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投稿者: ひまわり (ID:xi2lyBwmqzM) 投稿日時:2019年 01月 02日 22:21
「皇位は、皇統に属する皇族が、これを継承する」
これで良いのではないでしょうか。
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【5436442】 投稿者: 冷静にかんがえると (ID:NbetP2gbS/w) 投稿日時:2019年 05月 14日 18:25
蒲公英 さん
>思惑は一致していたのではないかと思いますが、
いずれにしても女性皇族との婚姻によって皇族となられた男性は、
確認できる範囲ではいないという認識でよろしいですよね?
もしもいらっしゃるならば教えてください。
いわゆる臣下との婚姻自体が想定されていませんから、そのような例はなかったと思います。古代の天皇の婚姻形態は族内婚が主流ですから、例えば、異母兄妹(敏達天皇と推古天皇)、あるいは叔父・姪の異世代間(皇極天皇と舒明天皇)など。
皇族の婚姻形態に着目するなら、古代天皇の婚姻形態は現代の我々の価値観(生物学的・文化的問題)からは到底受け入れられない。一方で、皇族でない男性との婚姻は古代、皇女の神聖性から仮に文化的タブーであったとしても、現代の価値観からは問題ない。要するに処遇の問題で、過去に事例がないから、現代でもその規範なり価値観を踏襲するべきだということにはなりません。
>女官制度は法ではなく慣行だったから改革できたということですか?
時代も移り変わるのに、一度制定された法は一切変更不可能なのですか?
今回譲位は不可なのに実際特例で可能となったように、
人が作ったものは人の知恵で改善可能と思うのですが・・・。
戦前の話と戦後の話を分けておられたのは、蒲公英さん御自身だったのでは?
そもそも戦前の天皇親政と天皇親裁は似て非なるもの。立憲君主制の下でたとえ国務法だとしても仮に天皇の御意思が反映されるとすれば、それは運用面の問題でしょう。
旧典範で庶子継承が認められていたとしても、実際に庶子を設けない。これは法規制でも何でもなく、改革の御意思はご自身の親裁ですから、これを法改正に結び付けようと同一視するような論法は、親政と親裁を混同されているように見受けられます。
>選択肢が少ない事柄ですし、草案にさまざまな意見があっても普通ですよね。
過去に途絶えそうになったときも、いろいろ議論されたと思います。
それでも採用されなかった意味を考えてしまいます。
国憲制定の動きの中で、皇位継承に関する成文法を創設しようとしたこと自体、画期的と言えるでしょう。所謂、帝室制度を国政から分離・独立したものとして構想していた岩倉具視らとは意を分かち、 伊藤博文はプロシアをモデルとした立憲君主制を模索する中で、帝室制度自体をも憲法調査対象としています。帝国議会開設以降も政府の主導性を確保したうえで、皇室の自立性を認めている。
伊藤が宮内卿と制度取調局長官を兼任したうえで策定された、「皇室制規」(明治18年)。実はこの中にも第1条、13条において嫡系皇族優先、女系容認が記されております。
わたしはむしろ、皇統存続のためにあらゆる可能性を模索した強い意志を感じますね。あるいは男系継承というものが絶対的規範でも不文律でもなかったということでしょうか。
かつて後宇多天皇と後醍醐天皇に仕えた吉田定房の「本朝時運輿衰ノ事」は、名文ですから蒲公英さんもご存じなのでは?
易姓革命と異なり血統重視の王朝は中興を期待できない、といったような内容でしたが、既にこの時代から上述のような危機感を有した先人らがいたということに、わたしは注目したいと思います
>お子様は必ず生まれるとは限りません。
それでも改革されたのですから、ご自身の子の即位にこだわらないで合っていますよね?
それに、何のために宮家がたくさんあるのですか?
遠い傍系でも継承させてきたことを考えてみれば、
基本、皇族内で継いで守っていこうという意識なのだろうなと思っていました。
女官制度改革に関わる貞明皇后と昭和天皇との軋轢は、一に祭祀をどう継承するかにあったと言われています。そして祭祀相承は戦前では神格の建前上、もっとも重要視された奥義であったことも容易に想像できます。
後に現上皇陛下も、都度、昭和天皇の祭祀ご臨席に同席されたと述べておられます。ただ血統のみ重視して同族内なら誰でもといったような「皇位」という捉え方を昭和天皇がなされていたとは、わたしには到底思われません。 -
【5436557】 投稿者: ひまわり (ID:AuHYBisCK6Q) 投稿日時:2019年 05月 14日 20:20
こんばんは。
昼間は途中で送信してしまいました。
>清麻呂公
和気神社に隣接している藤公園の藤棚、毎年見に行っているのですが今年の藤祭りは行けませんでした、残念。
こじんまりとした藤棚ですが、北から南まで日本中の藤を集めた藤公園の華やぎは本当に見事です。
蒲公英様、皇族と国民の区別が守られてきた事実は、あなたの言葉を借りれば「理由があった」ということなのではないですか?
男系を支持する人達の「男系の伝統」とは違って、皇族と国民の区別は明確にすべきと古の人達は伝え残しています。 -
【5436574】 投稿者: 蒲公英 (ID:Sa7tnf/aKTw) 投稿日時:2019年 05月 14日 20:37
こんにちは。
ひまわりさま
> 狡いですよ、親子で皇籍取得は国民が決めなければ始まりません。
> 自然でもなんでもありません。
ずるいって、あまりうれしくないですね。私、何も得していませんが。
親子は一緒であることが自然だと申し上げたのです。
成人の方は取得不可と決める必要性がわかりません。
皇籍取得であって、皇位継承権ではないですよ。
子どもだけの取得を希望されるならば、構わないと思いますが。
親子だと国民が決めないと始まらないのですか?
幼子だけならば国民が決めなくてもいいのですか?
私は最初から皇室の方々と、時にはご親戚含めた一族の話し合いの末の御聖断がいいという意見です。
国民の仕事は、決まった方向を問題がないように法律を整えることと思っています。
そういえば、世論調査の女性天皇と女系天皇の違いを理解しているかという質問で、
あまり理解していないと全く理解していないが50数%だったそうですね。
私も20年前は女系天皇って何?でした。
この数字、結構理解が進んでいると見るべきなのでしょうか。
やっとこういう質問を加えるところが出てきたかという感じです。 -
【5436582】 投稿者: 蒲公英 (ID:Sa7tnf/aKTw) 投稿日時:2019年 05月 14日 20:45
冷静にかんがえるとさま
>要するに処遇の問題で、過去に事例がないから、現代でもその規範なり価値観を踏襲するべきだということにはなりません
お考えはわかりました。
女性皇族と貴族との婚姻はあったと思いますが、皇族になった男性はいないのですね。
どうもありがとうございました。
>戦前の話と戦後の話を分けておられたのは、蒲公英さん御自身だったのでは?
はい。戦前の話をお聞きしているので、「今回の御譲位のように」と例として出しました。
一緒にしているならば、「今回できたのに、なぜできなかったのか云々」となります。
要するに、自分はこうしたいというもので、法を変えることはしていない。
女官を通勤にしたとか、既婚者も可としたとか、そういう改革なのですね。
> 既にこの時代から上述のような危機感を有した先人らがいたということに、わたしは注目したいと思います
難しい書物は読んでおりません、というより、たぶん読めませんが、
現代人より先人のほうがはるかに危機意識が高く本能も鋭かったであろうと思っていますので、
そういう先人のその都度その都度の選択を重要視してしまう傾向があります。
単なる男尊女卑による結論とは思えないのです。
皇室に男尊女卑などなかったと思っていますので。
> ただ血統のみ重視して同族内なら誰でもといったような「皇位」という捉え方を昭和天皇がなされていたとは、わたしには到底思われません。
わかりました。
お互いが思えない思えないと言っていても仕方がないと思うのですが、
しつこいようですが、誰でも必ず子どもを授かるとは限りません。
改革は御結婚前のこと、御結婚相手と女官に対する最大限の思いやりと思います。 -
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【5438505】 投稿者: ひまわり (ID:AuHYBisCK6Q) 投稿日時:2019年 05月 16日 15:04
こんにちは。
蒲公英様
申し訳ありませんが私の読解力がないのか読み飛ばしてしまってるせいなのかわかりませんが、蒲公英様のお話はどんどんそれるというか、膨らんでしまって、読ませてもらって正直なにがなんだかわからなくなってしまいました。
ただ、旧宮家の方々は国民という身分であっても、蒲公英様にとっては皇族方と等しい方々である、ということがよくわかりました。
「御親戚」だから、ですよね。
ただ、過去の政府見解では皇位は世襲で定めて、皇統とは天皇に連なる血族男系女系両方の系統を含むとしています。
今後は皇統である女系も認めるか、それとも旧宮家の方々の皇籍取得をお願いするか、二つの議論をまつしかありませんね。 -
【5438515】 投稿者: ひまわり (ID:AuHYBisCK6Q) 投稿日時:2019年 05月 16日 15:13
連投すみません。
小林よしのり氏が平成の時代に宮内庁長官から呼び出しを受け、某所にて話を聞かれたそうです。
これには驚いてしまいました。
水面下でこういった調査みたいな動きがあったのですね、小林氏ですからおそらく女系容認の意見を求められたのだと思いますが、この調査は男系支持の方々にもあったのでしょうか?
それと、このような調査は安倍氏主導の下で内閣府のどこかの機関がやるものだと思っていましたので、同じ内閣府の機関とはいえ宮内庁が直々に聞き込みをしたことに大変驚いてしまいました。 -
【5438783】 投稿者: 蒲公英 (ID:Sa7tnf/aKTw) 投稿日時:2019年 05月 16日 19:35
こんにちは。
ひまわりさま
1点だけの単純な話ではなく、あらゆる点から見ての私の結論なのですが、
反対の意見ですし、そう感じられてしまうのかもしれません。
でも、今までそれほど見下されている感じは受けなかったので、感謝しております。
>過去の政府見解では皇位は世襲で定めて、皇統とは天皇に連なる血族男系女系両方の系統を含むとしています。
過去の政府とはどの政府か教えていただるとありがたいです。
御降嫁された方のお子様も皇統に含まれるということでしょうか。
天皇とはどの天皇と限定されての見解でしょうか。
政府の見解、曖昧なものが多いですね。
>小林よしのり氏が平成の時代に宮内庁長官から呼び出しを受け、
いつどの長官に聞かれたのかご存じならば教えてください。
後で発表してしまうのはいかがなものかと思ってしまいますが、
宮内庁長官が相手ならば別に構わないのかしら。
2点ほどお聞きしましたが、ご存じでなければ結構です。
ひまわりさまを混乱させるのは、本意ではありませんので。
Yahooニュースで「皇位継承問題の本質…制度の議論前に天皇家の考えを尊重するべき?」という記事を読みました。
高森氏以外にも同じように考える人がいることに安堵いたしました。
確かにそうだよねと思う人が徐々に増えてほしいです。 -
【5438867】 投稿者: 冷静にかんがえると (ID:wn6JHAExuxs) 投稿日時:2019年 05月 16日 21:01
蒲公英 さん
了解しました。
久々に楽しいやりとりで、感謝申し上げます。
>男尊女卑
ご指摘のようにそう言った思想はなかった、、儒教の影響は世襲を取り入れたにしても、全面的に依拠しなかったように思います。
中国皇帝で女性が即位したのは李氏(出身は武氏)の武則天ひとり。それも武周革命が契機といわれています。もちろん数千年といわれる封建王朝の中で、実質的に権力を握った漢の呂後、清の西太后といった例はありますが、男尊女卑という観念の中で権力を掌握した武則天でさえ、結局、息子の李哲に皇位とともにこれを譲り渡した。武氏出身と言えども高宗の元に嫁いだ彼女が、祖先崇拝の祭祀の対象となるには、それしか方法がなかったといわれています。
祭祀が皇位継承に影響を及ぼす点だけは、我が皇室と共通していたのかも知れません。
ところで旧宮家の皇族復帰ですが、11宮家は北朝、伏見宮系だったような、、
まあ、南北朝の正統性にまで論点が及ぶか否かは存じませんが、現実として難しいのではないかと感じます。
皇位継承を想定するなら、現在、一般「国民」とされる方々の属性は旧憲法下の「華族」としなければ、論理的整合性が取れません。つまり「華族」という属性の方々を前提としなければ、復帰可能な旧宮家という概念が成立しないということです。
いうまでもなく、これは憲法違反の虞が生じる。既に一部の憲法学者が指摘されていることで、強引に本案を押し通そうとすれば、政局にまで発展する可能性もある。
考慮するにあたり、女性宮家創設の是非とは異なったアプローチが必要かなと感じています。
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