起業家も学生に戻ろうという気はない。米国の大学のように、面白いこと、面白い人材、高い教育や教養を身につける場も日本にはない。
制度を言い訳にするつもりはありません。寧ろ、制度を変数として見ていないことこそが、日本の閉塞を生んでいると思います。
教授が起業しないのも、学生が戻らないのも、個々の意識の問題ではなく構造の問題です。研究者が研究室外の価値創出に踏み出せば、学内での地位を失う。企業内で挑戦すれば、失敗が評価に残る。そうした制度設計のもとでは、才能も意欲も減衰するのが自然です。
アメリカが強いのは、挑戦を支える資本があるからではなく、挑戦が回収される設計があるからです。
失敗がキャリアを終わらせず、むしろ次の知的資産として循環する仕組み。これをつくるのは個人ではなく制度であって、その制度を設計する人の不在が、日本の最大のリスクです。
ディープテック学部が真に意味を持つのは、学生に面白いことをやれと促す時ではなく、その挑戦を吸い上げ、社会の構造そのものを更新できる制度を同時に育てる時です。志が摩耗する前に構造を動かす。それが今、最も欠けている部分だと思います。




































