高2が体験!金沢探究レポート
中学受験有名校からノーベル賞が出ない理由
坂口先生、おめでとうございます。免疫学の業績でいつ受賞してもおかしくなかった。
中高は公立? 毎度この時期になると「なぜ中学受験の有名進学校からノーベル賞が出ないのか?」話題になります。
皆さん、どうしてだと思いますか?
私の友人、千葉大学免疫の谷口先生のところに入ったのですがものすごく厳しく、朝から晩まで試験管振っていると言っていました。
ロンドン大学に留学したのですが、その後上手くいかなかったのかな? 40歳前に内科で開業しました。基礎医学でそのままやりつづけるのはなかなか難しいようです。
「どれだけ研究が好きなのか?」が絶対条件のようです。
バーゼルからエレガントな論文どんどん出していた利根川先生も人格的にはちょっとエキセントリックのようですが、人格円満よりのめり込む力かな?
うん。
受験勉強は正解を最短距離で掴みにいく作業だが、研究はそもそも正解が存在しない領域で問いそのものを立ち上げる営み。
だからこそ、必要なのは記憶でも要領でもなく、構造を見抜き、矛盾を孕んだまま思考を進める持久力。
谷口先生の様な方が厳しいのは当然だ。
試験管を振る時間そのものではなく、その行為を通してどれだけ深く問題と格闘しているかを見ている。
成果が出ない時間をどう意味づけるか、そこに研究者の力量が現れるのだと思う。
利根川先生をエレガントと評されたのも、知的精度の高さだけではないでしょう?
発想の異常さと論理の美しさが同居していたからこそなのでは?
研究は円満では到達できない領域で、のめり込むほど孤独になる。
けれど、その孤独の奥でしか世界は更新されない。
発見、革新は孤独に宿る。
スレの問いかけに戻りますが、個人的には単純に考えています。
ノーベル賞とれる年齢は70歳以上が多く過去も含めて受賞者が10代のころは、高校受験全盛期で、なおかつ公立高校全盛期だったからと思います。
たしかに個人の資質、継続力、頭の良さもあると思いますし、興味の幅が他人とは全然スケールが違うことも多いですが、いつの時代でもそのような子供が通うべき学校はとなると近隣の難関校になるのかなと思います。
こういう素朴な因果づけが噛み合わなくなるのは、時代背景の話をしているように見えて、実際には知の生成条件をまったく見ていないからだと思います。
確かに受賞者の多くは70代前後で、その人たちが10代だった時代に公立高校が強かったのは事実です。でも、公立全盛期だから優れた研究者が生まれ、公立が弱ったから進学校から出ないという構図にはなりません。学校の看板や序列が研究者をつくるのではなく、思考の回路を支えた環境そのものが後の研究人生を決めるからです。
研究に必要なのは、近隣の難関校に通ったかどうかではなく、疑問を抱えたまま粘る力を幼少期からどれほど許容されたかです。興味の幅が広い子ほど、他人と同じ正答に向かう道筋より、自分の中にある違和感の扱い方で成長が分かれます。その違和感の扱いには、学校の難易度より周囲がどれだけ余白を残したかが効きます。
公立全盛期の時代には、その余白が偶然ながら残っていました。評価の網が粗く、子どもが自分の回路を曲げずに進めた。その緩さが後の研究者を支えたのです。一方、現代の進学校は効率化を極め、正答への最短距離を文化として内蔵しています。そこで育つのは学力ではなく、問いを削る習慣です。
だから、昔の公立が強かったという話をしても問いは解けません。本当に照らすべきは、どの学校かではなく、どの社会が子どもの中にある違和感を伸ばしたのかという一点です。学校序列の話に寄せた瞬間、創造の核心から遠ざかります。ノーベル賞を生むのは偏差値ではなく、違和感を潰さない環境だけです。




































